ヘーゼティラ王国第一王女
本当の意味での世界平和って存在するのだろうか、と考えることがある。
そもそも世界ってどこまでの範囲のことを言うのだろうか。自国のこと? 他国のこと? 未だ見ぬ土地も含めた場所のこと?
平和とは何なのか。戦争がないこと? 貧困がないこと? 自由に暮らせること?
沢山言いようがあるだろうし、世界だとか、平和という一つの言葉に対する考え方もそれぞれであるように感じる。結局自分にとっての世界という概念を決めるのは自分自身なような気がするし、平和だって、自分が平和だなぁと感じることができればそれがアンサーなのかもしれない。
さてそれでは、私にとっての世界平和って、何なのだろうか。
まぁ少なくとも。
「一国の王女様がこんなところで、何やってんだァ?」
「危ないですよー、王女様。一人でそんなに出歩かれると――俺たちのような危ない人に、攫われてしまいますから」
誘拐されそうになっている今この瞬間、私の世界は平和ではないと思われる。
どうしてこんなことになったのか。自問自答しつつも、冷静にその答えを弾き出している自分もいる。一人で城を出るだけならいざ知らず、可愛らしい野良猫ちゃんにつられて人気のない路地裏の奥の方までうろうろと歩いていってしまったのが原因であろう。
ちなみにその猫ちゃんは見失った。可愛い真っ白で愛らしい猫だったというのに。なんとも悲しい気持ちでいっぱいである。
代わりに目の前にいるのは男性二人。しかも壁際に追い詰められている状態。いかにも、という風貌の彼らはがたいもよくて、とても力強そうな見た目をしている。流石にこの二人から逃げ切るのは困難なのでは? と、こんな状況にも関わらず冷静に考えている自分に少し驚いた。
いや、冷静なふりをして、焦っている自分を誤魔化しているだけかもしれない。
「親切に教えてくれてありがとう。では知り合いの所へ戻るので、通してくださるかしら?」
一人で出てきたから、実際は知り合いなんていないのだが。にっこり笑って強気で返答をしてみるも、案の定男二人が退く気配はない。それどころか不気味な笑みを浮かべながら、更に距離を縮めてくる始末。
嗚呼、どうしよう。一応護身用の短剣は持っているけれど、あまり手荒なことはしたくない。というかそもそも、この大男二人に私の護身術が通用するのだろうか。
じわり、背筋に冷や汗が浮かんだ――その時。
「うおッ」
「だッ」
目の前に立っていた筈の二人が、間抜けな声とともに視界から消える。ぱちぱち、何が起きたのかわからずに目を瞬かせていると「来て!!」という声と共に腕を掴まれ、そのまま引っ張られた。声と骨張った手から判断すると、どうやら私は男性に手を引かれているようである。後ろを振り返ると、先ほどの大男二人はどうやらこの男性に押されただかなんだかで倒れてしまったらしかった。立ち上がり、追いかけようとしてくる気配がする。
「振り返ってないで走れ!!」
「え、あ、はい!」
掛け声と共に、男性の走るスピードがぐん、と少しあがる。私はそれ以上は振り返らず、腕を引かれるがままに只管走った。
*
「ありがとう。助かりました」
大男二人を撒いて大通りに出ると、呼吸を整えてから男性に礼を告げた。人気の多いここまで来れば、もう安心だろう。男性は軽く笑って、「どういたしまして」と返事をする。
彼は旅の人だろうか。ベージュのマントに身をつつみ、茶色のかばんを肩から提げている。腰の辺りから足元にかけて不自然にマントが膨らんでいるところを見ると、どうやら腰には長剣が刺さっているようだ。護身用だろうか。
「それにしても、」
じっと彼の服装を見ながら考えに耽っていたが、彼の声にハッと我に帰る。じろじろと不躾に見すぎてしまったことを少し反省した。そんな私の様子に彼はあまり気づいていないようで、更に言葉を続ける。
「どうして女一人であんな路地裏にいたんだよ。あんな人気のないところ、危ないに決まってるだろ」
「あー、いやぁ、可愛い猫ちゃんがいて、それを追いかけてたら、ねぇ?」
「それで自分が危ない目に遭ってたら意味がないだろ? 今回は運が良かったけど、今後もそうとは限らないんだから気をつけろよ」
「そうします……」
ごもっともすぎる意見に何も反論できず。自分が不注意だったことは自覚しているので、大人しく頷いておいた。
