1日目 9:00 OP
パリでの事件から、1ヶ月が経った。
俺は、イギリス人の友人スコットからもらったブラックベリーで、その事件のその後について調べていたが、あれほどフランス全土を賑わせていた事件も、1週間後には、世間から忘れ去られていた。
犯人に殺されかけた俺すらも、2週間経つ頃には忘れていたくらいだ。
俺は、パリから数百キロ離れたアンドラにいた。
フランスとスペインの国境にある、地図の上では豆粒のように小さな国だ。
実際に訪れてみれば、この町にある魅力など、牧歌的な雰囲気と、中世の頃からありそうな街並みくらい。
町並みを歩けば、まるで、ハリー・○ッターに出てくるホグ○ミートを歩いているかのようで、それはそれでロマンチックな気持ちに浸れたが、それだけの、退屈なところだ。
ここにいると、高一の頃に、俺を1週間で振った彼女から送られた『優しくて良い人なんだけどね……』という言葉の意味がよくわかる。
だが、俺は、すでに、ここで3週間と4日を過ごしていた。
ホテルの住み込みで、皿洗いとウェイターとして雇ってもらえたのだ。
俺は、就労ビザを持っていなかった。
俺がここで働くことは、正式にいうと違法だったが、側から見て、俺が就労ビザを持っているか持っていないかなどわかるはずもない。
午前中に4時間働いて、30ユーロとチップが大体50ユーロほど。
あとは自由だ。
悪くない待遇だった。
その日も、俺は、いつも通り皿を洗い終え、同僚のシリア人、アーデスと一緒に、与えられている寮に入った。
アーデスは、18歳の戦争難民だった。
痩せっぽっちで、体の中に爆弾を隠し持っていたりはしないが、仕事中、突然職場の隅に絨毯を広げて、アッラー・アクバールと唱える度に、職場に程よい緊張感をもたらしてくれるお茶目な子だ。
今では職場のみんなも慣れたもんで、彼がお祈りを始めても、ニコニコと、お❓ お❓ 今日は爆発する❓ する❓ しなかった〜! ワハハハハハハハハハハ、と、賑やかな笑いに包まれるくらいで、いちいち怯えたりはしなくなった。
俺たちの気も緩んできたので、もしもアーデスが爆発するタイミングをうかがっているとすれば、そろそろだろう。
だが、俺は、魔法を使うことができた。
なので、ルームメイトであり同僚であり、真面目に働いている彼に対して少しばかり失礼ではあったが、彼の頭の中を覗かせてもらった。
彼の頭の中にあることといえば、アンドラの女性って綺麗だなぁ〜、とか、ここはシリアじゃないし、お酒飲んでも良いかな……、とか、そんな感じのことばかり。
性欲や俗欲を爆発させることはあっても、爆弾を爆発させるようなタイプじゃなかった。
「アーデス、午後はどうするんだ❓」俺は英語で言った。
アーデスは肩を竦めた。「3時間寝たら、いつものカフェに行くよ。フランス語の勉強をしないと」
そんなことを言う彼だったが、本当の目的がウェイトレスとおしゃべりするところにあると言うことを、俺は知っていた。
俺は頷いた。「俺は、アラビア語でも教えてもらおうかな」
「ビール奢ってくれたら良いよ」
俺は、寮のドアを開け、部屋に入った。
部屋は南向きだったが、薄暗い。
アンドラはピレネー山脈に囲まれているために、真昼でない限りは、日が差し込んでこないのだ。
部屋には、ベッド、クローゼット、デスクが二つずつ、そして、冷蔵庫。
冷蔵庫が開いていた。
俺は、鼻を鳴らした。「お前……、またミニバー開けたな❓ 下のスーパーで買った方が安いって何度言ったら……、アーデスっ!」
背後では、アーデスが、胸から緑色の羽を生やして、ドアにもたれかかり、崩れ落ちていた。
まぶたは開かれているが、その目は何も見ていない。
首筋に触れてみれば、脈はあった。
俺は、緑色の羽をとった。
羽の先は、小さな注射器のようになっている。
俺は、部屋の中を振り返った。
誰もいない、薄暗い部屋。
俺は、そのカーテンの向こうにあるふくらみに気がついた。
俺は、人差し指を立て、その先を、カーテンの向こうのふくらみに向けた。「……誰だ」
カーテンの中から出てきたのは、男だった。
俺よりも少し背が高い。
ダークチョコレートの髪を、ショートモヒカンにまとめている。
整えられた髭は芝生のようで、頬はこけている。
目の色は青。
肌は小麦色だった。
中東系だろうか。
男は、口を開いた。「魔法界のインターポールだ。お前に話がある」
「話❓」俺は、男の手に目を向けた。
右手には麻酔銃、左手にはウィスキーの小瓶。
俺は、男を睨みつけた。「おい」
男は、ウィスキーの小瓶を、小さく持ち上げた。「もらったぞ」
俺の口から、失笑が漏れた。「自分で払え」
男は、にっこりと微笑むと、ベッドの上に、10ユーロ紙幣を落とした。「時間あるか❓」
俺は肩を竦めた。