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第52話 そうなのねえ

エサイアス視点

 エサイアス・ライトレフトには、グラジオラス領軍において新人の勧誘を担当しているようなところがある。

 各地の情報を集め、有望な冒険者や傭兵などを見付けては、騎士や兵士になるよう勧誘しに向かうのだ。

 別段そういう仕事を仰せつかっているわけではなく、本人が勝手にやっていることなのだが。


 しかしエサイアスの目利きは確かなものであるらしく、そうして領軍に入った者たちは、およそ例外なく優秀な働きをした。

 そうしたこともあって、彼は軍において一目置かれているし、領主イリスティーナ・レン・グラジオラスから、ある程度自分の名前を自由に使ってもよいと許可を得ている。

 イリスティーナの名代として希生たちに手紙を出したのには、そういった背景がある。


 そもそも各地の在野の実力者の情報を集めること自体、エサイアスの独自の行動だ。

 もちろんグラジオラス家自体にもそういった情報収集能力はある。が、それはさまざまな種類の情報の中に実力者の情報が紛れているのに対し、エサイアスの場合は最初から実力者に絞って収集している。

 耳の早さが違うのだ。


 つまり、放っておけば、キキたちの情報はいずれイリスティーナの耳に入るということ。

 たかが一冒険者とは言え、ウショブ遺跡に10年間居座り続けた真竜をたった4人で始末してのけたのだ。別に騎士候補としてではなくとも、ウショブの魔物の勢力図に関わることとして領主には伝わり得る。


 そこにキキの容姿や装備についての情報はないかもしれない。もしかしたら、あるかもしれない。分からない。

 分からないから、グラジオラスの情報収集官に、ウショブの強者の情報はまず自分を通してくれるようには言ってある。イリスティーナに情報を渡さないためにだ。

 強者の匂いを感じたエサイアスは時々そういうことをするから、ふたつ返事だった。だがそれも、いつまで誤魔化せるか。

 黒髪の少女、菊花風の衣装を纏った菊花刀使い。それだけの情報があれば、アイオーンが連想されるには充分だろう。


 そうなったとき、イリスティーナがどういう行動に出るのか。

 師弟であり、姉妹のようで、無二の盟友であり、下手をすれば恋人のようですらあったのだ。自分の前から彼女が去るなど、想像もしていなかったろう。だからこそ契約破棄などという、誤った発想も出てきた。

 その自業自得だとしても、連れ戻しにかかるだろう。何が何でも取り戻そうとするだろう。

 アイオーンが去ってからのイリスティーナには、そういう鬼気迫るものを感じる。

 少なくとも祝福はしないはずだ。アイオーンがひとりで旅をしているならまだしも、道具に徹していると知れば。


 キキはアイオーンの化身体に魂を無理やり定着させる形で存在している、と聞いた。

 アイオーンを人間として扱いたいイリスティーナにとって、キキは邪魔な異物でしかない。化身体を一旦破壊し、アイオーン自身の心が宿っている状態で作り直させることにより、排除しようとするだろう。

 それが実際に可能かどうかまでは、エサイアスは聞いていない。ただ恐らく可能だと思うし、イリスティーナは尚更そう思うに違いない。


 エサイアスがキキと接したのは、ほんの短い時間だ。それも会話しただけで、剣を交えたわけでもない。キキのことを、エサイアスは僅かしか知らない。

 だがアイオーンが自らの主として認めた人間なのだ。そこに異を唱える発想が出てこない程度には、エサイアスはアイオーンを信頼していたし、それにキキは立ち方が綺麗だった。

