第68話 ――
希生は左前腕を半ば斬られつつ開放骨折、右脚を膝下で切離。竜刀は奪われ、鎧を突破できないアイオーンが右手にあるのみ。
ヒューゴは右肩を腋の下から抉られ破壊され、だがそれを為した竜刀をそこに挟み奪った。体勢を崩され地に叩き付けられた衝撃は、それによる眩暈は、既に抜けているようだ。
ヒューゴの足元に、彼の肩から落ちた竜刀と、そして希生の右足とが落ちている。
彼は不動のまま、体内の重心操作で自重を一気に足元へと叩き付け、衝撃を開放、地を揺るがし、邪魔な竜刀右足を左右へ跳ね飛ばした。
それは隙ではなかった。もし今希生が不用意に斬りかかっていれば、その震脚の威力を乗せた斬撃に襲われていただろう。
気を研ぎ澄ませねばならない。意を純化せねばならない。
隙と思ったから突くのでは、それは相手に動かされている、囚われている。
自らで切り開く必要があるのだ。
そうでなくては勝てない。
ヒューゴは肩の利かぬ右手を捨て置き、左片手で握った大剣を、左肩に担いだ。
それは『既に振り被っている』構え。あとは左手を振り下ろすのみで、肩を支点に剣が回転、切先が長い助走を経て莫大な威力を発揮する形。
平時には抜き身のままで体力を温存する持ち方であることから、彼はこれを休みの構えと呼ぶ。
攻撃の術理としては雄牛の構えに近いが、長時間疲れずに構えていられる点で優れる。
睨み合いになればヒューゴが有利ということ。回復魔法を受けながらなお、希生の方が失血は深刻なのだ。もともと小柄なことも相俟って。
もちろん、そんな勝ち方が本命ではないだろう。片手で最大の攻撃力を発揮するための選択に違いないが、同時に持久戦を意識していないわけでもないハズだ。
すなわち、攻防共に隙はなし。
一方の希生は、アイオーンを鞘に収めていた。鍔鳴りの音すらない静寂の納刀。
右手はそのまま柄を握り、左手は鞘を握っていた。
序盤で左前腕を破壊されたが、幸いなことに神経は繋がっている、手指は動く。でなくば竜刀での攻撃も不可能だった道理。
もちろん腕力は死んでいるから、握ったものを握り続ける力は弱いが。
左片足での直立、中途から先のない右脚はそれに寄りそうように。
正中線を真っ直ぐに向けた正対の姿勢。
「居合……!」
ヒューゴが唸った。
「昔師匠に聞いたことがある! 曲刀にはそういう技があると! 鞘に収めた状態から、既に剣を抜いている相手より早く抜き放ち斬る!
だがそんなことが本当に可能か!? 可能だとして、俺に通じるか!? キキ! もちろんお前のことだから、何らかの勝算はあるんだろうが……!」
その勝算を読めない、と言外の様子。
確かに、居合とは元来は不意打ちに対処するための技であって、真っ向勝負で使うようなものではない。
わざわざ納刀してから斬るより、最初から抜刀状態でいた方が面倒がないに決まっている。
よしんば居合の方が威力も速度も上回るとしても、それでもなおヒューゴの体格と身体能力と大剣の重さには、普通に考えて敵わない。
剣をぶつけ合うのではなく、かわしてから斬る? だがリーチの差がある、希生がかわしてから一撃を見舞うまでに、ヒューゴはもう一撃を繰り出せる。
それすら掻い潜ったとしても――そもそもアイオーンでは竜の鎧を斬れない。兜の視界確保用の隙間を通す以外には。そしてそんな小さな隙間を、どれだけ不意を突かれてもヒューゴは通さない。
ならば合気か。先ほど踏み足で姿勢を破壊したように、剣を通して合気をかける気か。
もし居合の方が普通に振るより速いとするなら、それは斬られる前に確実に触れて合気をかけて崩すため。
そういうことか。
だが最早同じ手は喰わない。もう油断しない。
追い詰められて至ったこの極度の集中力ならば、合気の波を大地へと受け流して無効化することは充分に可能。
勝てる! 俺は勝つ!
