真弓さんは赤ぶちメガネがいい
久々の短編投稿です!
というか投稿自体が久々なんですけど……。
更新サボっててすみません
小さい頃から大人しい性格の私、池崎真弓は、何かと一歩引いた所から周りを観察していた。……と言えば聞こえはいいが、実際は他人に話し掛ける勇気すら無いただのコミュ障であった。
幼稚園の頃には相応の無邪気さを備えていたつもりであったが、小学生の時に両親を事故で亡くし祖父母に引き取られてから今の性格になったのだろう。
幼いながらに、面倒を見てくれる祖父母に遠慮して遊びや流行りの波に乗る事もなく過ごしていった。
それによって必然的に勉強する時間という物が増えるので、私は暇潰し程度に学校の授業で習った内容を毎日復習する事で、お蔭さまで良い成績を常に維持していた。
加えて、普段は厳格な祖父が100点の答案用紙を見せるとその無骨な手のひらで頭をくしゃくしゃとかき回してくれるのが本当に嬉しかった。
結果を出せば褒めてくれるんだ。
肉親からの愛という物を受けた気がして、より一層励んだ。
中学に入って一気に勉強のステージが上がっても部活動なども所属せず、友人と呼べる存在も作る事なく、家族が喜んでくれる事を原動力にして、学年トップの成績を3年間貫き通した。
その甲斐あってか、進学した高校は県内でも随一の進学校で、そこでも私は日頃の勉強の賜物によって学年トップを叩き出した。
そして、ここで私にとって初めての春がやって来る。
高校2年生の時に同じクラスの、齋東堂参君というどこぞの戦国武将のような名前の男子生徒が私の初めての彼氏となった人物で、瀬戸の山楝蛇と呼ばれる程の有名人という、自他共に認めるイケメンだった。
正直言って、当時の彼と私が付き合っているというのは非常に違和感のある組み合わせだった。他校から齋東君を見に来る女生徒がいる位に人気のあった彼が、何故私のような地味で根暗なメガネ女と一緒にいてくれるのかと、最初は疑問に思った。
それでも嬉しかった私はそれまであまり興味の無かったオシャレにも気を遣うようになった。地味なお下げを伸ばして大切にケアをしたし、おじさんみたいな黒ぶちメガネから可愛らしいデザインの赤ぶちメガネにも変えてみた。
しかし、2ヶ月も付き合うと私の中の疑念も次第に薄れていき、彼への信頼を高めると共に、警戒心も揺らいできてしまった。
今思えばこれがダメだったのかもしれない。いや、本当は分かっていた筈なのにそんな事はないと思考を切り捨ててしまったのだ。
やがて彼からのアプローチという物がどんどん激しくなってきた。
私は、一緒に手を繋いで、楽しく笑い合って、大きな男の人の手で頭をかき回してくれるだけで良かったのに……。でも、そんな彼の押しに負けて、私は彼に初めてを捧げてしまった。
行為中の彼は非常に粗暴で、言葉で責めるだけでなく拳でお腹を殴ったりしてきた。私が泣きながら止めてと叫んでも、彼は構う事なく体中に青あざが出来るまで、笑いながら痛めつけてきた。
そんな初めてを終えた途端に彼の態度は豹変した。
そして、ひとしきり冷たい言葉を掛けられた最後に彼から言われた言葉が一番心に突き刺さった。
「だって、お遊びだし。使い捨てのただの玩具にしか思ってねえよ、ブサイク」
どうやら彼は最初から私の体が目当てだったようで、よりどりみどりの中から私を選んだのは、仲の良いグループ間での罰ゲームから私と恋人になったのだと言う。
最初は面倒くさかったらしいが、ゲームは本気でやりたい派なんだと誇らしげに言った彼は、長期間に渡って私を恋愛ゲームよろしく攻略していったらしい。
涙が止まらなかった。
純情を弄ばれたのは勿論の事だが、何よりも大切な祖父母に恋人を紹介すると言っていたのに、それが叶わなくなってしまった事の方が悲しかった。
彼氏が出来たと報告した時、あんなにも頑固な祖父があの時ばかりは自分の事のようにはしゃいでくれた。いつも優しい祖母は、今晩はご馳走だと息巻いて赤飯も炊いてくれた。
そんな2人の気持ちを無下にしてしまうという事実が、私の肩に重くのしかかったのだ。
文字通りの毒男であった齋東君の毒牙にかかってしまった私だが、事態はそれだけでは収まらなかった。
翌日、登校した私は地獄の渦中にいた。
齋東君が私との行為を撮影した映像を、生徒だけが知りうるネット掲示板に載せた事で、自身の痴態が露になってしまったのだった。
そんな事はつゆ知らず、普段通りに教室へ入った途端、教室で歓談していた生徒達の冷たい目線を集めてしまう。
何のことやらさっぱりの私は、普段目立たない筈の自分が何故こんなにも目線を集めてしまうのか検討もつかなかった。
齋東君と付き合っているというのは、他の皆には内緒にしていたし、トラブルを起こしたつもりも無い。
不思議に思いながら自分の席に向かうと、そこにはドラマの世界のような惨状を目の当たりにされた。
机はズタズタに傷付けられ、中に入っていた教科書の類はビリビリに引き裂かれおり、静寂な教室からは、周りの生徒からの嘲笑がただ聴こえてくるのみであった。
その瞬間、私は全てを悟った。
齋東君が私とのやり取りを全て晒し、それをこの学校にいる生徒達は知っているのだと。
そしてその日は以降の記憶が無く、どうやらショックで倒れてしまったらしい私を担任の教師が運んで早退したらしい。らしいと言うのは、私が目覚めた時には自室のベッドにいたからだ。
もう私の頭の中はグチャグチャで、思考が何も纏まらない。
ただ、これだけは明確に心の中で浮かび上がってくる物があった。それは、「学校に行きたくない」という意思。
後はもう想像通りで、私は不登校の引きこもりになってしまった。外からの干渉は受け付けず、大好きだった祖父母の好意すらも無下にしてしまった。
