1日目 10:00 昼下がりのカフェ
10:00
俺と男は、部屋を出て、寮を出て、近くのカフェのテラス席に腰を下ろした。
今はお昼時。
テラス席では、たくさんの地元客や観光客が食事をしていた。
男はダリルと名乗った。
ドイツとトルコとシリアのクォーターらしい。
俺はステーキとワイン、ダリルはヤギのチーズのサラダとビールとフライドポテトを注文した。
ダリルがタバコに火をつけたので、俺もタバコを吸わせていただくことにした。
ダリルは、タバコの煙を吐き、俺を一瞥した。
俺は、灰皿にタバコの灰を落とした。「まず、初めに言っとくと、俺はパリの事件を解決する手助けをした。パリ警視庁のラシェル、ローラ、ヴァチカンのリサがその証人だ」
ダリルは、俺を見て、頷いた。
「シェンゲン圏の滞在は公式に認められているし、レストランで働いてはいるが、最低賃金をもらっていないし、俺を雇った責任はあのレストランとホテルにある」
ダリルは、タバコを吸いながら頷いた。
「イタリア人のパオロとそのご一家は、俺をここまで乗せてくれたが、それだけだ」
ダリルはタバコの煙を吐いた。「よく喋るな」
俺は口をつぐんだ。
ビールとワインが、俺たちの前に置かれた。
ダリルは、ビールをすすった。「ローラが言った通りだ。非常に協力的で、何でもかんでもペラペラ話してくれる」
「ローラの知り合い❓」俺は、あの意地悪で皮肉屋なパリジェンヌの顔を思い出した。1ヶ月前まではインターンだったが、パリでの事件を解決したことで、奴は正式にパリ警視庁に採用され、警視からキャリアを始めることとなったらしい。
ダリルは、肩を竦めた。「昨日からな」
俺は、タバコを吸い、香りを楽しんでから煙を吐いた。「パリの件で来たわけじゃないのか❓」
「いや、それもあるよ。お前の経過観察に来たんだ。違法な香りって言ったら、違法なくらい安い賃金で働かされてるくらいだな」
「……チップはもらってる」
ダリルは頷いた。「良かったな。それで、本題なんだが、お前、ミュンヘンからザルツブルグに向かうときに、フィリッパって女に乗せてもらっただろ」
俺は頷いた。
確か、出張でミュンヘンを訪れ、家のあるザルツブルグまで帰るから、と言って乗せてくれた、ドイツ人の女性だ。
ドイツ人なのだから、ミュンヘンに住めばいいじゃないかと言ったら、オーストリアの方が好きなの、と言っていたのが印象的だった。
1ヶ月前まで、俺は、シェンゲン圏を旅行する違法滞在者だった。
俺はパスポートを持っていなかったので、国境館を渡る電車やバスのチケットを買うことができなかった。
そこでよく利用していた交通手段が、ヒッチハイクだった。
「フィリッパがどうした❓」
「あいつはな、魔法界のインターポールの一員だったんだが、突然いなくなったんだ」
「どうして」
「それを調べてる」
俺は、タバコの煙を吐いた。「デスクやロッカーに手がかりは❓」
「なにもない」
「スマートフォンの中には❓」
「なにも」
ステーキとサラダとフライドポテトが運ばれてきた。
俺は、フォークを取って、人参を口に運んだ。
染み込んだソースが美味しい。
俺は、パリ市警での会話を思い出した。「……聞いたよ。俺が違法滞在しているとき、俺が都市間の移動をする際は、そちらの誰かが必ず俺に接触をしていたって」
ダリルは、サラダをムシャムシャと食べながら、頷いた。
「ドイツで治安維持に貢献したから、俺は保護リストに載っている、監視リストには載っていない、そう言う話だったが、これだと、保護も監視も同じなんじゃないかって気がするよ」
