第64話 俺は待っていた!
雨は翌朝には止んでいた。
従属異界から適当なものを取り出して朝食を終えると、ついに南西の城壁を目指して歩き出す。
西区域で住民に絡まれることはなかった。
貧しいからこそ、一発逆転を狙ってキキ・ムトーを血眼になって探しているかもしれない――と考えていたが、そんな気配すら昨日からないまま。
貧しいからこそ、高望みができない。夢のような栄達を夢見ることもできず、そんなことより今日のパン、であるらしい。
そもそも冒険者などの戦える者自体が少なく、超高額賞金首を狩れる自信のある者など更に少ない、という現実もあるようだが。
何にせよ助かった。
昨日の狂騒を経験した今の希生は、きっともう、賞金稼ぎを殺すことに躊躇を持てない――そう自覚していたから。
社会的な立場としてこちらは犯罪者なのだから、それを合法的に狩る人々を殺すのは忍びないと思っていたが、あれだけ不本意に殺させられれば、箍のひとつやふたつは外れてしまう。
それでも忍びないと思う気持ちは変わらないから、だから、助かった。
廃屋を出て、雑然とした通りを抜けていく。並ぶ家々は、同じような廃屋だか、それとも誰か住んでいるのか、外見ではそれすらロクに分からない。
ローブとフードで人相体格を隠しても、肉体年齢13歳から来る身長の低さは誤魔化せない。如何にも怪しかろうに、まともに関わろうという者はいない。
スリや人攫いはいるが、心眼で素早く察知して簡単に回避できてしまう。
西区域を南へ行く。すると南区域に近付く――東区域ほどではないが、商業の栄えた区域だ。
冒険者も多い。希生を探す賞金稼ぎが増える。
また昨日のように見破られて戦闘に入りたくはない。希生は目立ち過ぎない程度に、しかし迅速に人の間を縫って駆け抜けていく。
ふと気付く。心眼の範囲に入る冒険者たちの中に、エサイアスに直接指示を受けた者が混じっている。思考を探ればすぐに分かった。
どうやら純粋な賞金稼ぎではなく、希生の所在についての情報提供でも、ある程度の謝礼を受け取れるらしい。
そして、明確にこの『ウショブ市の南西区域辺りを探す』ように言われている。
――バレているのか? 行先が、現在地が、大雑把にとは言え。
それとも全区域に対して、それぞれの担当を送り込んでいるだけか?
手先の思考を読んでも、そこまでは分からない。
(希生、心眼は控えめに。めちゃくちゃ便利で強力な技ではあるですけど、思考盗聴は相手に違和感や不快感を与えるですう。大勢を読めば、その位置を照らし合わせてこっちの位置を読まれ得るんですよう)
(それもそうか。となると、思考盗聴はカット。動きを見るだけなら気付かれないから、なるべく怪しい動きだけピックアップして……)
ここまでエサイアスの手先を心眼で見てきて、その動きの癖は掴んだ。あとは挙動を見るだけで区別できる。
普通の賞金稼ぎは『希生がこの町のどこかにいる』としか知らないため多少気が抜けているが、エサイアスの手先は『希生がこの近辺にいる』つもりで、気を張って歩いているのだ。
もちろん思考盗聴しないのみでなく、直接目視されないことも重要である。
心眼の射程、半径約200m――手先の存在を赦すのは、そこから100mまでの外周部だけだ。半径100m以内には彼らが入ることのないよう、通る道を次々と替えていく。
その不規則な移動は最短距離を行けないことも意味したが、急いては事をし損じる。
今は焦らず、決して発見されることなく慎重に、と己に言い聞かせた。
しかししばらく経ち、違和感に気付く。
(イオ、これって……もしかして……)
(うん。誘導されてるっぽい気配なんですよう)
エサイアスの手先を必ず避けるのなら、道をひとつ残して手先を配置されたら、必ずその道を選ぶということだ。
手先のひとりひとりは理解していない。ただ『この辺りを探せ』と送り出されたのみ。
手先に対する頭脳たるエサイアスの描いた絵図だろう。
(避けるのやめて、強行突破するですう?)