 全ての基本は立ち方と歩き方にある、とアイオーンに聞いたことがある。それを見るだけで、充分な実力を持っていると分かった。


 キキといて、アイオーンは幸せそうだった。

 あくまでも人間であることを求めたイリスティーナと違い、剣として受け容れられていることが原因だろう。

 剣にキスまでされてはな、と、エサイアスは思い出して苦笑した。

 そんなことはイリスティーナですらしなかった。いや、化身体へならキスしていたわけでもないが。化身体を抱き締めて一緒に眠ることなら、一時期していた。


 アイオーンからキキを奪いたくない、とエサイアスは思う。

 それがイリスティーナに対する裏切りでも、アイオーンの幸せのためだ。イリスティーナもアイオーンの幸せは望んでいるのだから、そうしたい。

 そのために己にできることは、隠すことだ。何も言わないこと。

 そうして時間を稼ぎ、その間にキキたちに国外へと脱出してもらうこと。


 グラジオラスはオーガの侵攻を防ぐ、リュオルフ王国の盾だ。そのために権限と領土は大きいが、義務もまた大きい。

 国外にまでアイオーン捜索と奪還の手を伸ばすような、それほどの余裕はない。あっても騎士を数名といったところか。

 キキが逃げ切ってくれれば、それでほぼ解決するのだ。


「しっかり逃げ切ってくれよ……。私にできることは多くない」


 ウショブ市から領都グラジリアへ、飛竜に跨り空を行きながら、エサイアスはひとりごちた。

 防寒用のマントはともかく、ファー付きのフードにゴーグルという出で立ちは、古式ゆかしい騎士らしくはないが、飛竜に乗るなら当然の格好である。上空は寒いのだ。ましてや夏もとうに終わり、秋ともなれば。鎧にも温度調整の魔法が付与されている。


 地上の混乱を避けるために町や村の真上を通るのはあまり推奨されないが、街道に沿う必要はなく、森も山も川も真っ直ぐに越えていけるのは飛竜の強みだ。

 純粋な移動速度も一般的な走竜による走行を大きく上回るもので、ウショブとグラジリアを1日以内に往復できてしまう。馬車では1週間はかかる距離をだ。

 しかしエサイアスはキキたちと会った日はウショブで一泊し、出発後も途中の手頃な村で一泊して、時間をかけてグラジリアに帰る旅程を取った。


 イリスティーナに会いたくないのだ。

 アイオーンの味方をすると決めたとは言え、それは騎士として主を騙すことに他ならない。意気揚々と帰れるわけがない。

 嫌なことを先送りにしたい人情だった。

 しかしそれで多少旅程を遅らせたところで、何も解決はしない。

 既にエサイアスの目には、領都グラジリアの活気ある町並が見えていた。


 城壁に近付くにつれ高度を下げ、監視員に飛竜がよく見えるようにする。正確には、飛竜に着せた胴衣に描かれているグラジオラスの紋章が、だ。これを身分証明とし、町の領空に入ることが可能となる。

 そこからは羽ばたきの突風で地上を煩わせないために一旦高度を上げ直し、町の上空を横切って、グラジオラス家敷地内の竜港と呼ばれる発着場に着陸。

 厩舎に飛竜を預け、屋敷へと入っていく。


 グラジオラス家の屋敷は質実剛健な砦のような様相で、豪奢さよりも力強さや重々しさが目立っていた。

 ここを訪れる度に何度でも、エサイアスは身が引き締まる想いを感じる。今日はそれとは別の緊張だったが。


 騎士への勧誘から帰ったあとは、イリスティーナに事の仔細を報告するのが常の決まりだ。

 侍女を通して帰着をイリスティーナに伝えると、彼女は執務を中断してすぐに会うそうだとの返答が来た。執務が一段落するまで待っていたかったが、それはできないらしい。

 そうしてエサイアスは、3階執務室へと行きついた。扉をノックの後、許可を得て入室する。


「失礼いたします。騎士エサイアス・ライトレフト、罷り越しましてございます」


 広い執務室には、エサイアスとイリスティーナのふたりきりだった。

 おや、と思う。普段なら侍女がいるはず。


 イリスティーナは革張りの椅子に座し、執務机越しにエサイアスと向かい合っていた。

 美しい女だった。緩く波打つ金髪は長く流れるようで、青い切れ長の目は意思の強さを示すよう。座っていても分かる程度に女としては長身な体躯は、自然体で整った姿勢、そして黒い軍服と相俟って凛々しさを演出する。

 ただし目には隈ができ、目つきは鋭すぎて攻撃的ですらあったし、体はやつれてやや病的に細い。アイオーンがいなくなって以来、このありさまだ。


「……エサイアス」

「は」


 ゆったりした、ささやくような、しかしよく通る声だった。

 ふたりしかいない静かな執務室で、聞き逃すことはない。


「ウショブに行ったのよね。どうだった?」

「は。真竜殺しの4人パーティーの冒険者を騎士に勧誘したのですが、全員に断られてしまいました。実力は本物だと思うのですが、やはり自由でいたいとのことで」

「そう……。残念ね」


 あまり関心を感じられない声音だった。

 イリスティーナの名代として行動した以上、その内容を報告するというだけの話だ。興味を持てないこともあろう。

 ましてやアイオーンを失った悲しみばかりが心を占める、今のイリスティーナにとっては。

 それでも全く興味が皆無というわけでもないのか。イリスティーナは話を続けた。


「4人パーティー……。どんな者たちだったの」

「まず筆頭はヒューゴ・ウーシタロでしょう。大剣使いの青年で、その剣で短剣のようなものを打ち飛ばし、空を飛ぶ竜の翼を撃ち抜き射落としたと言います。これができる者は、我々グラジオラス騎士にもそうはおりますまい」

