第42話 あたしだって冒険者なのよ
壁のろくにない3階の床の上を、竜は残る壁をなるべく崩さないよう尾を立てて、四足で体の向きを変えた。
希生たちの方へ。
「来る!」
竜が来る。一歩があまりにも大きい。希生たちが20秒以上をかけた階段への道のりを、竜はあっと言う間に詰めてしまう。
心眼が竜の気を感じ取る。食い殺す気だ。いや、殺す気だ。
人間の数人程度、竜の腹を満たすにはまるで足りない。だがドリスの血の匂いで興奮している竜は、その勢いのままに、目についたものを殺して遊ぼうとしている。
竜が宮殿を崩すことを嫌うなら、2階に下りてしまえば巨体で追っては来られない。階段を急いで下りる。
竜が迫ってくる。階段のすぐ上に顔が辿り着いた。大きく息を吸いながら。
「ブレスだ!」
心眼で誰よりも早く察知できる希生が注意を促す。
竜のブレスなど見たこともないが、それでも分かる。気から攻撃線が見える、いや、最早線ではない、面すら超えた立体だ。
灼熱の吐息が解き放たれた。燃え盛る黄金の業火は、まるで太陽を思わせる色。
階段を駆け下りる火炎の奔流に対して、手近に遮蔽物はないし、多少の遮蔽では諸共焼かれて終わるのみだ。
だがロヴィッサとベルタが、既に呪文を紡いでいた。
「駆け抜けよ、疾風!」
「広がり飲み込め、熱を喰らえ!」
ロヴィッサの放つ風が、火炎を吹き散らす。散らしても散らしても、あとからあとから火炎が吹いてくる。来る時に斃した生き甲冑の死骸が、巻き込まれてどろどろに融けていく。
火炎に直接触れなくても、周囲に巻かれ、放射される熱だけで蒸し焼きにされるところだ。そこをベルタの冷気が、温度を中和して事なきを得る。
いや、中和し切れてはいない。肌が赤く照らされ、焼け付きそうだ。
永遠にも思えた10秒が過ぎ、火炎放射がやむと、竜は再び息を吸い込んだ。
このまま防ぎ続けてもジリ貧だ。早く1階まで下りなければならない。
だがここの階段は、2階と3階は繋がっているが、2階と1階は繋がっていないのだ。崩落しているのではなく、最初からそういう作りになっている。
別の場所の階段から下りる必要がある。
赤熱する石造りの通路を、希生たちは駆け出した。
その背を追うような、ブレスの攻撃線が見える。
「我が手の内に風よ在れ――」
「我が手の内に冷気在れ――」
ロヴィッサとベルタが防御用の魔法を準備し、しかし希生が察知したブレスは、炎ではなかった。
「違うベルタ! 冷気のブレス!」
「はあ!?」
悲鳴のような声。冷気のブレスを、冷気の魔法では防げない。
竜がブレスを吐きだした。吹き荒れるのは極寒の吹雪か。大気中の水分が瞬時に凍りつき、輝きながら迫る極低温の息吹。
「駆け抜けよ、疾風!」
ロヴィッサの風が冷気の息吹を逸らす、いや、先の火炎よりもブレスが『重い』。低温故に収縮した空気は密度を増し、風で逸らされにくくなっているのだ。
「イオ!」
「合点ですよう!」
ベルタは防御できない。ならばアイオーンに頼るしかない。半透明の薄赤い光の壁、結界が廊下を遮断した。
冷気のブレスは結界に殺到し、溜まり、渦巻く。結界が見る見るうちに音を立てて凍りつき、ブレスの圧力に打ち砕かれた。冷気が追い縋ってくる。
「マジかよ……!」
だが結界で時間を稼ぐことはできた。ブレスに追いつかれる前に廊下を駆け抜けた希生たちは、階段を下り、1階に辿り着いた。重さ故に階段を這い下りてくる冷気は、空気と混ざり合い、厳冬の気温程度にまで薄まっていた。
上から竜の羽ばたく音が聞こえる。飛び立ったか。これで帰ってくれるなら有難いのだが、着地音が聞こえたのは中庭の方角ではなく、外庭の側だった。
やはり宮殿を破壊してまで入って来ようとはしないようだが、完全に獲物として狙いを定められたらしい。外に出ていけば、竜とご対面するハメになる。
1階には竜が頭を突っ込めるような穴は正面玄関くらいしかなく、そこから離れたこの階段の位置まではブレスが届かないのだろうか、今は攻撃がやんでいるのは救いだ。
4人はその辺に腰掛け、息をついた。
「冷気のブレスって……まさかだったわ……」
「赤炎熱竜って言ってたのにね……。あー、赤い炎のような体をした、熱を操る竜ってことか。高温も低温も熱だから……」
