第51話 良き仲間を持ったな
事情は話した。望みは告げた。あとはエサイアスが判断するだけだ。
「うむ……」
この「うむ」は肯定ではなく、ただの相槌だ。
エサイアスは腕を組み、椅子に深く座り、目を閉じた。
「ううむ……」
彼はグラジオラス辺境伯領の騎士である。イリスティーナ辺境伯に仕えている立場だ。
そのイリスティーナは、姉妹同然に育ったアイオーンが去ってしまい、毎日嘆き悲しんでいると言っていた。当然、連れ戻したいだろう。
ならば彼はその意思に従うべきなのだ。それは彼自身も分かっている。
にもかかわらず迷ってくれる。迷っているから、ここにアイオーンがいる疑いはイリスティーナにも伝えていないらしい。ただ有望な冒険者を勧誘に来た、という体になっている。
騎士として心配にもなるが、都合はいい。
「エサイアスさん……!」
「うむ、いや、うむ……」
しかしこの期に及んで迷っている、ということでもある。天秤はどちらにも傾き得るのだ。
ヒューゴたちは固唾を飲んで見守っていた。実際、彼らにできることはないだろう。
希生とアイオーンが何とかするしかない。黙っている選択への、最後の一押しを。
「優柔不断なのは分かっているのだ。こうなることも分かっていた。だが……閣下も、アイオーンどのも、どちらも裏切ることなど……」
「エサイアス」
アイオーンが踏み込む。
「主に忠誠を誓うのは騎士の在り方ですけど、主が間違ってるならそれを正すのも、忠臣の在り方なんですよう」
「間違っているなど!」
エサイアスが目を開け、拳を握り身を乗り出してきた。
すぐに鎮静化し、座り直す。
「間違って……いるのか?」
「ですよう。アイオーンは道具なのに、それを否定するんですもん。アイオーン自身が道具じゃなくなりたいって思ってるならいいんですけど、そうじゃないですし」
そう、イリスティーナはアイオーンのことを考えているようでいて、その心を汲み取ることが全くできていない。
それでも傍にい続けようとしたアイオーンに対して、契約の破棄を自ら宣言したほどだ。
あまりにも惨い。
それでアイオーンを失ったことを嘆くなど、単なる自業自得だ。滑稽に過ぎる。
「しかし閣下が、アイオーンどのの幸せを願っていらっしゃるのは本当だ」
それはそれで本当なのだろう。何が幸せなのか、を根本的に見誤っているだけで。
希生は口を開いた。
「エサイアスさんも、イオの幸せは望んでくれているんですよね」
「それは……そうだ。だから迷っている」
重々しい声音。
板挟みで、彼もツラい立場か。
「それならやっぱり、イオのことは隠してください。イオの幸せのために。辺境伯閣下にとっても本望のはずです。たとえそれを知ることがなくても」
「……」
イリスティーナがどれだけアイオーンの幸せを望もうと、イリスティーナ自身が何よりもその邪魔になっていることが現実だ。
ならばイリスティーナの関与を除くしかない。
その方が結局は、イリスティーナの望みにも本質的な部分で適うのだ。人間にはならないが、幸せにはなる。
エサイアスにもそれは分かるのだろう。
イリスティーナに従っても、イリスティーナの望み通りにはならない。アイオーンは不幸になるだけだ。
イリスティーナに逆らうことが、かえってイリスティーナに従うことになるのがこの場面である。
