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第33話 誰か戦ってるっぽいね

 下水道は、まるで最初から迷宮として作られたかのように、複雑に入り組んでいた。ところどころ崩れて進めない箇所を除いても、だ。

 硬い岩盤を避ける形で道を繋げなければならなかったせいなのか、或いはこれも空間の捻じ曲がりによるものなのか。

 何度も道を行き来して地図を作っていく中で、再び全く別の場所に迷い込んでしまうということは幸いにもなかったが。


 幸いと言うなら、魔物が強くないことも幸いだろう。ネズミやコウモリ、虫は光や人の気配を嫌って逃げていくし、スライムも対処できる敵だ。

 水路の脇の歩道スペースも幅が広く、剣を振ったり立ち回ったりするのに支障はなかった。


 何時間を彷徨い歩いただろうか。地上に繋がる道は未だに見付からない。

 時々マンホールに繋がっている梯子はあるのだが、上ってみても、地上側で建物なり何なりが崩れているらしく、蓋にかかる重さが持ち上げられる範疇にないものばかりなのだ。

 瓦礫が蓋に圧し掛かっているのなら、蓋を切り裂いて瓦礫の山を崩してやる手も考えられるが、潰される危険が伴う。これはどうしても出口が見付からない場合の、最後の手段とされた。


 ヘッドライトに魔力切れがないのが救いか。

 正確には充填された魔力が尽きることは普通にあるのだが、使用者自身の魔力を注いでもいいし、大量に狩ったスライムの魔石から魔力を移してもいい。

 この闇の中で、光を失う心配はしなくても良さそうだ。


 しかしどこも同じようにすら見える、複雑な地下迷宮をただ探索するのは、精神的にツラい。

 自然と口数は減り、重苦しい沈黙が一行を支配する。

 それを打ち破ったのは、希生の腹の音だった。


「……キキ?」


 隊列の真ん中にいるベルタにとって、後ろからそれが聞こえれば、誰のものかは自動的に特定できる。彼女より後ろは希生しかいない。

 彼女が足を止めて振り返ると、残りも応じて止まり、向き合う形となった。

 希生は別に照れるでもなく、淡々と述べる。


「ああ、うん。腹減ったよね」

「確かに……。なんか暗いせいか時間の感覚が微妙だけど、お腹は空いたかも」


 腹を撫でながら、ベルタ。

 ロヴィッサは苦笑の色を浮かべていた。


「このような空気の悪い場所よりも、できれば地上に戻ってからと考えておりましたが……お食事にいたしましょうか」


 地上への道を見付けるより先に、腹の限界が来てしまった。

 ゴブリンの跋扈する地上より、せいぜいスライムが散発的に襲ってくる以外には脅威のない下水道の方が、むしろ食事を取るにも安全かもしれない。


 一行は従属異界からシートを取り出して敷く。別にそのまま座って汚れても、従属異界の選別収納で汚れだけ分離できるのだが、座り心地が違う。

 地上に帰れるかどうかが微妙な状況なので、些細なことでもせめて気分は明るく行きたい。


 と、ヒューゴが水路に近付いて、水に視線を落とした。


「もし出られずに食料が足りなくなったら、現地調達するしかないな! 魚でもいるといいんだが!」

「縁起でもないこと言わないでよ……」

「いたとしても、そんな汚い水にいた魚喰いたくないな……」


 選別収納も万能ではない。表面の汚れはともかく、魚が飲み込んだ泥水までは無理だ。

 まだしもネズミやコウモリの方が、という錯覚すら浮かぶ。


 ロヴィッサがシートに座って弁当を用意している。ヒューゴはゆっくりとそちらに振り返り――


 希生とベルタが慌ててヒューゴを引っ張ると、寸前まで彼がいた虚空に、大きな口が噛み付いていた。


「何だ!?」

「ワニだ!」


 ワニだ。体長何mになるのだろうか、全容は窺えないが、水路から暗褐色の鱗をしたワニが顔を出している。

 水中に潜んでいて、水辺で油断していたヒューゴを狙ってきたのだ。


 ヒューゴとその向こうの水面を見ていた希生は、それが水面を揺らした僅かな動きで攻撃を察知した。

 ベルタはそれよりも一瞬早く動き出していて、結果的に希生と同時にヒューゴを引っ張ることとなった。彼女には温度感知の魔法がある。変温動物とは言え、水温よりも僅かに高いワニの体温を、水を透かして察知したのだろう。