紛らわしい名前だ。
「困りましたね……。アイオーンさん、結界はあとどれだけお使いになれますか?」
「あれでしばらく打ち止めですよう」
火炎ブレスはロヴィッサとベルタで防げる。しかし冷気ブレスは希生のアイオーンならば短時間押さえられるが、連続して二度は無理ということだ。
そして仮にブレスを防ぎ切ったところで、巨体の運動能力もある。
「くっ、すまんみんな! 俺には何もできなかった!」
ヒューゴは悔しげに拳を握っている。
何もできなかったのは希生も同じだ。結界はアイオーンが使ったものに過ぎない。
こういうときに、戦士は無力だ。
所詮人が手に持って使う武器などというものは、結局人の身体能力の範囲でしか役に立たない。
大き過ぎる相手には、ただそれだけでもう戦えない。ましてやブレスという面の攻撃をされれば、もし盾を持っていたところで飲み込まれて終わるだろう。剣でブレスを斬れるわけでもない。
魔法でなければ対抗できないのだ。いくら身体強化したところで、そもそも身体強化自体が魔法である。
(修行を続ければ、ブレスを斬る技もあるんですけどねー)
あるのかよ。
だが、今はない。
階段の下から見上げたとき、喉に逆鱗は確認できている。
魔法でブレスを防ぎ、何とか近付いて、逆鱗を一突きするのが妥当だろう。それ以外の部分は斬れる保証がない。逃げるにしても、空を飛べるのだから逃げ切れない。
「逃がさないって気を感じるよ。斃すしかない。とりあえずブレスを防がないことには始まらないから、ロヴィッサとベルタは火炎の防御を優先してもらうとして。問題は冷気ブレスなんだよね……」
竜がどちらのブレスをメインに攻めてくるかは分からないが、こちらに都合のいい方しか使わないということはあるまい。
冷気ブレスは風で逸らせないし、結界は連続では使えない。
ここをどうにかしなければ、方針が斃すでなく逃げるだとしても、何も変わらず詰むことになる。
「何かないか……。あ、」
思い出した。
以前戦った山賊の頭目、火炎使いのマイニオは、自分や味方に火炎耐性を授ける魔法を持っていた。
同様に冷気使いのベルタも、冷気耐性を付与することができないだろうか?
この期に及んで言い出さないということは、恐らくできないのだろうが、念のために聞いておく。
「ベルタ、こう、冷気への耐性を付けるような魔法は」
「……」
「ベルタ?」
目を逸らされてしまった。
彼女の唇が震えている。
ヒューゴが何も言わずにベルタの肩を抱き、軽く叩いた。慰めるかのような所作。
そんなに酷いことを言っただろうか?
恐怖と躊躇の気を感じる。
「俺が身体強化以外が苦手なように、こいつは逆にそういう付与系が苦手なんだ! 温度感知くらいしか使えない!」
確かにベルタの使う魔法は、殆どが冷気の具現と操作に終始している。
それはそれで構わない。この窮地において、ないものねだりをしても仕方ない。
だが反応が明らかにおかしい。ベルタもヒューゴも。仲間としてそれが気になるのは、決しておかしなことではないはずだ。
かと言って無理に聞き出そうとして、士気が下がるのは避けたい。この状況では致命的だ。
迷い、何も言わずに見詰めるだけになってしまった。
それを「お前の判断に任せる」という意志だと受け取ったのか、ベルタは自身の肩を抱くヒューゴの腕をそっと外した。
「ベルタ!」
「いいのよ。ヒューゴ。大丈夫」
声が震えている。恐怖の気。
それは竜と戦うことへの恐怖よりも、もっと別の恐怖が色濃かった。
「耐性付与はね、あたし、本当に苦手なの。て言うか使える人の方が少ないわ。でも……ブレスは防げる」
「どうやって?」
「火炎のブレスを冷気の魔法で中和したのと一緒。冷気のブレスを、炎熱の魔法で中和するのよ」
ただそれだけを言うことにさえ、ベルタは息を切らしていた。
「使えるの?」
バカバカしい質問だ。使えるから言っているのだろう。
しかし、水の魔法を使える魔石の指輪をベルタは装備しているが、そういった類のアイテムはそれだけだったはずだ。
簡単な火の魔法を使える程度のアイテムならロヴィッサが持っているが、これは野外調理などの火種に使うのが関の山だ。
