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第48話 契約を解除する

 やはりひとりでじっくり考えたいと言って、3人には退室してもらった。

 アイオーンとふたりきりだ。ひとりと一振りだが。

 それなりの防音性のある部屋ではあるが、何となく念話のままで会話する。念話回線は心の一部の共有だ。この方が速く、深い気もした。


(領主の――イリスティーナ・レン・グラジオラス、か。わたしが騎士になれば、その直下につくことになる。イオも無関係ではいられない、と)

(ですよう。だからヤなの。騎士になってほしくないの)


 もともと乗り気ではなかったが、それでますます騎士になる気は失せた。

 しかし道具であることに矜持を持つアイオーンがそこまで言うとは、イリスティーナはいかなる人物だったのか。

 そもそもどうして捨てられたのか、と、直球で尋ねることは憚られた。

 希生はアイオーンを鞘から抜くと、刀身を膝に乗せ、ゆっくりと撫でる。


(その人と何があったの?)

(イリスは……)


 イリスティーナをイリスと呼ぶのは、それだけ近しかったからだろう。

 希生という名は短過ぎて、そういう愛称は作れない。子供の頃は宅急便だの何だの呼ばれたものだが、そういったものでなく、もっとフザケのない愛称。

 少し、嫉妬する。


(イリスは、悪意なんて持ってなかった。分かってるんですよう。でも……)


 しばらく沈黙を置いた。

 急かさないように、しかし聞きたい気持ちは示すよう、撫でる手はゆっくりだった。

 再び、今度は少ししっかりした声で。


(イリスの前の持ち主がね、ある魔境の奥地で死んじゃって。やめろって言ったのに無茶したせいなんですけど。そこでアイオーンは、じゃあ、そこで待ってみることにしたんですよう。次にそこまで辿り着いた人を、新しい持ち主にしようって)


 ダンジョンの最奥で眠る伝説の魔剣。如何にもという雰囲気だ。

 最初は異世界人は初めてだという理由だけで希生と契約したように、アイオーンには気紛れなところもある。そういった気性の表れだろう。

 最強の剣士の剣になるために、そう間違った行動でもない。


(どれくらい待ったのかなー。10年や20年じゃ利かなかったと思うんですけど。やっと現れた冒険者は、でも、そんなに凄い剣なら主に捧げる! とか言い出して。騎士の兼業冒険者だったから。そうして、10歳のイリスに出会ったんですよう)

(10歳……。今は?)

(今頃は29歳かなー。去年まで一緒にいたんですけどね)


 18年も同じ時間を過ごしたのか。

 にもかかわらず、イリスティーナはアイオーンを捨てたのか。


(グラジオラス家は、オーガから国を守る辺境伯。その子供のイリスも、女とは言え将来は戦場に立つことが決まってたですう。だから強さを求めていて、だから魔剣アイオーンを求めた。幼いながらに、ただ義務だからじゃなくって、民の生活を守るためにっていう強い使命感のある子だったんですよう。手段としての強さ。そーゆーのもありかなって、アイオーンは思ったんです)

(その想いの強さから、最強の剣士に育てられるかもって、そう考えたわけだ)

(うん。とりあえず王国最強くらいにはなれるかなって)


 とりあえずで王国最強とは、大きく出たものだ。

 それだけの才能だったのだろう。それだけの想念だったのだろう。

 ノブレス・オブリージュ。気高い貴族の子だったのだろう。


(アイオーンの化身体はね、)


 ふと話が変わった。


(アイオーンの魂と紐付いたホムンクルスで。設定された年齢を維持するために、1年ごとに作り直すんですけど。魔境の奥地で待ってる間は、当然作り直しはしなかったですから、剣のままイリスに渡されて。イリスがアイオーンを握って、そこで初めて化身体を出したんですよう)


 懐かしむように、遠くを見るように、アイオーンは言う。

 その出逢いを。その感情を。


(剣の精霊さん? って、まんまるな目で。よろしくねって、本体を抱いたまま手を握って。化身体なんて何のためにあるのか、主のお世話をするなら念動魔術で充分なのにってずっと思ってたんですけど、この子が化身体を喜ぶなら、これはこれでいいのかなって……)

(可愛く思ったんだ。そのときの、その笑顔を)


 笑顔だなんてアイオーンは言っていない。

 会ったこともないその顔を、言われるまでもなく想像できる気がした。

 言葉もなく、頷く気配。


(ただの剣ならただの剣で済んだんですけど、人の体があるってことで、イリスの剣術師範って役職をもらうことになったですう。もともとの師範の人をやっつけて)