 ロヴィッサも感知魔法を使っているが、これは空気や空気に触れているものを対象とするものだ。水中は範疇外だった。


「ワニって言うの!? 小型の水竜って感じだけど……!」


 確かにそう見えなくもない。

 ロヴィッサが立ち上がり、ヒューゴが振り返る頃、ワニはのっそりと水に戻っていった。不意打ちが失敗したら素直に諦めるようだ。

 わざわざ汚い水中へと追いかけてまで斃す必要はないだろう。希生たちはそれを見送った。


「……ビックリいたしましたね」

「ぬう……! 俺もまだまだ未熟か! 不意打ちに気付かんとは!」


 ヒューゴは悔しそうにしながら剣を構え、ワニを睨みつけていたが、ワニはもうこちらに興味を持たず、水路を泳いで去っていった。

 あのワニは魔物だったのか、内臓魔石を持たない通常動物だったのか。どちらにしても、人間にとっては充分な脅威だ。


 一行はシートを水路から離し、壁寄りに敷き直した。

 どの道、腹は空いたし、食事を取ると決めたのだから取るが、誰もが水面を警戒心たっぷりに見詰めながらの食事となってしまった。

 スライム以外は逃げていくだけだからと、油断していたことを思い知らされた。


「水路からちょっと離れて歩くことにしよう」

「そうしよう!」

「ええ」

「それがよろしゅうございましょう」


 満場一致だった。


 いまいち味のよく分からない食事を終えると、片付けをして、再び歩き出す。

 もちろん水路から充分に離れて。そして天井のスライムだけでなく、水面も照らしながら。


 しかしこの場所は都市としては既に滅んでいるのに、なぜ下水道に水が流れているのだろう。

 どこかに穴が開いて、地下水が湧出しているのか。それとも、これも再現される時間の捻じ曲がりなのか? 都市が生きていた頃の水が再現されているのか。

 答えは出ない。


 水路を跨ぐ小さな橋を慎重かつ迅速に越えながら、一行は地図を埋めていく。出口は見付からない。


 不意に叫び声が聞こえた。人間の絶叫だ。

 次いで足音が無数、水音、怒号、悲鳴。途切れない。

 だいぶ距離があるようだ。


「誰か戦ってるっぽいね」

「のようだな! 行くぞ!」


 ヒューゴは闘志を燃やした。

 下水道に迷い込んでから、初めて人と会うのだ。

 彼らも迷い込んだのかもしれないが、普通に出入り口を知っているかもしれない。脱出の糸口だ。万が一にも死なれるわけにはいかない。

 もし強敵と戦っているのなら、助太刀しなければ。


 音を頼りに、一行は急いだ。

 反響があって距離や方向が分かりづらいが、希生の見切りの感覚ならばそれも冷静に弁別できる。

 迷路のような作りと、崩落で道が塞がっている場合があるのとで、入り組んだ道のりになっているが、これもロヴィッサの『空気と感覚を合一する』魔法がある。感覚の触手を伸ばして先行させ、行き止まりの道を実際に進む前に確認できる。


 間もなく進む先に光が見えた。闇をくり抜くような強い光が複数、乱れてブレている。

 希生たちと同じ、魔石ヘッドライトの光だ。


 人数は3人。

 ひとりがワニに脚を噛みつかれていて、残るふたりがそれを助けようとしている。


「ぎゃっ……! あがあああああ!」

「掴まれ! しっかり掴まれ!」

「クソッ、こいつ硬すぎる……!」


 ワニは先ほどヒューゴを襲ったものより、一回り大きく見えた。人を丸呑みにできるサイズだ。

 暗褐色の鱗、額には短い角。角?


