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第83話 ロヴィッサ

 そもそも天上七剣とは、およそ200年以上前に、稀代の鍛冶師にして錬金術師ヒノコ・アダマンティオスによって作られた、特に強力な七振りの魔剣を指す。

 それぞれ純粋に剣としての卓抜した性能と、そんな常軌を超える圧倒的な魔法能力、そして個別の心を持つという。

 その殆どは行方不明だが、希生たちが所在を知るものが2本ある。すなわち希生の相棒たる『永劫の魔剣』アイオーンと、ロヴィッサが父より託される以前から眠ったままの『殺戮の魔剣』イザナミ。


 天上七剣は自らの意思で主を選ぶ道具であり、しかし気に入った主がいなければ眠りについてしまうようだ。

 ロヴィッサも、その父も祖父も、祖父に魔剣を託したという旅人も、イザナミに気に入られなかったのだろう。彼女は――イザナミは眠ったままだった。


「てゆーか。前。イザナミさん。じゃなかった?」

「こうしてわたくしにお力をお貸しくださることに敬意を込めて、イザナミさま、と。いけませんか?」

「よい」


 だが今、希生の見詰める先でそれは目覚めていた。ロヴィッサの手の中で。

 『殺戮の魔剣』――それは振るっていいものなのか? 不吉な予感が希生の心に蟠った。

 まだロヴィッサの背が遠い。一瞬が長い。


「ロヴィッサーッ!」

「ああ、キキさんのお声……。愛しさのあまり幻聴を!」

「本物。だよ」

「またまた~皆でチェスニ王国に向かったハズでしょう」


 努めて朗らかに会話するロヴィッサとイザナミとを、対面するイリスティーナは見ていなかった。

 視線は彼女らの向こう、走り来る希生をすら見ず、その手にあるアイオーンのみこそを。

 緩く波打つ豊かな金髪、切れ長の青い目、女としては長身の体躯、連なる花々と剣の紋章を宿した黒い軍服。

 リュオルフ王国グラジオラス辺境伯領、領主、イリスティーナ・レン・グラジオラス。


 ロヴィッサもそんなイリスティーナの態度を気にした風もなく、いっそ淡々とした殺意で斬りかかる。


「さあ、辺境伯閣下。お命頂戴いたします」

「ああ……アイオーン! アイオーン、アイオーン、やっと!」


 イリスティーナはロヴィッサを一切眼中に置かないままに、疾風めいた袈裟懸けの一撃に対し、その剣身の腹を指1本で押さえ、難なく止めた。


「あら」


 その指が第一関節辺りでぽろりと取れて落ちたのは、しかし流石に予想外だったらしい。アイオーンに駆け出そうとしていた彼女の足が動きを止める。

 そうするうちに、第二関節が落ち、隣の指もぽろぽろと、手も、手首も、腕も、まるで歪な機械の部品が分解されるように落ちていく。

 びちゃり、びちゃり、流れ落ちる血の海が、切離した肉片に飛沫を見せる。


「あら? ええー……」


 それは『斬撃』だった。

 触れた指に斬撃が『感染』し、病原菌めいて増殖、イリスティーナの肉体を侵蝕していく。

 魔剣は既に止まったし、既に触れていない。にも拘わらず、形も実体もない『斬撃そのもの』が発生し続け、指が、手が、手首が、腕が、斬られ斬られ斬られ斬られ落ちていくのだ。


「きゃあ。困るわ……」


 イリスティーナはその現実を理解できない、という顔をしていた。間の抜けた短い悲鳴を上げ、オロオロとうろたえ――斬撃は大きくなり増えていく。肩も腹も背も、反対の腕も、腿も膝も脛も、首も。


