第86話 一思いに殺してやる
『斬撃病』――『空気感染』。肉眼では見えぬ飛ぶ斬撃、魔剣イザナミの能力の一端。
人体に感染するのは斬れるその瞬間のみで、ロヴィッサがイリスティーナをバラバラにしたときのように、そこから更に斬撃が増殖し人体を斬り尽くす――ということはないようだ。
事実、ロヴィッサが斬られたのは、イリスティーナが剣を振るったときのみである。
だが一方で、イザナミに直接触れてしまえば、それは今度こそ発作的発症があるかも分からない。イザナミの力がイリスティーナの復活で低下しているとは言え、絶対はないのだ。
そんな相手に、素手で挑むのが今である。アイオーンはロヴィッサの救命に回している、終わるまで戻って来ない。
しかし希生に、持久戦でそれを待つ気はなかった。
イリスティーナは殺す。
それはアイオーンのためであり、それ以上に自分のためだからだ。
これは希生の戦いなのだ。アイオーンがいようと、いなかろうと!
「アイオーンを道具としているあなた……キキ・ムトー……」
心眼で内を探り切れない。『心閉じ』か。
アイオーンから聞いた限り、イリスティーナは雷属性――心眼めいて脳波などを読み取る技の可能性を考え、希生も『心閉じ』へ。
互い、内面は不透明。外面に現れる動作から見切るしかない。
イリスティーナが腰の高さで薙ぎ払ってくる。
下がれば『空気感染』で結局当たってしまう。屈むか、跳ぶか。
跳んだ。身を沈めるように崩していた姿勢から、伸び上がるように虚空へ。剣を跳び越えて迫る。
「いけないわ……。凌遅刑ねえ」
希生を落とそうと翻るイザナミ、その剣身の腹を天狗下駄で踏んだ――何も起きない。やはり能力が落ちている、これだけならば『斬撃病』の感染はないと確認できた。
それを踏み台に更に空中を前進、逆の右足で顔面に蹴りを入れに行く。
イリスティーナは首を傾けて容易くかわした。頭の脇を足が通り過ぎ――
「こっちは一思いに殺してやるよ……ッ!」
希生の右足から下駄がすっぽ抜けた。足袋を履いた足は、その分かれた親指と人差指とで、イリスティーナの頭部を通り過ぎた先にある『髪』を『掴む』。
「これは――」
「イオの教えを受けておきながらッ!」
永劫流の剣士でありながら、その体現者であるアイオーンと外見スタイルを違えていること。それはイリスティーナの明確な失策だ。
この通り、足袋は足で掴み技を仕掛けることができ、そのためにすぐに脱げる下駄を履物に選ぶ。髪も掴まれにくいよう短く、アイオーンの化身体を使う希生の黒髪はショートボブとなっている。
ただのファッションだと思っていたが、意味があるのだ。
アイオーンが手元にいなくても、共に戦っている。
イリスティーナは履物はブーツで、足指掴みという概念を窺えない。髪は豊かに伸ばされ、豪奢で美しくはあるが掴みやすいったらない。
希生は掴んだ足を引く、その直前、既に『心眼心開き』。
与える虚気は、『蹴り足の勢いを緩めず、頭を背後の壁に叩き付ける』行為。衝撃に備えて脱力を深めたイリスティーナは、まったく引き込みやすかった。
希生の背中を狙うイザナミの斬を、背後に回した二指で挟み止めながら、顔面に左膝を叩き込んだ。
「ぶ、っ――は、!」
無様に鼻血を噴きながらタタラを踏むイリスティーナの、その金髪を希生はまだ放さない。
蹴り膝を伸ばし、頭部を左右から太腿で挟む。そこから胸につけた尻を支点に後転、合気によって相手自ら跳躍すらさせ、脳天から床に叩き落とすに至る――フランケンシュタイナー!