(魔物化に伴って角が生えるっていうのは、よくある変化なんですよう。内臓魔石が頭の中にあるせいか、頭に変化が現れやすいんですよねー)

(じゃあ角のなかったさっきのワニは……)


 あれは通常動物だったのか。

 ダンジョンに魔物ではないただのワニが出る。不思議な気持ちになる。


 ともあれ今は角ワニだ。

 角ワニは3人パーティーの剣士に斬りつけられながら、頑丈な鱗でそれをものともしない。

 不意に角ワニが引っくり返って腹を見せた。更に回転して元に戻ると、咥えられた少女と、彼女が飲み込まれないよう必死に手を掴む男が振り回される。

 回転は一度で終わらず、二度、三度、繰り返すごとに加速し、ふたりを地面に叩きつけ、遂に掴んだ手が離れ離れとなった。


「助太刀する!」


 瞬動術。ヒューゴが数mの距離を一息に詰め、角ワニの脳天に大剣を振り下ろした。

 角ワニの鱗はそれで斬られることはなく、しかし長大なツヴァイヘンダーの切先は梃子の原理で加速し、遠心力もあってその衝撃の重みは甚大だった。

 少女を飲み込もうとしていた角ワニが怯む。


 その隙にロヴィッサが少女を抱き締め、角ワニの口から脚を引っ張り出した。


「我が手の内に冷気在れ!」


 ベルタが呪文を唱える。その手に青白い霧のような冷気が具現化される。

 同時に、角ワニの角に光が灯った。内側からせり上がる光は漏れ出るように、ぱぢり、と弾ける音を立てた。風を感じる。


(電撃ですよう!)

(はい避雷針!)


 咄嗟に希生が前に出て、アイオーンを抜刀しざまに投擲した。スリングの経験で投擲には慣れている。鞭身で導いた力を、小指と薬指の握りで留めず、そのまま解放すればいい。

 角から電光が溢れた瞬間、その角の根元に突き立ったアイオーンが避雷針となって電撃を吸収。逆に角ワニ自身へと電撃を流した。

 火花が散り、角ワニが痙攣する。


(あー上手くいって良かった……)


 希生は密かに胸を撫で下ろした。

 何しろあまりにも咄嗟の判断だった。


 角ワニにヒューゴがもう一撃振り下ろし、確実に動きを止めていく。


「矢と化して飛び凍てつかせよ!」


 そしてベルタの呪文が完成。

 冷気の矢が角ワニの胴体に突き立ち、そこから体内へと冷気が浸透して内臓を凍結させた。角ワニはもがき、ぐったりと動かなくなった。

 液体生物のスライムなら解凍すれば復帰するが、ワニはそういう意味では普通の動物だ。水が氷になる際の膨張によって細胞を破壊され、最早この時点で死亡が確定している。


「助太刀した! 大丈夫か!」


 ヒューゴが大剣を担ぎ、大きな声で話しかけた。

 戦闘でも真っ先に飛び出し、そして真っ先に声をかける。行動でストレートに味方だと主張する。意識しているわけではなく、彼の前向きさと猪突猛進さが自然とそうさせている。

 それが伝わったのだろうか、3人パーティーは一様に安堵の吐息を漏らしていた。


 脚を噛まれていた少女も、今は苦痛に顔を歪めてはいなかった。

 ロヴィッサの医療魔術。光の糸が傷に絡みつき、神経を欺瞞して鎮痛、流れ出る血の一部を操って異物を洗い流し、光の糸を断裂した肉の代替としながら縫合。自然治癒を著しく促進させ、免疫機構に強化魔法をかける。


「ありがとう……ありがとうございます……」


 少女は泣いていた。


「た、助かった……」


 男たちが座り込んだ。


 その後、角ワニの死骸の傍で休むのも少々気は進まないが、結局全員がそこに腰を下ろすこととなった。3人パーティーに立ち上がる気力がなさそうだったからだ。

 死骸はアイオーンの刃で鱗を切り開かれ、既に魔石を取り出されている。希生たちの取り分だ。

 従属異界で持ち込んだ枯枝で焚火をつけ、7人で囲む。ヘッドライトは切っておいた。


 3人パーティーは、角ワニに通用していなかった剣士がパッシ、噛まれていた少女がヤニカ、彼女の手を掴み引っ張っていたのがクルトと名乗った。

 彼らの首元には、銀色の認識票が揺れていた。白銀級の冒険者だ。


「まあ、油断してたよな。もう初心者じゃないってさ」


 とパッシ。


「白銀級までトントン拍子だったからねー。別に実力の指標じゃないのにね」


 納税額の指標だからね。

 ヤニカは苦笑している。


「そもそもここに来たのだって、ヤバいのに遭って逃げてきたってのにな……」


 クルトが気になることを言った。

 何しろ希生たちが彼らを助けたのは、この下水道の出口を知るためである。彼らがどうやってここに来たのか。

 会話を進めていくことにした。

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