ダリルは、ビールを啜った。「そういう愚痴を聞きにきたわけじゃない。パリの一件以来、お前の滞在は正式に認められている。パスポートも再発行された。今や、お前が後ろめたく思うことなんて一つもない。だから、これ以上お前を安心させるための慰めを口にしてやるつもりもない」
俺は頷いた。
パリでの一件で、俺の滞在は正式に認められた。
フランス国内だけでなく、ヨーロッパ中を少しばかり騒がせた事件の解決に一助した為に、俺は、パリ警察を経由して、フランス政府から感謝状を頂き、魔法界のインターポールの一員にもなり、例外的に滞在を認められたのだった。
因みに、ライセンスの肩書の欄には、こう書かれている。
《お茶汲み係》
同じく魔法界のインターポールであり、パリ市警の一員でもあるラシェルさんからは、あくまでも一員であることを示すだけで、誰かが俺に捜査協力を求めることはないと言っていたので、これは少しばかり事情が違うようだ。
「協力らしい協力を求めるつもりはない。お前には力や才能があるみたいだが、訓練を受けていないんじゃな。俺がここにきたのは、お前が彼女の連絡先を知っているんじゃないかと思ってのことだ」
俺は頷いた。「Facebookを交換したよ」俺は、ブラックベリーを取り出して、フィリッパのアカウントを開いた。「昨日も更新されてるな。ローザンヌ❓ スイスだぜ」
ダリルは頷いた。「それは俺も見た」
「これだけだ」
「なるほどな。無駄足だったか」
「残念だ」俺は、ステーキを切り分けた。
「あいつに会ったのは、あれが最初で最後か❓」
俺は、ステーキを味わいながら頷いた。
牛肉の赤みを噛み、ソースを舌の上で転がしながら、彼女と過ごした時間を思い出す。
ガソリンスタンドで6枚切りのピザを買い、エナジードリンクと、ドイツビールとオーストリアビールを飲みながら、3時間ごとに運転を代わりながら、ザルツブルグへ向かった。
深夜の幹線道路で、遠くに見える、名前もわからない街の明かりが綺麗だった。
真っ暗な幹線道路の脇に見えるガソリンスタンドは、さながら砂漠のオアシスのようで、フードコートで夜が明けるまで、話をした。
過去のこと、現在のこと、恋のこと、仕事のこと。
彼女が魅力的だったが故に、その時間の全てが大切な思い出として俺の胸に刻まれており、思い出そうとすればするほど、明確に蘇ってくる。
だが、その話のどこまでが本当だったかはわからない。
人は、旅先では嘘をつくものだ。
旅先では、誰も自分のことを知らない。
それ故に、なりたい自分を演じてみるチャンスでもある。
彼女の言葉は思い出せるが、俺が彼女に対して、なにを言ったかを思い出せない。
俺は、ステーキを飲み込んだ。「すぐには力になれないな。何しろ半年も前のことだ。思い出そうと思えば思い出せるが、時間がかかる」
ダリルは頷いた。「どれくらいだ」
「夕方までには」
「わかった」ダリルは、俺の前に名刺を置いた。「今日まではここで過ごす。詳細を思い出したら連絡をくれ。なにが使える情報かはこちらで判断するから、会話の内容を、できる限り書き出してくれ」言って、仕事は終わり、とばかりに、ダリルはフライドポテトを摘んでマヨネーズにつけ、ムシャムシャと美味しそうに食べ始めた。ビールを飲み干し、人差し指を立てて、ウェイターを呼ぶ。奴はビールをリットルグラスで二つ注文した。「このビール旨いぞ。飲んでみろ」
「いただくよ」俺は、ステーキをワインで飲み下した。「そうだ、お前、アーデスになに打ち込んだ❓」
「ただの睡眠薬だよ。50kgの人間なら、5分で目を覚ますタイプだ。アレルギー物質はないから安心しろ」