(それは可哀想なことをしたね……)


 将来戦場に立つことが決まっている、辺境伯の令嬢だ。それは既に師範はいただろう。

 永劫流に限らず武術において、ひとつの流派に絞って練習するということは重要だ。いずれも異なる『正しいやり方』を教えているのだから、いずれかに絞らなければどっちつかずになってしまう。

 複数の技術体系を混ぜるにしても、打撃技と組み技、のように内容が喧嘩しない技術を選ぶか、そうでなくても土台が揺らがない程度にひとつに練達してからが妥当だろう。


(立ち方と歩き方。もともとの癖を消すのは苦労したんですよう。最初のうちは逆に弱くなったくらいで。そこはアイオーンの化身体ってゆー完成形の現物があるですから、長い目で見てもらったんですけど)

(わたしほどトントン拍子じゃなかったわけだ)

(ですねー。結局まずまず形になるのに1年くらいかかったのかな。主の身体操作で『補助輪』つけるのも、すぐ気付かれちゃって、ズルみたいだからやめてほしいって言われたですし)


 ズルか。まあズルだろう。

 単なるド素人だった希生が、死の明鏡止水もあったとは言え、たった3日でホブゴブリンを一蹴できるほどにまで実力を高めたのだ。ズルに違いない。

 しかし戦いに出ることが決まっていたのに、そんな悠長なことを言っていて良かったのか。


(高潔だったんですよう。潔癖って言ってもいい。思えば、そんな性格だからあんなことになったんでしょう)


 あんなこと。

 刀身を指先で軽く叩く。


(……。手取り足取り、ちょっとずつ上達して。結果が出るようになると、あの子はとっても喜んだものですよう。アイオーンの見た目があれだから、師弟ってより友達感覚なところもあって。何度お茶に誘われて、一緒にお菓子を食べたことか。そのうち毎回の食事も一緒にするようになって、町に遊びに出るときも護衛って名目で一緒に、手を繋いで。夜は同じベッドで眠るようになって)

(どんどん仲良くなってったんだ)

(いつも、いつも一緒で。いつの間にか、イリスのいちばん好きな人は、アイオーンになってたですう)


 人ではないのに。

 彼女は剣なのに。

 化身体を使っておいてそんなことを言うのは、きっと酷なのだろうけれど。


(戦争で忙しい親も、イリスを尊敬する弟妹も、傅く家臣も、誰もイリスと対等にはなれなかった。アイオーンがそこに滑り込んでしまったんですよう。そんなつもりはなかったんですけどねー)


 苦笑の声音。

 本当に、アイオーンは意図していなかったのだろう。そうなってしまってから、それがイリスティーナのモチベーションに繋がるなら、とは思ったかもしれないが。

 そうして、あえて訂正はしなかったのかもしれないが。


(イリスが14歳の時。オーガとの一際大きな戦いが起きて、先代が戦死したこともあって、目覚ましい活躍を見せたイリスが新しい当主となったですう。それで、責任感と使命感が肥大化しちゃったせいなのかなー。アイオーンに、もう戦うなって言ってきたんですよう)


 戦うな?


(アイオーンは化身体で本体を振るって戦えるですから、そうして参戦してたんですよう。イリスが死なないようにって。殺して、殺して、殺して、殺して。時には敵中に取り残された味方を見殺しにすることも、時にはオーガの生物兵器で汚染された味方を殺すこともあったですう。

 イリスにはツラい戦いだった。ずっと泣いてた、涙が枯れても泣いてた。勝って終わっても、疲れ切るばかりで、笑ってる人なんかいなかった。アイオーンを除いては)

(あー……)


 アイオーンの精神構造には常人と異なる部分がある。それも口調のように『お母さま』の設定のせいなのか、どういう意図でそう設定したのかは分からないが、確かにある。

 のんびりと、あっけらかんと、笑っていたのだろう。それが彼女の、無表情よりもニュートラルな表情だからだ。契約主こそが大切なのだから、そのイリスティーナが生きている以上、普段通りに笑っていたはずだ。

 夢の中で会う以外に顔を見る機会のない希生だとて、念話回線を通じて笑みの雰囲気を感じることはしょっちゅうある。

 今も、力なく、寂しげに、笑っている。


(それが、ツラい戦いを、無理して笑って乗り切ったって思われたみたいで。壊れそうな心を、普段通りを装うことでギリギリ持ち堪えたって――半ば壊れることで自分を保ってるんだって、思われちゃったみたいで)

(そんなことあるのか……)

(何よりもイリス自身がツラかったから、それをアイオーンに投影したって面もあって。アイオーンもツラいはずだって思い込んじゃって。もういい、もう戦わなくていいんだって、涙ながらに訴えられて……アイオーンも自分で戦うより、戦いに使われたい道具ですから、そこまでは良かったんですけど)


 すれ違う。食い違う。


(でもそしたらね、それを言ったら、アイオーンは道具だからって言ったら、こう言うんですよう。イリスは――)

(道具じゃない、って?)


