第6話 ヤメ村へようこそ
ふたり(と一振り)で山を下りることになったわけだが、その前にやることがある。
ホブゴブリンの魔石の回収だ。魔石は魔物の核のようなもので、魔道具の原材料や動力源などさまざまに利用できる。売れば金にもなる。
モノがホブゴブリンならそこそこの価値らしい。ゆっくりと回収する余裕がないならともかく、今は回収していって損はないだろう。
さて、魔石は体内にあるのだが、具体的に体内のどこなのだろうか。
「やっぱり心臓とか?」
「心臓に石が埋まってたら、血が詰まって死ぬんですよう。そういう、魔石が変な場所にできちゃう病気も実際あるですし。普通は脳にあるものですう」
「脳に」
いや脳に石が埋まっててもめちゃくちゃ体に悪そうだけど……?
希生は訝しんだが、それがこの世界の生物では普通なのだろう。
そんなことより問題なのは、脳を割って中身を取り出すのは、相当に気持ち悪いということだ。
「置いてかない?」
「もったいないよ! 取っていきましょ」
アンヌは平気そうな顔をしている。
この世界の人間では、これが普通なのだろうか。
時々ゴブリンが村を襲うという話だし、返り討ちにしたときにはゴブリンの魔石を取っているのかもしれない。
これからも生きていくのなら、避けられないことだ。
そもそも既にこの手で剣を使って殺しているのだから、今さら気持ち悪いも何もない。
そう思うことにした。
「どうやれば?」
「ふつーに剣で頭を斬ればいいんですよう。骨は斬れて魔石は斬れないくらいに切れ味調整するですから、こう真ん中をぱくっと」
切れ味の調整までできるとは、つくづく便利な魔剣だ。
なお、アンヌにもアイオーンのことは紹介してある。細かいことはともかく、主に喋る魔剣としてだが。
実物を見るのは初めてだが、お伽噺や噂話にはそういったものが登場することもあるらしく、「すごいの持ってるのねー!」で終わった。
そんな凄い魔剣を持っているのに、魔石の取り方ひとつ知らない希生には首を傾げている様子だが、説明するのも面倒なので希生は放っておいた。
仰向けになったホブゴブリンの死骸の頭側に立ち、剣を振り下ろして頭部を真っ二つにすると、脳の奥で硬いものに刃がぶつかる感触があった。
刀身を返して、反りを使ってほじくり出すと、それは透き通った緑色の宝石のような石だった。形は楕円に近いが、歪にデコボコしている。
直接触るのは気持ち悪かったので、空間の穴を地面近くに開け、剣でつついてそれを潜らせた。浴びた返り血を除去したときと同様の選別収納により、脳漿や脳の肉片など付着した汚れだけを異界に送って綺麗にし、改めて魔石も異界にしまう。
汚れは空間の穴を振って吐き出させ、地面に捨てた。土をかけておく。
頭が左右に割れ、脳がこぼれ、瞳孔の開いた虚ろな目が別々の方向を向いている遺体があとに残った。相当に目の毒だ。
ここに捨てていくことになるが、タオルをかけて顔を隠した。
そして手を合わせて拝む。どうか成仏してください。
埋めていく時間はない、陽が暮れる前に下山したい。
「これで魔石はオッケー、っと」
「じゃあ次はゴブリン除けですよう」
地面について杖に使えるような太くて長い枝をその辺の木から切り取り、適当なタオルを巻きつける。そして布をホブゴブリンの血に浸け、滴り落ちない程度に水気を切った。ゴブリン除けの杖の完成だ。
ホブゴブリンの血の匂いがある程度以上に強ければ、それはホブゴブリンをそこまで負傷させた強者の存在を意味する。ゴブリンはもとより、ゴブリンに捕食されるその他野生動物も、警戒して近寄りにくくなるのだ。
ただし血の匂いが古くなると警戒心が薄れて効果が消えるため、その前に山を下りきる必要がある。
今の希生の実力では雑兵ゴブリンに囲まれると危険だし、アンヌを守りながらでは尚更のことだ。恐らく守りきれないだろう。
そういうわけで、準備が終わり次第、山を下りていく流れだ。
ゴブリン除けの杖以外には互いに着の身着のまま、これ以上の用意は必要ない。
下山を開始していった。
◆
道中は特に何事もなく、平穏に済んだ。
ゴブリン除けの杖が正しく機能してくれたようだ。
アンヌは近所の別の山に山菜取りなどでよく登るらしく、山歩きに慣れていたので、移動はスムースだった。
