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第87話 心身一如

 瞬間、視界が閃光で染まった。衝撃、痛み、熱――全身を駆け抜ける。


「――、ッ!?」


 声も出ず、希生は後方に弾かれるように吹き飛ばされた。転がり、痙攣する。

 後方から焦げ臭さが漂う。何かと心眼で探れば、出所は自分の尻だ。つまり、イリスティーナの胸に跨っていたそこから電撃を受けた、のか? 重い火傷。


 電撃。

 フランケンシュタイナーで頭を打ったイリスティーナは『心閉じ』が疎かになっていて、戦闘に関わる思考をだいぶ読むことができた。復活に伴う不具合で、魔法は封じられていたのだ。

 だからマウントポジションのまま戦ったし、無意識はそれ以前からそれを察していた気がする――だから素手で戦った。


 その魔法能力が、ここで復帰したというのか。

 イリスティーナは「繋がった」と言った。脳内の内臓魔石と精神が、しっかりと接続を取り戻したということか。

 希生が迷っている間に。前に進むための殺害と、報復のための加害との狭間で。


 怒りも憎しみも、やはり間違っていたのだ。存在自体が間違いだった。

 だが、ならば、どうすれば良かった? 先にこうなることを予測し、覚悟を決めておくべきだったのか。

 時間はいくらでもあったのに、ここまで強い憤怒も憎悪も生まれて初めてで、完全に持て余していた。

 つまり、人生経験の浅さ。相棒を得て、友を得て、強さを得ても、所詮もともとは薄っぺらい凡人なのだ。


 そうでなくば、仇敵を前にうつ伏せに倒れて睨みつけることすらできず、通電に筋肉が弛緩して立つこともできず、あまつさえ失禁して股間から太腿や腹の方までを濡らすような無様――あり得るか?


「それ、で、も……!」


 それでも、前に進むのみだ。


 気持ちで進めるのなら、苦労はないのだが。

 痺れが抜けない。まるで電撃が未だ体内を駆け巡っているような――いや、ようなではない、電撃は弱まりながらも消えずに渦巻いていた。

 立てない。


 筋肉は時折痙攣し不随意に揺れる。視界は火花に埋まって何が何だか分からない。耳は音がぼやけて遠い。鼻は焦げ臭さしか感じない。舌には辛味のような痛みが燻る。触覚すら、今自分がどんな姿勢でいるのかも知れない。

 心室細動が起きなかっただけ幸運か。

 ただ、心眼で事実を知るのみ。


「危ないところだったわ……。もう近付けさせないし、近付かない……」


 イリスティーナの声が耳元で囁く。心眼が捉える彼女の立ち位置は数歩先。

 領主邸に踏み入ったとき、3階のイリスティーナの声が耳元で聞こえた、あれと同じか。


 今なら分かる。身体感覚をほぼ失い、意識も無意識も心眼に集中している今なら。

 イリスティーナは微弱な電磁波を発しての反響定位で物体やその運動を知り、他者の神経が発する生体電気や脳波などを拾って心を読んでいる。言うなれば『雷心眼』。

 その上で、反響定位用の電磁波に電気信号化した音を乗せ、相手の耳元で音に再変換することで、遠隔に声を届けることもできる。

 それのみならくだらない手品だが、恐らく送信できるのは音に限らない。希生の『剣気当て』のような技すらあり得る。


 ともあれつまり、今、希生は動けないし、その動けない事実をしっかりと理解されている。やられたフリで不意打ちを狙っているわけではない――そんな能力などないことは露見しているのだ。『心閉じ』で思考までは読まれていないが、肉体を読まれれば充分なこと。

 それでもイリスティーナは慎重になった。イザナミの回復魔法で脳のダメージから復帰すると、立ち上がり、眼球を拾って嵌め込む。


 そしてイザナミを振るった。

 『斬撃病』――『空気感染』。

 希生を縦に割る太刀筋。

 空気の断層、真空の刃が、前へ前へと感染伝播してくる。

 真空でものは斬れない? これは真空で斬る技ではない、斬られたからそこが真空になっているだけだ。


 ゆっくりと死が迫ってくる。世界が遅い。

 0.1秒どころか、最早ミリ秒単位で時を認識できるほどに集中している。

 命中まであと97ミリ秒――96ミリ秒――

 人間の反応速度の限界は約0.1秒と少し――116ミリ秒程度。既にもう、動けたとしても反応は間に合わない。認識できるのみだ。そもそも動けない。


 なぜ動けない? 体内を渦巻く微小電撃という毒に冒されているからだ。神経電位を掻き乱され、命令が筋肉に届かない。

 命令が届けば、そのときは動けるだろう。

 どうやって?