「ところで貴方は、旅の人?」
「嗚呼、そうだよ。いろんな国を見て回ってる。ついさっきこの国に到着したばかりだ」
やっぱり、と心の中で呟く。国のイベントがあると基本私は顔を出すので、国内の人であれば私の顔を知る人がほとんど。にも関わらずこんなに砕けた話し方をするということは、私が王女であることを知らないか、王女であることを知ってこのように話すという勇気ある者に違いない。今回は異国の人ということなので、おそらく前者だろうが。
なんにせよ、私のことを王女扱いしない人というのは新鮮である。
「それなら、ここで出逢ったのも何かの縁。お礼もしたいし、街を案内させてもらえないかな? それに、貴方が見てきたっていう異国の話も聞きたいし!」
ずい、と身を乗り出して提案をする。この国が大好きな私としては、是非ともこの国の良いところを沢山知ってほしい。それに私は未だヘーゼ国以外の国を見たことがないので、この国の外にはどんな世界が広がっているのかを知りたいのだ。
私の提案に彼は一瞬きょとんとしていたが、その後柔らかく微笑んだ。その表情から、返事が私にとって良いものだということを悟る。
「じゃあ、頼むよ。俺はアラン。よろしく」
「私はエメ。こちらこそよろしくね!」
*
――ヘーゼティラ王国。通称、ヘーゼ国。
広い国土と豊かな自然に溢れたこの国は、私の生まれ育った国。首都、ミルフィオリはミール城を中心として栄え、日々活気に溢れている。出店では都市外から運ばれてきた野菜、果物、肉、魚など沢山の食材が陳列する他、職人によって織られた絹性の布、それを用いて作られた服などが売られている。また、幾つか存在する食事処を訪れると、ヘーゼ国産の食材を用いてとろけるように美味しい料理が振舞われる。
都を離れると、緑豊かな森や美しい大河、穏やかな村々が広がっており、村人たちは静かに平穏な暮らしを送っている。自然に囲まれた村は都市とは反対に静かで、時がゆっくりと流れているように感じられる。
ここ数十年戦争もなく、飢餓や貧困もなく、総合的に見ればとても平和な国だと言えるであろう。
そんな平和な国を統べるのは私の父、オスカル・ヘーゼティラ。
何を隠そう私は、ヘーゼティラ王国第一王女、エメリーヌ・ヘーゼティラである。
「噂通り、ヘーゼ国は豊かな国だな」
城下町を歩きながら出店を案内していると、アランは感心したようにそう呟いた。自分の国を褒められたような気持ちになり、少々嬉しくなる。
「おかげさまで。農家の方はしっかり田畑で食料を育ててくれるし、職人さんや料理人さんの腕も良いからね。ヘーゼ国の平和は国民あってのものだと思ってるよ」
「なんとなくわかる気がするよ」
タイルの並ぶ道を2人並んで歩く。両脇には屋根を構えた出店が並んでいて、新鮮な野菜の他、調理された料理が並んでいた。その時、ふわっと串焼き屋さんの良い匂いがした。お肉が食べたくなって、2本串焼きを注文する。店主のおじさんは一瞬私を見てびっくりしたように目を見開いていたけど、シーッと指を立てて口元に当てた。銀貨を2枚おじさんに渡すと、「まいど」と返事が返ってくる。串焼きを2つ貰って、そのうちの1つをアランに差し出した。
「はい」
「お、ありがとう」
串焼きにかじりつくと、口いっぱいに肉汁の旨味が広がる。美味しすぎる。これはまた来ようと心に決めた。横を見るとアランも顔を綻ばせていて、美味しいと感じてくれているのであろうことが見て取れた。
「ここ最近肉なんて食べてなかったからすげー嬉しい。美味いし。ありがとな」
「お礼ならおじさんに」
アランはぺこり、おじさんに頭を下げた。「よかったよかった」おじさんの嬉しそうな声を聞きながら、その場を通り過ぎる。
「あまりお肉食べてなかったって言ってたけど、そんなに長い間旅をしてきたの?」
「まぁな。馬も使わず歩いてだったから、時間かかったんだ」
「へぇ」
お肉を食べ終わると同時に、噴水のある広間に出た。広間の端にある公共のゴミ捨て場に、残った棒を入れる。アランも同様に棒を捨てるのを見届けてから、広間の中心に向かって傍のベンチに腰掛けた。同様にしてアランも横に座る。噴水の周りを、小さな子どもたちが走り回っているのを見守った。
