第82話 ごきげんよう
そこにいる全ての兵士を飲み込んだのは、自身のすぐ傍にまで希生が剣を構え迫っている虚像。
それは正面、横合い、背後、足元――それぞれの立ち位置に応じて異なる気。逆に本物の位置には、共通して『もうその場にはいない』気を漂わせる。
鋭利かつ精巧な剣気はそれこそが真実であると錯覚させ、迫る死の気配に、咄嗟に対処行動を取らせる――刃を向けた先には仲間がいることすら、致命的に失念させて。
結果として生じるのは無数の同士討ち。
槍が、槍が、槍が、隣人たちを抉り貫き、本来の仇敵には掠るどころか向きすらしないありさま。
ただ思い、それを伝えるのみで、敵を下す境地。
衛兵らは次々と立つ力を失い、苦痛に呻きながら倒れていく。
倒れるのみだ。死んだ者はひとりもいない。この後にもし手当てが遅れればともかく、完全に助からない傷を受けた者は皆無である。
希生なりの手心だった。ウショブ市の大狂騒では殺すしかなかったが、もう、殺さずとも迅速に無力化できる以上は。
倒れた彼らを跨いで、或いは踏みつけ、飛ぶように駆ける。城壁の内側へと飛び下り、中途で一度壁を蹴って減速、更に着地と同時に回転し衝撃を吸収。
城壁の強行突破、領都グラジリアへの堂々たる侵入であった。
「バカなッ! これだけの人数……! 賊はいったいどんな……!」
「知るか! そんなことより伝令を……!」
「信号弾を上げろ!」
「賊は……いたぞ、あそこだ! 矢を!」
希生が剣気で倒したのは、あくまでも自分を囲んですぐに攻撃し得た数十人のみ。その包囲の外に、更なる兵が集まってきている最中だった。
生き残ったそれらの兵が、別の部隊に賊の侵入を伝え、またその人相などの情報を共有するため伝令を走らせる。
そして残る大半は弓矢を向けてきた――が、希生は幹線道路を避け、狭い路地に身を隠していく。家屋を遮蔽物として逃れた。
「領主邸は?」
「都市中央、ここからだと北ですよう! あ、そこ左で」
つい1年前までここに住んでいたアイオーンだ、道案内はお手の物だった。示された場所へと希生は駆ける。
ただ、本来ならば巡航速度で体力を温存する予定だったが、先行するロヴィッサに追いつくために最高速度を出さざるを得ない。城壁を登るのに結界を使ったこともあり、イリスティーナにぶつかるまでには、どこかで吸収補給したいところだ。
そしてもうひとつ、侵入者希生を探して町じゅうを駆け回っている多数の部隊、これも面倒くさい。
心眼で遠くから察知して迂回することはできるのだが、それは当然、領主邸へは遠回りになりがちである。
逆に蹴散らせば、その分だけ消耗が増える。つまりそれだけ補給の必要性が増すのだが、人を殺さずに吸おうとすると、大した量が吸えないのだ。
ひとりひとり刺しては少し吸い、刺しては少し吸い、を繰り返すのでは、それこそ無駄な時間を喰ってしまう。
街路樹などはその辺に幾らでも生えているが、やはり植物よりは動物、動物でも内臓魔石持ちの魔物や人間は、特に栄養価が高く消化も早いところがある。
「ところで希生、退路は考えてるです?」
「えっ? ああ、全然。気付かなかった」
退路、言われてみればそうである。首尾よくロヴィッサと合流しイリスティーナを殺しても、それではいお終い、ではないのだ。
そうなると、イリスティーナと戦ってボロボロになる前に、逃げやすいよう兵の数を減らしておくべきだろうか? いや、それにカマけて、ロヴィッサが手遅れなことになっては本末転倒。
やはり到達の早さこそを重視。優先順位を間違えてはならない。
最も大切なのは常に己だが、仲間が死ねばそれも己のダメージなのだ。
点在する領軍部隊を迂回はしない。遭遇したら『剣気当て』、最短の所要時間で蹴散らす。
その際、心眼思考盗聴で、兵士個々の人となりを素早く検索。クズがいればそいつを吸って補給する。
悪人なら殺しても構わないというよりは、迅速な移動と補給問題、そして己の罪悪感とのバランスを取った折衷案のようなものだ。
人殺しと呼ぶなら呼べ、イリスティーナが余計なことをしたのが悪い。
そのようにして部隊を無力化すること何度か、補給のため吸い殺すこと幾人か。
寝静まったはずが、奇妙にざわめく町々――商店街を抜け、一般住宅街を抜け、高級住宅街に入ると、血の匂いが濃い。
あちこちに兵士が倒れている。ある者は半死半生、ある者は既に事切れて。
生きている者の記憶を盗視、なるほど、ロヴィッサの戦闘跡だ。
まるで巨大な血痕のように点々と続く戦闘跡を辿っていくと、ついに領主邸が窺えた。
質実剛健な砦のような様相、豪奢さよりも力強さや重々しさの目立つありさま。
広い敷地の門扉は破壊され最早閉まらず、数え切れないほどの死骸が転がり、血の海の向こうから戦いの音が響く。
窓の奥は、魔術照明によってか明るい部屋が多かった。
希生は駆け抜けた。
門を抜け、庭を抜け、玄関扉を抜け――ああ、3階にロヴィッサがいる。
心眼で分かる。戦っている。敵は強い、七騎士のひとりか?