 命中まであと72ミリ秒――71ミリ秒――


 生の安心と、死の恐怖と、意識と、無意識と、過去と、今と――全てが混ざって、もう、ほとんど何も分からない。

 分かるのは未来だけだ。

 ひとつ、あと65ミリ秒で、斬撃が命中して死ぬこと。

 そしてもうひとつ、自分がそれを避けること。


(――)


 生死両輪の境地が、答えを出した。


 希生は四肢全てを使い跳ね起きるようにその場から動き、飛んでくる斬撃を紙一重で回避。更に虚空を蹴る足から残った片側の下駄を飛ばし、イリスティーナの足元を狙う。

 イリスティーナは希生の挙動に驚き、それでも反応してもう一撃を飛ばす間際だったが、下駄を避けるために反射的に半歩下がった結果、踏み込みを乗せることができずに剣速が低下した。


「嘘……電撃毒は確かに……まだ……!」


 イリスティーナがそう零した頃には、希生は直接剣戟の間合まで既に接近済み。

 魔剣イザナミが初速から最高速で振るわれ迎撃するが、希生は手の甲で剣身の腹を叩き逸らす。

 同時にもう片手は、更に踏み込んで胸を穿つことを狙い、


「舐めないで……!」


 辺境伯は伊達ではない。雷属性の身体強化を無詠唱発動――全身に雷気を纏い、特に反応速度と挙動速度において人間の限界を超えた。

 引き戻したイザナミを、胸の前で横に構え、希生の掌打を刃で迎えようという算段。


 人間の速度を超えたイリスティーナの防御に、希生は反応できない。既に掌打は動き出しており、それを止めるには反応速度が全く足りていないのだ。

 ――とでも、イリスティーナは考えたのだろう。それが正しいなら、そもそも先の『空気感染』を避けられずに死んでいた。

 自分と同等以上の反応を持つ相手と戦うのは初めてか? イリスティーナ。


 掌打は手首を返して貫手へと変化。掌の角度による空気抵抗の差が自然と手の高さを変え、刃の下を通り過ぎた。胸に突き刺さる。


「あ、ッ……ぐ、!」


 肋骨の隙間を通り、奥までめり込んで横隔膜を穿った。呼吸が止まったろう。

 纏う雷気は触れれば流れ込んでくるが、すぐに引き戻せば、指が多少焦げたのみだ。もう動きは止まらない。

 そこでこちらの慢心でも期待したか、鋭利な反撃を寄越してくる――希生は察し、大事を取って後退し距離を置いた。反撃の延長上に飛ぶ『空気感染』の射線からも、同時に逃れる移動で。


「うん。動ける」


 心眼は外界を知るのみではない、己自身をも知覚の範疇に収めている。全身に自らの魔力が満ちているのだ。

 そして希生の魔力は無属性であり、万象と親和し得る――無論、自分自身とも。

 魔力が信号を伝え、身を操る。『思う』と『動く』との差が、精神と肉体との距離が、極度に縮まった状態。


 現在の反応速度は10ミリ秒ほどか。元の10倍以上。

 立ち方と歩き方もこれまで見えていた理想すら超え、新たな階梯へ。正中線を崩すことも整えることも、重心の回転も――それでこれまで以上に早く、速く、精確に、より小さな挙動で、より強い力を生める。


「――『心身一如』。希生には本当に驚かされるんですよう。ちょっと目を離した隙に……」


 嬉しそうなアイオーンの声、ふと開いた空間の穴から。彼女が自分自身を取り出すよりも先に、穴に手を伸ばし、するりと抜き放った。


「えっち!」

「穴に指を入れたからって!?」


 彼女がこうして来た以上、ロヴィッサは峠を越えたようだ。

 胸を撫で下ろした。


「アイオーン……どうして分かってくれないの……。あなたの幸せを……」


 幽鬼のように立つイリスティーナも、幽玄に立つ希生も、それぞれの魔剣に回復魔法を施される。

 仕切り直し。


「こっちのセリフだよ。アイオーンの幸せを、どうして分からないのか……。いや……もういい」


 それは怒りのあまり会話を打ち切る言葉――ではなかった。

 怒りも憎しみも、いつに間にか綺麗に消えていた。


「行こう、イリスティーナ。イリス」

「キキ・ムトー、……キキ……?」


 微笑んだ。


「もっと、高みへ」

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