そんな生活をしていても、祖父母は私の事を決して見限ること無く必死に説得と激励をしてくれた。それでも当時の私の心にはどんな言葉も刺さらず、全てが無音に包まれたまま高校3年生まで過ごしていった。
しかし、ここで更に私は絶望に突き落とされる。
私の事を第一にと想ってくれていた祖父が病に伏したのだ。
肝臓癌。
お酒の好きな祖父は夕食の時は決まって、祖母を晩酌に付き合わせていた。祖母はあまり嗜まない人であったが、祖父は時々外へ飲みに行ってはベロベロになって帰ってくる事も多々あったのだ。
幸い酒癖は悪いものではなかったもののやはり飲み過ぎで、最初は肝硬変だと思っていたものが気付けば対処しようもない程にステージが進んでおり、余命が1ヶ月と言い渡された。
この事を祖母から聞いてようやく自室から出る決心をした私は、久しぶりの日の光を浴びながら祖父の入院している大学病院へとお見舞いに行った。
そこには、見る影もない程に痩せ細った祖父がベッドに横になっていた……。
呼吸は荒く、息が上がって長いこと会話するのも難しい。
お腹には水が溜まっており、見るからに末期だというのが嫌でも分からされた。
部屋に篭っていた為に、実に1年ぶり位に顔を合わせる2人。
祖父は明らかに辛そにしているのに、病室へ入ってきた私を見掛けると涙を浮かべながら微笑んできた。
その瞬間、私の中でせき止められていた感情がまるで激流のように涙となって流れてきた。
「おじぃぢゃぁぁあん! ごべんなざぃい……!!」
「おいおい……あんまり泣くと……別嬪さんが……台無しだぞ……」
途切れ途切れの言葉で私を慰めてくれる祖父に、病身であるにも関わらず抱き着いてしまうのはダメなことは分かっていたが、それでも私は溢れ出る悲しみと罪悪感を抑えきれなかった。
罪悪感と言うのは、私がここへ来る間祖母と一緒に訪れたのだが、その途中で祖母が零した言葉にあったのだ。
「あの人、真弓が部屋から出なくなったようになって相当心配していたの。それで、自分で悩んで悩んで……。ヤケになってお酒を飲みに行く回数も増えたのよ」
祖母のその言葉に、私は心臓が抉られるような感覚を覚えた。
(私のせいで、おじいちゃんは体を悪くしてしまったんだ)
祖母が言った言葉には悪気は無いのだろう。
本当に心の中からポツリと零れただけなのかもしれない。
しかし、私にとってそれは軽く受け止められる言葉では無く、病院に着くまでの間、ずっと私の胸を縛り付けていた。そしてそれは、祖父の姿を見て更に強まったのだ。自分のせいで大好きな祖父が癌になったのではないかと思い込んでしまう。
そんな事を思うとドンドンと気が沈んでくる。
同時に祖父の病状も悪化していく。
痛みで眠る事も出来ず、これ以上苦しまないように薬を投与して昏睡状態へと至った。
そして、予告されていた1ヶ月よりも1週間早く祖父は眠りについた。
お葬式は家族葬で済ませた。
と言っても残されたのは私と祖母、そして伯母家族のみだったので、葬儀が終わるとすぐに祖父は火葬された。
その後、そんな祖父を追うようにして祖母も病に倒れて亡くなってしまった。伯母家族とはあまり関わりが無かった為に、葬式や遺産の事などは私も知らなかったので、全てを任せた。
ここで遺産を丸ごと持っていかれようものなら私の生活が破綻してしまう所だったが、そこは伯母も優しい祖父母の子ども。身寄りの無い私を不憫に思ってなのか、しっかりと配分をしてその後の事は伯母が何もかも済ませてくれた。
窓などは開いていないのに、何故か部屋の中がとっても寂しいし肌寒い。今は夏のはずなのに、人肌が無いというのはこんなにも心にくるものなのかと痛感した。
しかし、いつまでも悲しさに囚われていても前に進まない。
引きこもりのお前が何を言っているんだと自分でも笑ってしまうが、これをポジティブに捉えてこの機会にもう一度外へ出てみようと思った。
伯母に事情を話して、高校3年生にも関わらず転校の手続きをしてもらい、今住んでいる自宅から無理なく通える程の学校へと新しく行くことになった。
伯母も親身になってくれて、わざわざ週に一度隣県から顔を出してくれるようになり、私の心も少しずつ整理がついてきた。
そして、新しく通う事となった北條高校。
伯母曰く、ここには私と同い年の従兄弟も通っているらしい。彼に良くしてもらえれば大丈夫だからという事だ。
そして、今日は私が通い始める前日。
伯母と悠介君が家に来て、色々と準備を手伝ってくれている。
「真弓ちゃんは可愛いからねぇ。うちのゆーくんが惚れちゃうかも、ウフフ」
「伯母さんったら。悠介君はイケメンなんですから、私なんかと一緒にしたらダメですよ。それに従兄弟なんだし」
「あら! 血は繋がってても従兄弟なら結婚は出来るのよ?」
大分伯母との関係も良好になり、これ位の軽口なら言い合える仲になってきたが、引きこもっていた割にはしっかりと話せるコミュ力は残っていた事に少し安堵した。しかし、唯一困る点は、しきりに従兄弟である悠介君を推してくる事だろうか。
「ゆーくんも! ゆみちゃんに無理やり手を出したらダメよ! ちゃんと段階は踏んでから、そしてベッドに誘おうと思ったら私に一言入れなさいよ!」
「いや、母さん。それ息子に言う事かな?」
苦笑いをしながら優しく伯母さんを諭すのは、件のイケメンである米澤悠介君。正統派なイケメンで、高身長、そして運動も勉強も出来てしまいには性格も良いときた。家もそれなりに裕福で、伯母さんは開業医をしている。そんな忙しい彼女なのだが、病院が休診日の時に悠介君や旦那さんを連れて遊びに来るのだ。
そして、こんな優良物件を周りが放っておく訳が無い。
通っている北條高校ではモテモテで、まるでマンガの世界から出て来た王子様のように扱われている。本人はそうした当別扱いのようなものが嫌いらしく、こうして同い年の人間と気兼ねなく喋れるのは嬉しいらしい。
