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第41話 ずっと夢見ていました

 夢中で竜を見るヒューゴ、ベルタ、ロヴィッサ。希生も目は竜に向けているが、意識の一部はドリスを注意していた。

 窓の前に並んで竜を見る4人からふと離れ、後方に回ったその動きに、いったい何の意味があるのか? 足音を抑え、気配を抑えて、まるで気付かれまいとするかのように。


 心眼で気を探ると、表層の感情は竜への好意と興味で埋まっていた。

 今日限りのとは言え、竜の観察仲間である希生たちへの好意も先ほどまではあったのだが、今はそれが殆どなくなっている。いや、竜への好意に押し潰されている。

 思考を探る。風の魔法を使おうとしている?


「強い強い風、この手の中に。どーんと――」


 ドリスの口から紡がれる呪文。こちらに向けた手に収束する風。

 呪文は魔力に形を与え、現象を起こす触媒だ。それは意味の通る言葉であれば良く、言語や口調は問われない。

 固めの言い回しで気合を入れる流派もあるし、相手を油断させるために平易な口調で唱える流派もある。ドリスは後者のようだ。

 だからなのか、ヒューゴたち3人に、その呪文の声が聞こえても警戒は湧かなかった。一瞬のこと。


 警戒したのは希生だけだ。風の魔法を『どう』使おうとしているのか、心眼で見切れた希生だけ。

 ドリスへと縮地し、振り向きざまに裏拳を頬に叩き込んだ。呪文が途切れる。


「ぶげっえ……!」


 歯で口の中を切ったか、血を吐きながらドリスは転がった。


「どうした!」

「え!? 何!?」

「キキさん……!?」


 遅れて3人も振り向く。彼らの目に映るのは、ドリスが手をついて上体を起こしながら、もう片手で必死に、外れた顎を嵌めようとしている姿。眼鏡は落ちて、涙の溢れる両目がよく見える。

 そして、そんな彼女の前に立つ希生。


「はが……! あがが……!」


 ドリスは口から垂れ流される血と涎を止める余裕もなく、何とか顎を嵌め込むと、痛みに呻きながら眼鏡を拾ってかけ直す。


「キキ! いきなり何を!?」


 後ろからヒューゴが肩に手を置いてくる。

 なるほど、希生が突如として暴挙に及んだようにも見えようか。

 しかしヒューゴの手は優しく、単にこちらを向いてほしい、どういうことなのか教えてほしいという感情が窺えた。


 希生は深呼吸して気を落ち着かせ、それから述べた。


「わたしたちを突き落とそうとした」


 息を呑む気配、3人分。


「強力な突風の魔法で、わたしたちを窓から中庭へ……。心眼で分かった。窓から身を乗り出すだけで、巣に入ったと見做されて襲われるって言ってたのに。完全に中に入れてしまおうと……!」


 3階から落ちれば、いくら魔法があっても突然のことだ、着地に失敗する可能性もある。

 あまつさえ中庭は焼き固められた粘土のような分厚い物体で、扉や窓など出入口になるものが封鎖されている。竜が土と炎の吐息で工事したのだろうか。余計なものが巣に入ってこないように、或いは、巣に入ったものが逃げられないように。

 そんなところに落とされれば、竜に襲われるしかなくなる。逃げられない状況で。


「痛い……。ひい……。痛いです……」


 口の中に溜まった血を脇に吐きながら、ドリスは呻く。まだ立ち上がる気力はないらしい。

 4人を見上げてきた。苦笑する。


「まさかの、読心術師さんだったとは……。それも無詠唱って、ズルいですよ。そんなレアで高度な技を……」

「そんなことはどうでもいい。なぜわたしたちを落とそうと?」


 希生がドリスを見下ろす目は冷たい。一瞬遅れれば、間接的に殺されていたのだ。

 既にアイオーンに手をかけている。

 ドリスは笑った。


「だって、見たくなっちゃったんですよ。竜の捕食シーン!」


 きらきら輝く目で、底なし沼のように笑った。


「竜は素敵な生物です! どんな場面を見たってわくわくします! でもね、やっぱり刺激が欲しくなるじゃないですか。一度ご馳走を食べれば、今度は更なるご馳走を食べたくなるものです。寝てるところを見れば、起きて歩くところも見たくなる。空を飛ぶところも見たくなる。爪を振るうところも! 牙を立てるところも! 躍動する、竜の体と心を、見たくなるでしょう!? 自然なことですよ。いやあ……もうやめようとは思ったんですけどね。私自身だって危ないですから。でもダメ……! 全然ダメ……! こうして竜の実物を見ると、もう心はそれ一色! 見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たいんですよ! 何度反省しても、その衝動には抗えません! 仕方ないですよね、好きなんだから。別に皆さんじゃなくても良かったんですけど、ちょうどすぐ近くにいたものですから……じゃあ落とせば、見られますよね、って。つい。ンフフ。つい!」


