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第19話 ありがとう

 部屋の隅で、アンヌが力なく座り込んでいる。奥の小部屋には、まだほかに攫われた女が残っているのだろうか。

 立っているのはふたりだけだ。希生とマイニオ。対峙する。

 片や正眼。片や右手を前に出した半身。

 希生の後方、玄関近くでは、炎が燃え盛り揺れていた。落ちた火炎槍が形を失くして解け、床の木材や死体の脂に引火したものだ。出入口は既に炎で塞がれている。熱気を感じる。


 熱気よりも強く、マイニオの攻撃線を感じる。広く、濃く、重い。

 身体強化を重ねがけした彼は、今や通常の人間を大きく逸脱した運動能力を獲得していた。希生がどう動こうとも対応してくる線。

 しかもその威力は、最早受け止めることなど到底できないものだ。受け流すことも難しい。受ければ死。


 だがマイニオも軽々には動き出せない。

 何しろ片手を失った状態で動く修行はしていないはずだ。バランスの問題がある。失血による体力の低下もある。そして二段強化の不安定さがある。

 一撃を繰り出せば、そこで体勢は崩れる。そのことを自分で察している。一撃で確実に希生を斃せなければ、それで終わりなのだと。


 沈黙。だが静寂ではない、炎の弾ける揺れる音。

 このまま時が立てば、炎は燃え広がり、火炎耐性を持たない希生は焼け死ぬ。だが炎を避けようと迂闊に動けば、その機をマイニオに突かれるだろう。

 このまま時が立てば、左腕を止血できずにいるマイニオは失血量がやがて限界を超え、力尽きて死ぬ。だが止血しようと迂闊に動けば、その機を希生は突くだろう。


 動けば死、動かずとも死。死ぬのは怖い。怖いということは、今は無事に生きている。明鏡止水。研ぎ澄まされる。

 希生の意識に一点の曇りもなかった。


(身体強化魔法。使うです?)

(使わない)


 アイオーンの提案を却下した。

 無強化の希生と一段強化のマイニオで拮抗していたのだから、二段強化に対して自分も一段強化すれば対抗できる、というのは正しい。

 だがその一段階の強化幅そのものがまるで違うのだ。『女の子』の力が『成人男性』程度の力になったところで、焼け石に水だ。

 使いたくない理由もあった。

 アイオーンからの修行で得た力、それだけを使いたい。たとえ愚かでも、それが今自分が出すべき本気だと思った。


 ――マイニオ。

 ――希生。


 最早言葉は要らなかった。視線だけで通じ合う。心が溶ける。

 希生が何の情熱もない空虚な人生を送ってきて、剣に出逢い、今それに命を懸けているのだとマイニオは知った。

 マイニオが劣等感と挫折感に苛まれ、行き場のない怒りを盗賊団という場で発散しながらも、戦いを楽しんでいるのだと希生は知った。


 もうすぐ、そのどちらかが終わる。

 先の先は無理でも後の先を取れる希生、強化された反射神経で見てから対処できるマイニオ。

 先に動いた方が負ける。いつまでも動かなければ時間切れで死ぬ。


 ならば、だから、希生は動いた。


 僅かな重心移動、それに順に引っ張られる体を、筋力で後押しして送り出していく縮地。

 マイニオが反応して斬りかかる――

 縮地の移動先は、『後方』だった。


「バッ……!」


 バカな、と言う余裕もない。

 燃え盛る床を踏み、希生の下衣は脚は炎に包まれる。

 マイニオはそれを追って、斬りかかる――斬りかかるが、追う動きの分だけ、剣の到達は遅い。

 希生が斬ろうと動けば、それに応じて斬るつもりだったマイニオは、考える前にそう動いていた。

 動かされていた。

 下がった希生を追わされた。


 先に動いた方が負ける、それは睨み合っていた時の距離関係にあればの話だ。互いに一足一刀の間合い。

 希生の後退によって距離は広がり、そこから踏み込んで距離を戻したのはマイニオ。その勢いのままに、『先に』斬りかかったのはマイニオだ。

 最早太刀筋を修正できないタイミング。『機』。


 希生は後の先を取って縮地で踏み込んだ。サーベルの振り下ろしとすれ違い肉薄。

 それでもマイニオは希生を斬ろうと切先を逸らし、裏刃(切先近くの峰側につけられた刃)で引っ掻くように背中を斬りつけた。和ゴス衣装を切り裂き、背に誰にも見えない赤い線。浅い。

