表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アンドラ・ファイル 2018/10  作者: Winifred Riviere
6/8

1日目 13:00〜14:00 青空の下の狙撃手

アンドラ時間 14:00



おかしい。


俺は、背中に視線を感じながら、談話室を抜け、屋上に続く階段を上がった。


はじめに違和感を抱いたのは、つい30秒前のこと。寮に面した通りを歩いている時だった。


通りの端にあるベンチに腰掛けて新聞を読む男性。彼が、新聞を読んでおらず、視線の端で周囲の様子を窺っているのは、その様子を見れば明らかだった。


寮の入り口にある談話スペースでは、見たことのない若い男女が話をしていたが、二人も、間違いなくこちらの様子を伺っていた。


俺は、そのまま談話室を通り抜けた。


階段を上がると、またもや見たことのない男性とすれ違った。いつもなら、階段の途中で人とすれ違うことなどありえない。寮に住んでいるのは、移民がほとんどだが、いずれも、この時間は部屋に閉じこもったり、街のカフェでヨーロッパの女をナンパしたりしている。そして、階段をすれ違ったのも、談話室にいたのも、通りで新聞を読んでいたのも、いずれもヨーロッパの人間だった。スペインは今、絶賛不景気で失業者で溢れているが、労働者に対する補償制度もある。移民に混じって皿洗いやウェイターをする者たちはいない。皿洗いなどは移民のための仕事というのが、ヨーロッパで言葉を交わした者たちの共通認識だった。よっぽど切羽詰まっていれば、話も変わってくるだろうが、新聞の男も、談話室の男女も、階段ですれ違った男も、身なりからも表情からも、生活に苦しんでいるという様子は感じられなかった。


俺は、第二の談話室としても使われている屋上に向かった。灰皿が置いてあるだけの簡素な場所。喫煙者たちの交流の場所になったりもしているが、今は誰もいない。俺は、タバコに火をつけ、吸い殻を灰皿に落とした。タバコの煙を漂わせておけば、不意に誰かがやってきたとしても、タバコを吸っていたと言うことができる。俺は、全身に魔力を通し、体を肉体組織から、幽体組織に変えた。こうすることで、俺は幽霊のようになり、人間の五感から逃れることができる上に、物理法則の選り好みができるようになる。重力は俺を足元に縫い付け、味覚以外の五感を通して、周囲の情報を得ることができる。触覚は薄れており、風が頬を撫でる感触はどこかおぼろげで、自分の存在感が薄れているように感じられる。パリで数日を過ごした、ローラの屋上は屋根も壁もないリビングという感じだったが、ここには屋根も壁も家具もない。なんで置いていないんだ、これじゃ寛げないじゃないか、などと憤った気持ちが胸の中にふつふつと湧き上がったが、よく考えてみれば、屋上に家具を置いているあいつの方が変わっているのだ。屋上を囲う柵に寄りかかり、通りを伺ってみる。新聞を読んでいる男がいた。指輪はつけておらず、アクセサリーもない。服装は質素で、生地の質感は安っぽい。


男は、不自然に体の動きを固めた。それだけなら、こちらの考えすぎな気もするが、奴は、首を小さく動かし、周囲の様子を伺った。こちらの視線に気がついたのかもしれない。彼は、立ち上がり、こちらを見上げた。年齢は、おそらく30代。そのブラウンの目は、焦点が定まっていない代わりに、周囲のあらゆるものを目に収めている。精神科医の持つ、周辺視野で患者を観察するスキルと同じものだ。そのスキルは、精神科医以外にも、警官や、ADHD、他には、精神異常者や、後ろめたさを抱えている犯罪者や統合失調症患者なども持っている。

俺は、指先から、霧状の魔力を放出した。


魔力は、ミミズのように宙をうねり、糸のように細くなる。糸はそのまま、30mほど離れたところにいる男に向かって伸び、その耳に入り込んだ。


頭の中を覗かせてもらおう。


ノイズが、俺の脳内に響いた。


……なにかが……誰かに……。ノイズに混じって、いくつかの思考を読み取れたが、それらは、いずれも意味を繋げられない単語の羅列にしかならない。……おかしい……懸念……男は……。


主教、懸念、男。男は俺のことだろうか。誤解を招くようなことはしていない。大人しく観光をしているだけだ。だが、パリでの事件を振り返ってみれば、誤解を招く要因なんて無数にある気がする。そもそも、俺だって、違和感というおぼろげな要因から、男の頭の中をこうして覗いている。男の頭の中が正常でないのは間違いがないのだから、俺の勘もある意味で当たっていたが、外れていれば、これもまた誤解になる。そして、まだ、俺の誤解ではないと決まったわけではない。むしろ、まだ、俺の誤解であると言う線の方が濃厚だ。だが……、そう考えると、俺に比べて、ローラは随分と荒っぽい。パリの思い出が脳裏に蘇った。俺の顎を下から突き上げた奴の手の平、奴はその後、身を翻して足をふりまわし、俺の側頭部にパンプスを叩きつけてきた。パンツの色は確認できなかった。あいつはパンツスーツを身につけていた。蹴られ損だとも言えるが、あんな奴のパンツなんか見たところで、なんの得があるのか。考えてもわからないから、だれかに教えて欲しいくらいだ。そんなことを思っていると、男のノイズが俺の気を引いた。


……帰らなければ……


俺は、糸を切り、ため息を吐いた。


ノイズとか奴の心の声とか、なんだか、妙に気持ち悪い。精神異常者の頭の中など、どれもこれも似たようなものだとは思っていたが、その頭の中を覗くのは初めてだ。俺は、手の平に意識を向けた。手の平の中で霧上の魔力を練り上げる。コンパクトなライフルに。俺は、左手に魔力で練り上げた弾丸を生み出し、銃身に装填した。スコープに目を当てれば、50m先で背を向ける男の背中が見えた。俺は、男の心臓に狙いを定め、引き金を引いた。弾丸は、男の心臓に吸い込まれた。俺は、スコープから目を離し、息を吐いた。銃は魔力の霧に戻り、俺の皮膚に溶けた。俺は、体にかけていた魔法を解き、幽霊から人間に戻った。


心臓に魔力の銃弾を受けた男は、そのまま、スタスタと、どこかへ歩いていった。


俺は、タバコに火をつけた。目に指を当て、魔力でレンズを生み出す。レンズには、俺のいる場所と、男に撃ち込んだ弾丸の場所が、光の点となって浮かび上がる。俺は、煙を吐き、空を見上げた。雲一つない青空。俺は、もう少しだけ、屋上で時間を過ごすことにした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