もちろん、イリスティーナ本人の心は嘆きにまみれるままだが。
だとしても、共に暮らしてすれ違い続けてもそれはそれで嘆くのだろうから、もはや度し難い。
アイオーンのため。イリスティーナのため。両方が重なるのは黙っている選択肢だと、希生は告げたのだ。
そしてエサイアスも、ついに納得したらしい。自らの膝をひとつ叩くと、決然と希生を見た。
「分かった。アイオーンどののことは、閣下には黙っていよう」
「ありがとうございます」
希生は頭を下げた。
ヒューゴたちもほっと息をつき、部屋に弛緩した空気が流れる。
「しかし今回は私だから良かったものの、次こそ閣下に存在を知られないとも限らん。早く外国へと旅立ってしまうべきだ」
全くその通りである。希生は頷いた。
イリスティーナにアイオーンの所在を知られないように、知られても手が届かなくなるように、そうすることは必要だ。
これに関しては、希生にウショブ市で冒険者をさせていたアイオーンの見通しが甘かったと言えるだろう。
道具としてのアイオーンの感性が、持ち主の方から契約破棄を言い出したのだから追われることはない、と本能的に考えさせてしまったのかもしれないが。
「ここからだと、南方の領地を隣国へと抜けるのが速いだろう。旅費は私が工面しよう」
「いえ、冒険者として稼いでいますので。それにお金の動きから足がつく可能性があります」
「そうか? ……そうだな」
ありがたい申し出だが、辞退しておく。
希生たちは騎士になる話を蹴って、新たな冒険へと旅立つのだ。エサイアスが援助する理由がないだろう。
何もしない、それがエサイアスに求められる協力なのだ。本人は不満そうだが仕方ない。
さて、ともあれ旅立ちである。二度とグラジオラスの土を踏むことはあるまい。
となると、ヒューゴたちは付き合ってくれるのだろうか。希生はふと気付いた。
彼ら3人は、全員がこのグラジオラス辺境伯領に故郷を持っている。希生についてくるなら、そんな故郷から遠く離れることになる。易々とは帰れなくなるだろう。
常に前向きで元気をくれるヒューゴ。
一歩引いて冷静な見方をしてくれるベルタ。
全身で好きを表現しながらも、決して無理には踏み込んでこないロヴィッサ。
この仲間たちと別れたくない。
ヤメ村では戦いについて来ようとする村人たちを邪魔者扱いしていたのに、随分と絆されてしまったものである。などと斜に構えてみても、やはり彼らが大切なのは間違いない。
自分に嘘はつけない。
しかし彼らのことを思うなら、ここで別れるべきだろう。
エサイアスに黙っていてもらうのは、アイオーンのことを思うなら彼女を諦めろ、とイリスティーナに言っているのと同じこと。
ならば自分も、仲間たちのために、仲間たちを諦めなくては不公平だ。筋が通らない。
何と言って切り出そうか、希生は考えた。
「なあ! 南方の隣国って言うと、何ていう国だったっけ!?」
「チェスニ王国でございますね。魔境の数ではリュオルフ王国より上だとか」
「いいわね、腕が鳴るじゃない。あたしだって冒険者よ!」
3人は和気藹々と、次に向かう国について話していた。
希生はそっと手を挙げた。
「どうした!? キキ!」
「いや……その。いいの? みんなグラジオラスが故郷なのに……」
おずおずと問うたら、きょとんとされてしまった。
きょとんとしたいのはこっちだ。何、その反応は?