 その頃には、希生がマイニオの上半身を、骨ごとバッサリと袈裟に斬っていた。


「ああ……」


 呻くように掠れた声をこぼしながら、マイニオは仰向けに倒れた。広がる血溜り。返り血、血化粧。

 希生はそれを見下ろしていた。マイニオの反応が早かったから、炎の中にいたのはほんの一瞬だ。火傷は負っていないし、服に燃え移った小さな火も叩いて消すことができた。


「ごほッ、ごぼ……!」


 マイニオは右手を前に出した半身の構えだった。そこからマイニオの背中側へと振り下ろしを避けながら、袈裟に斬った――心臓も両肺も、胸から背中まで斬断した。

 それでも即死せずまだ生きているのは、二段強化の賜物なのか。

 倒れた彼は血塊を吐き、痙攣していた。


「ヌフ……ヌフフフッ……」


 笑う。か細い声。


「魔術師でもない、オメーに……こんな……。結局、俺は……剣も、魔法、……も……半端で……」


 笑いながら、泣いていた。


「分かってた……自分が弱い、こと、……は……あの時から……」


 血に濡れたアイオーンを虚空に振るい、血払い。

 まるで取り切れない。

 希生はマイニオと目を合わせ、言った。


「ありがとう」


 マイニオは不思議そうな目で見上げてきた。


「あ……?」

「楽しい強敵と戦えた。ありがとう」


 心からの言葉だった。

 もちろん、盗賊団として村を襲ったのは赦されざる行為だ。アンヌらを攫って辱めたのは鬼畜の所業だ。

 しかし彼は、心地よい死の恐怖をくれた。本気を出して立ち向かう楽しみをくれた。

 心が通じ合った。

 ひとりの、剣士だった。


 一礼し、見送る。


「ヌフフッ、そうか……。そうか……」


 彼は目を閉じ、見る間に呼吸が弱まって、やがて止まった。

 魔物ではないが、頭を割って魔石を取り出す。赤く透けて、中心が白く眩しい、火のような魔石だった。仕舞う。


 振り返ると、火炎槍から燃え広がった炎は更に大きくなっていて、完全に玄関を塞いでいた。あそこから外に出るのは難しいだろう。頭から水でも被れば別だが。

 希生は座り込んでいたアンヌに歩み寄った。


「……キキさん……」


 睨むような、憐憫を乞うような、恐怖のような。あまり心地のよい目ではなかった。

 希生は返事をせず、彼女の刺された傷に触れ、


(イオ)

(魔法なしで勝ったんですもん。魔力はしっかり余ってるんですよう)


 アイオーンに回復魔法を行使させた。

 泡立つような音と共に流血が止まり、傷口が閉じて肉が癒着していく。


「え……?」


 このために、魔力を余らせておく必要があった。

 身体強化を使わなかったのは矜持のため、それも本当ではあるが。

 自分の背中の傷も同様に処置したあと、アンヌの手を引っ張り起こして立たせ、奥の小部屋へと連れていく。

 そこにはもうふたり、村で見かけたことのある女たちがいた。服は着ていたし、靴も履いていた。もちろん着衣は乱れていたし、汚れていたが。

 不快な臭いが漂っている。


「立ってください。山小屋が燃えています。逃げなきゃいけません」


 事務的に言いながら、外と隔てる壁にアイオーンを振るう。二度、三度、壁を切り抜き、大きな穴を開ける。


「玄関が炎で塞がってますので。こっちから外へどうぞ」


 アンヌも含めて3人全員を穴から押し出して、自分は大部屋に戻る。

 そこからもうひとつの小部屋を覗いておいた。何もないことを確認してから、自分も外に出る。


 玄関側に回ると、火はまるで伝染病のように、外壁にまで広まっているところだった。

 やがて燃え落ちるだろう。

 ここで目覚めて、アイオーンと3日を過ごした。ホブゴブリンと戦った。転がしておいた彼女の死体はない――あの後、ゴブリンか野生動物が片付けたのだろうか?

