第65話 好きだ!
俺と戦えと。ヒューゴは。
それから彼は返事を待つように何も言わないし、アイオーンも希生に任せるかのように何も言わない。
肝心の希生は、何も言えない。
頭が真っ白だ。
誰も言葉を発さない間――だが静寂とは程遠い。
胸の奥で心臓がうるさい。呼吸は浅く速い。体は確かに重力を意識して真っ直ぐに立っている感覚があるのに、視界は歪んで揺れているよう。
心眼を使うまでもない。分かる。
ヒューゴは本気だ。嘘でも冗談でもない。敵を騙すには味方から、ですらない。
それでも一縷の望みにかけて縋るように思考盗聴を行い、分かっていた通りの答えを得る。
盗聴の不快感を、ヒューゴは柳に風と受け流していた。
「ふ、ふたりで……助けに……」
「さっきも言った! 無理だ! ベルタはエサイアスに捕まってこの町にいるようだが、それを助けに行けば、俺とベルタの家族が殺される! 家族を助けに行けば、到底間に合わない、両方とも殺される!」
「詰み……」
「そういうことだ!」
ヒューゴも絶望している。
なのになぜ、これだけいつも通りの態度を貫けるのか?
いや、分かっている。その心にあるのが、絶望だけではないからだと。
「だがこれは、いい機会だとも思っている! キキ! お前と戦うためにな!」
ヒューゴは、暗く輝く希望を抱いていた。
「いい機会って……」
「お前は強い! 俺が10年以上修行して到達した領域を、お前は半年も経たずにあっさりと超えた! 天上七剣たるアイオーンの教えがどれだけ凄くても、キキ自身も凄くなければ、そんなことはできないはずだ!」
確かに希生には、教えをそのまま吸収する素直さと、そして死中に活を体現する圧倒的実行力とがある。
単なる空っぽの器ではない。死んで蘇ったことで得た、ズルのような才ではあっても。
「そしてこれからも、成長は止まらないだろう! お前は最強の剣士になる! 俺を置いて!」
「いやヒューゴだってかなり天才じゃん!? 自力で縮地に辿り着いていた……! 今はわたしが立ち方や歩き方を矯正もして、磨きをかけて……!」
「だからだ! お前の矯正を受けている時点で、俺はお前を超えられない! 俺は……俺はそれが……!」
悔しいでも、悲しいでも、腹立たしいでも、妬ましいでも、ない。
「俺はそれが申し訳ないッ!」
血を吐くように、ヒューゴは叫んだ。
歯を食い縛り、拳を握る。
「俺は常に必ず、お前より一歩劣る! お前の壁になれない……! 切磋琢磨する好敵手になれない! 冒険者の仲間としては並び立てても、剣士として並び立てないんだッ!
お前がより強くなるための、大切な『敵』にッ! お前を死へ追い詰め、更なる段階へと押し上げる『贄』に……ッ!」
泣いていた。滂沱。
それですら、彼の大きくハッキリとした声は揺れない。
一本の剣のように、全てを貫き通す意志力。
「何で……そこまで……」
剣士として勝てないことを悔しがるなら分かる。嫉妬が憎悪に変わるなら分かる。
だが違う。違うのだ。
自分のためよりも、まるで希生のために生きている。
「分からんか!? なぜなら、キキ! 俺は! お前が!」
ヒューゴは一度深呼吸を挟み、そして、言った。
「好きだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ヒューゴの心が入ってくる。
感情があまりにも強過ぎて、思考盗聴『させられ』ている。
彼は希生を仲間として好きで、剣士として好きで、友として好きで、そして何より、恋愛的な意味で好きなのだと。
「いや、あの……ヒューゴさん?」
「うむ!」
「わたし男だって言ったよね……?」
「今は女だろ!」
「そりゃそうだけど」
そして戻る見込みもないけど。
「ならいいだろ! 別におかしくはない! 知り合ったのも女になってからで、男のときの姿なんて見たこともないしな!」
「そりゃそうだけど!」
混乱する。頭の中が真っ白から、ぐちゃぐちゃに変わる。
こいつはいったい何を言っているのか。いや、言っている意味は分かるが。
なぜ、今、それなのか。
「好きとか嫌いとか、今それ大事……?」
「大事だ!」
ヒューゴは迷いなく言い切った。
「最初に目にした時から気になっていた! お前が心眼を覚えてからは、バレないよう必死に、心の中に部屋を作って鍵をかけたよ!」
確かに、ヒューゴから希生への好感がロヴィッサより高いと感じたことはある。
だが好感の中身までは分からなかった。普通に友情だと思っていた。
「だがもういい! もう、隠す必要はない!」
「何で……ッ」
「ここから先はないからだ!」
背負う大剣に手をかけた。
左肩の上に出ている柄を右手が掴み、背中から頭の上で旋回させるようにして、一気に引き抜く。
刃に巻き込まれないよう、希生は咄嗟に下がった。
「俺はキキを好きだが、家族は捨てられん! 戦うしかない! その時点で、どちらか、または両方が死ぬ! そして今しかない……! 俺がお前に勝ち得るのは!」
家族、とヒューゴは言った。そこにはベルタも含まれていた。
彼女は既に家族だった。距離が近過ぎて、かえって恋愛対象にできなかったのだろう。
「分かっているぞ、キキ! 今のお前の魔力では、アイオーンの切れ味は竜装備には及ばん! 竜の全身鎧を纏った俺に通じるのは、同じく竜の刀のみ……! つまりそれ一刀で戦うのが最適解だが、お前はアイオーンを手放せない!