(……いや。このまま行く)
明らかに、こちらの位置を正確に把握している誘導だった。把握しているのに、なぜ直接来ない? 何か罠があるのか。
だとしたら、それを確認してからでも遅くないのではないか。
手先を避けながらとは言え、およそ南西に向かうことはできていることもある。
ここで騒ぎを起こして、逆に城壁に辿り着けなくなっては不味い。
その思考こそが敵の罠かも知れないが、裏の裏まで読もうとしたらキリがない。
そうして動けなくなるよりは、多少危険でも、ある程度決め打ちして動いた方がいい。
だから希生は大人しく誘導され、やがて公園に辿り着いた。
広い公園だ、心眼で全てを捉えられない。木々や遊具はあるが疎らで、見晴らしがいい。
園内に伏兵がいるようには見えないが、こちらが逃げ隠れする場所もない。公園の外から雪崩れ込んでくるのだろうか。
踏み入るのを一瞬躊躇った、その時、不意に声が轟いた。
「こっちだ!」
ヒューゴの声だ。公園の奥から聞こえた。相変わらず大きくてハッキリした声。
声の方向と視線を正確に合わせて見れば、心眼のギリギリ射程外に、確かに彼がいる。隠れていた樹木の陰から出てくるところのようだ。
良かった! 生きてた!
声にならない声を上げながら、希生は走った。
公園が伏兵に包囲されているかも――というのは杞憂だったらしく、敵が現れる様子はない。ここにいるのはヒューゴだけだ。
気が逸っても、重力と脱力を利用する効率的な縮地走りは崩れない。
疲労の殆ど溜まらない歩法だが、それでもヒューゴの眼前に辿り着いた時、希生は肩で息をし、心臓も爆発するように打っていた。
いきなり走って息が切れたわけではない。心が跳ねて、感情が溢れ出そうと暴れている。
「ヒューゴ! ヒューゴ! 良かった……本当に……!」
思わず彼の手を取って強く握った。ざらざらとした竜鱗の感触――竜革籠手だ。
ヒューゴは竜の全身鎧を纏っていた。それを隠すローブなどはない。
あれからずっと戦っていたのだろうか。
と思いきや、鎧はどこも血に濡れず、綺麗に輝いている。
ウショブ市は上下水道の整備された都市で、公園にも水道がある――汚れは洗い流したのかもしれない。
いや、そんなことはどうでもいい。ヒューゴが生きていた! 五体満足で!
今はそれが何より嬉しいのだ。
顔を見ようと思い、ぴょんと飛び跳ねて、兜のバイザーを勝手に上げる。竜の顔を模した兜、その口を開けるような操作。
露になったヒューゴの顔は、気難しげに顰められて、口は苦渋の味に『へ』の字を描き、けれど目元は確かに笑っていた。
途端、言い知れぬ不安に襲われる。
「……ヒューゴ?」
「キキ! 俺は待っていた! お前を、ここで……!」
何のために?
「ベルタとロヴィッサは? わたしは、探し出せなかったんだけど……」
「ロヴィッサは俺も分からん! だがベルタはエサイアスに捕まった!」
不安は恐怖へ、
「人質だ! 解放してほしくばお前を殺すに協力しろと……! ああ、何とかゴネて、タイマンの決闘って形で了承させたぞ! 終わるまで邪魔は入らんはずだ!」
「助けに……行けないの? 一緒に!」
恐怖は絶望へ。
「ベルタだけじゃないからな! 故郷の俺たちの家族にも、兵を派遣してるそうだ! エサイアスからの定時連絡が途絶えれば、その時点で……! 二手に分かれたところで、イシェイヤー市までの足がない! 無理だ!」
なら、絶望は? これ以上……
「俺と戦え! キキ!」




