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第5話 すてき

 振るわれた魔剣アイオーンの刃は、ホブゴブリンの右前腕の半ばに食い込み、あっと言う間に骨ごとそれを切断した。それは魔剣の切れ味あってこそだろう。

 しかし攻撃をかわしたのは、攻撃を当てたのは、他ならぬ希生自身の行為。


 斬られた右腕は、最早神経命令の通わない指で石斧の柄を握ったままぶら下がり、それもすぐに力が抜けて、どちゃりと落ちた。

 落ちた方の断面からは血が零れるように流れ、胴体に繋がっている側の断面からは心臓の拍動に合わせて、どぴゅっ、どぴゅっとリズムを持って血が溢れ出た。


 ホブゴブリンは茫然とした顔をしていた。なぜこうなったのか、何が起きたのかも分からないのだろう。

 それはそうだ、狩られる獲物でしかなかったはずの小さな人間のメスが、突如として牙を剥いてきたのだから。当たるはずだった攻撃を避けられ、逆に痛烈な反撃を喰らったのだから。


 歩法としての縮地の強みは、予備動作がなく出も早いことにある。

 生物は常に、今の姿勢や動作がこうであれば次はこう動くはず、と予測をしながら生きている。その予測が利かないのだ。目は追い付かず、動きを追えず、反応は至難である。

 それを技術的に可能にしたのは、この3日間のアイオーンによるズルですらある規格外の指導だが、それを心理的に可能にしたのは、希生自身の資質だった。


 どんな技も、実戦で使えなければ意味はない。実戦では緊張や恐怖によって体を縛られる。事実、希生はホブゴブリンの殺気と死の気配に身を竦ませていた。

 本来であれば、それを克服するための修行を、アイオーンがこれから進めていくはずだった。今はまだ、そんな芸当はできないはずだった。


 武藤希生には死の経験がある。

 何の気なしに入ろうとしたコンビニの店先で、店内から逃げ去る強盗と鉢合わせし、慌てた彼に勢いで刺し殺された。


 冷たい死の経験が、今生きていることの安心感を強めることとなった。死の恐怖を感じれば感じるほど、怖いということは自分は生きているのだ、と安心するのだ。

 安心とは恐怖の対極にある。身は縛られない。


 本番では緊張して失敗するようなことでも、いくら失敗してもいい練習でならリラックスして成功できるものだ。

 希生は命の懸かった本番において、練習以上にリラックスして成功することができる。そういう資質を得た。


 常に希生のメンタルを把握しているアイオーンは、しかし、今初めてそれを知った。

 希生がアイオーンに出会って復活し、今ここで戦闘に入るまで、これほど死の恐怖を感じる機会などなかった。気付く機会がなかった。


「――すてき」


 思わずといった風情で声が漏れた。


「×××……!」


 ホブゴブリンが一歩下がり、残った左手で斧を振り被っていく。

 その向こうから、雑兵ゴブリンらが近づいてきている。すぐに追いつくだろう。

 あと一合だ。それで勝負は決まる。

 雑兵が追いつく前にホブゴブリンを倒せれば希生の勝ち。

 倒せなければ、囲まれて希生の負けだ。いくら縮地があっても、今の練度では避け切れない。


 希生は生を感じて安心しているが、その前提にある死の恐怖が消え去ったわけではない。

 恐怖は確かにある。だがそのデメリットが安心によって消え、メリットだけが残った。

 恐怖の対象を感じ取ること。


 包丁を構えた強盗がいれば、その包丁から目を放せなくなるように、包丁の僅かな動作にすら過敏に反応するように、人は恐怖の対象に敏感になる。

 この恐怖感覚が生の安心感と結びつき、過敏ではない冷静な観察を可能とした。

 斧の動きが見える。いや、これからどう動くかが見える。引き延ばされる時間感覚。

 ホブゴブリンは残った左手で斧を大きく振り被り、然る後に、希生の腰の高さで横薙ぎにしてくるつもりだ。


 振り下ろしと違い左右に避けることはできず、屈めば頭を刈られ、当然飛び越えてかわすなどできるはずもない。そして下がって避ければ反撃が遅れ、雑兵が来るまでにホブゴブリンを倒せない。単純にして有効な一手。