――と、ヒューゴは考えているだろう。
希生は思いながら、静かに呼吸を繰り返していた。
深く濃い呼吸。一度肺の中を全てカラにして、新鮮な空気で満たし直す。生まれ変わるような呼吸。
多量の酸素を全身に送り出し、筋肉を活性化、精神を研ぎ澄ます。だが心身は強張らず硬くならず、どんな動きにも移れる自在な柔らかさを宿す。
気を高め、意を純化し、力を錬る。
その生体振動をヒューゴが読み取ったことを、言語化不能なほど微かな彼の気配の変化から希生も感じ取った。
そして希生が感じたことを、ヒューゴも感じ、それをまた希生が感じる。
まるで、ふたりでひとりになったよう。
想い交わる。
微笑みがこぼれた。
最後まで、と彼は言った。ああ、彼は、止まらないのだろう。
人質のことすら半ばは口実。彼はずっと、希生と戦いたかったのだ。
命をやり取りしたかった。
殺したいとか殺されたいとかではなく、殺してもいいし殺されてもいいから、本気で全身全霊で、勝敗を競いたかったのだ。
最強の剣士を志す者として。
最強の剣士を志す希生を、支えたい者として。
何という愛だろう!
女として応えることはできない。アイオーンのほかには要らない。
だが、剣士としては。
もう言葉はなかった。ふたり同時に踏み込んだ。
希生は片足だったが、異能めいた重心操作でその足を地面についたまま浮かせ、摩擦抵抗を消し地を滑る。『水平に落下』する。
迷いはない。正しい立ち方歩き方を極めてきた自分ならできると思ったし、できた。
ヒューゴが大剣を振るった。
左手を振り下ろし、剣先は肩の後ろで跳ね上がって、頭上で弧を描き、そして正面に振り下ろされる。
希生の右肩から左腿までを分けよう太刀筋。
分かり切っていた太刀筋、それでもなお重く速く、そして無理に避ければ転倒して詰む。片足の限界。
刃が迫る。剣風が肌を撫でる。鋼の熱さすら感じる――
希生は鯉口を切り、抜き放った。
いっそ涼やかなほどの金属音が響き、大剣が跳ね返った。
腰を切り左手で鞘を引くのは、剣を抜くためのみではない。
その鞘引き動作自体の反動が右手に伝わり、剣を加速する。
居合とは――剣を持つのは片手だが、しかし両手で剣を振るう技なのだ。その上で腰を切り、全身で振るう技でもある。それをヒューゴは知らなかった。
希生も知らなかった。
二刀流での経験から、当たりをつけて試してみただけだ。
片方の剣を振るうとき、反対側でもう片手の剣にも力が通る感触があった。それに賭けた。
ヒューゴの剣は片手しか使わないもので、右腕はデッドウェイトに過ぎなかった。その分のブレがあった。速さと重さはあっても、不完全だった。
希生の剣は両腕を使うもので、全身を余すところなく注ぎ込んだ。純粋なものだった。
代償に、既にボロボロだった左腕は負荷に千切れ、後ろに落ちたが。
「ッ――!?」
バカな、と言う暇もあるまい。
がら空きとなったヒューゴの懐へ、希生は侵攻した。
振り抜かれたアイオーンが、虚空で跳ね返るようにしてヒューゴの胴へ袈裟懸けに向かっていく。
視界の端。
居合で弾いた竜大剣には、僅かな傷があった。剣よりも薄い鎧であれば、突破できるかもしれない。
それをヒューゴはどう見たか。鎧を突破したとして、結局はそこで力尽きて肉を穿つには至らぬと悟ったか。
剣を引き戻そうとしながらも更に前進してきた。多少斬られても同時に体当たりで崩し、そこにトドメをくれるつもりだろう。捨て身。
アイオーンの刃が、竜鎧の、胴体の板金と出会い――斬れず――
「がはッご、ぉ……!!」
ヒューゴが鮮血を噴き出し、その場に崩れ落ちた。
「――斬った」