俺は頷いた。「どうせ外に出るなら、俺が出るまで待って、外で声かけてくれれば良かったのに」
「ローラから聞いたんだ。お前はああいうシチュエーションが好きだって」
「あの女の勘違いだ」
ダリルは、タバコを吸った。「あいつはシリア人か」
俺は頷いた。「心は読んだ。危険な奴じゃない。ゲイでもないしな」
ビールがなみなみ入った大きなグラスが、目の前に二つ置かれた。
「ダリル。きみは、イスラム教徒じゃないのか❓」
ダリルは、俺を見て、おどけたように、にやにやとした目で俺を見ながら、ビールを仰いだ。
グラスは、一気に空になった。
ダリルは、再び指を立てて、ウェイターを呼んだ。「良いか日本人。無宗教のお前に、俺のイスラム教徒としての信仰心を見せてやるよ」言って、ダリルは声を上げて笑った。こいつはすでに酔っ払っているようだった。
俺は、呆れたような目を作り、ダリルを見た。
ダリルは、再び、1リットルのグラスを注文した。「飲んじまえ。経費で落ちる」
俺はため息を吐き、経費で落ちるなら、と、肩を竦め、グラスを掴んで、負けじと、一息でビールを飲み干した。
11:00
ビールを4リットル飲んだところで、俺は、ブラックベリーを取った。「ひっく、そういえばさ、俺、パリの時にイギリス人の有名ブロガーと知り合ったんだよね。そいつが、スコットって奴でさ、世界中の色んな国の警察と知り合いなんだよ。そいつに聞いてみたら、……ダリル❓」
返事がないことを怪訝に思い、そちらを見てみれば、ダリルは、石畳をぼーっと見ていた。
「……ひっく」ダリルは、しゃっくりをした。「まだ飲めるぞ……」
俺は眉をひそめた。
「まだ飲めるぜ。俺は」ダリルは、人差し指を立てた。
ウェイターは、ニヤニヤしながら、こちらへやってきた。「もう一杯行きますか❓」
いや、もう無理だよこいつは、と思ったが、ダリルは、しゃっくりを飲み込み、頷いた。「……持ってきてくれ」
「やめとけよ……」
ダリルは、指を二本立てた。
ウェイターは頷いた。
俺は首を横に振った。「お前な……、おっさんが無理すんなって」
「俺はまだ25だ」
「へぇ、ほんと❓」俺は、ダリルの顔を見た。ヒゲのせいで随分と大人びてると思ったが、よく見てみれば、その目は、社会に希望を抱く大学生のような輝きを宿していた。「……若いな」
「おう、まだ若いぞ。お前は何さ、ひっく、何歳だ」
「19」
「19❓」ダリルは、声を上げて笑った。「ガキじゃねーか」
「そっすね……」俺は、ビールをすすった。「ダリルさん、お酒の量で競うっていうのは、大学で卒業しないと……」
ダリルは、運ばれてきたビールを持ち上げ、飲もうとしたが、グラスを置いた。「大学生の時は、一緒に飲める友達いなかったんだもん……」その声は、少し寂しげだった。
ダリルの気持ちがわかる俺は、目を伏せた。「わかるよ……。俺も、高校の頃は友達いなかった」
ダリルは、スマートフォンを取り、写真を見せてきた。
そこに写っているのは、メガネでチェックのシャツで、デニムにインしているダリルだった。
「……やっちまってんね」
ダリルは、俺を見て、にやにやした。
「……なんだよ」
ダリルは、声を上げて笑った。「これは去年のドイツのオクトーバーフェスの写真だっ! オタクのコスプレだよっ! ハッハーっ!」
俺は鼻を鳴らした。なんだこいつむかつくな。「なんだこいつむかつくな」
その時、視界の端に、見慣れたシリア人の姿を見つけた。
俺は、アーデスに手を振った。
アーデスは、俺に気がつくと、笑顔を浮かべてこちらにやってきた。
俺と一つしか違わないというのに、彼は随分と無邪気だった。
ダリルは、アーデスを振り返り、俺に向き直って、笑顔を浮かべた。