古武術系らしき永劫流で、なぜ元の世界のプロレス技が出るのか、希生自身にも理解し難かったが、体が自然に動いたのだ。ここはこれが最善だと。
そしてそれは偶然でも勘でもない。生死両輪の境地による、自己無意識が熟慮の末に出した指示であると分かる。
「あう、あ……ぐ、……」
脳天から崩れ仰向けに倒れたイリスティーナは、明らかに意識が朦朧としていた。
視界には火花が散り、耳鳴りが酷く、鼻は砕けて呼吸もロクにできない様子。『心閉じ』も不完全に落ちた――だから、彼女が本当に苦しんでいると分かる。
そんな苦しみを癒すよう、きらきらとした分かりやすい光のエフェクトが彼女の頭部を包む――イザナミによる回復魔法。今ならこの余計な光も、生きる意志に対して投入魔力が多過ぎ、その余剰が放散されて無駄に輝いているのだと理解できる。流血がじわじわと治まっていく。
同じ天上七剣だ、そう来ると思っていた。
そして、だから頭部への攻撃なのだ。回復しても、そこから意識を万全にして、知覚し反応し反撃するまで、どうしても一拍の間が生じるだろう。精神活動を不全にするための、脳へのダメージ。そしてそのままマウントを取る。
仰向けのイリスティーナの上、希生はその胸に跨る形。
眼球と眼窩との間に無理やり指をねじ込み、眼球を抉り出した。視神経を捻じり切り、球体を放り捨てる。『破損』よりも、こうした『欠損』の方が回復しにくい。
これでもう回復は間に合わない。
「ひっ、ぎ……! 見え、ない、まっくら、アイオーン……どこ……。アイオーン……!」
それでもなお、イザナミは回復魔法以外の行動を取らない。予想通り。
イザナミはイリスティーナ『が』目的を遂げるための道具であり、イリスティーナ『の』目的を遂げる味方ではないということだ。畢竟、単にイリスティーナの奮闘が見たいだけの愉快犯ですらある。タチが悪い。だからこそ助かる。
イリスティーナは目を失った。
『心閉じ』が不全となった今、思考盗聴により、相手に心眼系の技がないことは分かっている。元は使えたようだが、復活に伴う不具合らしい。
それだけではない、魔法全般が封じられている様子ですらあった。
ともかく、つまり目を失った今、彼女の知覚能力は激減。
跨る希生を触覚から探ろうにも、高度な脱力が『直接触れている部分』の動作しか悟らせず、どんな体勢でどんな手を繰り出そうとしているかは窺わせない。
だから最早彼女には、イザナミを適当に当たりをつけて振り回すしかなく、そんな闇雲な攻撃は止めるに容易い。
刃を二指で挟み止める――正確には、そうして触れた指から合気を作用させ、剣を振る相手の力を崩し散らしているのだが。
希生はイリスティーナを見下ろした。真っ暗な眼窩のふたつ並んだ、血まみれの顔を。
「さっきも言ったけど……。一思いに殺してやる。無駄に苦しめはしない……!」
そう言う間にとっとと殺さない時点で、無駄に苦しめているのではないのか?
いや、そもそも――本当に苦しめなくていいのか?
ふと過ぎった。
如何な天上七剣の力で化身体を得て復活しても、再び殺せば最早蘇ることはない。自分がそうなのだから、イリスティーナもそうだろう。
ここで殺せば終わりだ。『終わってしまう』。
これ以上に苦しめる余地が、まるで消え去ってしまう。
罰を与えるべきではないのか。
陳腐な表現だが――そう、生まれてきたことを後悔するほどの。苦痛と、恥辱と。
自分が悪かったと、どうか赦してと、いっそ殺してと、アイオーンのことすら忘れて泣き叫ぶほどに。
――ぞくり、と。背筋が震えた。
それは快感だった。想像だけでどうにかなってしまいそうな、暗く重い快楽。
「ひ、」
己の口から漏れた声が、悲鳴なのか嬌声なのか、希生には判断がつかなかった。
つかなくて良かったと思った。分かってしまえば、あとは感情に従うしかないところだった――分からないから理性で選べる。
殺す! 今!
希生はイリスティーナの首に両手をかけた。神経を圧迫し血流を抑制してしまえば、『落ちる』まではほんの数秒。その後でゆっくりと気管を塞ぎ、窒息死させればいい。
「――ああ。やっと繋がったわ」
目が合った、と感じた。
とうに目などないのに。