「そういえば聞いてなかったけど、アランは何処から来たの?」
「フォッカ国だよ」
「え、そうなんだ。珍しいね」
フォッカゼル王国――通称フォッカ国は、隣国に位置してはいるものの、ヘーゼ国とは交流の少ない国である。というのも、それにはシナジェラ国――通称シナ国という国が関わっている。
フォッカ国とシナ国の国境には、オーレンという草原地帯が広がっている。一見ただの草原なのだが、このオーレンでしか採れない特別な薬草があるため、フォッカ国とシナ国は昔からその草原地帯の所有を巡って争っているのだ。現在ではフォッカ国が7割、シナ国が3割を所有している。
ヘーゼ国はそんなシナ国と同盟関係にある。ヘーゼ国とフォッカ国の間に直接的な敵対関係があるわけではないが、敵国の同盟国ともなれば、フォッカ国からしたらあまり良いものではないだろうに。
「フォッカ国から出るとき、大変じゃなかった?」
護身用の剣を持っている所以もそこにあるのではないかと思いつつ聞いてみる。国境越えなんて、それぞれの国からしてもあまり良いものではない。商人ならばまだしも、アランのような出で立ちならばスパイだの何だのという疑いも持たれそうなものである。
しかしそんな私の心配を余所に、アランは首を横に振った。
「いや、そうでもないよ。森を通って来たから」
「えっ」
まさかそれはヘーゼ国とフォッカ国の国境の中でも危ない場所No.1の深い森じゃないだろうか。確かにあそこは他の国境地点と比べて、そもそも森を超えようとする人がいない分警備隊もいないけども。
おっかなびっくりアランを凝視すると、彼は苦笑してみせた。
「見張りはいなかったから問題なかったけど、森を越える方がきつかったな」
「でしょうね!」
森越えなんて危ない行為をしてもピンピンしているってことは、きっと野草の知識にも詳しいんだろうな。それに野生動物も多くいて襲われる可能性だってあるのだから、腕っぷしも強いのだろう。
「アランは元々フォッカ国の兵士か何かだったの?」
「いや、違うよ。森越えに必要な知識は知り合いの旅芸人に教わったんだ。剣もその人から習った」
「へぇ。旅芸人って、どんな芸をしている人なの?」
「剣舞だよ。戦いのための剣だけじゃなくて、そっちもその人に少し教わった」
「じゃあ踊れる?」
「できるけど……今持ってる剣は舞うための剣じゃないからなぁ」
そう言ってアランはこっそりと、自分の腰に刺さっている剣を見せてくれた。マントの中から、がっしりとした銀色の剣の鞘が見える。確かに重そう。イメージ的に剣舞用の剣ってもっと細いだろうから、これだと舞いにくいだろうな。
しかし、アランの剣舞を見てみたいという好奇心は強い。
「今できないなら、今度見せてよ。剣舞、私見たことないの」
ヘーゼ国が平和であるからか、剣舞はあまりメジャーではない。そもそも剣を扱える人口がそこまで多くないのも理由の1つかもしれない。
ヘーゼ国は軍事力があまりなく、その軍事力を同盟国であるシナ国に援助してもらっているのだ。代わりにヘーゼ国は、豊かな資源をシナ国に提供している。
「ね、お願い!」
どうしても見たくて、手を合わせて懇願をしてみる。アランは少しだけ考え込んだ後、優しく笑った。
「いいよ。けどその代わり、今日だけじゃなくて、俺がヘーゼ国にいる間、ヘーゼ国を沢山案内してくれないか? 地元の人に案内してもらった方が助かる」
「勿論!」
ヘーゼ国の案内なんて、ヘーゼ国が大好きで堪らない私からしたらお安い御用だ。
「アランにヘーゼ国の魅力を沢山教えてみせるね」
明日は何処を案内しようか、と頭を巡らせる。そのためには暫く城を毎日抜け出さなければならなくなるけど、それもまたスリルがあって楽しいだろう。大丈夫、やるべきことはやってから城は出てしまえば良いのだ。
「ありがとう」
「いーえ! そうと決まったら今日のところはアランの宿を探してからお開きにしましょうか。到着したばかりなら、疲れてるでしょ? 今日は早めに休んだほうがいいよ」
私の提案に同意したアランと共に、私達は城下町の方へと戻った。小さい頃私が家出ならぬ城出をしたときにお世話になった宿屋さんを目指す。広間から宿屋までは歩いて10分程度で着いて、「おかみさーん、こんにちはー」と声をかけながらガラッと扉を開けた。