「あんまり困らせないでよ。真弓さんも、言いたい事はガツンと言ってくれて良いからね? この人はちょっとやそっとじゃ傷つかないからさ」
「あらやだゆーくんったら! それが母親に言うことかしら?」
「お互い様だよ」
こんなことを笑いながら言い合う2人の姿に、新しい学生生活への緊張が拭えなかった私もつい笑ってしまった。
「ほら、真弓さん笑うと可愛いんだから。前髪をもう少し上げてみたらどうかな?」
「あっ……」
そう言って目までかかった私の長い前髪をかき上げる悠介君。
一瞬驚いてしまったが、祖父とはまた違う優しい手に心地よさを感じてしまう。
「あらやだゆーくんったら! いきなり女の子の髪を触るなんて、女ったらしねぇ!」
「だ、大丈夫ですよ伯母さん! ちょっとビックリしただけで……」
「んまあ! ゆーくんったら女の子に気を遣わせちゃって! これは責任を取らないといけないわね!」
しばらくは無かった活気が家の中に戻ってきたようで、少し騒々しいかもしれないが、昔に戻った気がして懐かしさが込み上げてくる。そんな私を察してか、2人が温かく見守ってくれる。
「明日からよろしくね」
「う、うん」
爽やかな笑みを正面から受けて、思わず照れてしまう私。
そんな光景を見て伯母がニヤニヤとしていたのは言うまでもなかった。
そして、登校初日。
学校までの行道は事前に調べていたので1人で行くのは問題無かったが、例の如く伯母さんのお節介が発動して、悠介君と最寄りの駅口で待ち合わせをして一緒に登校した。
「お待たせ」
「……え?」
そんな思わず素っ頓狂な声をあげてしまった悠介君。
何故彼がそんな事を零してしまうかと言うと、簡潔にいってイメチェンをしてきたからだ。しかし、イメチェンと言う言葉では収まらない程の魔改造ぶりだが。
昨日、2人が帰っていった後に私は予約していた美容院へ行き髪を整えてきた。悠介君に言われたからではないが、私も心機一転したいので思いきり髪を切ってもらった。腰の辺りまで伸びていた髪は肩で切り揃えてもらい、いわゆるボブカットというものにしてもらった。
加えて、前まで通っていた高校と比べて格段に校則の緩い北條高校は何と派手過ぎなければ髪を染めても良いというので、同じく美容院で少し明るめの茶髪にしてもらった。
元々顔も体もパーツは悪くなく、寧ろ整っている部類であると素顔を知る人からは言われていた。外では基本的に前髪で目が隠れてしまっているので、根暗のブサイクだと思われていたのだが、普通に美人と言うに相応しいらしい。私はあまりそうは思わないけれど……。
お化粧も、実は悠介君が来ていない時にこっそり伯母に教えてもらっており、元々が整っているのであまり濃いメイクはせずにナチュラルに施した。それでも、グロスの塗られた唇は高校生とは思えない魅力があり、そこらのアイドルなど裸足で逃げ出す位には生まれ変わっていた。
極めつけは、赤ぶちメガネを外してコンタクトに変えた事。
しっかりと日の光を浴びるようになった双眸は、パッチリとした大きな二重で非常に可愛らしい最高。と、伯母さんが絶賛してくれた。
少しでも変われるならというレベルでイメチェンを決意した私だが、悠介君の表情を見る限り驚かせるには十分だったようで、それだけで私は満足してしまう。
「結構変わったでしょ? 見違えたかな?」
「う、うん……。メガネ外しちゃったんだね」
「? そうだよ?」
そこが一番驚くんだと以外に思いながら、可笑しくなった私は思わず笑ってしまう。そんな私の反応にハッとした悠介君は、何故か残念そうにしていた顔を直して改まる。
「可愛くなったね」
「そう言ってくれて嬉しいよ」
「母さんが迷惑かけなかった?」
「大丈夫だよ。すごく勉強になった」
どこかで伯母さんの声が聞こえてきそうな気がしたが、気を取り直した悠介君が行こうかと声を掛けてくる。そして、2人並んで学校へ向かう。
道すがら他愛もない話しで盛り上がっていると、何故か周りの目線が自分たちに集中していたのだが、悠介君が気にしていないようなので私が言う事ではないかと考えて、無視するようにした。
そして、学校へ到着し彼と別れてからまずは職員室へ向かう。
「初めまして池崎真弓です。今日からよろしくお願いします」
「はい、池崎さんよろしくね。私は担任の田渕です。米澤君とは同じクラスで従兄弟同士らしいから、色々と教えてもらうといいわよ」
担任教師と顔合わせをして、少し話をした後に授業開始前の朝礼の時間を告げるチャイムが鳴る。それを聞いて一緒にこれから通う事となるクラスへと向かう。そして、田渕先生はここで少し待っててと私に言うと、教室のドアを開けて中へと入っていった。
「はーい、皆さん席に着いてください。早速だけど転校生を紹介するから。じゃあ池崎さん、入ってきていいわよ」
田渕先生に呼ばれて、私は教室へと入る。
すると、朝悠介君と歩いていた時と同じ類の目線が私に突き刺さる。
正直コミュ障の私としてはこんなにも注目が浴びるイベントは勘弁願いたいが、今ではそれなりに人様の前に出ても良い身なりはしているだろうから、何とか自分を奮い立たせて精一杯の笑顔で自己紹介を始める。
「どうも、池崎真弓です。こんなタイミングに転校してくるのはあまり無いかと思いますが、よろしくお願いします」
無難な挨拶を終えて、新しいクラスメイトから拍手を受ける。
こんな事、前の学校で自己紹介をした時には起きなかったなぁと懐かしみながら、先生に促された後ろの席へと向かう。
するとそこには見覚えのある顔が。
「お隣さんだね」
「上手く自己紹介出来てたね。良かったよ」
どうやら私の席は悠介君の隣の席で、田渕先生が気を遣ってくれたようだ。