 想い出のある場所だが、だからこそ、焼けて失くなってしまうのもいいだろう。ゴブリンだの盗賊団だの、もう誰も、この場所を穢さなくなるのなら。


 マイニオの火葬にもなる。まさか死体にまで火炎耐性はあるまい。

 空間の穴を開き選別収納、アイオーンを汚す血だけを従属異界に消し去り、改めて穴から地面へ血を捨てた。納刀。

 そうして手を空けて、両手を合わせ、祈る。

 死は恐ろしい。どうか、その恐怖を上回る、確かな冥福がありますように。

 死ねばみな仏だ。別に仏教徒ではないが、死んだ相手にまで鞭打つ気は起きない。


 しばしの黙祷を捧げると、やがてアンヌらを向いた。


「村はあっちです。山道に沿ってそのまま下山してください。あ、そこの荷車持ってって」


 彼女たちに帰り道と、盗まれた財物を指し示す。


「じゃ、そういうことで……」


 そして南に下山するのとは逆、北にこの山を越える向きに山道を行き始め、


「待って!」


 アンヌに呼び止められた。

 足を止めて振り返る。


「どこ行くの……村……ヤメ村、こっちでしょ……」

「いや……もう村には行かないよ」


 村に戻る、とは言わない。


「どうして! あたし……あたしがあんなこと言ったから……」


 それは違う。

 確かに多少の痛みは感じたが、村に戻らないのも、人質のアンヌを取り戻そうとしなかったのも、アンヌの言動に原因はない。

 村人を巻き込まないために、旅に出ると言って村をあとにした以上、何食わぬ顔で戻ればカッコ悪い。

 もともと村には、戦士衆の仕事を見学させてもらいながら、1週間ほど滞在するだけのつもりだった。とうに見学は終え、1週間も過ぎている。


 便利な生活を求めて、田舎ではなく都会に住みたい。

 実戦も修行だから、更なる強敵を探しに行きたい。


 もう村に用はないのだ。得られるだけのものは既に得た。

 これ以上村に尽くす義務はないし、村に立ち寄って縋られたくない。

 だがそれをそのまま告げるのは酷だと思った。


「旅の剣士だからさ。旅するだけだよ」

「置いてくの……? あたしたち、このまま……置いてくの……?」


 迷子の子供のような声音だった。

 残りふたりの女らも、縋るような目で見てくる。

 希生の実際に戦うさまを見て、考えが変わった面もあるのか。ああまで責任を擦り付けておいて、しかしそこで意地を張らずに変われるのは、いっそ美点なのだろうとも思う。


「一緒に暮らそうよ。村で……ウチで……!」


 希生という強い剣士がいれば、それは、村は安泰だろう。

 だがそれで、希生がこれ以上何を得る? 田舎での、不便だが掛け替えのない日常か?

 それも価値はあるだろう。だが希生は本気で生きたい。本気で剣を交わしたいのだ。

 ヤメ村を守りたいのでは、ない。そんな重荷は要らない。

 何を望み、どう生きていくのか、希生はもう決めたのだ。


 それを納得させる必要はないだろう。走れば簡単に振り切れる。

 しかし言葉を残したいと思った。せめて、何か、一言。

 本気で言える言葉を。


「生きてるじゃん」

「え……?」

「生きてりゃいいこと、何かあるかもしれないからさ。頑張って」


 微笑んで、そう告げた。

 アイオーンに促成栽培された達人である希生に、剣士として偉そうなことを言うのは難しい。だがこれだけは、胸を張って言える。

 死を恐れ、死を拒み、生を希った希生だから。

 生きていれば修行できるし、戦うこともできる。困難に立ち向かうことができる。

 勝てるとは限らないが、立ち向かうことが重要なのだ。それが心臓が動いて呼吸をしているだけではない、本当に生きるということだから。


 希生は再び歩き出した。

 何度か呼び止められたが、もう振り返ることはなかった。


「キキさん……! ごめん、ありがとう……!」


 背を向けたまま手を振るくらいはしたが。

 さて、そろそろ村人たちが、手に手に武器を持って山を登ってくる頃だろうか。決死の覚悟を決めて、村を守るために、誇りを守るために。

 彼らと合流すれば、アンヌたちも安全に帰ることができる。

 もう心配は要らないだろうし、心配したくもなかった。薄情なことだ、と自重する。


「んで、イオさんや。山を越えた先って、どっち行けばいいんだろうね?」

「いくつかの村を経由して、大きな町に行けるんですよう。近いのは林業の町、それから冒険者の町ですかねー」

「冒険者の町ね……。そっち行ってみるか」

「ですようー」


 経由した村で、またぞろ事件に巻き込まれないといいが……。

 ほどよい強敵と出会えるなら、それもそれで悪くないか、と思った。

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