赤ずきんちゃんと狼女のたったそれだけ。
この村は嫌いだ。
何故こんなにも嫌な人間が溢れてる。
私を見るなり陰口悪口。
取って食ってやろうか。
なんて、嘘だけど。
そんなモノを食べてこの身を穢したくはない。
私は人間の味を知らない。特に興味もない。
だってそんなものを食べなくても、美味しいものはいっぱいあるもの。人間とは距離を置いて、慎ましやかに村の隅で生きていければいい。
そう、人間とは距離を置いて…。
特に満月が近づくと人間なんかには近寄れない。
きっと壊してしまうから。
私の力の前では人間はあまりにか弱すぎる。
あの子なんて小さくて華奢だから、きっと。
そう、だから遠くから見守るだけでいいの。
壊してしまうくらいなら、あの眩しいほどの笑顔も、清らかな声も、私に向けられなくてもいい。
ただこうして眺めていられたらそれでいいの。
赤ずきんを被ったあの子だけは私の正体を知らない。
あの子の親は酒浸り。私とは違う理由で村人から嫌われている。
あんなに優しい子なのに、なんと理不尽な人生か。
そして今日もあの日のことを思い出す。
「あら、貴女、怪我をしているわ」
これが初めてあの子にかけられた言葉。
狼女の私は傷の治りも人間なんかより早い。
彼女はそれを知らなかった。
「このままにしておいては駄目よ。ちょっと待ってね」
そう言うと彼女は家から救急箱を持ってきた。
私にこんなことをしてくれる人間は初めてだ。
あまりのことに呆けていると優しい瞳で微笑みながら彼女は言った。
「貴女、とっても綺麗なんだから。傷でも残ったら大変よ」
人間から見ると私の一族は美しく見えるらしい。
でも私達は忌み嫌われる者。
そんなことを面と向かって言ってくる者はいなかった。
彼女との関わりはたったそれだけ。
たったそれだけでも私には「たったそれだけ」とは思えなかった。
気付けば彼女を想っていた。見つめていた。
私には「たったそれだけ」で充分だった。
充分だった、のに。
「あら、貴女、また怪我をしているわ」
森に入ったときにたまたま少し深い傷ができた。
そしてあの日のことを思い出した。
気付けばあの子の家の近くにいた。
「ちょっと待っててね」
ああ、私は何をしているんだろう。
こんな傷、私にとってはどうってことない。
あの子の優しさにつけ込む自分を嫌悪した。
「お待たせ。ちょっと染みるかもしれないけど、我慢してね」
私の手に優しく触れる彼女の手。
こんなことをしてまでも欲しかったものがここにはあった。
「そういえば」
彼女がふと思い出したかのように呟いた。
「貴女って、狼さんなのね」
その一瞬で私の世界は止まった。
私の心は後悔で溢れた。
やはり、近寄らなければよかった。
この子にまで忌み嫌われたらと思うと心が張り裂けそうになる。
「ごめんなさい」
気付いたら呟いていた。
正体を隠していてごめんなさい。
こんな浅ましいことをしてごめんなさい。
狼の身で貴女に近づいてごめんなさい。
貴女に触れてごめんなさい。
貴女を想ってごめんなさい。
狼で、ごめんなさい。
「素敵ね」
え?今、何と言ったの?
「満月が近づくと力が強くなると聞いたわ。きっと私にできないこともできるんでしょうね。それに何より綺麗だわ。きっと毛並みも綺麗なんでしょうね」
彼女から放たれる美しい声と優しい言葉。
これは自分に都合の良い虚構なのではないかと疑うほどに。
「それに、傷の治りが早いと聞いたわ」
彼女の言葉に、人間のように手当を受ける自分が恥ずかしくなった。
「でも傷ついてることには変わりないもの」
ハッと顔を上げると、優しい眼差しの彼女と目が合った。
「ねぇ、私、狼さんのこともっと知りたいわ」
彼女の瞳に嘘はなかった。
「ううん、狼さんだなんて失礼ね。貴女のお名前は?」
「私の名前は―――――」
彼女との「たったそれだけ」じゃない日々が始まった。