「違う」
「イオ?」
アイオーンの声が、震え掠れていた。
「イリスですよう。ロヴィッサと――戦ってるのは!」
イリスティーナ。グラジオラス辺境伯、この地の支配者にして、アイオーンの以前の契約者。そして自らそれを捨てたにも拘わらず、今また相手の意思を無視して魔剣を求める狂人。
「あら……ごきげんよう。キキ・ムトー?」
耳元で声がした。
ゆったりした、ささやくような、しかしよく通る声だった。
「……ッ!?」
慌てて振り向くが、誰もいない。
それはそうだ、いるはずがない。今のは肉声ではなかった。
『心眼心開き』による虚像、いや虚声か?
「まさか、イリスがこんな技を!?」
「お、前……お前は……!」
「イリスティーナ・レン・グラジオラス。アイオーンを連れてきてくれたのねえ。どうもありがとう」
自らの『心開き』に乗せたわけでもない、思わずた漏れただの発声を、彼女は造作もなく拾っていた。
そしてその言葉は、皮肉ではなかった。心からの感謝が伝わってくる。
「アイオーン。ああ、アイオーン……!」
感極まって、
「おか――」
まるで機械の電源を落とすように、希生は、アイオーンも巻き込んで、外界の全てをシャットアウトした。
『全域心閉じ』。心の中に部屋を作るのではなく、心そのものに鍵をかける――現実逃避のひとつの極致。
その言葉を聞きたくないし、聞かせたくもない。
そしてすぐに現実に復帰する。
「そうねえ。そうよねえ」
イリスティーナは納得していた。
「ちゃあんと面と向かって言わなきゃだもの。うふふ。さあ、いらっしゃい。3階よ」
どこまで。
どこまで、こいつは。
希生は首を振り、自らの頬を張って、そしてアイオーンの柄尻を撫でるように軽く叩くと、階段を探し、駆け上がる。死体、重傷者、騎士多数。
途中で「生き延びてしまった……勝ったなら殺せと……」などとうわ言を並べる騎士がいたので、すれ違いざまに刺して吸収、干からびさせてからアイオーンに従属異界ワープで戻ってきてもらった。
これだとアイオーンの魔力が回復するのみだが、そうすれば希生本体に回復魔法をかけてもらえるのだ。体力の充溢――100%中の100%。
3階への階段まで至れば、死体は逆に減った。最低限の防備だけが施されていたのか。それもロヴィッサに突破されたようだが。
そう、ロヴィッサだ。せいぜい2日ぶり程度なのに、妙に懐かしく感じる。
イリスティーナと対峙する彼女のもとまで、長い廊下を駆けていく。遠い。
「キキさんのために――参りましょう。『殺戮の魔剣』イザナミさまッ!」
ロヴィッサの構えるのは、竜の長剣ではなかった。
「そんなに。好きなの? ふーん。いいよ。多少なら」
独特なテンポの眠そうな声で、剣でありながら喋るそれ。揺らめく炎めいて波打つ刃を持つ長剣――フランベルジュの形。
表面にはまるで病人の肌のように大小無数の黒い斑点が滲み、だがそれは付着した汚れなどではなくそういう模様なのだと、直感的に理解できる。
声に合わせて、斑点模様が表面をざわざわと揺蕩っていた。
『殺戮の魔剣』イザナミ。
アイオーンと並ぶ天上七剣が一、至高の魔剣の一振りが、今、遂に目覚めた。