木製の扉の奥には、また木製で出来た部屋が広がっている。入ってすぐ右手奥が受付になっていて、左手奥にある廊下を進むと食堂に繋がっている。中央の階段を上ると2階につながっていて、そこが客室となっている。
古き良き、といった雰囲気のその宿屋さんは、女将さんが1人で切り盛りしている小さな宿屋だ。そのため一晩に泊まることのできる人数は限られているけれど、サービスが行き届いているし、ご飯も美味しいしで私の大好きな宿屋さんである。
「はいはーい」
ぱたぱたと足音が聞こえてきて、食堂の方から女将さんがひょっこり顔を覗かせた。見た目は30代くらいに見えるが、聞いたところによると今年で48になると言っていた。長くて綺麗な黒髪を後ろで1つに束ね、エプロンを着た女将さんは深く丁寧に頭を下げた。
「ああ、エメ様。よくぞいらっしゃいました」
「こんにちは。今日は私じゃなくて、この人を泊めて欲しいの」
簡単に、アランのことを紹介する。諸国を旅している旅人さんだということ。私がチンピラに絡まれたときに助けてもらったこと。
話を聞いた女将さんはうんうんと頷いて、優しく微笑んでくれた。
「エメ様の恩人ということは、私にとっても恩人です。どうぞ泊まっていってくださいな。今日は丁度1室空きがあるもんだから、丁度良かったわ」
「ほんと? ありがとう~、予約埋まってたらどうしようかって心配だったの」
「大丈夫ですよ。では、少しそこに座って待っていてくださいな」
女将さんの案内で、玄関口にある椅子にアランと並んで腰掛けた。女将さんが2階へと上がっていくのを見届けたところで、アランが小声で私に耳打ちをした。
「ありがとう。宿をどうしようかって結構困ってたんだよ」
「いいよー。それよりここ、女将さんの料理がすっごく美味しいの。楽しみにしててね」
アランはほっとしたように微笑んだ。女将さんが戻ってくるまで一緒に待って、あとは任せて城に帰ろうかな、なんて思考を巡らせる。
「それにしてもエメは、俺が危ない奴かもしれないとは思わないのか?」
ふと。アランが今までより少し低めの声で問いかけてきた。見ると今までにないくらい真面目な表情をしている。
「なんで?」
「だって俺は、フォッカ国から来たんだぞ? スパイの可能性だってあるだろ」
確かに、その可能性は否めない。というより、状況的に考えればその可能性の方が高いだろう。フォッカ国にとってヘーゼ国は、敵国の同盟国だ。何か弱みを見つけるだとか、そういったことが出来れば今後のシナ国への対応に活かすことができるかもしれない。
アランがスパイである可能性を排除した訳ではない。だからこそ私は自分の正体をアランに告げていないわけだし、お礼に城に招くことはせず、こうしておすすめの宿屋さんを紹介するにとどめているのだ。
一応最低限の警戒はしているつもりである。
ただ――
「うーん。アランがスパイって感じ、しないんだよねぇ」
私の返答が気が抜けているように聞こえたのか、アランは「はぁ?」と真面目な表情を崩して呆れ返った。
「だって私のこと助けてくれたし、話していても嫌な感じしないし。普通に優しい好青年でしょ。それにスパイだったら、わざわざ『俺はスパイかもしれないんだぞ』みたいなこと言ってこないだろうし」
「それも計算かもしれないだろ?」
「計算には見えないなぁ」
腕を組んで再度アランを観察するフリをしてみると、アランは眉を顰めて黙ってしまった。その表情が少し面白くて、噴き出してしまう。
やっぱり、アランは危ない人じゃない気がする。
「私、人を見る目には自信があるの。アランは例えフォッカ国の人間だとしても、私やヘーゼ国に何か危害をもたらすような人間には見えないよ」
丁度そのとき、2階から女将さんが下りてくる足音が聞こえた。準備が終わったらしい。
「さぁ、お部屋の準備ができましたよ」
「女将さんありがとう。私はもう帰るから、あとはよろしくね」
わかりましたよ、という女将さんの返事を聞いてから、私は立ち上がってアランに向き直った。
「じゃあアラン。明日は私からお昼頃この宿に迎えにくるから。また明日ね」
宿屋さんを後にして、城に戻る。また兄様に怒られるんだろうなー、なんて急ぎながら、夕暮れに変わった空の下、帰路を急いだ。