第ニ章2 押し掛け小間使は割とよく働く
アルベルトは、薬で休んでいるとかいう王子の顔を見ておくらしい。ブラントと共に向かいの部屋へと消えたのを見送って、私は「さて、」と広い室内を見渡した。
何と言うか。
ベルサイユ宮殿、と言うよりは寧ろ、モンサンミッシェル的な石感がある外装とは打って変わって、室内は意外と煌びやかな印象だ。大理石の床には毛足の長い絨毯が敷き詰められ、壁面は何やら神話らしい情景が描かれた壁掛けが何枚も飾られている。
ーーちょっとした好奇心に負けた。
周りに人がいない事を確認してそうっと壁掛けをめくって見ると、墓石みたいにツヤッツヤとした白っぽい石の壁があった。多分お高い石である。壁掛けも充分お高そうだが、石壁だけでも大分豪華だろうに。なんというかこう、贅沢な感じがする。石のお家は寒いのだろうか。端から順にめくっていくと、一枚だけ妙に石が引っ込んでいる部位があった。あれだろうか。押すと中に秘密の通路が……。我ながら頭の悪い感想だとは思う。
というか、他所のお宅でやる事ではない。
ーー反省はしている。
聞いたこともない国(多分じゃなくて異世界)の、修学旅行でだって行ったことがないようなガチなお城の一室に一人取り残されているのだ。仕方がないだろう。
私は今、大分途方に暮れているのだ。
取り敢えず自分とアルベルトの少ない荷物を広げていると、ドアをノックする音が聞こえて、大荷物を抱えた少年が入室してきた。
「失礼致します。ご希望の品をお持ちしました!」
「わ、ありがとうございます。いま……」
慌てて壁掛けから離れた私を、少年はにっこり笑って制する。
「お運びしますよ。入浴のお道具はこちらで宜しいですか?風呂のお湯は後程お持ち致しますが……」
「ええ。だいじょうぶです。鎧の磨き粉はこっちに……」
「お任せ下さい。っあ、俺はラナート様の小姓をしている、ユーディスと申します」
頼んだ品物きっちり全て並べてくれたユーディスに礼を言うと、ユーディスはまだ子供らしい丸みの残る頬を嬉しげに赤らめた。
「小姓って事は、いずれは君も騎士になるの?」
「はい、そのつもりです。今は雑用とかばっかりですけど……いずれ初陣では、ラナート様の槍持ちをさせて下さる約束なんです!」
「へぇ、凄いんだ」
凄いのだろうか。分からないけど、きらきらしたユーディスの瞳を見るに、多分その約束は凄いのだろう。
ユーディスは耳まで赤くしたままはにかんで、それから慌てた様に頬に手をあて、キュっと厳しい表情を作った。
「では、俺は閣下とミヤ殿のお世話をする様に仰せつかっていますので、お呼び頂ければすぐに参ります。他に御入用の物がありましたら、なんでも仰って下さい」
「ありがとう。またね」
「はい、では。後程女中らが湯をお持ちしますので」
「ありがとう」
さて。
この度二度目の気合を入れて、私は室内を見渡した。荷物はもう全て開いてしまったので、あとすることと言えば衣装の直しと鎧磨き位だ。風呂やらその他やらは、敢えて手を加えるまでもなくピッカピカなのだ。
夕食までの間、大分暇である。
衣装の方はアルベルトが戻らない事には直しようがないので、仕方なく特大の甲冑に向き合った。
さて、分解するか……
ーー冗談ですごめんなさい。隙間部分が血で錆びない様にちょっと磨いておくだけです。応急処置です。
昔本やら資料やら博物館の館長さんに頼み込んでコピらせてもらった手入れ手順書を読み漁ったとは言え、実物に触れるのは久々なのだ。命を預かる品物を気安くバラかすような真似はしないとも。もちろん。
因みに、館長さんとは今でも時たま館内でお茶をしたりする仲だ。女子高生という身分は強い。一般のお客様ならやんわりとお断りされるようなお願いでも、見るからにお嬢様学校の生徒手帳を見せつけながら「今度の文化祭で演る演劇の資料として、どうしても本物のやり方を知りたいんです!本で調べたんですけど、細かいやり方や順序までは全然分からなくて……」とか真顔で悔しげに言ってちょっと無作法なバサっとしたお辞儀をすれば一発だ。何なら制服で行っても良いが、ベストは清楚系の私服である。4秒かけずに勢いよく90度に下げるがよい。おなしゃっす。「ありがとう」の笑顔もニパっと勢いよくだ。大体の大人はこれでおおよそのお願いを聞いてくれる。少なくとも事前に電話でアポイントを取っておけば、ほぼ話ぐらいは聞いてもらえる。こういう生業の大人達は、勤勉な学生に親切なのである。女子高生のお願いは、かなえられて然るべきものなのだ。
ーー話が逸れた。
面積の広い鈍色の鋼をサカサカ磨いているうちに大分日が傾いてきたが、アルベルトはまだ戻ってこないようである。
表面をピカピカに磨き上げ、ベルトの金具を締め直し、仕上げに継目に油を挿しておく。うん、完璧だ。生物の関節のように滑らかに動く。館長が見たらきっと盛大に褒めてくれるだろう会心の出来である。細かい作業をしているうちに、左手の感覚もだいぶ戻ってきたようだ。これならば日常生活に支障は無いだろう。ふぅ、と息を吐いて、首を鳴らしながら伸びをした。
