第79話 いったいどれだけの度を超えた集中力があれば
「希生……?」
アイオーンが呆然の声音。
無理もない。今まで心眼を最大射程まで伸ばしてようやく防いでいた2連射を、心眼を薄皮一枚まで狭めた状態であっさりとノーダメージで凌いだのだから。
だがこの境地に至った希生には、それは既に、何ら不思議ではないことだった。
それでも結局近付く必要があることは変わらない。狙撃手へと山を駆けながら、希生は言う。
「イオ、分からない? 念話回線からこっちをよく探ってみて」
「ええっと……。えっ何これですよう!?」
彼女は知るだろう。希生を包むように在る、狙撃手の心眼領域を。
それは本当に、希生ひとりを最低限包むだけの形をしていた。正確には、そこから狙撃手本体まで伸びて繋がるケーブル状の領域もあるようだが。それが希生の動きに合わせ、寸分の遅れもなく追従してくる。
「心眼領域の形をこうまで変えるだなんて。普通ある程度拡散しちゃって、半径いっぱいの球状か、せいぜい楕円球状に落ち着くのに……。完全に人ひとりを追跡する形に特化することは……」
「あり得ない?」
「あり得――る、ですねー。いったいどれだけの度を超えた集中力があればできるのか、見当もつかないですけど。理論上は、あり得るですう。
こっちも心眼使いなのに、心眼で見てることをこうまで読ませない隠密性も含めて……本当、例外的なレベルですけど……」
そう、敵は心眼使いだった。希生と同じ心眼、だが、その使い方がまるで異なる。
普通は球状に展開して周囲を知覚する。あらゆる動きを手に取り、あらゆる不意打ちを防ぎ、あらゆる偶然の環境要因さえ味方につけるために。
だが狙撃手は違った。心眼を一方向のみに限定し、それ以外を捨てることで、その一方向において非常に優れた射程と知覚深度、隠密性を実現したのだ。
特に隠密性は、心眼で見ても気付けないばかりか、思考盗聴による違和感不快感すら一切生じさせないほどに。
そして希生はそれを破った。心眼の射程を狭めることで圧縮、知覚深度を爆発的に増大して。
そうしてしまえば隠密性を超えて心眼に気付き、あまつさえ『相手の心眼に対して心眼で読む』ことが可能となった。
心眼領域とはすなわち心の延長であり、ともすればこれだけ『濃い』心眼を読むことは、脳から思考を読むのとほぼ同じ成果を得ることができるようだ。それは狙撃手も、今の希生の濃い心眼を読めるという事実を示すが、もともと希生の肉体を包んで読んでいたので、意味は特にない。
さて、包む狙撃手の心眼領域は、故に――狙撃手がどこからどう狙い、どんなタイミングで、どの角度で、希生のどんな避け方を想定して撃ったのか、を全て教えてくれた。
狙撃手の狙いがこの上なく正確精密である以上、それだけ分かれば、広い心眼領域で余裕を持って矢を捉える必要などない。来るタイミングで、来る位置に、適切な角度で剣を振るう。それで充分だ。
『心閉じ』や『心開き』への習熟も感じられなかった。自分が感じることに特化しているらしい。
山小屋出発から30秒以上が経過した。
心眼を破られて動揺したようだ、次の狙撃がなかなか来ない。
こんなのは初めてだ、どうすればいい、そればかりの混乱の様相。この間に距離を詰める。
『心閉じ』を習得していない希生では、その意も狙撃手に読まれてしまうが、どうだろうと接近を試みることには変わらないのだ。構わない。
希生の接近に、狙撃手が恐怖した。彼女は――そう、彼ではなく彼女だ、そこまで分かる――希生を包む心眼領域を引っ込めた。このままでは思考を読まれるばかりで得がないと思ったか。
すると希生は、逆に心眼領域を広げた。
そうして知覚した2連射の矢は、1本は偏差射撃ができておらず、駆ける希生の直前にいた位置へと突き立つ射線、もう1本はまるで明後日の方向に逸れていく射線だった。
強力な限定心眼で希生を包まずに、今更当たるわけがないのだ。包んですら全て防御され、直撃はなかったのに。
虚空に浮かぶ薄赤い半透明の板、アイオーンの結界――空中に足場を作り、谷底の川を乗り越えて隣の尾根へ。
ふと、心眼領域を薄皮一枚で身に纏う。
案の定、限定心眼が再び希生を包んでいた。見逃すわけないでしょ?