「あたしの属性、冷気じゃなくて『熱』だもの。あの竜と同じ。低温も高温も使えるわ」
「じゃあ今までは……」
ずっと冷気使いとして振る舞ってきた理由は。
彼女は自分を抱き締めながら、歯を食い縛って言う。
「練習し始めの頃に、失敗してね。自分を思いっ切り焼いちゃって……それ以来……。今でもたまに夢に見るわ」
「無理をするな、ベルタ! ほかに何か方法が……!」
つまり、トラウマか。
炎熱を使うことが、心の傷になっている。
それを口にするだけでも、こうも疲弊するほどに。
焚火などをしても特に怯える様子はなかったから、まるで気付かなかった。恐らく血の滲むような努力をして、苦手意識を克服したのだろう。他人が火を使うなら、それは問題ないくらいには。竜の火炎ブレスに対してさえ、的確に冷気の魔法で対抗できるくらいに。
だが自分が火を使うのは恐ろしい。また失敗して、自分自身を焼くのではないかと。それは理屈ではない。
希生は思い悩んだ。
「いいえヒューゴ、あたしが無理をしてでもやるしかないのよ! 発火アイテムならロヴィッサが持ってる、キキのアイオーンだって火の魔法は使える、でもそれじゃあ出力が全然足りない。あたしの魔力で撃たなきゃ、ブレスは防げないわ」
「それはそうだが……!」
「あたしがやる。あたしだって冒険者なのよ」
「本当に防げるのですか? ベルタさん」
悲鳴のような声で言うベルタに、ロヴィッサが口を挟んだ。険しい表情だ。
「もう何年もお使いになっていない魔法なのでしょう? 不発や……それこそ暴発の危険性がございます」
確かにそうだ。
ベルタの精神的なダメージを代償とするばかりではない、代償だけを支払わされて成果が出ない可能性がある。
だがそれに対して、ベルタは、自分に怯えながらも毅然として言った。
「大丈夫。やれるわ」
「なぜ?」
「キキに立ち方を教わったでしょ。魔石に意識を、より強く長く接続できるようになったから。魔法の制御力も上がってる。感覚的に分かるのよ。行けるって。あとは……この震えさえ止まってくれれば……」
震える手を、自分の手を、ベルタは必死に掴んで止めようとしていた。
今にも泣きそうな顔で、肌が白く張り詰めるほどに強く、力を込めていた。
ヒューゴがそこに手を重ねて押さえつけても、震えは止まらなかった。
希生はヒューゴの手をどかし、ベルタの手をそっと包むように握った。
「あ……」
震えが治まっていく。
「あれ……? どうして、キキ……」
人は強い力で触れられると、その部位に力が入る。身を守る本能的な防御反応だ。しかし逆に弱い力で触れられると、安心して力が抜けるのだ。
希生はまるで力の入っていない綿のような手で、ベルタの手を包んだ。それがこの感応現象を引き起こし、ベルタの手から緊張を抜き去った。
手が脱力すれば、腕も脱力する。腕が脱力すれば、肩も脱力する。そうすれば首も、背中も。腹も、足腰も。波及していく。
初めてホブゴブリンと戦った時のことを思い出す。剣をそっと握ることで、全身を脱力させ、緊張を解いたことを。
立ち方の基本のひとつは無駄な力を抜くこと。それを修行してきた希生だから、それだけの感応を引き起こす脱力ができる。
そして希生はゆっくりと呼吸する。
息を吐いて、吐いて、吐いて、吐き切ったら、鼻から吸う。肺を空っぽにして、新鮮な空気をたっぷりと吸い込んで、深く呼吸する。
横隔膜の運動が胸の重心を動かして、脱力した胸椎がそれを受けて波を起こし、体内を伝わっていく。胸から腕へ、手へ、ベルタへ。行うべき呼吸の深さとリズムを、言葉でなく無意識の感覚で伝達する。
呼応して、ベルタの呼吸が希生と重なっていく。それは落ち着くための呼吸だ。その深さ、そのリズム。
立ち方を整えれば、呼吸もまた整う。ひいては精神も整うし、それを伝えることもできる。
ベルタはいつしか、恐怖が和らいでいることに気付いた。
強気に、にっと笑ってみせる。
「なんか……よく分からないけど……。ありがとキキ。行ける気がするわ」
「確かに、行けそうなお顔になられましたね」
「ベルタ! やれるのか……! ならばブチかましてやれ!」
ブレス対策はできた。
遠距離攻撃が通じないなら、空襲を避けて接近戦を挑んでくれるはず。
そのときこそ、剣が届く。