 竜について語るときのように、滔々と溢れる言葉。

 本気だ。本気で言っている。

 罪悪感なく、悪意すらなく、ただ己の興味と欲求に従っているだけ。

 対照的なまでに絶句する仲間たちの気配を背負いながら、希生は問うた。


「なんか……聞きたくないけど……。でも聞いてると、つまり、前科があるわけ? 前にも人を落としたことが?」

「前科はないですよ。バレてませんもの。これまでに、5パーティー19人をここの竜に食べさせたことはね」


 やはりだ。

 希生はここで義憤に燃えるような人間ではないが、かと言って捨て置いていいとも思えない。

 鯉口を切った。


「でも……どうやら、もうダメみたいですね。やっぱり、やるならやるで、もっとちゃんと計画的にやるべきだったんだろうなあ……」


 ドリスはあくまでも衝動に従っていた。

 落としやすい人間を選んで近付いていたわけではなく、あの接触は本当に、竜に興味のある仲間を見付けて嬉しかったのだろう。恐らく、これまで落とした分に関してもそうだ。

 そこが隙になった。獲物を事前に調べないから、こうして土壇場でバレたのだ。これまでは運が良かっただけだろう。

 運が悪ければ死ぬ。冒険者としては、当然のことではある。


「ロヴィッサ」

「はい」

「官憲に突き出すべきかな?」


 ロヴィッサは間を置かずに答えた。


「いえ。魔境ではろくに捜査などできません。証拠も全て竜の腹の中。本人の自供とわたくしたちの証言だけでは、罪を立証できずに無罪放免となってしまう可能性がございます」

「じゃあ……ここでやるしかないか」

「それがよろしゅうございましょう。初日に剣を狙ってきた者たちのように、犯罪冒険者を返り討ちにするということで」


 ヒューゴとベルタも異論のある様子はない。

 実際に風の魔法を使われる前に希生が止めたため、実感は薄いようだが、ドリスの自供で充分に精神的な衝撃を受けている。


 さて、いざ剣を抜こうとして、そこにドリスが声をかけてきた。


「あの……お願いがあるんですけど」


 今さら何を言うのか。

 お願いができる立場だと思うのか。

 それでも聞くだけなら別に苦労があるでもない。顎をしゃくり、続きを促す。


「私を突き落としてください!」

「は……?」


 相も変わらずきらきらと輝く目をしていた。


「殺すんですよね? でも結果的に私が死にさえすれば、何も直接手を下す必要はないでしょう。それなら突き落としてくださいよ! そして観察してください! 竜の捕食シーンは見応えたっぷりですよ!」


 改めて思う。こいつは狂人だ。

 希生たちは4人が4人とも顔を顰め、言葉を失った。


「お願いします! ね? 最期は竜に殺されたいんですよ! 人は一度しか死ねないんです。そのたった一度を竜に捧げさせてください!」


 ドリスは血塗れの口元を拭いもせず、胸や腹までも血で汚しながら、手をついて立ち上がった。

 それは自ら中庭に落ちるためだ。希生たちへの害意など一切ない。


 彼女は『本物』だ、と希生は思った。

 ただひたすらに竜を愛し、竜を求め、竜に求められたがっている。そのために命を捧げている。生きることも死ぬことも、双方を含めた『命』の全てを。

 それは狂気だ。狂気があるから本物になれる。ただ生きていくだけなら必要のない分野で、そうしなければならないわけではないことで、頂点に立てる。


 翻って、では、自分に狂気はあるだろうか。最強の剣士という頂点に立てるだけの狂気が。

 ヒューゴにならあるかもしれない。幼少期、最強の剣士になる男だからとゴブリンに立ち向かい、実際に怯まず戦ったヒューゴ。日に数千回の立木打ちを欠かさずこなしてきたヒューゴ。修行のためとなれば、凄まじい集中力で希生に四六時中ついて回るヒューゴ。この竜の威容を見ても萎えることなく、戦ってみたいと本心から口にしたヒューゴ。

 ヒューゴなら。

 自分は?