このここ一番で、たった1日しか経験のない二刀流を強制されるということだ……! 技量でほんの一歩遅れを取っているだけの俺に対して! それがどれだけ重く、勝敗の天秤を傾けることか!」
そう言われればその通りだ。
ヒューゴの鎧は、竜革と、そして竜爪鋼の板金との2層構造。手や関節部などは可動性のために板金に覆われず革だけだが、それでさえもうアイオーンでは歯が立たない。
板金部分ともなれば、竜刀を使ってもなお弾かれ得るだろう。
これから先、希生が成長して魔力――アイオーンの切れ味が高まれば、竜の鎧はいずれ何の防護にもならなくなる。
そうでなくても、二刀流に習熟すれば、竜刀で普通に勝ててしまうだろう。
装備の差が活きる今、今こそが、最初で最後なのだ。
だからヒューゴは――戦うしかないから、ふたりで生き残る道はないから、それならば、と。
「もし……わたしが勝ったら?」
「おめでとうと言って死のう!」
「じゃあヒューゴが勝ったら?」
「死を以て、お前を俺の永遠としよう! そしてアイオーンを貰い、俺が最強の剣士になる!」
視線はヒューゴから動かさないまま、アイオーンに意識を向ける。
「あんなこと言ってるけど。イオ」
「アイオーンは道具で、常に『その時の持ち主』のために在るモノですけど。希生は――希生が、最後の持ち主ですよう。もし希生が死んだら、アイオーンは眠ることにするですう。覚めない眠りに」
「それは羨ましいな!」
ヒューゴは笑って、先の涙を拭い、兜のバイザーを閉じた。
それから大剣を両手持ち。左右前腕を交差させ、柄を頭部の右横に、切先は高い位置で相手に向ける――雄牛の構え。
もし希生が既に覚悟を決めていたなら、涙を拭きバイザーを下ろそうとするその間に、あまりにも無防備な瞬間に、刃を刺し込むことができていただろう。その一撃で決めることが。
そんな覚悟ができるわけもない。
ヒューゴを斬る? あり得ない。
だがこの戦いを制さねばベルタや彼らの家族は――いや、解放されるのはヒューゴが勝った場合であって、希生が勝てば希生に対する人質に変わるだけだ。
ならば大人しく殺されるか? まさか。アイオーンとふたり、幸せに生きていくのだ。
ではそのために、ヒューゴを斬り、ベルタを見捨てるのか?
思考が散らかって、安定しない。
ヒューゴは仕掛けて来なかった。いつでも動き出せるように、しかし、微動だにせず。
待っているのだ。
それはまるで、逆に、いつでも殺せるとでも言わんばかりに。
当然のことだ――覚悟を決めたヒューゴが、混乱したままの希生を下すなど、造作もないこと。
もし彼が痺れを切らしたなら、その瞬間に希生は死ぬ。
(死ぬのか。わたしは)
ヒューゴにやられるのなら、悪くはない。
悪くはない、が――それは、死力を尽くして戦った末の死でなくば、真に納得はできない。
死を想う。死の恐怖が、『今は生きている』という絶対的な安心感に繋がる。
安心は意識を明瞭に晴れ渡らせ、思考を整えた。
優先順位を間違えてはならない。
まず己、次にアイオーン、第三に仲間たちだ。
視界の揺れが治まった。感覚はどこまでも広がって、しかしヒューゴという一点に収束する。身の強張りを生む余計な力が全て抜け、より理想的な立ち姿への純化に至る。
今希生はひとりの人間でなく、天と地との間を結ぶ柱のように、静かに、だが内に底知れぬ力を秘めて立っていた。
剣を抜く。右にアイオーン、左に竜刀。銀と赤との刃。
視線を絡める。兜で顔が見えずとも、彼が微笑んでいるのが分かった。
自分が同じ顔をしていることも。
「キキ――来い! 行くぞッ!」
「ああ。ヒューゴ」
同時に重心を崩し、地を蹴る音すらなく静かに、だが何よりも早く、互いへと踏み込んだ。