問題はむしろ自分――と希生は思っていた、何しろアイオーンから天狗下駄のまま行くように言われたので。転べば大怪我や滑落の危険もあるため拒みたかったのだが、騙されたと思って少しだけ、と押し切られてしまった。
しかし実際に歩いてみると、これは山歩きに適した履物だと認識を改めることになった。
やや高めの一本歯は、靴底を地面に密着させないため、坂道でも足裏を水平に保てるのだ。平地に近い感覚で歩くことができた。
もちろん天狗下駄で転ばないだけのバランス感覚は必要だが、数日の修行でそれは既に培われている。万一があっても、ゴブリン除けの杖という3本目の足がある。
最初に会ったときのアイオーンが、なぜ天狗下駄ではなくブーツを履いていたのか不思議なほどだ。
アンヌに余計な詮索をされないよう日本語で聞いてみたところ、「気分」らしい。気分なら仕方ない。他にも普通の下駄や草履や革靴などいろいろ持っているらしい。服も同様、普通のゴスロリもあれば着物もあるようだ。
ここ数日はずっと和ゴスを着ていたが、着替えもあったのか……。従属異界の選別収納により、汚れを落としていたので汚くはないが。
よく考えれば、体の汚れも濡れタオルで拭く必要はなく、選別収納で充分だったのではないのか? 希生は訝しんだ。しかし自分の体とは言え、大人と子供の狭間、僅かに幼くすらある少女の体を拭くのは正直ちょっと楽しかった。
山道に沿って山を下りること数時間。太陽が彼方に隠れてしまう前に下山は完了した。
この山道はかつて山がまだゴブリンに侵略されていなかったころの名残りであり、そのまま街道となって村へと続く。
やがて見えた村は、外向きの杭や丸太を組み合わせた柵で囲まれていて、門には槍を持った男たちが歩哨に立っていた。傍らには盾が立てかけてある。柵は一部が破壊されており、瓦礫の撤去もまだ済んでおらず、そこにも歩哨がいた。
アンヌが手を振って大声で呼びかけると、門衛のひとりが村の中へと駆け出し、残りが出迎えてくれた。
「アンヌ! 生きていたとは……」
「この人、旅人のキキさんが助けてくれたの。ねえ、父さん母さんは無事?」
「ああ、ホブゴブリンとやりあって怪我はしているが……命に別状はないそうだ」
アンヌの家族も死んではいないらしい。
良かったね。希生は漠然と思った。
そんな希生を、門衛がまじまじと見てくる。希生の次は、ゴブリン除けの杖を。これがホブゴブリンの血だと分かるのだろう。
「それでそちらの……キキさんだったか? ずいぶん若いようだが……」
「あ、どーも。旅の剣士の武藤希生です。村にはわたしも入れてもらえるんですか? 休みたいです」
門衛は問うようにアンヌをチラリと見て、アンヌは笑って頷いた。
「村の仲間を助けてくれたんだ、もちろん歓迎だよ。たまに行商人が来る程度で、宿屋のようなものはないが……」
「あたしの家!」
「だそうだ。何もない村だが、気に入ってもらえると嬉しい。ヤメ村へようこそ」
「よろしくお願いします」
にこりと笑って応じると、門衛の男も機嫌良さそうに笑った。少し鼻の下が伸びているような気もする。
そうこうしているうちに、村の中から中年の男女が駆けつけてきて、
「アンヌ! おお、アンヌ……!」
アンヌを抱き締めて諸共に涙した。両親らしい。
そこからはトントン拍子で話が進み、希生は彼女の家に泊めてもらえることとなった。
役目を終えたゴブリン除けの杖を従属異界に収納しながら、村へと入っていく。
外から見えた柵の規模は、村と呼ぶには広く感じられていたが、実際に入ってみてもなかなか広い土地があると気付く。大半が農地のようだが、人口もそこそこいそうだ。
家屋は木造の1階建てが主流で、唯一の2階建ては村長の家だとか。先のゴブリン襲撃のダメージか、崩れている建物もあった。
村に商店の類はなく、およそ月に一度のペースで行商人が来て、商品と作物や魔石やらを交換していくらしい。
軽く村の案内を受けながらアンヌ宅へと赴く。
旅の話を聞かれても答えられないので適当に誤魔化すうち、それも面倒になって、記憶喪失だということにしながら歩いていく。
やがてアンヌ宅で、彼女の両親と共に4人で食卓を囲むことになった。
献立はシチュー。現代日本の商品ほどの深みはない素朴な味だが、数日振りの保存食ではない食事に、希生は舌鼓を打った。
「しかし記憶喪失とは……そんなことが本当にあるんだなあ」