奴は、体を捻りながら立ち上がり、すらりと背筋を伸ばした。
アーデスは、先ほど自分に麻酔薬を打ち込んだ相手に対して、そうとは知らずに、人懐っこい、朗らかな笑顔を浮かべた。
そして、この人誰❓ という感じで、こちらを見てくる。
「アーデス、こちらはダリルだ。ドイツ人。シリアとトルコの血を引いてる。ダリル、こちらはアーデス。シリアからきた子で、ホテルで一緒に皿を洗ってる」
2人は握手を交わした。
「やあ、アーデス。初めて会った気がしないぞ。同じルーツを持つからかな」
アーデスは、嬉しそうに微笑んだ。「ダリル。あなたとはすぐに友達になれそうだ。お仕事は何を❓」
「退役軍人だ。アフガニスタンで功績を積み、名誉世帯の年金で暮らしてる。早期退職で、今は旅行しながら、これからどうしようかなって思ってるとこだ。シリアは残念だな」
「良いんです。親戚や友人はみんなヨーロッパに脱出して、連絡も取れてる。寂しいが、束の間のことです」
ダリルは頷いた。「たくましいな」
アーデスは微笑んだ。「……なんか夢で見た男の人に似てますね」
「夢❓」ダリルは首を傾げた。
俺はアーデスを見上げた。
アーデスは頷いた。「夢の中で、俺はどっかのホテルの寝室に入ったんだ。そしたら、カーテンの向こうに男が立ってて、俺に向かって銃を撃ったんだ」
ダリルは声を上げて笑った。「怖い夢だな。アーデス……、可哀想に……、そういう夢を見た後にやるべきことを知ってるか❓」
アーデスは首を傾げた。
「ビールを飲むんだよっ!」ダリルは、笑いながらアーデスの背中を叩いた。
アーデスは顔を輝かせた。
「ほら座れってっ! アンドラは税金が安いからなっ! 天国だっ!」ダリルは人差し指を立てて、顔馴染みのウェイターを呼んだ。
「(酔っ払い❓)」アーデスは、ニヤニヤしながら俺に耳打ちした。
俺は頷いた。「(俺もな)」
アーデスは笑った。
「10分後にはお前も仲間入りだ。ようこそヨーロッパへ」ダリルは言って、ウェイターを見上げた。「何度も呼んで悪いな。1リットルのビールを三つと、スコッチのショットも3つ頼む。あと、ラムステーキも三つ」ダリルは、ウェイターに握手を求めた。手を離した時、ウェイターの手にはユーロ紙幣が握られていた。ウェイターはほくほく顔だった。ダリルは、アーデスにウィンクをした。「シリアとヨーロッパじゃまた変わってくるから、立ち振る舞いを学ばないとな」
「かっこいい」アーデスは目をキラキラさせた。
俺は頷いておいたが、内心は少し違った。
ダリルのキザな感じが、なんだか少しうさんくさい。
こういうタイプは、距離感を考えて、じっくり観察しないといけない。
あとでローラかラシェルさんに連絡をとって、こいつについて話を聞かせてもらおう。
そう思いながら、俺は、指先から、霧状の魔力を放出した。
魔力はミミズのようにうねり、糸のように細くなって、ダリルの耳に入りこんだ。
魔力を可視化できるのは、魔法使いだけだ。
ダリルはただの人間。
魔力の糸は、難なくダリルの脳内に入り込み、俺の脳とリンクされた。
さて、少し覗かせてもらおうか。
ダリルの心の声が聞こえてくる。
……このテーブルを選んだのは失敗だったな。あのウェイターもいい奴なんだが、あのヴィクトリアっていうウェイトレスの方が好みだ。笑顔が可愛いな。アンドラはいい国だ。物価は安いし、女性は綺麗だし、街を流れる時間はスローだ。もう1日滞在してもいいかな……
俺は、魔力の糸を切断して、ビールを啜った。
無害っぽいが……。
俺はタバコに火をつけた。
様子見だな……。
俺は、煙を吐いた。