第69話 ヒューゴ
背骨を断たれたように、ヒューゴは膝をつくことすらできず不格好に座り込んだ。
俯いて咳き込み、血塊を吐き出す。
口からのみでない、胴体からも流血はあるようで――むしろそちらの方が深刻そうだ――鎧の中に溜まった血が、竜革の隙間から溢れ出してくる。
「キキ、お前、の……! ぐ、勝ち、……は、はあ……! だが、いったい……!」
手から落ちた大剣を最早気にすることなく、希生は彼を見下ろして述べた。
「鎧をすり抜けて、中身を……」
「そん、な……ことが!?」
顔を上げたヒューゴの、兜のバイザーを勝手に開ける。
血に濡れ、そして驚愕に見開かれた目があった。
「硬くて斬れなくても、武器を叩き付ければ衝撃は通る。だから全身鎧相手には鈍器が本来定石……だけど……剣の衝撃を、その鋭さを拡散させず保ったまま通せたら?」
その手のフィクション作品などで、希生は知っていた。例えば重ね当て、例えば浸透勁、そういった『触れた内側に衝撃を通す』技を。
剣を押し付けて、その上で波の運動量を鋭く送り込めば、片手持ちの剣で重ね当てが可能。強く押し付けた剣は、衝撃を散らすクッション性を相手の鎧や表皮から奪い、故に衝撃は素通りする。
その上で魔力もそこに浸透させれば完璧だ。
希生の魔力は属性がない。得意も苦手もなく、あらゆる存在と親和できる。
だからこそ周囲の全てを手に取るように知れる心眼なのだが、それだけで終わるはずもない。
自らの力とも親和し、鎧の向こうに通るべき衝撃の形を維持する助けとなった。
それがなくても、斬り裂くか殴り潰すかの違いで、結果は変わらなかった気もするが。
しかしともあれ、
「透し斬りだ」
「は、は……! はは……!」
すり抜けた斬撃が、彼の胴体を袈裟懸けにしたということだ。
肺も、筋肉も、背骨も。
「装備の差が活きる、今なら……と……! だが……最早、そんな次元ではなかった! ははは、キキ! 俺は今、とても……嬉しい……! 何が嬉しいってキキ! お前――『計画してなかった』だろ!?」
笑いながら震える左手を伸ばしてきたから、アイオーンを納刀し、残る右手でその手を取る。
そこから引き倒すなり投げるなりして戦う力など、彼にはまるで残っていなかった。
「そんな予兆……全く『聞こえ』、なかった……! 俺みたいに、心を閉じて……はあ、はあ……どうにかなることじゃ、ない! 身を任せたんだ……お前は……! これまでの全てに!」
希生は静かに頷いた。
重力を最大限利用する永劫流において――少なくとも希生の今の階梯では――空中戦は余技であり、全力を発揮することができない。
踏み崩しは不意打ちだから通じたのであって、ヒューゴは同じ手を二度喰らう愚者ではない。
最後の激突で下手に跳べば、今頃立場は逆だったろう。
地上戦をするしかなかったのだ。
その上で『象の聞こえ』を破るには――思考を読まれて対処されることを防ぐには、『思考しない』ことしかなかった。意識は生体振動に表れるからだ。
無意識に文字通りに身を任せる、無念無想の境地。
しかもそれで、反復練習で身に付けたことを反射的に繰り出すという形でなく、全く新たな技を繰り出すという異常事態を希生は引き起こした。
「俺、が、お前を……! そこまで追い詰めたから……!」
その通りだ。
尋常で勝てぬからこそ、異常という奇跡が生じる。
希生を押し上げてくれたのは、紛れもない、ヒューゴの強さなのだ。
だから、
「ありがとう。ヒューゴ」
「はは、ははは……! ああ……いい……気分だ。最高だ」
常に大きくハッキリとしていた彼の声が、小さく、そして震えた。
これで良かったのか、とは問うまい。良かったに決まっている。
戦う前には泣いたヒューゴが、今は、晴れやかに笑っていた。
希生もまた、同じ笑みを返す。
この時ばかりは、涙は要らない。
「回復しようか?」
「効かないと……思うぞ……」
それは、満足してしまったから?
もういいと思ったから?