「え、何々? 2人とも知り合いなのかな?」
「美男美女は映えますなぁ」
「米澤君の彼女とか!」
「くぅ〜! 米澤の野郎、まさか初日から美少女転校生を誑かすとは!」
「というか、米澤君のあんな顔初めて見たんだけど」
何だか周りが騒がしくなってきたが、田渕先生がそれを制すると授業の準備をし始める。1限目は先生が担当する現代文だ。
「真弓さん教科書はもう持ってるの?」
「ううん、ノートは持ってきたけれど教科書の類は放課後に貰う予定だから……」
「そっか。じゃあ今日は全部見せてあげないとだね」
そう言って自ら机を寄せてきて、机どうしの間に教科書を広げる悠介君。 その瞬間、またもや周りから声があがる。主に女子達の。
「うっそ! 米澤君から近寄るなんて今まで無かったよね!?」
「どんなに告白されてきても誰とも付き合ってこなかったのは、彼女がいたから……?」
「ありえるかも!」
そう色めき立つ青春真っ盛りの彼女達だが、再びうるさくなった教室に田渕先生が大声で注意するとさすがに静かになっていったのだった。
「何だかうるさくてごめんね。ちょっと近過ぎちゃったみたいで……」
「だ、大丈夫だよ! ほら、よく見えないからもうちょっと教科書こっちに寄せて!」
我ながら従兄弟の悠介君と触れ合う寸前の距離感に、ドギマギしてしまう。 少しぎこちない感じがしたが、何とか自然を装う事は出来たと思う。
「何だか初々しいねー」
「ラブラブって感じ!」
……私は何も聞こえません。
「ほら、静かにしてと言ったでしょ。じゃあ今日は226Pから……」
そして、やっと静まり返った教室には田渕先生が教える授業の声と筆記用具の擦れる音が響くのみとなった。
そんな平穏な日々も2ヶ月過ぎた頃。
今ではすっかり私は周りにしっかりと溶け込むことができ、友人にも恵まれた。転校初日から騒がれてしまった悠介君との関係は詳しく説明したのだが、悠介君が通い夫のようだと指摘されてからは益々囃し立てられるようになった。
「よっ、新婚夫婦! 今朝からお熱いねぇ」
「風香ちゃんったらからかうのは止めてよ!」
「真弓さん、段々と母さんに口調が似てきてない?」
言っているそばから、仲の良いクラスメイトの青山風香ちゃんが通り際にからかってきた。
今日は家に泊まっていた悠介君と、家から一緒に登校してきた。
お泊まりと言っても別にやましい事は何一つしていない。
伯母さんは、「ゆーくんは女の子の扱いに慣れてないから、ゆみちゃんから押し倒しちゃって!」何て言われてしまったが、それは母親としてどうなのだろう……?
私は別に悠介君に対しては特別な感情を抱いていない。
確かに彼は格好良いし、何でもこなせる優しい男性だ。
それでも、私の中ではやはり従兄弟という存在でしかない。
小さい頃に会ったのは一度しかないけれど、まだ小学生だった頃の彼を知っている身としては、これ以上一線を踏み越えるような事をしてはいけないんじゃないかと無意識にストップがかかってしまう。
それに、もし私が悠介君を好きになったとしてそれが叶うかどうかすら分からない。正直、男の人に対しての恐怖心というのはまだトラウマとして残っている。悠介君は従兄弟だし優しいから大丈夫でも、他の男の子とは未だにろくに会話が出来ない。
と言っても、周りのサポートがあって昔よりは大分良くなってきたと自分でも思う。これも全て天国の祖父母と、伯母さん、そして悠介君のお陰だろう。感謝してもしきれない。
そういうことで、私は今のままの関係が非常に気に入っている。
先程も言った通り、私が悠介君に恋したとして彼も私と同じように、ただの親戚としか見ていないだろう。それが普通なのだ。
そんな事を考えていると、いつの間にか教室の前まで到着していた。扉の前で少し驚いていると、隣にいた彼が話し掛けてくる。
「どうしたの真弓さん? ボーッとして……熱かな?」
そう言って悠介君は腰を屈めて自分と私の額を合わせて、体調を気にかけてくれた。
「うわわっ!? ゆ、悠介君!」
「顔も赤いし、ちょっと体温も高めだね。保健室に送っていこうか?」
これはあなたのせいです! と声を大にして言いたかったが、こんな皆のいる前で大声を出すのは恥ずかしいし、何よりこんな事を不意にされればどんな女子も驚いてしまう。相手が悠介君だと分かっていてもこんな美形が目の前にあれば、それはドキッとさせられるものだろう。
「ごめんねいきなり。俺、女子との距離感が分からなくてさ」
「うん。それはもうこの2ヶ月間で学んだよ」
何でも卒なくこなす事の出来る彼だが、唯一の弱点というものがある。それは、人と接する事に慣れていないという事だ。別に、私と同じようなコミュ障ではない。単純に彼という人間が凄すぎて周りが一歩引いてしまい、他社と交わるという事があまり無かったのだ。
風香ちゃんともう1人の友達の早希ちゃんが言うには、私が来てから悠介君は変わったって言ってたけど、そんなにすぐに変われるものなのだろうかと思ってしまう。
そういう事で彼は女の子との距離感と言うよりかは、他人との交流に飢えてはいるが、その測り方が分かりかねていると言ったところだ。
「とにかく、別に熱とかじゃないから。ちょっと考え事してただけ」
「そっか。それなら良かった」
ニコッと微笑む彼を、何故か直視出来なくて思わず顔を背けてしまう。
「さっ、そろそろ先生来ちゃうから早く中に入ろう」
「そうだね」
そう言って2人揃って中へと入っていく私達。
「池崎さんと米澤君、おはよーう」
「おうおう。朝から見せつけてくれるなぁ」
「胸焼けしてしまうでござるよ」
本当にこの短期間で色々な人と仲良くなったものだ。
一緒にいる悠介君も、完璧過ぎて中々近寄り難い雰囲気だったのが私が来てから話し掛けられるようになったという。彼が楽しそうにしているのはまるで自分のように嬉しいのだが、少しだけ胸の奥が淋しかったりする。
