第76話 山小屋
ビッグラージの燃え尽きたを確認し、墓標代わりに斧槍を突き立てると、希生は道行きを再開した。
森を抜け、草原を駆け、街道を横切り、川や湖は結界で足場を作りその上を行く。真っ直ぐに、一直線に。
北東、領主邸のある領都グラジリアへと。
縮地の一端――水平に落下する重力歩法は、その重力という外部動力に依存するが故に、肉体的な疲労とは縁が遠い。
筋力も併用してより効率的に身を送り出していけば更に速くなるが、これは普通に疲労するため、戦闘用の挙動である。
ともあれ、ビッグラージから吸収して有り余る体力も相俟って、休憩なしで何時間でも走り続けることができた。
正午をとうに越え陽が傾き始めるころ、最早ウショブ市は遥か後方、欠片も見えはしない。
むしろ似たような城壁に囲まれた別の町が横手に窺えるが、寄る必要はないだろう。
ウショブ市と領都グラジリアとの間にあるのだから、当然、希生の手配がここにも出回っていると考えるべきだ。流石に顔も見せずに市門は抜けられないし、余計な面倒は避けたい。
「でもどこかでひと眠りはするべきですよう。いくら疲れにくい歩法でも、100パーぜんぜん疲れないってワケじゃないですもん。イリスのところに殴り込む前に万全にしておかなきゃ」
「それもそうだね」
かと言って大きな町に入るのはやはり無理がある。わざわざ城壁を乗り越えて侵入するのも、騒ぎの原因になるだけで得はあるまい。
町でなく村ならどうだろうか。いや、村は村で閉鎖的な意識が強く、余所者は歓迎されにくい。ヤメ村で温かく迎えられたのは、村民を助けて送り届けたからだ。
となると野宿か。アイオーンは眠る必要がなく、不寝番をしてくれるから、不意打ちにも対応できる。
――本当にできるか?
何だかんだ言ったところで、七騎士は間違いなく油断してはならない強敵であり、そんな強敵が、恐らくイリスティーナの指示で希生を探している。
領都グラジリアまで、希生の足であと1時間ほどか――徒歩なら1日仕事だが――ビッグラージ戦からここまで、再びの戦闘はなかった。
が、ここから先は分からない。寝込みを襲われて、相手がその辺の雑な魔物ならともかく、七騎士では対処前に一撃で仕留められてしまう可能性がある。
しかし寝ずに突撃して、些細な疲労から不覚を取っては、それこそ死んでも死に切れない。
ふと見れば、近くに山が聳えている。
野宿、或いは山小屋でもあれば助かるが、その上で周囲に罠を設置しようと希生は考えた。殺傷力のあるものではなく、例えば鳴子のような、余人の接近を知らせるものだ。
「どう? イオ」
「妥当ですねー。それで行こうですよう」
さほど高くも険しくもない山だった。
しかし全体的に深い森に覆われており、遠くまで見通すことはできない。肉眼への依存度が低い希生には逆に都合がいい。
魔物の生息もほぼないらしく、普通の野生動物らは、人間の希生を警戒して遠巻きに眺めるか、逃げるか。
途中で山道を見付け、それを登っていけば、やがて山小屋に辿り着いた。
しかし先客の気配、複数。
どうする? いや、流石に山小屋で出会った相手にまで警戒する必要はないか。
アイオーンによれば、七騎士はそれぞれ専用の騎乗動物――主に走竜か飛竜か、を持つという。付近にそれらしい気配はない。
それに七騎士が、まだ夕刻に近付こうかというこの時分、こんな山小屋で休むだろうか。彼らは手配されている希生と違い、町や村に大手を振って出入りできるのだ。
よしんば希生を探しに来たまま出先で休むことになっても、騎竜を近くに置くだろうし、腰を落ち着けるのは更に遅い時間帯からだろう。この時間から休むくらいなら、町に戻らない理由がない。
結論――山小屋の先客は七騎士ではない可能性が、非常に高い。
まさかこんなところでまで、検問めいて立場を探られたりはしないだろう。フードを目深に被った上で、顔に傷があって――とでも言っておけば、顔を見られることも避けられようか。
ヤメ村のときのように山賊が住みついている危惧もあるが、それでそれで皆殺しにして山小屋を奪えばいいだけでもある。むしろ気兼ねする必要がない。
もっとも心眼で探る限り、そういった気配はない。『心閉じ』で隠されている様子もない。
田舎の猟師らが村に帰る前に、獲物の傷みやすい部位を先に自分たちでいただいている――という様子。
ならば鳴子を仕掛けるのは、彼らが帰ってからの方がいいだろう。陽が落ちる前には帰るはずだ。
そして、それまで周辺をブラつく意味もない。希生はローブとフードを纏ってから、山小屋の扉を叩いた。
