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アンドラ・ファイル 2018/10  作者: Winifred Riviere
5/8

1日目 ロンドン時間 12:00〜13:00 宅配ピザを待つ間に

イギリス時間 11:00 



スコットは、学校の中庭にあるベンチに座っていた。すぐそばには、もみじの木。木の葉の隙間を縫って降り注ぐ木漏れ日が、程よい暖かさを届けてくれる。


彼は、iPhone7でオンラインの授業を画面収録しながらコードタイプのイヤフォンで聴き流しをし、本を読んでいた。本は、授業で教科書として使われているものだ。


スコットは、本から顔を上げ、中庭の花壇を見つめながら、深く息を吐いた。


部屋にこもること1週間。始めの4日は、アイデアが止めどなく溢れ出し、執筆が楽しかったのだが、5日目からは、少し変わってきた。気分を変えようと、いつもはあまり飲まないコーヒーを飲んだり、瞑想をしたり、本を読んだり、誰かとネットでチャットをしたり。彼は、行き詰まりを感じていた。


そんな時に、面白そうな話を持ってきてくれたのが、1ヶ月前にパリで友人になったケントだった。スコットは、パリで過ごした2週間ほどの日々を振り返った。意地悪なパリジェンヌ、ローラの家に居候させていただいていた。彼女の家は、パリのアパルトマンの屋上にある物置のようなワンルームであり、そのワンルーム以外のスペースは広大なバルコニーになっていた。そのアパルトマンは、パリの街に建てられる建物の高さに規制が設けられる前のものであるために、他のアパルトマンよりも高く、パリの街並みのみならず、パリの街の上すらをも見下ろすことができた。一日中、日が当たる、広い空の下、リクライニングチェアでくつろぎながら日光浴をしていると、奇抜なアイデアが次々と浮かんだ。


スコットは、本に降り注ぐ木漏れ日を見つめた。そうしながらも、スマートフォンの中で行われる授業を聞き流す。こうしていれば、内容は大体頭に入ってくる。そして、自分にとって何が重要かは、無意識が判断してくれる。個人的な考え事から、授業の内容に意識を惹かれれば、それは、自分にとって重要な何かを授業で話しているときだ。スコットはすでに授業を予習していた。そして、教授は、スコットの解釈通り、理解通りに本の内容を語っていた。カメラの外で、あのメガネでマジメな可愛いクルド人の女の子が、うんうん、と頷きながら、あのキラキラとした黒い瞳を教授と黒板に走らせている光景が頭に浮かんだ。スコットにとっては簡単な授業も、英語のネイティブではない留学生や戦争難民には難しいのだろう。


クラスルームに入ろうとも思ったのだが、中庭にたどり着いた段階でチャイムが鳴り響いた。遅れてしまった上で、みんなの注目を浴びながら、1番前の列の、あのクルド人の女の子の隣に腰を下ろす……、スコットは、そういったことができるタイプではなかった。仕方がないので、手近にあったベンチに腰を下ろし、日光浴をしていると、不思議な心地よさに包まれたので、ここで過ごすことにしたのだ。自分に足りていなかったのは、日光とビタミンDと自然とのふれあいだったのかもしれないな……、と思いながら、スコットは、背筋を伸ばした。

「酷い顔ね」

その声に、スコットは動きを止め、顔を上げた。

いつのまにか、一人の女性が、目の前に立っていた。手足はすらりとしており、肌は白く、質感は滑らか。目は、ゴールデンブラウンの虹彩に、ゴールデンハニーブラウンの光輪。目は、猫のようにまん丸で、笑うと、まるで、猫がネズミで遊んでいる時のように、三日月のようになる。実際のところ、このウェールズとデンマークとフランスの血を引く美しい25歳の女性は、所々にサディストの片鱗をのぞかせており、ベッドの上では、初めから最後まで彼女のペースに乗せられっぱなしだった。彼女は、今、黒のスラックスに白のシャツを着ていた。コートは腕にかけている。因みに、身長はスコットが174cm、女性の方は、スコットよりも一回り高かった。


スコットは、彼女を見て、驚いたように目を丸くしていたが、次第にその表情は、笑顔に変わった。スコットは立ち上がり、その女性を抱きしめた。「ハリエット」


「スコット。元気だった❓」


スコットは、ハリエットの胸の中で頭を撫でられながら、頷いた。「なんで突然消えちゃったんだ❓ リスボンは❓」


「突然消えたのはリスボンの件があったからで、リスボンの件は昨日終わったわ」ハリエットは、ソプラノの猫撫で声で言いながら、スコットの顎に手を添えた。


スコットは、耳から入り込んできた猫撫で声に心臓を撫で回され、握り潰されるような、脳みそがとろけるような幸せに浸りながらも、頭を働かせた。「消えた理由はリスボンじゃないな。君なら、事件の解決に2、3日以上かかるってことはないだろ」


