第73話 失礼なー
アイオーンの張った結界壁には凹凸があり、それを掴んでしがみつくことができた。反対側は爆風を逃さず受け止めるお椀型の形状で、更に希生に衝撃を通さないための厚いクッション性もが備わる。
そして爆風が叩き付けられ、吹き飛ばされた。瞬く間に地上が遠ざかっていく。
こいつらマジでやりやがった。ウショブ市上空で放物線を描きながら、希生は感慨深く思った。
くるくる回転してしまうのも鬱陶しいので、手足を振るう反動で回転を中和、姿勢を落ち着けて飛んでいく。
その視界に、自らは吹き飛ぶのではなく飛行してイシェイヤー市に向かう、ベルタの後ろ姿を見た。
足裏から爆炎を放ち推進力としつつ、背に生やした炎熱の翼で揚力を稼ぎ姿勢も制御している。いつからそこまで器用になったのか。
あっと言う間に小さくなるベルタを見送りながら、希生は放物線の頂点を越え、落下を始めた。
風の抵抗を考慮しても、城壁は問題なく越えられそうだ。地上の人々も、動く点にしか見えないだろう希生を気にしている気配はない。何か飛んでる、鳥かな、速いな、と思うくらいか。
そもそも気になったところで、追いつけもしないのだが。切る風の速度があり過ぎて呼吸が苦しい。
眼下にウショブ市の城壁を越え、更に距離を稼ぎながらも刻々と高度を下げていく。
進行方向に目をやれば、どうやら森に着弾しそうだ。
結界をクッションにしようと考え――ふと疑う。クッションに、なるのか?
「あんまりならないですねー。爆風受けたところでもうめっちゃ脆くなってて。それ作るのに結構全開で魔力注ぎ込んだですから、次もすぐには作れないですし」
そっかあ。
「って早く言おうよそれは!」
それでも素で着地するよりはマシだろうと、結界を進行方向に向け、そのお椀型に風を受け減速。
森の木々に突っ込む――連続的な衝撃と騒音、結界が枝葉を幹を次々とへし折り、数秒感それが続いたあとに砕け散った。
あとは生身だ。枝を蹴りつけるように踏みへし折り減速しながら、それ以外の邪魔な枝はアイオーンで斬り払っていく。
高度が落ちるにつれ、踏んだ枝はへし折れることをやめ、階段代わりに。
最後にちょっとした高さを飛び下り、回転で衝撃を散らし着地――久し振りの安定した大地へと下り立つ。無傷。
「ベルタ絶対着地のこと考えてなかったよね」
「ですようー」
同感の相槌なら「ですねー」のはず。分かっていて飛ばさせたのか、この魔剣……。
もちろん希生なら問題ないことを確信していてこそだろうが。
或いは――今冷静になって考えると、飛行ベルタに抱えてもらい、外に下ろしてもらえば済んだことだ。
それをわざわざ爆風て。ヒューゴを殺しかけた希生への、ベルタなりのちょっとした意趣返しであり、アイオーンはそれに乗ったのかもしれない。
仲良しなようで嬉しいです。
さて、吹き飛ばされる前に着替えはしておいた。
ヒューゴの剣で血に濡れ破損した衣類は従属異界に放り込み、別の和ゴスへ。黒地に梅柄。
別段和ゴス以外の服もあるし、実際日によっては使っていたのだが、最早これが最もしっくり来るのだ。勝負服めいた思い入れ。
履物はブーツから天狗下駄へ。
高い一本歯の下駄は、ほんの僅かな重心移動にも連動して傾きその方向に倒れるため、その倒れる力を推進力に変える縮地歩法とは相性がいい。
戦闘での瞬発的な短距離移動はもちろん、ここから遠く離れた領主邸までの持久的な長距離移動においても有用なのだ。
「実際どれくらい離れてるの?」
方位磁針で向かうべき方角を確かめ、既に滑るように駆け出しながら問う。
「だいたい馬車で1週間、ふつーに徒歩だと2週間弱ってところかなー。今の希生だと……」
希生の疾走は言うなれば巡航速度――費用対効果が最も高い、すなわち、なるべく疲れずに一定の速度を保って走り続けることのできる限界の速度を出していた。
障害物の多い森の中でさえ、いちいち止まったり減速したりせず、ぬるぬると素早く木々を避けていくし、地面のデコボコさえ気にせずブレず走破していくありさま。
それを計るような間があった。
「――うーん、1日か2日ってところですよう。街道とか無視して、基本全部直線で行けば、更に半分くらいで。あ、直線からズレてるですねー。右に8度曲がって」
「8度て」
細かすぎる。
曲がるけど。
と言うか、今の自分はそこまで速いのか。希生は少し驚いた。
通常の徒歩はおよそ時速4~5km程度だったか。それをもとに計算すると、今の自分は自動車とも併走できるのだろうか――制限速度が低めの道路でなら。