「どうしよう……どうすれば……。あ、アイオーン――」


 八つ裂きすら生ぬるいバラバラの肉片と化しながら、それでも最後まで声を出し唇を動かし言葉を紡ぎ、手を伸ばしていた。

 それは助けを求める行為ではなかった。ただ理解できない現実の中、唯一理解できる『アイオーンの存在』に対し、久しぶりねと迎えようとしただけだ。


 その手を誰も握らない。

 イリスティーナは、床に無数に散らばって広がった。


「は……は、……うっ、……!」


 ロヴィッサはいつの間にか肩で息をしていて、吐き気を堪えるように口をぎゅっと塞いだ。

 それから遅れて気付いたように、盾を足元に落として左手を空けると、その手で口を押さえる。

 そんな姿に、後ろから声をかけた。


「ロヴィッサ」

「また幻聴が……。って本物でございますか!?」


 彼女が勢い良く振り向く。

 伴って不用意に振られたイザナミに触れないよう、希生は慌てて下がった。斬られるどころか、触れるのみで死ぬ剣――しかも無駄に惨たらしく。

 頼むから気を付けてくれよ……。

 ともあれ、軽く片手を掲げて。


「や」

「キキさん……ッ!」


 ロヴィッサは感極まったように涙を双眸に溜め、一筋ずつ零した。


「なぜ……こちらにお越しに……ッ! 犠牲が要るなら、わたくしのみでよいと……。皆さんが隣国へ逃げる間に、刺し違えてでも辺境伯を討ち、後顧の憂いを断とうと……考えたのですが」


 犬耳も尻尾も力なく垂らして、彼女は俯く。


「そりゃ相談なく独断専行したら、行動のひとつやふたつ、ぶつかるでしょうよ……」

「反対されると思いました」

「そりゃね!?」


 思わず大声でツッコミを入れたら、ロヴィッサはそれこそ叱られた犬のように、ぎゅっと目を閉じて身を強張らせた。

 基本的に頼れるお姉さんポジションだったと思うだが、彼女もまた疲弊しているのだろう。

 あの大狂騒で平常心を失い、混乱したまま決断を下してしまったのだ。間違っていることは、自分でも分かっていたのかも知れない。


 希生はロヴィッサに腹パンを入れた。


「うッ」


 彼女が腹を押さえてしゃがんだので、ちょうどいい高さに来たその頭を撫でる。

 明るい灰色の毛並み、犬耳も巻き込んで、痛いくらい強く、ぐしゃぐしゃに。


「キ、キキさ、わ、ちょっ……」

「はいうるさい」


 撫でた。

 わしわし撫でた。


「わたしのため、みたいにさっきは言ってたけどさ。だけじゃないでしょ? ヒューゴも、ベルタも……もちろんイオも。みんな、仲間のみんなのためでしょう」

「それは……いえ、はい……」

「そしたらさ、ロヴィッサ自身もその中に入れてもらわなきゃ。スキンシップ過剰な変態だけど、わたしたちの仲間なんだから」

「はい……っ!」


 ロヴィッサは泣きながら頷いた。

 何度も頷いた。

 最後に頭をポンポンと軽く叩いて、希生は一歩離れた。


「それはそれでいいとして。いつの間にこっちに、ってのも気になるんだけど。イザナミまで目覚めさせて……」


 ロヴィッサは赤くなった目元を子供のように擦りながら、ゆっくりと立ち上がる。


「戦いの中ではぐれたあの後、わたくしは、蜃気楼の応用で完全に余人から見えなくなってしまう『姿隠し』の技に開眼いたしました。気圧で光の屈折を操り……。更に『静寂』と『消臭』。あの大量の賞金稼ぎから逃れるには充分でした。

 その後は、わたくしが無事なのですから、皆さんもご無事でしょうと。ならば南西の城壁で合流し、脱出へ至るでしょうと……。しかし脱出したところで、辺境伯はいくらでも刺客を放つはず。

 ならば後の禍根を元から断つために、わたくしの役目はと……考えて……」


 再び俯き、しかしすぐに顔を上げて。


「しかし、キキさんの仰る通りでございますね。仲間を想ったつもりで、その心を蔑ろにしてはならなかった。また皆で幸せに過ごすために……。ヒューゴさんとベルタさんは?」

「ウショブ市で合流できるはず」

「では帰りましょう。辺境伯は……既に……」


 ロヴィッサが振り返れば、そのすぐ後ろに、最早骸とも呼べない血肉の海。

 イリスティーナだったもの。


「こんな死に方はしたくないよなあ……。何なんイザナミって」

「何なん。とは。何なん」

「まあまあ……。アイオーンさんから以前教わりました通り、『一途』な性格の主をお求めなのです。凶事に判断力が鈍っていたとは言え、仲間のために、キキさんのためにと強く思い込むことで、何とかお認めいただけたようで……」


 それは。

 それは、では、判断力が正常に戻った今は。


 ロヴィッサが今更のようにイザナミを鞘に収めようとしたとき、『つるり』とその手の中から魔剣は滑り落ちた。

 落ちて、イリスティーナだった血肉の海に突き立ち――


「こっちの。方が。もっと。好み」


 海が、泡立つように蠢いた。

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