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第53話 やっと見付けたのよ

エサイアス視点

 くすりくすりと、イリスティーナは笑っている。

 幽鬼のように立ち、心底嬉しそうに、あまりにも不気味に。


 エサイアスは肩で息をしている自分に気付いた。

 心拍を落ちつけようとする。難しい。

 脳を撫でられたような不快感が、まだ頭の中に残っている気がする。


「閣下、いったい……いったい、どうなさって……」

「……きっとメッセージなのよ。あの子からのメッセージ。自分を見付けてみてって言ってるんだわ」


 話が通じない。会話が成り立たない。目の焦点も合っていない。

 こんなことは初めてだ。エサイアスは困惑した。何がどうなっていて、何をどうすればいい?

 分かるのは、イリスティーナがこう愛しげに『あの子』と呼ぶのは、それはアイオーンを指しているということだ。

 だがアイオーンが、自分を見付けて欲しがるわけがない。妄想だ。


「閣下! お気を確かに!」


 エサイアスは、彼女の肩を掴んで小さく揺さぶった。

 目に焦点が戻ってくる。イリスティーナがエサイアスを見た。

 笑みが薄まって、しかし、消えはしなかった。


「……あら、エサイアス」


 まるで今存在に気付いたように言われる。

 事実、エサイアスの存在が頭からすっぽり抜けていたのだろう。それだけの狂態だった。

 しかし何とか引き戻せたらしい。主の肩から手を離し、一歩下がる。


「失礼いたしました。ご無礼をお許しください。しかし本当に、どうなさったと言うのですか。驚きましたぞ」

「だって……ンフフ、だってねえ、ようやくだもの。やっと見付けたのよ。嬉しくって」


 何の話をしているのか、エサイアスには分からなかった。

 いや違う。分かりたくなかった。

 イリスティーナが探し求めているものなど、ひとつしかない。


 だがなぜ分かった? 自分は何も言っていない。怪しまれることはあっても、確信には至らないはずだ。

 まさかキキのように、心を読むことができるのか。エサイアスの心を読んだのか。


 しかしイリスティーナの内臓魔石は雷属性だったはず。読心魔法を使える精神属性とは全く違う。

 稀にひとつの魔石が複数の属性を宿す事例もあるが、それは最初からそういう魔石として生じるのであって、あとから変化するようなことはない。

 そもそも精神属性は非常に希少だ。領の力が結集されているべきこの辺境伯旗下においても、使い手はたったひとりしか存在しないほどに。

 それだって呪文もなしに心を読むことはできないし、今は屋敷にいないはずである。


「何を……見付けたのですか?」

「昔あの子が教えてくれたのよ。生物は、無数のごく微小な雷が体内を走っていて、それで動いたり、ものを考えたりしてるんだ、と」


 また会話が通じなくなった。

 しかし目はまだエサイアスをしっかり捉えている。先ほどよりは正気らしい。それも危ういものだが。

 イリスティーナは自分の頭をつつくように指さした。波打つ金髪が揺れる。


「それを電気と呼ぶの。なら……脳の電気を読み取れば……心を読めるでしょう」


 やはり読心魔法だったのか。

 雷属性の読心魔法、そんなものが存在していたとは。

 しかしそれをアイオーンがかつて教えたのなら、なぜ警戒しなかったのか。エサイアスに正直な現状を全て話してしまったのか。


「私はずっとそれができなかった。意味がよく分からなかったし……微小すぎて感じ取れなかったわ。教わったのは13歳の頃……それから15年……まるでさっぱり。とっくに諦めていた」

「できるようになった、ということですか。つい最近に」


 そのせいか。

 アイオーンは、イリスティーナにそれができないままだと思っていたのだ。

 魔法を習得するに当たって、適性の影響は大きい。同じ属性でも、放出が得意な者、付与が得意な者、出力が大きい者、精緻な操作に優れた者、千差万別の適性がある。

 そして後天的に魔石の属性が変わらないように、適性も変わらない。

 イリスティーナには読心魔法の適性がない。そう考えるに充分な時間の積み重ねもあった。


「あの子が去って、悲しくて……とても悲しくて……どうしてって、ずっと自問自答して……自分の心の内に沈んで……そうしてるうちにね。ふっと、できるようになったのよ。自分の心を形作る電気が分かるようになった。他人の意識の表層を読めるようになった。触れれば、もっと深く……記憶さえ……」