そう考えると、言うほど速くはないな。希生は少しがっかりした。
しかし時速で考えると遅く感じるが、秒速で考えると、100m走を普通に戦えるレベルでもある。それを何時間でも維持できるのだから、やはり速いのか。
などとどうでもいいことを考えるのは、まだ思考の整理がついていないせいか。
イリスティーナは敵だ。アイオーンを捨て、なおも苦しめようとし、希生に冤罪の賞金をかけ、エサイアスを何らかの手段で寝返らせ、結果的にヒューゴと本気で戦うことになった。
その決闘自体は、最強を志す剣士同士として、大いに意義あるものではあった。
が、それはそれとして、親友に殺されかけ、親友を殺しかけた――その咎はイリスティーナに求めるよりほかにない。有体に言って、赦しがたい。
決闘をするならするで、何の強制もなく、ただふたりの意志のみで臨みたかったのだ。
だから今、希生は、イリスティーナを殺すために走っている。
その異様な雰囲気に、野生の動物や魔物の大半には逃げられ、襲ってくる一部の魔物は鎧袖一触に蹴散らしながら。
怒りを足に沈めて駆け、憎しみは手に宿り、魔物相手に八つ当たる。
だが滑るような縮地の疾駆に、怒りもどこか上滑り。憎しみに震える手は剣をブレさせ、魔物は斬られたというより鉄の塊で殴られた傷で死ぬ。
怒りも憎しみも、確かに本音の感情なのに、何かが間違っている。
何が違う? 何が正しい?
アイオーンに聞いてしまおうか、とも考えた。
彼女とは念話回線で心が繋がっている。ある意味、希生自身よりも希生をよく知ることができる立場にあるのだ。
だが聞いてどうなる? それで納得できる保証はあるのか?
人は見たいものを見て、信じたいものを信じる生き物だ。自分もそれは同じだろう――希生は思う――彼女の告げた真実が気に入らないものであったとき、受け容れられるだろうか。
更に恐ろしいのは、彼女がそんな希生に忖度して、耳に優しく甘いだけの言葉を述べる危惧だ。
「失礼なー。そんなことしないんですよう! たぶん」
「正直でよろしい」
アイオーンとて、ここまで深く人と思い合うのは、希生相手が初めてなのだ。
絶対の自信も絶対の答えも、持ち合わせがあるまい。「たぶん」としか言えないし、それをちゃんと言ってくれる。
ありがたい。
さて、つまり答えは自身で出さねば――と思うや否や、心眼に気になる気配が引っかかる。
ヒューゴとの戦いを経て更に成長し、射程と深度を増した心眼にだ。
それは人間と、それを背に乗せた走竜であった。
鉢合わせないようにと迂回を始めたところ、どうやら向こうもこちらに気付いたらしく、迂回先に進路を合わせてきた。
ならば仕方ない。やがて肉眼で互いを捉え、接近し、会話のできる距離で止まった。
まず改めて理解するのは、走竜の威容。
普段町中などで見かける走竜は、馬ほどのサイズのラプトルめいた恐竜の様相なのだが、今眼前にいるのはそれより一回りか二回りほど大きく、四足歩行をしている。
かと言って四足に特化したわけでもなく、鋭い鉤爪を持った前足は手としても使えそうだ。
そして鱗の上に板金の鎧を着ていた。単なる移動や運搬の手段ではない、騎士が戦うための竜。
相変わらず翼はないが。
そんな走竜に乗るのは、どこか熊を思わせるような、野性味の強い偉丈夫。
ぼさぼさに伸びた暗褐色の髪を顔の出た兜に詰め込み、黒地に金縁の豪奢な鎧の上から、連なる花々と剣の紋章が入ったサーコートを纏っている。
エサイアスの装備と同じ紋章。やはりグラジオラスの騎士か。
先に口を開いたのは偉丈夫だった。
「アイオーンどのそのままの風貌! お前がキキ・ムトーだな! 俺はイリスティーナ辺境伯閣下に仕えるグラジオラス七騎士、序列4位、ヤルナリ・ヴァーナネン!」
「あっはい、わたしは武藤――」
「お前がここにいるということは、エサイアスの奴めはやられたか! 何とも不甲斐ない奴よ。それともドンケツの序列7位では仕方のないことかあ?」
「序列とか新しい設定いきなり――」
「この俺を彼奴と同じと思うなよ! 七騎士で最も『騎兵』として完成されている、このヤルナリさまをな!」
「でも序列は4位止まり――」
「フッフッフ、どうせエサイアスめの手には余るだろうと一直線に進んできた甲斐があったわ。いざ尋常に勝負!」
「会話しよ?」
この一方的コミュ障っぷりこそが、いまいち序列上位に食い込んでいけないことの原因なのではあるまいか。
希生は訝しんだ。