 先回りして答えを口にする。

 アイオーンから頷きの気配。


 イリスティーナの為人ひととなりが何となく分かってきた。彼女の高潔さが。

 彼女は常に正義でいたいのだ。自分の中に何か明確な基準があって、そこから外れることを嫌う。

 だからズルはしたくないし、その上で守るべきものを全力で守ろうとする。

 アイオーンの心を、守ろうとしてしまったのだ。


(道具なんかじゃない。心があるんだから、アイオーンは人なんだって。無理して笑う必要はないんだって。道具に甘んじないで、ちゃんと幸せにならなきゃダメだって)

(それは……)

(うん。ありがた迷惑ですよう。心のある道具ですもん。別に言い回しの上で、ひとりふたりで数えられたって文句言うほどじゃないですけど。それからのイリスは、アイオーンを戦いから遠ざけて、本体の剣も使わなくなって、自分以外にも友達を作るように言ったり、いろいろ遊びを提案したり、酷いときにはお見合いまで斡旋したりしたものですよう)


 酷い。それは酷い。

 思わず絶句した。

 道具に何を求めているのだ、そいつは。

 いや、道具に人であることを求めたのだ。それが人に道具であることを求めるのと同じくらい、道理に外れたことであると、理解しようともせずに。


(何度もやめてって言ったんですよう。アイオーンは道具だからって。ちゃんと戦いに使ってって。その度に、道具なんかじゃない、自分を卑下しちゃいけないって……。話にならなくて……。化身体を引っ込めると、人なんだから人の体を使わなきゃって泣かれるですし……)

(どうしようもないな……)

(うん。どうしようもなかったんですよう。それでもイリスは契約した持ち主だから、離れるわけにもいかなくて、たとえ契約通りにアイオーンを振るってくれなくなっても、見捨てることはできなくて。それを言っちゃったのが、間違いだったんですかね。イリスは目を輝かせて、そうだ、そこを見落としてたって、嬉しそうに……)

(まさか……)


 まさか。

 言ってしまったのか。


(『契約を解除する』って。これでもう道具じゃないって、満面の笑みで)


 それが捨てられたということか。

 ああ、悪意などなかったのだろう。善意と好意ばかりだ。

 それがどれだけアイオーンを絶望させたのか、イリスティーナはきっと理解していない。


(アイオーンは……人扱いされるのはヤだったですけど……。それでも、自分から契約を破棄するつもりはなかったんですよう。イリスがそれを望むなら、そのツラさの中で生きても良かった。騎士と友達みたいになってみたり、美味しいものをただ単純に楽しんでみせたり、下手くそな人ごっこでイリスが満足するなら、それでも良かったんですよう)


 弱々しく笑いながら、血を吐くようにアイオーンは言った。

 好きだったのだろう。きっと好きだったはずだ。正々堂々と、民を守るために戦うイリスティーナのことが、その所有物として好きだったはずなのだ。

 そうでなければ、18年も付き合うわけがない。


(でも捨てられたら、もう……。アイオーンは屋敷を出て、アテもなくふらふらして……そうして、希生に出逢ったんですよう)


 希生はアイオーンの柄をぎゅっと握った。


(契約したのも、希生が魂だけだったから、化身体を自然に使えなくできると思って……)


 そうか。

 もし希生の体とアイオーンの化身体が、最初から両立されていたとしたら、希生はアイオーンを道具として扱うことができただろうか。

 人として見てしまっていたのではないのか。

 魂だけになって漂着した異世界人だからこそ、この現在に辿り着いたのだとするなら、それは望外の幸運だ。


(ねえ、希生。これから先、希生の体とは別にアイオーンが化身体を作れるようになっても、変わらず接してくれるです? 武器として、師匠役をする強化アイテムとして、或いは給金のない侍女でも家政婦でも、夜伽でも。人じゃない、道具として)


 切実な響きを伴う声音だった。絶望を知り、それを恐怖する者の。

 そのために媚び諂いすらするとしても、それを嗤う気にはなれない。

 アイオーンをそっと持ち上げ、刀身の根元に口付けを落とした。


(約束する。イオはわたしの魔剣だ)

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