「もー、皆毎日そればっかり」
「だって本当の事だろ? 池崎さん達お似合いなんだから」
「お、お似合いだなんてそんなっ……!」
「照れてる照れてる! 真弓ちゃんかわいいー!」
こんなにも人の好意を受けるのは人生で初めての事なので、未だにこういうのは慣れない。
しかし、私はこのやり取りを毎日しているのにも関わらず、悠介君はこの手の話題になると途端に口を閉ざす。いくら私が従兄弟だからと否定しても、彼も援護してくれれば良いものの、何も言ってくれない。寧ろ何か悲しそうな表情をしているのだ。
「悠介君どうしたの?」
「いや、考え事してただけだよ?」
「何か表情暗いよ。もしかして悠介君が体調悪かったりする?」
彼との身長差は結構開いているので、一生懸命に踵を伸ばして彼の額に私の額を重ねてみる。別に熱ではないそうだが、思いつめた顔から一転、珍しく驚いた表情をしていた。
「仕返しだよ! べーっ」
「……っ!」
わざとらしく舌を出してそんな事を言ってみると、途端に悠介君の顔が赤くなっていく。こんなにも取り乱している彼は今まで見た事がないので、らしくない事もやってみるものだと少し満足した。
周りからの視線や言葉を頂いているが、私は今の彼の反応を見る方が新鮮なのであまり耳に入ってこない。いや、努めて無視するようにしているだけだが。
キーンコーンカーンコーン……
そんな事をしていると、朝の鐘の音が鳴る。
するとすぐに田渕先生が教室の中へ入ってきて着席を促してくる。
「池崎さんと米澤君も、いつまでも見つめあってないで早く席に着きなさい」
先生からのからかいを受けてクラスメイト達から笑われてしまったので、やり過ぎたと思い恥ずかしみながら一緒に着席をする。
「よし、朝っぱらから甘いもの見せられて胃もたれがするけど……今日はまたこのクラスに転校生がやって来ます」
田渕先生のその言葉を皮切りに、先程までニヤけ顔だった皆が騒ぎ出す。
「かわいい女の子かな!? 今度はこっちにも回ってくるよな!?」
「イケメンイケメンイケメンイケメンイケメン……」
「て言うかもう受験シーズン目の前じゃん。こんな短い間隔で2人も転校生が来るなんてすごいね」
目が血走っていたり、天へと祈る生徒がいる中、田渕先生は構わず転校生を呼ぶ。
「入ってきてどうぞ」
そして、入ってきたのは切れ長の目とツンツンにセットされた派手な茶髪な髪をして、転校早々に制服を着崩しているチャラチャラした男。
「ども、齋東堂参でーす! 皆仲良くよろしく!」
軽薄な笑みを浮かべながら女生徒達に向かって手を振る転校生。
そんな彼の視線が私に向かうと、彼はより一層顔を崩してこちらへ手を振ってくる。
その瞬間、今まで思い出さないようにしていた押し潰していた物が全て頭の中に逆流してきた。そして、何も考えられず私の視界はブラックアウトしてしまう。
「……ゆみさん!」
隣にいた男の子の言葉を最後に私は意識を失ってしまった。
……そしてどれ程の時間が経ったのだろうか。
目を開けると目の前には白い天井が見え、周りは白いカーテンで囲まれている。どうやら、あの後私はすぐに保健室へと運ばれて眠ってしまったようだ。
時間を確かめようと体を起こそうとするとゴソゴソしていると、横のカーテンが開かれる。何かと思いその方向を見てみると、私の従兄弟が心配そうな顔でこちらを見つめていた。
「大丈夫?」
「……うん。本当に熱があったみたい。悠介君すごいね、私の事なのに全然気付かなかった。流石、医者の息子だね!」
彼に余計な心配を掛けたくなくて、そして彼に悟られたくなくて……空元気を出して笑いかけてみるが、悠介君の表情は晴れない。
彼も察してくれたのかこれ以上聞いてこない。
今は気遣いだとか励ましだとか同情だとかは要らない。
冷たいのかもしれないが、何も聞いてくれない優しさというのがとても心地よかった。
そしてようやく時間を確認すると、今は4時限目の授業の最中であった。今更教室に戻ってもみんなを心配させてしまうだけであるし、授業の妨げになってしまう。かと言ってお昼休みから向かおうとも思わない。今は頭の整理をしたいので、保健の先生に体調が優れない旨を話して、今日は早退する事となった。
「フラフラだよ、送っていこうか?」
「平気平気。じゃあ先に帰って夕ご飯の支度してるね」
そう言って、私そのまま帰宅していった。
正直、足元も頭もフラフラの状態でよく事故に遭わなかったものだと思う。家事は体で覚えているので、今日は悠介君がいるがあまり凝った料理は出来そうにない為に、彼の大好物の肉じゃがを作って待っていた。
17:30頃に悠介君が帰ってきた。
帰ってくるとすぐに私の心配をしてくれたが、再び大丈夫の言葉で突き放してしまう。そう言うと彼もこれ以上は踏み入れないのか、テーブルにお皿に盛り付けた料理を運んでくれていた。
そのまま特にお話をする事もなく、普段通りにお風呂へ入り寝床へついた。
しかし、自室で消灯をして枕に顔をうずめると溢れ出した感情が爆発してしまった。涙が止まらない。体の震えが止まらない。
齋東堂参という男性に対する恐怖心が私を支配する。結局その日は眠る事も出来ずに、気付けば窓から朝日が射し込んでいた。
そのまま一睡もする事なくベッドから起き上がり、私と彼の2人分の朝食を作ろうかと台所へ向かうと既にそこには明かりがついていた。
「悠介君、どうしたの?」
「いや、真弓さん疲れてるみたいだったから。それに泊まらせてもらってる身としては一応お礼をしたかったしね」
「そんなの気にしなくてもいいのに」
律儀な性格の彼を見て少し心が落ち着く。
「どうしたの?」
「……目の下にクマが出来てる。本当に大丈夫?」