「おおーっ、ウルちゃんかい? 普通に入ってくりゃあ――」
「俺はここにいるよおー」
「はっはっは、そうだったそうだった」
中から賑やかな声。酒は入っていないようだが。
希生は扉を開け、そっと中を覗き込むように入っていく。
「お邪魔します……。旅の者なのですが、こちらに一晩泊まらせていただけませんか」
囲炉裏のようなものを囲う形で、垢抜けない男が3人、見習いなのか少女がひとり。
彼らは顔を隠した怪しげな希生を疑う素振りもなく、鷹揚に迎え入れてくれた。
村人は余所者を嫌うものだが――と、逆にこちらが警戒してしまうほどだ。この分なら、近くの村を探しても良かったかもしれない。
中央の鍋にはモツ煮込みが湯気を立てていて、彼らは予備の椀と匙とでこれを分けてくれた。
山小屋内に獲物の姿はない――いや、近くに川があるのが心眼で分かる、そこで冷やされているのが彼らの獲物か。鹿。
モツ煮込みを見詰める。
まさか彼らが心眼でも見破れない刺客で、毒が入っているだとか――あり得まい。心眼は毒も分かる。いや、希生の心眼では難しいが、アイオーンの心眼ならば。彼女が何も言わない以上、安全だろう。
はふはふ言いながら食べ始めると、彼らは親しげに話しかけてきた。
「一晩って言ってたけどよう、こんな山小屋でいいんか? わしら喰い終わったら帰っちまうぞ。一緒に村に来た方がいいんじゃねえか」
「んだなあ。この山は少ないけど魔物もいるしな。熊なんだけど、あいつ冬眠しねえから」
「……」
「どうしたータニヤ。同じくらいの娘っ子だろうに、照れてんのかー?」
「えーいやだって……なんか気品あるじゃん! この子!」
少女タニヤが大人たちに弄られている。
登山服には着られている感じでどこか野暮ったく、手入れの足りていない金髪にアンヌを思い出させられる少女。
手入れが足りていないと自分でも思ったのか、慌てて手櫛を通している。
ところで気品があるとか言われたが。
(希生は姿勢がいいですもん。そう鍛えたですからねー。バランスが良くて、とても自然体で。それが気品に見えるんでしょう)
なるほど。ともあれ、あまり興味はない。
先の問いに答えていく。
「村にまでお邪魔しては迷惑でしょう。ここで構いません」
「別にいいんだけどなあ。ウチに来なよ。ほらタニヤ、友達になれるかも知れんぞ。俺らも友達になりたい」
「やめて恥ずかしい! そういうこと言うから余計来なくなんじゃないの! ごめんね、
スケベオヤジどもが」
「すみません、ありがとうございます。大丈夫です」
丁寧な、悪く言えば冷たい、その中間の無難な対応を心がける。
別に仲良くなる気も、敵対する気もない。
食事が終われば、彼らは獲物を担いで山を下りる。その後は山小屋には希生ひとり、鳴子を張り巡らせて眠るのみだ。
しかし年頃のタニヤ少女としては、実際希生が気になるのか、チラチラ見てきて食事のペースが遅い。
同じ年代、同じ性別。
なのに希生の目深なフードから垣間見える髪も肌も、彼女より遥かに綺麗なのだ。彼女曰く気品もある。
その目には、憧れと、嫉妬と、諦めと、見下しと、卑屈さと、恐れと、しかし結局は好意が湛えられていた。
「ねえ、さっきはああ言ったけどさ、マジで村に来ないの?」タニヤ少女がおずおずと話しかけてきた、「旅人って言ってたけど……そんな細い体でさ……。ひとりで。危ないじゃん」
「強いですよ。わたし」
腰のアイオーンを、鞘に入れたままながら見せつける。
「強いったって……でもひとりじゃさあ……。ねえ、親父もなんか言ってよ」
「あー? ああ。さっきスケベオヤジとか言ってたのは誰だっけかな」
「はいはいあたしが悪かったですー。でも放っとけないじゃん! 普段は俺は女に優しい紳士だとか言ってるくせに」
「そうだぞウルちゃん、ここは男ぶりを見せるとき」
「しかしこんな薄汚え紳士がいるもんかね? ウッヒャヒャ」
何とも仲のいいことだ。
もしヒューゴを殺してここにいたなら、こんなにも穏やかな気分ではいられなかったろう。
たとえ剣士として互いに納得していても、友を失った悲しみが重くないわけがない。
ベルタがいてくれて良かった、そう思う。いやイオもね? もちろん。はい。それは前提として。
「あーもう!」
タニヤが髪を掻きむしった。
せっかく手櫛で少し整えたのに。
「こんなムサいおっさんどもに囲まれて、身の危険感じるのも分かるけどさ。みんなこう見えて気のいい奴らだから……ええい!」
彼女は勢いよく立ち上がり、
「何でもいいから村にぷべっ」
その頭が弾け飛んだ。