 先ほどエサイアスの頭に触れたのが、それなのだろう。

 脳が電気で動くなどと言っている意味はよく分からないが、つまりイリスティーナの感覚が脳に侵入してきたのだ。

 まるで腹に手を入れ臓腑の形を感じ取るように、心の形を感じ取った。臓腑に触れられて、おぞましい不快感がないはずがない。納得した。


「それで……どうなさるのですか。私の裏切りを知って」


 エサイアスが硬い声を出す。

 読心術師相手に誤魔化しは通じない。ましてやイリスティーナはいちいち呪文すら要さず、思考を読む程度なら触れる必要さえない。

 こうして面と向かっているだけで、全てが筒抜けなのだ。あり得ない。


 アイオーンを庇うことは失敗した。

 いや、最初から失敗していたのか。ウショブに出発する前の段階で、キキがアイオーンかもしれない疑いを読み取られていたのなら。

 イリスティーナの代わりに、それを確認しに行っただけだった。

 行かなければ良かった。放っておけば良かったのだ。アイオーンに味方するのか、イリスティーナに従うのか決められないまま、決めるために確認に行こうなどと考えるべきではなかった。


 ぎり、と奥歯を噛み締める。

 自分の優柔不断で軽率な行為がこの結果を招いたのだ。

 アイオーンに死んで詫びたいほどだが、その前に、この場で処断されても驚きはしない。

 主に対する裏切りなど、騎士として最もあるまじき行為のひとつである。


 そんなエサイアスを、イリスティーナはじっと見詰めていた。

 どうするか考えている風でもあったし、ただそこにいるから何となく見ているだけのようでもあった。


「……エサイアス」

「は」


 生唾を飲み込む。

 弾劾されるとして、自分はどうする。どうしたい?

 いっそ武力で抵抗するか。まさか。

 行為として裏切りはしたが、心まで裏切ったつもりはない。イリスティーナがアイオーンの幸せを望むのなら、それを叶えるためにこそアイオーンを庇ったのだ。

 家族に累が及ばない限り、処分を受けよう。


 そう考えていることも、読まれてしまっているのだろうが。

 薄ら寒い。


「ありがとう」

「は……」


 それは。

 それは――


「皮肉のつもりじゃないわ。お前にとっては変わらないでしょうけど。あの子の居場所を教えてくれたのだもの。逆にご褒美をあげたいくらい」


 イリスティーナは上機嫌に笑っている。

 だが次の瞬間には斬りかかってきても驚かない程度には、彼女が読めない。

 エサイアスは身を固くするままだ。


「ではお教えください。これから、どうなさるおつもりですか」


 企みは破綻した。

 ならばせめて、この窮状をアイオーンたちに伝えたい。できればイリスティーナがどう動くかという情報も添えて。

 もちろんこの思考も読まれているはずだから、そんなことはできないだろうが。

 いや、アイオーンたちに偽情報を流す目的で、こちらを泳がせてはくれないだろうか? アイオーンならそこからイリスティーナの真の行動を逆算して、裏をかけないだろうか?