「俺は最強の剣士になる男! 故郷という小さな枠に囚われたりはしない!」
「こいつがこんな調子だもの。あたしが一緒にいてあげなきゃダメじゃない?」
「どうかキキさんのお傍にいさせてくださいませ。それが幸せでございます」
――泣いてない。泣いては、いない。
ただ目から涙が溢れそうになっただけだ。少し前が見づらいだけ。なのに心眼ではっきりと見えてしまう。3人が、力強く、はにかむように、穏やかに、笑っているのが。
こんなに胸が温かい気持ちを、かつて感じたことがあっただろうか。
「良き仲間を持ったな」
「本当に」
本当にそうだ。
3人は最高の仲間だ。
「ありがとう」
こんな短い言葉で、気持ちがどれだけ伝わるだろう。
それでも言わずにはおれない。
「嬉しいよ。とっても嬉しい」
「水臭いぞキキ! 俺たちは仲間だ! まだ2か月も経っちゃいないが、それでも濃い時間を過ごしてきた! この絆はそう簡単には断ち切れない!」
「そういうこと。だいたい故郷のことを言うなら、異世界に帰れないキキの方がよっぽど深刻じゃないの」
「まあね……」
言われてみればその通りだ。故郷に未練がなさすぎて忘れていた。
何しろ待っている人など誰もいないのだ。空っぽの人生を過ごしてきた国だった。便利だったし、嫌いではなかったが、好きな世界ではなかった。
幼少の頃を暮らした家に帰りたくないと言えば嘘になるが、そこで亡き両親を思うより、仲間たちと生きた方が充実している。あの世の両親も赦してくれるだろう、赦してほしい、と思う。
自分の故郷に関してそんな調子の希生だから、ヒューゴたちの故郷を気にしたのは、共感ではなくただの一般論によるものである。
浅はかだった。
と、そこにエサイアスがふと零した。
「ふむ……。しかしそうなると、この中の誰も騎士になってはくれないということかね?」
希生たちは顔を見合わせた。
騎士の勧誘に来たのも、それはそれで本音らしい。
年齢からして、15年前のオーガとの大戦にも参加していたはずだ。今は小競り合いばかりのようだが、その平穏もいずれ破られる時が来る。戦力を欲しているのだろう。
にもかかわらず、希生たちは騎士にならないばかりか、外国に流れてしまうのだ。
アイオーンのことを隠してくれる礼としては、あまりにも薄情ではある。
しかし、
「ヒューゴたちが騎士になると、そこからイオのことがバレるかもしれないから……」
「だな!」
というわけなので、どの道彼らが騎士になるのは良くないのだった。
「それもそうか。ううむ、勿体ない。たった4人でウショブの真竜を殺したとなれば、騎士として充分な力があるのに……」
エサイアスは本気で惜しがっているが、これは仕方ない。
仲間の誰かが騎士になるなら、いっそ全員で騎士になった方がマシなくらいである。もちろんその場合、アイオーンのことは隠せない。
意味がない、ということだ。
「ともあれ、そうと決まれば旅の計画を練らねばなりませんね。何日をかけて、どの町を経由して、チェスニのどこに行くのか。隣国ではまだ不安もございますし、もっと離れた方がよいかもしれません」
ロヴィッサが建設的なことを言い始めた。
金はあるし、従属異界で大量の荷物を持ち運べるし、食料も冷気の魔法で保存しやすいため、そう緻密な計画を立てる必要はないのだが、行き当たりばったりでいいわけでもない。
いくらエサイアスが隠してくれるとは言え、なるべく迅速にグラジオラスを離れるため、効率的な旅程を考えたいところだ。
金はあるとは言え後ろ盾はあって損はないから、できればウフレニウス商会が手を伸ばしている土地に行きたくもある。
外国でも店を出してくれているだろうか。あとで聞いてみる必要がある。
竜装備がまだ完成していないから、それを受け取るときに聞けばいいだろう。
「さて、話が纏まってきたな。改めて誓おう。閣下にはアイオーンどののことを黙っていると。それ以外には何もできないが」
「構いません。むしろこちらも、お礼は何もできませんが……」
心苦しくはあるが、本当に何もできない。
遠く離れた土地に行くから、いざというときの協力者になるなどもできないし、金を払えばその出どころをエサイアスが問われてしまう。
「問題ないとも。先の大戦では、アイオーンどのには仲間たちともども世話になった。その礼と思ってくれればよい」
化身体で戦っていたアイオーンは、頼れる戦友だったのだろう。
それがあったからイリスティーナに誤解されこんな事態になったのではあるが、それがあったから、こうしてこの事態を打破できる。
人間でも道具でも、万事塞翁が馬だ。
その後は希生たちの冒険の話や、エサイアスの知るアイオーンの話、イリスティーナの話などをして、別れることとなった。
心眼で気を読み取った限りでは、エサイアスが裏切ることはなさそうだ。
彼は優柔不断かもしれないが、義理堅いところがある。一度こうと決めたなら、それを貫き通してくれるだろう。そう期待する。
イリスティーナから逃げるためとは言え、新たな地へ向かう冒険の旅だ。
少しだけ、希生はわくわくしていた。