 そう思ったとき、勝てないと感じてしまった。

 ドリスに勝てない。殺すのは容易いが、それとは全く次元の異なる問題として。

 言われた通りに竜に食わせれば、それはドリスの勝利だ。そうせずにただ殺したとしても、こうして竜の傍で死ねるなら、ドリスはそれはそれで本望だろう。

 では離れたところまで連れて行って殺すか? そもそも彼女は竜のために生きて、竜のためにやり過ぎたから殺されるのだ。どこまで行っても、その死は、命は、竜と繋がっている。

 徹底している。徹底しているから、死んでも負けではない。


 希生はドリスを斬ることを躊躇った。

 思考の経緯はともかく躊躇ったことだけは察したか、3人がそれぞれ武器を握る手に力を込めたとき、


「ああー!」


 ドリスが歓喜の声を上げた。

 彼女の見ているのは、窓の方向。竜のいる方向。

 心眼の範囲内にあっても、今はドリスに集中し、そちらの知覚は漠然としていた。振り返りながら意識を向ける。


 竜が、立ち上がっていた。

 四足の立ち姿、雄大。

 広げた翼はそれ一枚で、鼻先から尾の先まで以上に長い。それが一対二枚。


「何だ!? ここで騒いだせいか!?」

「ンフ、恐らく血の匂いでしょう。私の血の匂いに、食欲を刺激されたんでしょう! 来て! さあ来てください!」


 確かにここは風上だった。

 ドリスが、迎え入れるように両腕を広げた。

 竜の翼の下に突如として不自然な風が生じ、強引な揚力がその身を重力に逆らい持ち上げる。羽ばたき、そして飛び立った。向かってくる。


「逃げろ!」


 窓辺から離れ、天井の全てと壁の半分近くがない部屋を出ようと走る。

 巨大な影が足元を横切った。竜の巨体。もう上に来たのか。見上げると、竜は旋回しながら減速するところだった。

 そして宮殿の3階に降り立つ。まるで着地しようとするヘリコプターのように、突風が周囲へ撒き散らされる。だが床に与える着地の負荷は、思いのほか静かだった。建物をなるべく崩すまいとするような、ソフトな着地。

 壁も既に崩れている箇所に体を通し、新たに崩そうとはしない。


 どうやらこの宮殿の建物も巣の一部だという認識なのか、壊すことを厭うらしい。心眼がそういう気を感じている。

 ならば2階や1階に下りれば、竜は入ってこられない。希生たちは階段へ急いだ。


 その後方で、ドリスが竜と対面していた。


「嗚呼。嗚呼! ずっと夢見ていました。死ぬならこんな死に方を! 自分で捧げる前に、竜の方からこっちに来てくれるなんて! 赤炎熱竜、私をあなたの――あっ、」


 竜が口を少しだけ開けて閉じ、ドリスの左腕を食い千切った。


「ぎゃああああああああああああああ!」


 ぼたぼたと、滝のような出血。

 ドリスは涙を流し、痛みに叫び失禁すらしながら、しかしそれは歓喜の叫びでもあるのだ。

 竜は鼻先でドリスを押し倒すと、脚を口で摘まむように噛み付いた。牙を開閉しながら、長い舌を足に巻き付けて少しずつ引き摺り込むさますら、希生の心眼には感じ取れた。


「痛い、痛、ひぐっ、ンフ、あははは! 焦らすような、こんな、ああ! ごめんなさい、痛がってほしいんですよね? 竜よ、ごめんね、痛いより嬉しくて! ああ――ん、ああ、あひゃああああああああああ!」


 ドリスの、腹の奥底から迸るような声。

 あまりの激痛に――違う、そうではない、あまりの悦びと快感に、全身を震わせ全身で叫んでいる。

 それが中途で湿った音と共に途切れて、そうして彼女は飲み込まれていった。


「こっち来るなよ……来るなよ……帰れよそのまま帰れ……!」


 希生は祈りながら、今、階段に辿り着いた。

 竜がぐるりとこちらを向いた。

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