「あっ……。ごめん、ちょっとね」
私が言い淀むと彼はそれ以上はやはり聞いてこなかった。
しかし、私がその場で佇んでいると悠介君が近づいてくると、私の手をいきなり取ってきた。
「きゃっ!」
思わずそう叫んで彼の手を払い除けてしまう。
「……やっぱりそう。真弓さん、あの転校生と何かあった?」
「え……? な、何の事かな?」
「とぼけないで。真弓さん、嘘つく時は決まって瞬きが多いんだよ」
私の事をよく観察しているものだと感心するが、今はそれが都合が悪い。図星をつかれて思わず癖が出てしまった。
「別に、何でもないよ。悠介君には関係無いし」
「そんな事ない。真弓さんが困ってるなら俺は出来ることはしてあげたい」
「なら、放っておいてよ! ただの最近仲良くなっただけの従兄弟でしょ!?」
「いや、でも……」
「いいから! 私、支度してくるから!」
そう乱暴に言い放って自室へと戻ってしまう。
朝食を用意してくれた悠介君には悪いが、食べる気分では無くなってしまった。それよりも、勢いで彼を突き放してしまった事を非常に後悔してしまう。
「もういや……。助けて、おじいちゃん、おばあちゃん」
この世にいない大好きな祖父母に願うが、それもただ虚しいだけ。自分では過去に区切りをつけたつもりだったが、私を追い込んだ当人を目の前にしたらそんな余裕など無かった。
このままズル休みしたくなるが、それではまた前のようにズルズルと引きこもりに戻ってしまうと考えてしまう。それは天国の2人に申し訳ない気持ちが勝ったので、仕方なく登校の準備をする。
そんな心のモヤモヤを残しながら、悠介君へ先に行くと伝えるといつもの通学路に向かう。
そして再び気付けば教室の目の前。
意を決してドアを開き中へと入る。
いつもより早く登校した為に、クラスメイトはチラホラとしかいないが、皆私を見かけると挨拶をしてくれた。私はそれに、小さくおはようの言葉と少しの会釈だけで返し、すぐに自分の席へと着いた。
それから暫くすると件の男がやってくる。
彼は私を見掛けると、見慣れた軽薄な笑みを浮かべながら近寄ってくる。
「よっす。俺、齋東堂参て言うんだ。気軽に名前で呼んでよ」
私の心の中などつゆ知らず、齋東君は聞いてもいない自分の話を延々と私に聞かせてくる。どうやら彼は、私があの根暗メガネ女だとは気付いていないようで、イメチェンした私へ必死にアピールしているらしい。
「ね? 池崎さん、俺の話聞いてる?」
そう言って顔を覗かせてくる齋東君に、私は吐き気を覚える。
この男は私の人生をメチャクチャにした癖に、こうやってそこら中の女の子に声を掛けているのかと思うと、憤りを覚えずにはいられない。
そんな永遠にも思える時間が経って暫くした頃、友人の風香ちゃんと早紀ちゃんが私に声を掛けてくる。
「真弓ちゃんおはよー」
「うーす、今度は噂のイケメン転校生か。アンタも転校して間もないのに、良くやるねぇ」
その言葉に齋東君が反応する。
「ん? 転校してきたって、池崎さんは前どこの学校に通ってたの?」
「隣の県の進学校らしいよー」
「えっ、それってまさか……」
早紀ちゃんの言葉に何かピンときた様子の齋東君。
すると、彼はバッと顔を上げて当てて欲しくなかった推理を口にしてしまう。
「池崎真弓……ってお前、あの根暗メガネ女の!? ……ブッ、ハハハハハッ! お、お前こんな所に転校してたのかよ! つか、だいぶ見た目変わったなぁ!!」
私の事を思い出した様子の齋東君が、急に吹き出す。
あぁ、これが彼の人を見下した時の笑い方だと思い出させられる。
「こんなにも遅い高校デビューってか! まぁ、ここにはお前の過去を知ってる奴はいないもんなぁ!? しっかしお前、化粧したら結構いい女じゃんかよ」
彼の本性を目にして、周りにいたクラスメイト達が引いてしまうが、その勢いに負けて皆は外から見ているだけだ。
「今だったら俺の本当の彼女にしてやってもいいぜ。あん時は悪かったな、お前の本当の魅力に気付けなかった俺が馬鹿だったよ。まあまあ気持ち良かったしな!」
そんな事を平気で宣う齋東君に、私は恐怖で何も返せない。
「ほら、じゃあ今日の放課後に早速ホテル行こうぜ。もう一回、お前を調教してやるよ」
「ひっ……! い、いや……!」
彼の非道な誘いに、何とか絞り出せた声で断るが、そんな私の態度が気に入らなかったのか、齋東君はあからさまな舌打ちをすると今度は脅迫してきた。
「おい。お前調子に乗るなよ? まだあの動画は手元に残ってんだ、これがどういう意味かわかってんだろ」
にじり寄って来て他の人には聞こえないように、私の耳元でそう言ってくる齋東君に抗う術はない。私は涙目になりながらただ首を縦に振るしか出来なかった。
「物分りが良くて良いな。流石はガリ勉、学習だけはお手の物だな!」
またあの痛い事をされてしまうのかと考えると、死にたくなってしまう。ガクガクと震える私を見て、周りも様子がおかしい事にザワつくが齋東君が睨みを利かせると黙ってしまう。
いやらしい手つきで私の肩に手を回して胸を揉んでくる齋東君に、私もなすがままだった。
「……何やってるの?」
「あぁん?」
聞き慣れた声が後ろから聞こえる。
しかし、いつもと違うのはその声に怒気と冷気を含んでいる所か。悠介君が顔を歪ませてこちらを見ていた。
「おっ、イケメン君じゃん! 紹介するぜ、こいつ俺の彼女。まぁ、今なったばかりだけどな」
「うぅ……」
悠介君に見られてしまった事が恥ずかしくて、俯いてしまう。
「おら、俺の彼女なんだから人には礼儀よくしろよ? 俺の株が下がるからな」
そう言って私の髪を掴んで無理やり引っ張る齋東君だが、その腕を悠介君が阻む。
「何の真似だよ」
「真弓さんが嫌がってる」