 しかし、その斧の一撃が振られることはなかった。


 ――どすっ、と。


 先んじて縮地で踏み込んだ希生の刺突が、ホブゴブリンの胸部を刺し貫いていた。

 遮蔽物となり得る右腕が欠けているから狙いやすかった、と思った。


 攻撃は最大の防御という言葉があるように、自分の攻撃を先に相手に当てることは戦闘では重要となる。これを『先を取る』と言うが、それはタイミングによって更に三種に分かれる。

 相手より後に動き出しながら先に当てるのが後の先、同時に動き出すのが対の先、そして相手が動くより先に動くのが先の先。


 傍から見て劇的なのは後の先や対の先だろうが、実際に最も有効なのは先の先である。相手に何もさせない、する機会すら与えないこと。これこそが究極の防御だと言えるだろう。

 魔剣の鋭利さは、まるで骨など存在しないかのようにそれを断ち、心臓を穿って、切先が背から飛び出していた。


「×××××……」


 最後に何かを言ったようだが、もともとゴブリンの言語など分からない。

 しかし希生は、何となく、小さく頭を下げて一礼をした。

 ホブゴブリンが笑った気がした。

 不思議な満足感があった。激しくはなく、凶暴ではなく、尊い。

 緑肌の巨躯が力を失い、膝から崩れ落ちる。

 剣を抜くと返り血が噴き出した。頭から浴びる。


「うわ……」


 腕を斬ったときにも思ったが、血の色や匂いは人間と変わらなかった。あまり気持ちよくはない。

 しかし生き延びた結果だと思えば、好きになれそうでもあった。

 場には静寂が満ちていた。


 ドタドタと足音を立てて接近してきていた雑兵ゴブリンは、最早全てが動きを止めている。

 脚が震え、腰が引けて、恐怖に歪んだ顔でこちらを見ていた。

 希生は微笑んで手を振ってみた。


「××ー!」

「×××!」

「××、×××……!」

「××××!」


 理解のできないゴブリン語を口々に叫び、一目散に逃げ出していった。

 蜘蛛の子を散らすよう、とはこういう光景を言うのだろう。


 しかし逃げ出さない雑兵ゴブリンもいた。

 攫った女の子をホブゴブリンから渡され、代わりに担いでいた個体だ。重くて咄嗟に動けなかったのだろう。


 もともと女の子を助けるために戦うことにしたのだから、彼女は置いていってもらわなくてはならない。希生はホブゴブリンの死骸を迂回して、そのゴブリンに近づいていった。

 ホブゴブリンに対していた時とは、何かもが逆だった。体格で相手を上回り、こちらが恐怖を与える側。

 希生が一歩一歩近づく度、ゴブリンは全身をガクガクと震わせ、目に涙を浮かべ、喘ぐように口を開閉した。終いには失禁して足元に水溜りを作る。


 ゴブリンが担ぐ女の子を巻き添えで斬る危険を冒したくない希生は、剣をチラつかせて脅し、顎をしゃくって女の子の解放を促す。

 ジェスチャーが通じたのかどうか、ゴブリンは壊れたように何度も頷くと、女の子をそっと下ろした。粗末に扱えば殺されると思ったのだろう。

 そして背中を向けて振り返らずに逃げていった。

 この場に生きているのは最早、希生とアイオーンと、女の子だけだ。


「……勝った」

「勝ったんですようー。きゃっきゃっ」


 それは喜びの擬態語なのだろうか?