気付かれたことに気付いた狙撃手が動揺、それはまさに矢離れの瞬間だった――意がブレる。矢はまたも全く見当違いに飛んでいく、防ぐまでもない。
狙撃手が再び限定心眼を引っ込める、するとまた希生が心眼を広げる――その領域に、ついに狙撃手本体が引っかかった。
泣き出しそうな気配を感じる。優位に立っているうちは強いが、劣勢になると途端に脆い性格らしい。
結果として狙撃手の採った選択は、飛ぶこと。
傍らに待機させていた飛竜を呼ぶと、それは手(前足)で彼女を掴み、飛び立った。よく訓練されているのだろう、以心伝心の様子。
なぜ乗るのではなく掴ませるのか? その疑問はすぐに解けた。
狙撃手は両手のみでなく、両足でも別に弓矢を持っていた。裸足の指で弓を握り、矢を掴んで番え、引き絞り放ちすらするのだ。異形、弓二刀流。確かに飛竜の背に跨ってはできない技か。
一気に500m以上を上昇し、希生の心眼領域から脱すると、彼女はそこでやっと平静を取り戻したらしい。
遠さで完全に見えるわけではないが、従属異界から矢を取り出し番えていく動作は滑らかだった。
そしてぎちぎちと軋む音すら立てて、ゆっくりと、さまざまなパーツで補強された巨大な弓を、異常な張力のそれを引いていく。
限定心眼と、莫大な身体強化と、それらによる狙撃。ある意味、無属性の内臓魔石持ちとしてひとつの完成形なのかも知れない。
「わたしも身体強化欲しいんだけど」
「まだもうちょっと技量伸ばすに専念した方が、最終的にはいいと思うんですけどねー。力でゴリ押しできるようになっちゃうと、技術を身に付けにくいですから……。でも流石に、そうも言ってられないかなー。
ってこんな話してる場合です?」
希生の心眼も投擲も届かぬ高みから、超音速の矢が降る――が、剣で叩き弾けるものだった。
そこは何も変わらない。結局のところ、希生はまた山肌を覆う森に隠れているからだ。
限定心眼なしに正確な狙いはなく、限定心眼を使われれば希生は凝縮心眼で狙いを読めるのだから。
が、希生が近付く手を失ったのもまた事実だ。
結界で空中に足場を作ることはできるが、それを駆け上がるよりも、飛竜の飛行の方が遥かに速い。
「飛ぶ斬撃が欲しい」
「今覚えても、状況の打開策にはならないですよう? 斬撃の飛ぶ速度は剣速に比例するもので、希生のそれはまだ全力でやって音に届くかどうかくらいですもん。この距離だと着弾まで1~2秒、余裕を持って回避されるですねー。
ってだからこんな話してる場合じゃないですよう!?」
「そう……」
先に身体強化で絶対的な剣速を上げる必要がありそうだ。
が、今この場でそんな訓練をするなど不可能である。
それにしてもしかし、緊張感がない。いつの間にか、希生は勝てる気ばかりがしていた。まるで既に勝ったような錯覚すら起こすほどに。なぜだ?
さらに次の2連射を弾きながら、希生は考えた。
このまま持久戦になるのは面白くない。ともすれば、相手は諦めて逃げることもできるからだ。それはダメだ。無関係な人を、それも本来騎士が守るべきハズの領民を進んで巻き込んだ報いは受けてもらう。ここで死ね。
それができるはずだ。
具体的にはどうやって?
その希生の思案を、今も狙撃手は読んでいて、読まれていることを希生もまた読んでいる。
だがふと思い至る。両者の思考盗聴には、違和感の有無という差異がある。
狙撃手はそのスタイルに特化するが故に、心眼で探る際に相手に与えてしまう違和感を極限まで抑え、事実上消し去っているのだ。『気付かせない』こと。
だが時には『気付かせる』ことにも意味はあるのだと、希生は知っていた。
「希生? どうするんです?」
「……? いや、念話回線で読めば……」
「読みづらいから聞いてるんですけどー」
アイオーンの態度が渋い。拗ねている。
どうも無意識に『心閉じ』を実行してしまっているらしい。未熟な、だが、アイオーンからしてみれば今まではなかった鬱陶しい薄壁。
でもイオさんや、こっちからそっちは、たまにもっと読みにくいんだけど。希生はジト目の気配を向けた。
目を逸らして口笛を吹く気配が返ってきた。
ともあれ、なるほど。
希生が未熟なりとは言え『心閉じ』を身に付けたなら、だから、狙撃手が慌てていないのか。打開策を思いついて、今まさに実行するところだというのに、それに気付けていないありさま。
隠したいとは思っていたが、それがそのまま『心閉じ』になったらしい。
希生の中の閉じた部屋を、彼女は開けられなかったのだ。
「来い」
狙撃手が次の矢を番え、引き絞り、地上の希生を狙いそして放つ、その寸前に――『部屋』を開け放てば、閉じ込めていた反動で、その心は強烈なまでに相手に浴びせられる。
それも相手に読ませる形でなく、自分が相手を読むことで生じる違和感に乗せる形で、強制的に、刻みつけるように。
それは希生が遂に本気を出して身体強化を全力発動、瞬時に飛竜の高度へと跳躍して彼女を横合いから斬る――地上にいるのは残像で、今既にもう斬りかかっている――そんな意と気。
希生にとっては荒唐無稽な、だが迫真の、精巧にでっち上げた偽物。
本当にありがとう、ヒューゴ。何だかんだ言って、お前と戦えて良かった。
『心眼心開き』――『剣気当て』。
有体に言えば殺気による威圧、のようなもの。
本物と見紛う圧倒的な剣気に対して、狙撃手は希生を射落として身を守るべく、咄嗟に横へと弓矢を向け放った。
現実にそこにあるのは、羽ばたきの中でちょうど打ち下ろすタイミングだった、飛竜の翼なのだが。そんなことにも気付けないほどに。
「――ぁぁぁぁああああああ!」
翼を穿たれた飛竜が落ち、狙撃手が落ちる。
彼女の悲鳴は地上に近付くにつれて膨らみ、そして激突音と共に途切れた。