「俺達の問題だよ。それにこれは教育なんだよ、人として最低限のな」
「お前みたいなやつが教育を語るな。その手を離せ」
一触即発な雰囲気の中、辺りは物音一つしない。
「……チッ。分かったよ、だからお前が先に手を離せ」
齋東君がそう言うと、悠介君もそれに従って彼の腕を離す。
すると、いきなり齋東君は私の髪を開放すると、その掴んでいた手を振りかぶり、悠介君へとその拳を放った。
「なんてな、お前に指図される筋合いはねえよ! 引っ込んでな!」
そう叫びながら、彼の拳が悠介君の頬へ当たり怪我をしてしまうのではと思うと怖くなって、つい目を閉じてしまった。しかし、暫く目を閉じていても何も物音がしない事を不思議に思い、ゆっくりと瞼を開けてみる。
そこには、齋東君の拳を真っ向から受け止める悠介君の姿があり、睨み合っている最中であった。
「てんめぇ……」
「いきなり暴力に訴えるのは感心しない」
「冷静ぶってんじゃねぇぞ! 女取られるかもって焦ってんのはどこのどいつだ!?」
「……黙れ」
険悪な雰囲気がただ漂う。
ギャラリーは多いのに誰も止めに入ってこない。
「こいつは俺の女なんだよ。邪魔すんな」
「彼女は君の所有物なんかじゃない」
「てめぇのものさしだけで測るなよ? 手元に置いておきたいってのはお互い様だろうが」
「根本が違う。俺はただ彼女が居てくれればそれでいい」
「俺もそうだよ。こいつはただ俺に腰振ってればいいんだ」
両者一歩も譲らない言い合いに、私も周りも固唾を呑んでいるしかない。
「こいつはお前に靡かない。何故なら、こいつは俺に歯向かう事なんて出来ないからな」
「そんな事を平然とやってのける君が理解出来ない」
「理解出来なくて結構。これは俺が望んでいることなんだ。他人に干渉される事じゃない」
「君一人だけの問題じゃない。真弓さんを巻き込むな」
いつの間にか両手の掴み合いになっている2人。
しかし、その均衡も齋東君が膝蹴りをくらわすことで崩れてしまう。
「グフッ……!」
腹に直撃してしまい、腹を抱えてしまう悠介君。
そんな彼に再び拳を構えて追い打ちを掛ける齋東君。
「……もう俺は諦めない。彼女は……渡さないっ!」
そう大声で叫ぶと悠介君は顔を上げて、彼の拳をスルリと躱してみせる。そして、その流した腕を取って重心を固めて背負い投げをしてみせた。
投げられた勢いで辺りの机や椅子を散らしながら、倒れて蹲っている齋東君に悠介君は一瞥すると、すぐに私の方へ向き直ってきた。
「ごめん、真弓さん。どうやら俺も彼のことは言えないみたい。真弓さんが他の男と一緒になるなんて考えられない。独占欲の強い男だ」
悠介君の真っ直ぐとした目を直視出来なくて、目線を下に落としてしまう私だったが、彼は私の頬を触って無理やりこちらに顔を向けさせる。
「真弓さんは従兄弟だからって俺を異性として見ていないのはわかる。でも、もう待てない。我慢するのはもう嫌なんだ」
「ど、どういう事?」
悠介君が何を言っているのか分からない私は、疑問の言葉を零す。
「真弓さんは覚えてないかもしれないけれど、俺は昔君に救われたんだ。親戚一同の旅行に行った時、俺はふざけて山の奥に行ってしまった。迷ってもう帰れないって泣いていた時に真弓さんが探しにきてくれたんだ。その時に、好きになってしまった。女の子みたいだなんて思うかもしれないけれど、あの時の真弓さんは俺にとってのヒーローだったんだ」
真剣な表情でそう昔話をしてくる悠介君の言う通り、確かに一度皆で旅行に行った事がある。
しかし、その日は同時に両親を亡くしてしまった日でもあるのだ。悠介君がいない事に気づいた私が、両親の止める声も聞かずに飛び出していき、悠介君を探し出したのだ。
それから暫くして家に帰ってくると、今度は両親の姿が見えない。1人で家に残っていた伯母に話を聞くと、2人が事故に遭って病院へと運ばれているらしい。どうやら、飛び出した私を心配して少し経ってから家を出た両親は、私を探しに行く途中の交差点で信号を無視したトラックに轢かれてしまったのだと言う。
その話を聞いて幼いながらに、自分のせいだと思ってしまった私は、伯母の胸に抱かれながらワンワンと泣き叫んだ。その後、3人で両親が運ばれたという病院に到着したが、既に時遅く祖父母が見守る中2人は死んでしまったらしい。
その事を私はずっと自分が祖父母だけでなく両親を殺してしまったようなものだと思っている。
しかし、悠介君は違ったらしい。
「でもあの日、俺があんな遠くまで行かなければ真弓さんの両親は亡くなる事もなかった。真弓さんが引きこもる事もなかった。いじめられる事も傷付けられることもなかった」
今度は悔しそうに噛み締めながら、後悔の言葉を口にする。
「あれ以降俺が真弓さんに会わなかったのは、俺が罪悪感で一杯だったから。逃げてしまっていたんだ、そこで倒れているやつより最低の男でしょ?」
自嘲したように悠介君はそう言い零す。
「だけどやっぱり久々に会って思ったんだ。あぁ、真弓さんやっぱり可愛いなぁって。そして、せめてもの罪滅ぼしに今度は俺が守ってあげたいってね」
そして決意のこもった目で再び私を真っ直ぐに見つめてくる。
そんな事を言われると、こんな場面でも恥ずかしくなってしまう。
「俺、真弓さんの事が好きだ」
「ふぇっ!?」
とても女の子が出していいような声ではないものがつい出てしまった。不意打ちだから仕方ないと思いたい。
「真弓さんにとって男は敵かもしれない。……でもさ、聖書にはこう書いてある。『汝の敵を愛せよ』と。我が儘な事を言ってるのは分かってるけれど、そうでもしないと真弓さんはこっちを見てくれない気がして」
「……そんな言葉、こじつけじゃん」
「そうだね、こじつけだよ。でも、単なるアピールだけの言葉じゃない」
こんな熱い悠介君は見た事がない。