 従属極小異界の出入口である空間の穴を大きめに生じさせ、それを潜り抜けると、付着したホブゴブリンの血だけが選別されて異界へ送られ、希生とアイオーンは綺麗になった。

 剣を鞘へ。


 気を失ったままの女の子を抱き上げ、山小屋へと運び寝かせることにする。

 年齢は今の希生の体と同程度だろうか、金髪で顔には少しそばかすがあり、素朴なワンピースを着ていた。

 意識のない人体は重いものだが、これも彼女の重心を自分のそれに寄せて正中線を立てれば、負荷を最小限にして持ち上げることができた。

 助けた女の子を抱き上げるなど人生で初めての経験だが、戦いの余韻の方が重く、感慨はあまり湧いてこない。


 山小屋の入口がある壁の手前に、ホブゴブリンの死体が転がっている。


「こっちも片付けるのか……」

「これはこのままでいいんですよう。ホブの血の匂いはゴブリン除けになるですからー」

「そうだった」


 これでゴブリンは近づかないということだ。希生は安心した。

 いや、安心はずっとしている。死の恐怖に晒されては生を実感し、窮地を脱しては和んでいる。


 死骸を見ると、骨肉を突き破る感触、顔にかかった血の温かさを思い出す。吐かないことが自分で不思議だった。

 が、納得もしていた。安心しているのだ、吐く理由がない。

 ただしパンツは替えたかった。最初に斧で狙われたときに少し出た。少し。





 とりあえず女の子の体に傷がないことを確かめてから、着替えや食事をして人心地つく。

 そうこうするうち、やがて女の子は目覚めた。


 周囲を見渡すと、悲鳴を上げるでも錯乱するでもなく、不思議そうな顔できょとんとしている。

 ゴブリンに攫われたと思ったら、どう見てもゴブリンではない見知らぬ少女(希生)と山小屋にいるのだから、そうおかしな反応でもないだろう。

 とりあえず希生から自己紹介することにした。


「あー、はじめまして。わたしは――」


 迷った。

 顔立ちは西洋人のようだが、姓と名のどちらが先なのだろう。どう名乗れば誤解なく伝わるだろうか? 手短に希生とだけ名乗るべきだろうか。どういう漢字を書くのかも、いや、これは要らないのか、どうせ漢字とか分からないんだから。


「×××、×××?」


 言葉が通じなかった。

 それはそうだ、異世界の全く異なる民族同士なのだから、通じるわけがない。アイオーンと会話ができるのは、彼女が希生の魂から記憶を読み取り、一瞬で日本語を習得したからだ。

 発音の感じではどうやらゴブリン語とも違う言語のような雰囲気だが、どちらにせよ分からないのでは同じことだ。


「何とかならんの、イオさんや」

「よくぞ聞いてくれたんですよう! アイオーンの記憶にある言語知識の中から、この辺で広く使われてるアギア語をキキの魂にインストールするですう。ホントは少しずつゆっくりやるべきなんですけど、今は急ぎでやるからちょっと頭痛とかするかもなんですよう。我慢してね」


 言う通りに頭痛が襲ってきたが、耐えがたいほどではなかった。

 十数秒ほど顔を顰めて耐えていると、やがて頭痛は引き、頭の中に新しい言語が増えていることに気付く。

 昔に学校で習った英語などより遥かに流暢に、まるで日本語のようにそれを操れるという確信があった。


「ええっと、なに言ってるか分かる?」

「あ、今度は分かる! 遠い外国から来た人なんだ……変わった服着てるし……。ねえ、ここはどこ? あたしどうなったの?」


 布団代わりの敷き布の上に座っている彼女が、ぐっと身を乗り出してくる。

 今度は分かる、はこちらもだ。知らなかった言語を急激に理解している感覚。ホブゴブリンを殺したときより、よほど気持ち悪かった。


 しかし魂を肉体に定着させたり、異空間アイテムボックスを持っていたり、言語習得機能まであるとは、いったいどういう魔剣なのだろうか。永劫の魔剣などと名乗っているが、その称号がどこにかかっているのか、まるで分からない。

 ともあれ、今は会話だ。


「はじめまして、わたしは武藤希生。希生が名前ね。まあ何て言うか……旅の剣士? みたいな? で、たまたま見かけたんで、ゴブリンぶっ殺して。死体見る? 外にあるよ」

「死体はいい……。でも助けてくれたってことだよね、ありがとう! あたし、アンヌ。村がゴブリンに襲われて……そっか、助かったんだ」


 ようやく実感が湧いてきたのだろう。彼女は自分を抱くようにして一つ震え、目に涙を浮かべた。


 その後も会話を続けたところによると、やはりこの山の麓にある村の住民らしい。村の名前はヤメ村。

 山に生息するゴブリンは、こうして時々人里に下りてきては、人や家畜を攫ったり、財物を奪ったりと害をもたらすのだという。

 村にも戦える人間はいるが、今回は数に押し切られてアンヌが被害に遭ったようだ。


 とにかく、山を下りれば人里がある。まともな家があるのだ。

 ここ3日間を(従属極小異界という便利機能を持つアイオーンと一緒とは言え)無人の山小屋で過ごした希生としては、もう少し文明的な生活をしたいと思っていたのだ。具体的には食事のランクを上げたい。

 助けた礼に手料理くらいは貰えるだろう。

 そういうわけで、共に山を下り、ヤメ村へ向かうこととなった。

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