生き続ける意志が、ないから。
格付けは成った。希生が上だ。
この条件で勝てないのなら、この先どう成長してもヒューゴは勝てない。
壁になれる機会は、これが最初で最後だったのだ。
仲間として、友としてはともかく、剣士としては、もうヒューゴは要らない。
誰よりもヒューゴ本人が、そう思っている。そんな、爽やかな顔をしていた。
男女としても、希生が手に入る見込みはない。
固執しても幸せにはなれるまい。
「しかしヒューゴはそれで良くても、ベルタには何て言えば……」
「いや……何も言う必要はない」
なぜと問う前に、ヒューゴが微かに顎をしゃくる。
そうして示された先を見ると、心眼の射程外に見知った姿があった。
象の聞こえは、空中に対応していない代わり、心眼より射程が遥かに広いのだ。
「ベルタ……!」
魔術師のローブを纏った赤毛の少女。
悪趣味なデザインのサークレット――「魔法封じですよう」とアイオーンが言った――と手枷を嵌められ、手枷から繋がる鎖をエサイアスが握っている。
随伴する兵たちは装備がバラバラで、どうやら臨時に雇われた冒険者らしい。
彼らは余裕を見せるかのように、焦らずゆったりと歩いて寄ってきた。
そして大股で数歩分ほどの距離を置いて止まる。
「先日ぶりですな、アイオーンどの」
銀色に輝く豪奢な鎧、連なる花々と剣の紋章が入ったサーコート、口髭を蓄えた厳つい顔立ち――エサイアス。
「盗人とその仲間同士をぶつけ、満身創痍となったところを纏めて片付ける手筈だったが……フッ、よもやこうまで上手くいくとは。手足が半分しかない姿、立っているのが不思議なほどだぞ」
「ヒューゴ……キキ……」
ベルタの揺れる声、切なげに響く。
「すまんな」「ごめん」
ヒューゴと希生の声が重なった。
するとふたりで顔を見合わせ、同時に苦笑をこぼした。
それを見てベルタは、笑えばいいのか泣けばいいのかと、左右非対称の引き攣った表情を浮かべる。半笑い。
空気は、思ったほど重くはなかった。
「おい! 私を無視するんじゃあない!」
エサイアスが吼えた。
希生ら3人は白けた目で彼を見て、随伴冒険者たちは失笑を漏らす。
それでますますエサイアスが憤慨し、それを見て更なる失笑が漏れる悪循環。
騎士はコメカミに青筋を立て、歯ぎしりをした。
青筋ってあれマジに出るんだ――と希生は感心した。
その冷めた視線が、またもエサイアスを怒りに駆り立てる。
希生が呆れて溜息をついたころ、エサイアスはベルタに繋がる鎖を引き、彼女を乱暴に抱き寄せた。
セクハラではない。もう片手で剣を抜き、首に刃を添わせるためだった。
ベルタと随伴冒険者らに緊張が走った。
ただ希生とヒューゴのみが泰然。
一瞬苦々しげに顔を歪めたベルタだったが、ふたりの様子を見てすぐに落ち着きを取り戻した。
逆にエサイアスは、それを虚勢と受け取ったようだ。鼻で笑い、
「武器を捨てろ」
と、顎をしゃくった。
「イオは、捨てても従属異界で戻って来ちゃうけど……」
「戻ったところを手に取り迎撃するまでに、一拍の間があるだろう。それだけあれば、貴様を誅するには充分よ。捨てるフリをして投げて攻撃、などとも考えるなよ……。足元に置くのもダメだ、軽く転がせ。
アイオーンどの、しばしご容赦いただきますぞ」
先ほど挨拶された時もそうだが、アイオーンは返事をしなかった。
「これだけ重傷の身に、随分と慎重な話だ。こっち片腕片脚だよ。ヒューゴも……じきに……」
「なのに立ち姿がブレぬ……。ヒューゴはともかく、貴様はな、キキ・ムトー。実際に何かできるとも思えんが、警戒するに越したことはない。注意一秒、怪我一生だ」
その言い回し、こっちにもあるのか。
「そもそもこちらには人質がいるのだぞ! 貴様らこそもっと緊張感を持て! 早く武器を捨てるのだ!」
希生は肩を竦めると、帯からアイオーンを鞘ごと外し、手を放した。
地面に落ち、軽い音を立てて転がる。
「ではこっちに――」
来い、と言おうとして、エサイアスは咄嗟に剣でアイオーンを打ち払った。
いつの間にか眼前に飛んできたアイオーンを。
「なッ……」
体内で重心を引き上げて一気に落とすことで、不動のまま足元に体重を叩き付けて衝撃を開放、地を揺るがす震脚の技。
鋭い衝撃にアイオーンは鞘から飛び出し跳ねて、エサイアスの顔に刺さらん勢いで飛んだのだ。
ヒューゴが竜刀と希生の切離した足とをどかすのに使った技なのだが、遠目で監視していた彼には、普通に蹴ってどかしたようにでも見えていたのだろうか。この手を警戒する様子がまるでなかった。
転がした時点で、もうアイオーンから意識を切っていたのだ。
あまりにも無防備だったから、彼がどうかわすか、希生は計算できた。
そしてその結果、アイオーンがどう弾かれ飛ぶかまでをも。
エサイアスは、ベルタに突き付けていた剣を使った。ベルタの生命の危険は遠ざかった。
魔法封じのサークレットが、弾かれたアイオーンの切先が引っかかるようにそれを斬り、壊れて落ちた。彼女自身には傷ひとつなく。
「凍てつけ!」
ベルタの冷気が、爆発的に噴出した。