真っ直ぐな感情をぶつけてくる彼に戸惑っていると、今度は突然私の肩を抱き寄せてくると……。
「……ズルいよ悠介君。皆の前で、それもこんなに格好いい事されたら私断れないじゃん」
「また改めて告白する。返事はその時で良いから、今日は俺の気持ちを伝えたかっただけ」
2人抱き合う形になってしまい、恥ずかしさで穴があったら入りたくなってしまうがそんなものは無い。だから、今の私の顔をみんなに見られないように、代わりに彼の胸に顔を埋める事にした。
「真弓さんは何も悪くないから。悪いのは俺が全て背負って君を引っ張っていくよ」
「ううん、悠介君こそ何も悪くないよ。私の心が弱かっただけだから……」
「じゃあ2人で一緒に背負えば良いよ。これからは」
「もうっ……そんな恥ずかしい事よく言えるね」
シリアス空間から一気に桃色空間へと様変わりした教室では、周りのクラスメイト達も皆胸焼けしたようで、苦笑いをしつつも拍手で祝ってくれる。
「やっと付き合うのか。このバカップルめ」
「真弓ちゃんおめでとう!」
「お似合いだぞ」
「くぅ〜、尊いっ! 尊いでござるよぉぉ!!」
皆から祝いの言葉を受けて顔を赤くしていると、やっと他の生徒から事情を聞いて駆けつけて来た先生方がやって来る。
そこでようやく先程まで喧嘩が起こっていた事を思い出し、詳しい話を聞く為に私達は職員室へと連れていかれた。齋東君はまだ床でのびたままだったので、まずは保健室で目が覚めるのを待つようだが、特に目立った怪我はしていないらしく意識を失っているだけのようだった。
それでも、悠介君がやった事は事実なのでやはり学校側としてはそれを咎めないとならない。いくら、相手から先に仕掛けてきたとはいえ被害が大きいのはあちらなのだ。
私を含めてクラスメイト達は、それはおかしいという抗議をする。それが功を奏したのかは分からないが、悠介君は1週間休学という軽い罰で済んだ。そんな物で済んで良かったと思ったら、隣で伯母さんが「ちょっとやり過ぎたかもねー」などと言っていたのは何だろうか。
兎にも角にも、相手方の齋東君も無事に目覚めて怪我も無くこれ以上トラブルが起こることもなかった。それだけでなく、今回の騒動で彼の本性というのが学校中に知れ渡り、とても普段通りに学校生活していけそうにない雰囲気の為に、早くも転校してしまったようだ。
風の噂によると、他の学校に転校して早々に再びトラブルを起こして、受験どころではなくなってしまったらしい。まぁ、もう自分達には関係の無い事だが、少し気が晴れたというのは正直な感想だ。
そして、今は卒業式。
今日でこの学舎ともお別れ。
半年程しかこの学校には通っていなかったが、それでも非常に密度の濃い時間を過ごせたと思う。楽しい事ばかりでなく、辛い事もあったがいつも隣には自慢の従兄弟が居てくれた。
そして、式も終わり最後の思い出として仲の良かった友人達と写真を撮る。会うのがこれっきりという訳ではないが、進路もバラバラなのでこれから集まれる機会は少なくなってしまう。加えて、卒業式という調味料のせいで、皆も少し泣きそうになっているようだ。
「2人は一緒の大学なんだよね?」
「うん、私と風香は看護の勉強をしに行くんだ」
「大変だけど、夢の看護士になる為に頑張ってくるね!」
特に仲の良かった風香ちゃんと早紀ちゃんと、互いの進路の事について語る。
「真弓ちゃんは、心理学だったよね?」
「うん。私の経験を活かして何か出来る仕事を目指せればなぁって」
「真弓ならきっと出来るよ。いつも一緒の王子様もいる事だしね」
「も、もうっ! こんな時までからかわないでよ!」
いつもの学校生活の時のように、私をいじって面白がる2人に私は反論するが、これも出来なくなるのかと思うと悲しくなってくる。
「ほら、センチメンタルな感じになってるとこ悪いけど、あなたのとこの王子様がこっち見つめてくるよ」
「早く俺の真弓を返せーって」
そう言われて後ろを振り返ると、私の従兄弟がこちらへ来いと手を振ってくる。
「ごめんね、じゃあ行ってくる。2人とも、頑張ってね」
「そっちこそ、程々にね?」
「今度また会おうねー!」
風香ちゃんと早紀ちゃんと最後に軽く抱き合ってお別れを済ませると、駆け足で彼の元へ行く。
「もう、折角お別れの挨拶をしてたのに」
「別に会おうと思えばいつでも会えるでしょ? そんなに遠くまで行く訳でもないんだし」
「そうだけどそうじゃないの! というか、最近悠介君ちょっと私の事縛り過ぎじゃない?」
「だって、真弓さんの事誰にも取られたくないから」
「束縛する男は嫌われるよー?」
「だって羨ましくて」
軽い痴話喧嘩が始まると周りの生徒達も温かい目でこちらを見てくる。
「……うん。やっぱり似合ってるよ。真弓さんは赤ぶちメガネがいい。」
「これ? 私も気に入ってるんだ。それより、悠介君がまさかの赤ぶちメガネフェチだったなんて知らなかったよ。だから私が初めてイメチェンした時、少し残念がってたんだよね?」
「仕方ないじゃん。性癖なんだから」
「あー、開き直っちゃって!」
咎めている風に聞こえる女の子の声は、言葉とは裏腹に喜色が見て取れる声色をしている。
「じゃあ、帰ろうか」
「うん」
そう言って学校を後にする2人の手は大切に握られていた。
―おしまい―
読んで頂きありがとうございました。
一応、後日談として大学生活編というのを考えておりますが、蛇足になってしまうようなら取り消ししようと考えています。
構想としては、大学生になった真弓さんと悠介君のイチャイチャをメインに書いてみたいなと。(読んでくれる皆さんがいればの話ですが笑)
勿論、それだけじゃないけどね……?
もし、気に入ってもらえたら評価とか感想を頂けると嬉しいです。
宜しくお願いします。