あとは鎖帷子の穴を塞ぐ必要があるが、これは私の腕力では無理そうである。いや、寧ろ新しいものを用意した方が良いかもしれない。血を吸って既にガチガチに固まっているようだ。一応、それぞれ鎧掛けに丁重にかけておく。少し風を通したら、どうすればいいか聞いておこう。
弥夜が一仕事を終えて水差しの水で顔と手を拭いていると、再び部屋のドアがノックされた。
「はい」
扉を開けると、中年の女官が二人、湯気の上る湯を並々と湛えた大きな桶を乗せた手押車を引いて来た。
「失礼致します。お湯をお持ち致しました」
背の高い方の女官が鹿爪らしく言うと、もう一人は安心させるように無言で微笑んで来た。
「あ、どうも……」
「お運びします」
「あ、すみません手伝います」
三人がかりの為、あっと言う間に準備が終わる。
アルベルトが戻るより前に、湯が冷めてしまわなければ良いのだが。
「夕餉まで今暫く時間が御座います。屋敷の手伝いは無用ですから、お前も湯を頂いてからおいでなさい」
そんなことを考えていると、頭の上からひんやりとした声で言われた。こちらを見下ろす女官の視線が冷たい。どうやら、ここまでの道中と鎧磨きとで真っ黒になったこの服装が気に入らないらしい。たしかに今の自分の格好は割と汚れている。この格好で来られるのは迷惑だと言う事だろう。
「……分かりました。お言葉に甘えさせて頂きます。ただ、片付けの手伝いはさせて頂ければと思います」
「ーーでは、時間に遅れぬように」
食い気味に断ってきた背の高い女官に付け足すようにもう一人が微笑む。
「お前も長旅で疲れているのでしょう?ゆっくりでいいのよ」
「えと、ありがとうございます?」
疑問形でお礼を言うと、背の高い女官が吐き捨てるように呟いた。
「ーー全く、リュイボス様にも呆れたものです。このような時にこんな」
「ラティエ、駄目よ。何かお考えがあるのだわ」
「だってミリー、こんな幼気な!」
「…………あのう?」
私、もしかしなくても歓迎……は、されて無いだろうけど、相当厄介者にされている?
「あぁ、いいのよ。お前、下女では無いのですってね?ごめんなさい。リュイボス様が仰ってたわ。後でちゃんとした部屋に案内しますわね」
「あ、いえ、私は別に」
さっき見たが、奥の使用人部屋も充分な広さがあった。ってゆうか、なんだか誤解されている?
「そう言うわけにはいかないわ。あのお方が、初めてご自分で連れていらしたお嬢さんですもの。丁重にお迎えしなくちゃいけなかったんだわ」
「いや、その……」
「世も末です。こんな娘……下女として扱う方がまだマシでしょう」
「ラティエ。お嬢さんが怖がってるわ」
「あの、私は別にこのままで……」
この部屋がいいです、と伝えると、長身の女官……ラティエが盛大な溜息をついて眉を潜めた。
「わかりました。ですがお召し物だけは別のものをお使い下さい。使用人の服装で食卓に付かせるわけには参りませんから」
「えと、なんかすみません……?」
ミリー……小さい方の女官が貸してくれた私服は、背丈以外の布が大分大きかった。好きに直して良いと言われたので、肩とウエストを摘んでおく。古いが質の良さそうな浅黄色の綿のドレスをチクチク繕っていると、漸く男が部屋に戻ってきた。
「あ、おかえりなさい」
「…………あぁ。部屋を変えなかったのか?」
「他所のお家で一人ってのも落ち着かなくて。お邪魔になります?」
「…………いや、邪魔では無いが」
問題だろう、と聞こえた気がしたが、スルッと滑らかにスルーする。他所のお宅の部屋の鍵なんて、あってないようなものなのだ。これでも一応多分女の部類なのだから、多少は警戒しても恐らくバチは当たらないだろう。誰だか知らない家人や使用人達に無防備に晒されるよりは、昨日何もしてこなかった男といる方が幾分かマシである。
「お風呂の準備が出来てますけど、その前に袖とか裾の長さだけ測らせて下さいねっ、と」
「む?ーーおいっ?!なにを」
鞄から取り出したみょーんと伸ばした巻尺をジャッと引っ込めつつ無駄に位置の高い腰に手を回すと、アルベルトは怯んだように顔を引きつらせた。
「ちょっと、ここ、屈んで下さい」
「おい」
「はいおてて伸ばして……はい、おしまいです。お風呂行っていいですよー」
「……おまえ、そんなんだから俺が少女性愛者だと間違えられるんだ。"ただの"連れだと言っているのに」
「え、まじかうける。まいいや、お風呂入ってください」
「いや良くはないぞ……」
些かぐったりした様子のアルベルトを浴室に追い込んで、さて、と豪華な衣装に取り掛かる。成る程、先程の女官の微妙に冷たい眼差しは、それが原因であったのか。
アルベルト用に提供された衣装はブラントの肩幅がキングゴリラな分、ノーマルゴリラなアルベルトが着ると大分肩が余っている。
彼が風呂から出る前に仕事を終わらせなくては。
丈を直す部位の糸を丁重に外すと、ユーディス少年の運んでくれた糸を針に通して、イベント前みたいな猛烈なスピードで縫い始めた。