「そうね。でも、貴方ならどうかしら」

「閣下がお望みとあらば」


 エサイアスは七騎士と呼ばれる、グラジオラスで最も優秀な騎士のひとりである。

 同じことをやれと言われれば、問題なくやれる。

 逆に言えば、ヒューゴは既に七騎士に匹敵する実力を持つということだ。

 実際にウショブの町においても、真竜殺しの噂の主役はもっぱらヒューゴであった。


「次にベルタ・オルパナ。熱属性の魔術師で、炎熱と冷気を共に高い練度で操ることができます。その威力は、もうひとりの魔術師と協力してとは言え、竜のブレスを防ぎ切るほどです」

「あら……。派手でいいわね」


「そしてロヴィッサ・ユリラウリ。剣士であり、風の魔術師であり、更に医術師でもある、器用な人材です。それだけ手を広げながら、その風魔法は竜のブレスを防ぐ一翼を担うに充分だったとのこと」

「便利そうじゃない。欲しいわね……」


 ここまではいい。

 最後のひとり。

 落ち着け。エサイアスは心中で自分に言い聞かせた。


「最後にキキ・ムトー。剣士であり読心術師です。竜は火炎と冷気のブレスを撃ち分けることができたのですが、これを事前に察知して、味方に的確な防御を指示した立役者です」

「ふうん……」


 声は震えずに済んだ。顔も強張ってはいないはずだ。

 わざわざ容姿まで説明する必要はない。騎士に勧誘した話なのだから、能力の説明で充分だ。何も不自然はない。

 キキの話のときだけ、イリスティーナの反応が微妙に違って感じられたのは、エサイアス自身の認識の問題だ。

 恐れているから、不安だからエサイアスの側が過敏になっているだけで、イリスティーナに含むところはないはずだ。何も知らないのだから。


「……その全員に断られたのよね」

「はい」

「惜しいことだわ……」


 グラジオラス家は常に、オーガと戦う騎士や兵士を欲している。

 確かにここ十数年は大規模な戦いこそないものの、オーガの脅威は常にすぐ傍にある。いつまた戦いが激しくなるかなど、分かったものではない。領内の治安維持の問題もある。

 戦力はどれだけあっても足りないのだ。


 そういう意味でしょう、閣下。エサイアスは思った。アイオーンをここまで連れて来てくれれば良かったのに、と考えたわけではないはずだ。


 イリスティーナがふと立ち上がり、机を迂回してエサイアスの前まで歩いてきた。

 エサイアスは直立不動のまま、それを首を傾げる心地で見ていた。


「閣下……?」


 イリスティーナの手が、エサイアスの頬を撫でた。

 耳を通り、頭を撫でた。

 彼女の目はエサイアスを見上げ、しかし視線が合わない。目のずっと奥を覗き込まれている気がする。


 エサイアスは困惑した。

 こういった戯れをする相手ではないのだ。

 意図が読めない。怪しまれているわけではないのだろうか?


「いったい――」


 そのとき、『入られた』と思った。

 撫でる手が頭の中に沈み込んだように感じた。脳を撫でられたと感じた。

 圧倒的な不快感。気持ち悪さ。


「うおあっ……!」


 反射的に主の手を振り払い、エサイアスは跳ねるように後退し距離を取った。

 自分の頭に触れる。穴は開いていない。

 イリスティーナの手にも、血も肉も、脳の破片もついていやしない。

 ならば先ほどの感覚は。


「も、申し訳ございません。失礼を……。しかし……」

「そう。そうなの」


 イリスティーナは、エサイアスを見ていなかった。


「そうなのねえ」


 彼女が笑うのを、エサイアスは1年ぶりに見た。

 底なし沼のような笑みだった。

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