あるひのできごと
ガキの頃の記憶だ。
ある日俺は一人で森で遊んでる最中、魔物に襲われた。
襲って来たのは下級のゴブリン一体だけだったが、子供にとっては脅威に他ならない。必死に逃げたが、足がもつれて転けてしまう。
振り返ると棍棒を振りかぶるゴブリンの姿。
その時俺は初めて死を覚悟した。
目を瞑って、死に備える。
だけど、いつまでたってもその来るはずの衝撃は来ない。だから目を開けた。
するとそこには、頭から血を流し倒れているゴブリンと。
「え、えへへ……も、もう大丈夫!」
涙ぐみながら棍棒をかまえる幼馴染のメリエルの姿があった。
「め、メリイェルゥ…」
「泣き虫だなぁ、キールは」
「メリエルだってぇ…」
「こ、これは!あ、汗!汗だもん!そんなことより、早く逃げよ!」
「うん……」
そう言って、俺たちはゴブリンの死体を置いて逃げ帰った。
ゴブリンを退けた後の帰り道。
結構な距離を走り、もう大丈夫だろうと言うことで、俺たちは走るのをやめて歩いていた。
先ほどまでピリピリしていた空気が、安心できるとわかった途端、急に緩くなった。
すると当然、会話をする余裕も生まれるわけで。
「私、英雄になりたいんだ!」
彼女はこう話を切り出した。
「なんで?」
「だって、かっこいいもの!」
そう言って、持っている棍棒をブンブン振り回し始める。
そしてその姿に、先ほど自分を助けに来た時の姿を無意識に重ねた。
「………メリエルはさ、すごいね」
「?」
「僕なんて、ただ泣いてただけだったもの……」
死ぬのを覚悟して泣いていた自分と、泣きながらも勇敢にゴブリンに立ち向かっていった彼女とでは、その差は歴然だろう。
その時俺は、もう彼女が手の届かないくらい遠くにいるのだと悟っていた。
彼女は、少なくとも自分の中では既に英雄であった。
「……すごくなんて、ないよ」
「え?」
横を見ると、いつのまにこちらを向いていたのか、彼女と視線がぶつかった。
顔は真っ赤で、体は少し震えていて、まるで、今から告白でもするかのような
「だって、キールが……大好きな人が死んじゃったらさ、嫌だもん……なんて、えへへ………」
「…………」
「………な、なんかいってよぅ…」
そう、森の中で一人で遊んでいたのだから、誰も居場所はわかるわけない。
大人でも、探すのですら一苦労だろう。
なのにあの時狙ったかのように現れたということは、隠れながら尾行していたというわけで。
そこからは、二人は気恥ずかしくなって、だんまりを決め込んだまま、ついに村までついた。
ここからは各々の家へ向かい、別れようとした。
「ねぇ」
「う、うん」
「さっきの話………手伝うよ」
「へ?」
「英雄の」
「あ、英雄ね、英雄……うん!……で、手伝うって?」
「僕が、メリエルをサポートする」
「一緒に英雄になろうって事?」
「そんな感じ……なのかな」
英雄になるだなんて、ガキ特有の夢だ。物語に感化されて、僕も、私も、これになりたい。
そんな夢が全部叶ったら、世の中はめちゃくちゃになるだろう。
だけど。
「僕が、メリエルを英雄にしてみせる」
二人とも英雄になろうなんて話じゃない。自分は、影で、メリエルは光。
俺が支えて、彼女を英雄にする。それを自らに誓った。
その時から俺は、メリエルを英雄にしてやろうと。
この世界に名前を刻ませようと。
そんな事を本気で思っているのだ。
「……うん。なら、さっきの返事も、その時に聞かせて?」
「うっ……」
「誤魔化さないの!」
「わ、分かったよ……」
「じゃ、約束しよ?」
「約束?」
彼女は、小指を差し出して来た。俺もそれに従い小指を出した。
小指と小指を絡ませ、もう片方の手でそれを包み込み、自らの胸元へと引き寄せた。
その時俺は、ただ呆然と片手を預けていたと思う。
「約束だよ。私は英雄になる。キールは、私が英雄になったら、告白の返事を聞かせて?」
「…うん」
俺がそういうとメリエルは、パッと手を離す。
「また明日、ね」
「うん、また明日」
そうして、そのまま別れた。
その日から、俺の人生は彼女のためだけにある。
彼女にどんな事でもしてやろうと。彼女こそが真の英雄たらしめんと。
ここから、物語が始まった。