第31話 好きなんでしょ?
それからというもの、ヒューゴはひたすら希生を目で追うようになった。
訓練場で立木の代わりにダミー人形を打つときも、希生に隣で並んで打ち込んでくれるよう頼み、横目に見ながら打っていた。
宿に帰るときも、希生に前を歩かせた。隣だと、身長差と傘でよく見えなかったらしい。
ベルタとロヴィッサが帰って来ても希生を見ていた。
食事中もずっと希生を見ていて、危うくスープをこぼしかけた。
希生を見るために常に後ろをついていったし、風呂に入ろうとする希生にまでふらふらついていき、ベルタに引っ叩かれる事態になった。
希生が風呂から上がると(今日もロヴィッサと一緒だったが、洗われたり抱っこされたりはしなかった)、希生とロヴィッサの部屋の前にベルタが待っていた。
腕組みをして仁王立ちである。ご立腹の様子だ。
仕方がないので部屋に招き入れる。
希生がベッドに腰掛け、ロヴィッサがそのすぐ隣に腰を下ろし、希生が半歩分距離を置いた辺りで、ベルタの顔が引き攣っていた。
別にイチャイチャしているわけではない。
「で。どういうことなの」
そう言われても……。
希生は首を傾げ、問い返した。
「わたしらが風呂行ってる間に、ヒューゴに聞いたんじゃないの?」
「聞いたわよ! そしたら修行のためだとかわけの分からないこと言って……! 女の子を追いかけ回してずっと見続けるってどんな修行なのよ! て言うかあんたも何事もなかったかのように風呂入ってんじゃないわよ」
地団駄を踏むベルタ。
下の階の人に迷惑だからやめてほしい。
あと人を指さすのも行儀が悪い。
どうやらヒューゴの説明が悪かったらしいので、改めて希生が説明する。
武術の基本は立ち方と歩き方にある。正しい立ち方を洗練することで、歩き方や剣の振り方にさえ繋がっていく。ヒューゴの瞬動術はその一環である。それを更に伸ばすため、より正しい立ち方をしている希生を見本にするよう言ったのだ。
それで風呂にまでついて来ようとするのは、もちろんヒューゴが悪い。
彼のことだからスケベ根性などは一切なく、希生がどこに向かっているのかまで考えていなかっただけだろうが。
ベルタはジト目で見てきたが、希生が焦ることもなくあまりにもスラスラと説明するものだから、次第に表情の勢いが萎んでいった。
怒り顔から困惑顔へ。
眉を下げ、視線を彷徨わせながら、ベルタは言う。
「……じゃ、ホントに修行なの? 何か……ふたりで訓練場行って、何かあったわけじゃなくて?」
何かって何だよ。そういうことは何もないよ。
もちろん互いに好意はあるが、それは仲間としてだ。
希生は肩を竦めた。
「大丈夫だよ。ベルタのヒューゴを取ったりしないから」
「取っ……! 別にあたしのじゃないし! 変なこと言うのやめてよね……!」
真っ赤にした顔を腕で隠すようにしながら言っても、説得力はまるでない。
「そうでございますね。キキさんはわたくしと一緒になるのですから!」
「それはない」
ロヴィッサの頭を軽く叩く。おっ、犬耳の感触。
手はロヴィッサをもふもふしながら、目はベルタに向けたまま。
「ベルタのじゃないなら、ないでいいけどさ。実際そうやって嫉妬するなら、早いところ捕まえておいた方がいいんじゃないの?」
「嫉妬とか……。あたしは……」
ベルタの頬は、今は彼女の燃えるような赤毛に似て赤い。
て言うかこんだけ赤くて、火炎使いじゃなくて冷気使いなんだよな、この子。
どうでもいいけど。
しゃがみこみ、半ば耳を塞ぐように頭を抱えるベルタ。
恥ずかしいのだろう。同じ人間として分かる、恋愛ごとは恥ずかしい。
しかしいつまでもそうしていては、いずれ本当にヒューゴを誰かに取られてしまうかもしれない。そうなってからでは遅いのだ。
ヤメ村のハリーくんも、アンヌをしっかり捕まえていてほしいと思う。未だにそこだけ気になる。
「素直になった方がいいって。わたしたちから伝えるとかじゃないけどさ。気持ちを押し隠すよりも、仲間にくらいは打ち明けてくれたっていいんじゃない?」
「仲間……」
ベルタにも仲間意識はあるのだ。
希生の迂闊さでパーティーが危険に晒されても、彼女はそれを糾弾せずにフォローの言葉を発してくれた。