ハリエットは、スコットの隣に座った。「わたしを買いかぶりすぎ。何の授業❓」続いて、スコットの本を取る。


「歴史」スコットは立ち上がった。「授業は退屈だ。予習した通り」


ハリエットは、スコットの太腿を二回叩き、立ち上がった。「なんか食いましょうか」


「ここにはなんで❓ ケントから何か聞いた❓」


ハリエットは微笑むと、スコットを見つめた。「あら、理由が必要かしら」


スコットは、目を伏せ、小さく笑った。「会えて嬉しいよ」


「正直言うと、ラシェルから聞いたのよ。ケントからあんたに連絡があったって。それで、偶然ロンドンにいたから、会いに来たってわけ」


「おい待てよ」


ハリエットは立ち止まり、きょとんとした顔でスコットを見た。


「まだ俺のスマホハッキングしてるのか❓ 買ったばかりだぞ。どうやって……」


ハリエットは肩を竦めた。「あんたのその想像力で考えてみたらどう❓」


スコットは、少し考えてみたが、最終的に肩を竦めた。「まあ良いさ。後ろめたいものは何もない」



イギリス 12:00


スコットは、ハリエットとともに、自分が借りているスタジオフラットに戻った。最上階。コンパクトなキッチンに、コンパクトなバスルーム、ベッドルームは4m×4m。ベッドはシングルサイズ、ソファは一つ、センターテーブル。バルコニーなどと言うものはなく、窓も小さい。


スコットは、冷蔵庫を開けた。中には、卵と缶詰、ジャム、ビールしかない。スコットは、冷蔵庫を閉め、iPhoneを取った。「何食う❓」


「ピザが良いわ」


「ベジタブル❓」


「あと、ビーフステーキ」


「乳糖不耐症は治った❓」


ハリエットは首を横に振った。


スコットは、Lサイズのトッピングピザを二枚頼むことにした。一枚は、野菜たっぷりの物で、半分はチーズあり、もう半分はチーズなし、もう一枚は、ビーフステーキとローストビーフをたっぷり載せたチーズ抜きのもの。「サイドは❓」


「肉」


スコットは口笛を吹いた。「よく食うな」


「いつもはそんななんだけどね。おごりの時だけ」


「最後に奢ってもらったのはいつだ❓」


「昨日」


スコットは戯けたように目を丸くした。ネットでピザを二枚、サイドは、フライドチキンとサラダ注文する。


「タバコ吸って良い❓」


スコットは肩を竦めて、窓を開けた。


ハリエットは、パイプを咥えて、指を弾いた。


火花が散り、直径1センチほどの火の玉が彼女の周囲に浮いた。火の玉はパイプに飛び込み、ハリエットはパイプに息を吹き込んだ。ハリエットは、窓際に立ち、日差しを背に浴びながら、煙を吐いた。彼女の長いまつ毛が、瞳が、唇が、そこから漏れる煙が、日の光を受けて輝いた。ハリエットは、スコットの視線に気がつくと、暖かさと挑発するような冷たさのある、奥深い微笑みを浮かべた。「どうかした❓」


スコットは、口元に笑みを浮かべた。「綺麗だ」


ハリエットの微笑みが変わった。挑発するような冷たさが消えた、暖かい微笑みだ。「わたしが恋しかった❓」


「こんなこと聞くと女っぽいって思うだろうけど、俺は何番目かな」


「順位はつけないわ。人はみんな特別で、優劣はない」


「君のあそこは随分と寛容なようだね」


ハリエットはニヤニヤしながら、自分の下腹部を撫でた。


「女と寝たこともあるの❓」


ハリエットは、煙をぷかぷかと吐いた。「寝たくない奴とは寝ないわ」


「ほんとかよ。仕事とかでないの❓」


「わたしの仕事は探偵で、スパイじゃないし、金には困ってない」


スコットは眉をひそめた。


「あんたみたいのがタイプなの。わたしが帰る場所になってくれる奴。帰ってきたら、冷蔵庫の中が空っぽでも、ピザを注文してくれる奴。わたしのために、チーズ抜きのピザを注文してくれる奴。タイプじゃない奴とはしない」


スコットは、初恋の相手に抱きついた。


ハリエットは、受け身を取る際に腕を振った。彼女の腕から放出された魔力がパイプを受け止め、宙に浮かせた。


スコットは、きっと、この人には帰る場所なんかたくさんあるんだろうな……、と思ったが、そんな迷いも束の間、ハリエットの唇を感じた瞬間に、そんなことは、頭の中からすっ飛んでいってしまった。ハリエットの上で動いている最中に、ピザが届いた。


ハリエットは、スコットよりもピザを楽しみたいようで、スコットの体を押し上げて立ち上がると、髪を整えた。


スコットは、なんだか虚しい気持ちになりながら、デニムを履き、財布を取ってピザを迎え入れた。


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