「ええ、自分でもびっくりです。どこでどう生まれ育ったものだか……。幸いにも剣の技は忘れていませんでしたので、これを頼りに旅をしようと」
父親は村を守る戦士衆の一員であるらしく、ホブゴブリンには及ばないものの立派な体格をしていた。今はあちこちに薬草の湿布を包帯でくっつけているが、五体満足だ。ゴブリンの群れと戦ってこれなのだから、実際に強いのだろう。もちろんほかに何人もいる戦士の仲間と連携しての結果だそうだが。
母親は無口で、しかしずっとにこにこ笑っている。アンヌが帰ってきたこともそうだが、希生が美味そうに食べるのも機嫌の良さの原因だろうと見えた。
山小屋でゴブリンに運ばれるアンヌを見かけ、ホブゴブリンを無傷のままただの二撃で瞬殺し、共に下山してきた話をすると、まるで子供がスーパーヒーローを見るような輝く目を向けられてしまった。
特にアンヌは、そこにいたにもかかわらず、気絶していて戦いの場面を実際に見ていない。そのためかえって想像が理想化してしまい、憧れが強くなるのだろう。
「それで、ウチにはいつまで泊まってってくれるんだい。娘の恩人だ、何日でも歓迎だけど」
父親がそう切り出すと、アンヌはこくこくと頷いている。
さて、実際どうしよう。とりあえず人里まで出ることを目的にして下山してきたはいいが、その後のことを全く考えていなかった。
元の世界に帰れない以上、この世界で生きていくしかない。そして頼りにできる特技は剣のみだ。
とすると、この村を守る戦士衆のように、戦闘の類を生業とするべきだろうか。ならばしばらくこの村に逗留し、戦士衆の仕事を見ておくのもいいだろう。
死にたくない希生としては、本当ならば戦闘はできるだけ避けたいのだが――そう頭では考えながらも、心ではどこか戦闘を求めている自分にも気付いていた。
死の恐怖故の、圧倒的な生の安心感。敵を殺したときの、不思議な満足感。
それは静かに、だが確実に、希生の心を侵していた。
ともあれ今は返事をしなくては。
(ここで戦士衆の仕事を見る。悪くない案だと思うんですようー。とりあえず適当に1週間を目処にやってみるです?)
なんかアイオーンが直接心に語りかけてきた。物理的に音は出ていない、自身の魂にだけ響いているのが直感的に分かる。
こんなこともできたのか……。
アイオーンがそう言うなら、これで決定してしまおう。
「そうですね、では1週間ほどお世話になってもいいでしょうか? そして戦士衆の仕事を見学させてください。剣士として興味があります」
「おお、あんたほどの剣士に見てもらえるなら、俺たちも身が入るってもんだ。明日さっそく戦士衆にかけあってみよう」
話はまとまった。
その夜は予備の布団が出され、アンヌの部屋で並んで眠ることとなった。
「ゴブリンが迫ってきたときは、ああ、もうダメなんだって思ったの」
アンヌは夢見るように述べた。
「本当にありがとう。……おやすみ」
助けなければと思い、助けた少女だった。
しかし助けた達成感よりも、今になってもなお、戦いの快感の方が遥かに大きく感じられる。
希生は目を閉じた。
◆
夢を見た。
希生はあの山小屋にいて、布団代わりの重ねた敷き布に横たわっている。
ふと重みを感じて目を開けると、すぐ脇にアイオーンの顔があった。
剣ではない、化身体の方だ。それでいて自分も元の姿なわけではなく、今の化身体の姿だと何となく理解する。
アイオーンは目を瞑って、安らかな寝息を立てている。希生に添い寝していた。
柔らかく抱きつく腕の重み。包み込まれるような温もり。甘くすらある吐息の匂い。
鼓動が高鳴る。心臓が口からまろび出そうだ。顔が熱い。
いつもの修行の夢ではない。いつもなら、基本の立ち方や歩き方をひたすら反復する夢を見るはずだ。睡眠時間も修行なんですようー、などと言って。
夢にしては感覚が鮮明だった。夢ではないのか? 現実なのか?
だが現実はヤメ村のアンヌの部屋にいるはずだ。やはり夢だ。明晰夢というやつだろう。
正直なところ、アイオーンの化身体の容貌は希生の好みだった。とても好みだった。自分がその姿になってしまい、嬉しいような残念なような複雑な気持ちだった。
今、自分ではなく相手として触れられるそれがここにある。
夢なら――何をしてもいいのではないか?
希生はそっと滑らかな頬に手を伸ばし、
「欲しいんですよう?」
アイオーンがその目を開けて、微笑んでいた。