隣の部屋にはヒューゴがいるだろう。壁が厚くて聞こえはしないだろうが、希生はベルタの方へと身を乗り出し、手で声を覆うようにして、内緒話の声を出した。
「好きなんでしょ? ヒューゴのこと」
「……うん」
消え入るような小さな声だった。こくりと、小さく頷きながら。
人付き合いは苦手な希生だが、安全圏からただ楽しめるとあれば話は変わってくる。よしよし、面白くなってきた。
そこでベルタが問いを返してきた。
「ホントなの?」
「ん?」
「ホントにヒューゴのこと、狙ってないの?」
好意を伝えたことで自覚が高まり、不安になったか。
縋りつくように服の袖を握ってくる。
「狙ってないよ」
「何で? あいつ剣術バカだけど物凄く努力家で、実際強いし、いつも頑張っててひたむきで、清々しくて爽やかで、とっても前向きで明るくて、小さい頃に読んだ絵本の主人公に憧れて最強の剣士を目指すほど純粋で、現実は厳しいってことをどれだけ知っても折れないくらい意志が強くてで、背も高いし顔もいいし声だって逞しいし、逞しいと言えば筋肉も凄くてぎゅっと抱きしめてほしくなるし、実際に抱き締められたら汗の匂いさえいい匂いで、最強の剣士になるんだって夢を語るときの顔がホントに眩しくて、でも目を放せなくて、いつもあたしを気遣ってくれて優しいし、危なくなれば身を挺して守ってくれて凄くカッコいいし、でも大雑把で豪快なところもあってそれもまた可愛くて、ピーマン苦手で子供っぽかったり、時々服の裾が出ててあたしが直してあげたり、あたしが傍にいてあげなくちゃって思って、でも寝相はすっごく良くて寝るときは静かで、一緒に寝てると穏やかな気持ちになって安心するし、一緒にって言っても一緒のベッドじゃないわよ、そんなのもう昔の話だし、あの頃は良かったわ、難しいこと考えないで、ただずっと一緒にいられるって思ってた。そう、あたしたちはずっと一緒なのよ。あいつ以外考えられないくらい魅力的なの。なのに何で狙わないの?」
「狙わねえよ!」
怖いわ!
好きなのは分かったが、愛が重い。絶対に重い。
幼馴染を拗らせ過ぎている。
これでなぜ好きを言葉の上だけでも否定することができていたのか、とても不思議だ。
希生は半ば仰け反るように身を引いて、ロヴィッサの腰を抱いた。
何かに掴まりたかった。怖い。
「だって……おかしいじゃない。ヒューゴほどいい男なんていないのに。あんたもそうなの? あたしたちの邪魔をするの?」
目が据わっている。やめてほしい。
とんでもない奴と仲間になってしまった。
そしてとんでもないスイッチを、自分が入れてしまったのだ。
ここは証拠を出すしかない。
「ヒューゴは狙わないって。なぜなら――」
そう、なぜなら。
「わたしは女の子が好きだから……」
場に沈黙が落ちた。
ベルタはきょとんとしている。
ロヴィッサは一拍遅れて、「わふー!」と興奮した声を出した。
「あんたたち、つまり、そういう……?」
「違います」
即座に否定する。
「そんな、キキさん! 確かにわたくしは女の子という歳ではございませんが、まだまだ若さには自信がございますよ! 何なら世界じゅうを探して、若返りの秘薬を見付け出して参りましょう!」
抱き着いて頬に唇を伸ばしてくるロヴィッサを何とか引き剥がしにかかる。
獣人のせいか力が強い。
手の感触からロヴィッサの体勢を見切り、そこからどう動こうとしているかを見切り、鞭身、それを阻害する形で運動エネルギーの波を流す合気。
思う通りに動かさせない、時には相手の動こうとする力を逆利用して想定外の動きをさせ、最終的にベッドにうつ伏せに押し倒して腕を捻り上げる形に持っていった。
「ああ、そんな、キキさんに押し倒されて! 夢のようでございます! こんな強引なキキさんも素敵……!」
「えーっと……お幸せに?」
「違う。そうじゃない」
暴れるロヴィッサの顔を枕に押し付け、呼吸責め。
ここは話題を変えよう。と言うか、元に戻そう。
「とにかく、ヒューゴはベルタのものだから。取らないから。ただわたしたちは取らないけど、世の中、何が起こるか分からないじゃない?」
結ばれる前に、盗賊団に攫われて慰み者にされるかもしれないし。
世界は広いから、場合によってはヒューゴの方が。