 最早それくらいしか希望がない。


「そうねえ……。その前に……もう一度記憶を読ませてくれる? さっきは一瞬だったでしょう。全ては見えなかった。改めて……もう一度……」


 エサイアスは露骨に顔を顰めた。

 あの脳を撫でられる不快感を再び味わえと言うのか。

 しかしそれが命令なら、騎士は従わざるを得ない。裏切りを不問に処してくれたことも含めて、これ以上の反抗は、立場としても心情としても難しい。


 一歩踏み出し、片膝をつく。

 イリスティーナは手頃な高さとなったエサイアスの頭に両手を乗せ、そっと撫でるように触れた。


「ぐ……う……」


 主の指が脳に沈み込んでくる錯覚。

 自分の頭が輪郭を失い、形のないクリームの塊にでもなったかのような、おぞましい感覚。

 これが記憶を読まれるということなのか。

 思わず呻き声が漏れる。肩が震える。


「そのまま……そう……身を委ねなさい」


 不意に、脳を『捏ね』られた。

 『あっち』と『こっち』が繋がって、記憶が光り輝いて、感情が火を放つ。

 目的意識が芽生える。強い意識。


 イリスティーナのためにアイオーンを取り戻さなくてはならない――


「ああああああおああああああッ!」


 咄嗟に叫び、のたうち転がることで、イリスティーナの手から逃げ出した。


「あがっ! がは……ッ!」


 四つん這いになると、顎先から床へ濃い汗が滴り落ちた。いつの間にか全身が冷や汗にまみれている。

 せり上がってくる吐き気を堪えられず、派手にぶちまけた。


 違う。今のは違う。

 記憶を読むなどという生易しい行為では断じてない。

 心を組み替えられた。本職の精神魔術師に匹敵する、精神改変の領域だった。


 だが不完全だ。完全になる前に振り払った。

 従順な精神性は植え付けられたが、一方でアイオーンへ義理立てする気持ちはまだ消されずに残っている。

 加えておぞましい精神改変への嫌悪感が、従順さを凌駕し、エサイアスの体を突き動かした。

 最早理性などない。自己の保存という本能に従い、外敵に抗う一匹の獣と化す。


「きええええええええええいッ!」


 立ち上がったエサイアスは、恐怖に駆り立てられるように奇声を発し、イリスティーナに襲い掛かった。

 左右の手に双剣を抜き放ち、左剣で素早い牽制の突き、そしてその結果を確認するよりも早く、右剣で本命の袈裟懸けを繰り出す。

 獣と化しても剣技の衰えなし。むしろ雑念がなく鋭利さを増してすらいる。

 また深い瞑想によって、内臓魔石と意識を常時接続する境地に至っているエサイアスだ。その身体強化は迅速にして強靭。特に本命である右剣の切先は音を超え、空気の破裂音が遅れて聞こえた。


 聞こえた頃には既に、剣は止められていた。

 イリスティーナが使ったのは、右手の人差指一本。左剣の腹を脇から押さえるようにして逸らし、逸らした先で、左剣によって右剣の振り下ろしを受け止める形。


「バ――」


 バカな、と言う暇もない。

 そこからイリスティーナが腰を切ると、直接触れられたわけでもないエサイアスの下腹部に重い衝撃が走り、体を『く』の字に折って吹き飛ばされることとなった。

 執務室の壁に背を打ちつけ、息が詰まる。

 そこからずるりと床に落ち、尻餅をついたまま立ち上がれない。


 イリスティーナが強いことは分かっていた。

 オーガに対する王国の盾そのもの、武を尊ぶグラジオラス辺境伯なのだ。最強の魔剣アイオーンの、先代の弟子なのだ。弱いわけがない。

 だとしても、まさか、これほどとは。


 大戦の頃ならともかく、今となっては直接戦う機会などろくになく、領軍の指揮に徹するのが日常だ。

 つまり、戦闘経験量ではエサイアスが圧倒的に勝っている。

 そして現在29歳であり、肉体が全盛期を過ぎるような年齢でこそないものの、ここ1年はアイオーンを失ったことでやつれ、当然筋力も衰えていた。

 土台となる肉体が脆ければ、強過ぎる身体強化は体が受け止めきれずに自滅する。身体能力のレベルも、エサイアスを大きく下回るはずなのだ。


 にもかかわらず、放出系の魔法攻撃ではなく肉弾戦で、たった指一本で。

 数年前に訓練の一環として試合をする機会があったが、ここまで圧倒的ではなかった。

 アイオーンを失った深い悲しみが読心魔法を目覚めさせたように、強さまで大きく向上したと言うのか?


 衝撃に肺を押し潰され咳き込むエサイアスに、イリスティーナはいっそ優雅なまでに、しかし迅速に歩いて近付いた。

 力なく切先を向け威嚇するエサイアスだが、剣を軽く蹴りどかされる。しかもその接触から軽度の雷撃を流し込まれ、全身が麻痺し動きを奪われた。

 壁に叩きつけられたダメージが思いのほか大きく、縛めを破る余力がない。


 再び頭に両手を乗せられる。

 精神の改変から、今度はもう逃れる術はない。


「さて……でも、実際どうしようかしらねえ。貴族の義務を果たす私を偉いと思うって、昔あの子に言われたもの。この場を放って、私自ら会いに行くことはできない。あの子の体に違う魂が入っているなんて、おぞましくて会いたくないし……でも早く助けてあげなきゃ……」

「おごあ……ッ、あっ、あ、……」


 がくがくと痙攣するように震える。全身。

 自分が自分のまま、自分でなくなっていく。


「やっぱり、人をやるしかないかしら。ねえ? エサイアス」

「はぎ、ぎ……は、は。はぐ……」


 塗り潰されていく。

 塗り替えられていく。


「きっとあの子は、私からの愛を確かめたいんだわ。そうでしょう。アイオーン」

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