「好きって、もう伝えたの?」
声を潜める。
ベルタは椅子を引っ張ってきて座り、俯いた。
「小さい頃に……一度だけ……。でもあいつ、覚えてないのよ」
「女の子の告白を忘れ去るとか酷い奴だなあ……」
「違うの。違うの……」
ふるふるとかぶりを振るベルタ。
逆にロヴィッサはくたりと力を抜いて動かなくなったので、顔を枕から解放した。ひょいと起き上がり、こつんと希生を小突いてくる。
「んもう、キキさん。窒息プレイは危ないから、めっ、でございますよ」
別に窒息はしてなかったろ。フリして遊んでただけだろ。
どうでもいいから、今はベルタの話を聞いてみたい。
違うって? と続きを促した。
ベルタはぽつぽつと話し出した。
「小さい頃ね。森からゴブリンの大群が溢れ出してさ」
あいつらどこにでもいるな。
「町まで襲ってきて。逃げ遅れて泣いてたあたしを、あいつ、木剣持って助けに来たのよ。俺は最強の剣士になる男だ! 必ず守ってやる! って。あいつも怖くて震えてたの、当時は気付かなかったけど、あとから思い出すとよく分かるわ」
懐かしむように、悲しむように、薄く笑んでベルタは語る。
ロヴィッサも大人しく聞いていた。
「そこにゴブリンが襲ってきて。本隊からはぐれたっぽい1匹だけだったんだけど……当時あたしたち8歳よ。あの子供みたいなゴブリンよりちっちゃいくらいで。なのにあいつ、ひとりで……立ち向かって……」
「うん」
「石斧でガンッて頭を叩かれて、でもあいつ全然怯まなくてさ。木剣を振り回して、何度も何度も叩いて。後ろから見てたんだけど、なんか上手いこと最初の方の攻撃が目に当たったみたいで、ゴブリンが怯んで、あとはもう殴って殴って殴って! 凄い声で叫びながら、何度も何度も殴って、動かなくなってもしばらく殴ってた」
「それだけ必死だったのでございますね。ベルタさんを守るために」
「そうなの。それであたし、そんな光景怖いはずなのに、安心しちゃってさ。あいつに抱き着いてわんわん泣いて、そしたらあいつ倒れて。頭に一撃貰ったんだもの、当然よね。遅れて効いてきたみたい。あたしはしがみ付いて……」
虚空を抱くように、しがみつく手振り。
ベルタの想いの深さを感じる。
「死なないで、あんたのこと好きなの、好きだから、死なないでって、ひたすら。あいつは、俺も好きだ! って言ってくれて……。泣き声を聞いてやってきた大人に助けられたんだけどさ。頭殴られたせいなのかな。3日眠って、目が覚めたとき、あいつ、そのこと覚えてなかった。ぼんやり、ゴブリンと戦った気がするってだけで……」
悲しい。
悲しい話だ。
美しくもあるが、それが当人たちに何の意味があろう。
「それからね。告白しても、また忘れられちゃうんじゃないかって……怖くて。そんなはずないのに。ないんだけど、どうしても。だから……言えてないの」
自嘲気味にベルタは笑った。
話は終わりだ。
希生は膝に置いた手に、力が籠るのを感じた。
「ごめんね。ツラいこと思い出させて」
「いいのよ。あたしも話したかったのかもしれない。ちょっと……スッキリしてる」
ロヴィッサは、ベルタの手をぎゅっと握った。
「わたくしもキキさんも、ベルタさんの味方でございますよ。今は何もできませんが……ベルタさんが勇気を出せるよう、協力したいと存じます」
言う通りだ。希生はこくこく頷いた。
「……ありがと。ね、あたしが昔のこと話したんだからさ、キキやロヴィッサも何か話してよ。キキは記憶喪失だって言うけど、喪失してからの旅の話があるでしょ?」
空気を変える意味で、そういうのもいいだろう。
生憎とヤメ村の一件しかレパートリーはないが、それで気晴らしになるなら。
ロヴィッサは妹のことでも話すだろうか。
「じゃあヒューゴも呼んだ方がいいんじゃない? 今ひとりでしょ」
「そうね! 呼んでくるわ。その……あたしのヒューゴを」
ふたりして口笛を吹いた。
ベルタは真っ赤になって顔を隠した。
「ごめん、今のなし! 何でもないから! 行ってくるわね……」
ベルタが部屋を出ていく。
そして、ヒューゴとふたりで戻ってくるのだ。
幸せを願わずにはいられない。野次馬根性ではない、仲間として。




