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第二章1 行くぜブラント。白金ゴリラの住まう丘。

一瞬だけ軽い暴力描写と取れる表現があります

 熱は一晩で完全に下がった。私はと言えば、学校指定のブラウスの上に、羊毛素材のシンプルなドレスと、頭にはリネン素材の白い頭巾といった愉快な服を着用している。これだけは不格好で嫌だったのだが、怖い顔をした男に「その格好よりは大分マシだ」と眉を潜めて言われては仕方ない。ちょっと緩い胸元を何とか紐でぎゅっと絞め、酒天(ささたか)に借りたカーディガンを上から着こみ、更には元死体男に借りたマントをすっぽりと被る。――ただでさえ長すぎる丈が、肩幅の違いも相俟ってずるんずるんの「殿中でござる」スタイルだ。このマントは着ない方が良さそうである。

「着ましたけど」

 マントを脱ぎつつ声を掛ける。

「そうかーーーーでかいな」

「まぁ、引きずりゃしないですし」

 頷いた男は先ほどから甲冑のベルトをもたもたと結んでいた。ーー多分あれ、一人で着る構造になっていないのだと思う。

「……手伝いましょうか」

「む……うむ」

 流石に見かねて声をかけると、男は申し訳なさそうな顔で頷いて両手を広げた。

「頼む」

「……ういっす」

 キラキラしい彫金の施された甲冑を見るに、普段は小姓とか後輩みたいな人が着替えを手伝っているのだろう。振袖やなんかと一緒だ。お貴族様が着るやつだ。

 肘から先が使えない左手は添えるだけだが、初めてにしては……少なくとも男よりは大分手際良く着付けられたと思う。これでも六年間、酒天(腐女子)海親(夢女子)の親友をやって来たのだ――じゃない、間違えた。こちとら演劇部万年ヒラ部員兼、衣装制作監督である。こういう甲冑などの(コスプレチックな)衣装造形は、割と好きで良く調べたりもしていたのだ。

「以前は誰かに仕えていたのか?」

「いいえ、趣味でちょっと」

「趣味……」

 得体の知れない女が思いの他手際よく着替えを手伝ってきたからだろうか、目を見張って聞いてきた男の問いを否定しながら、仕上げに借りていた緑青色のマントを羽織らせ(返品し)、留め具がないので鞄に付けていた大き目のブローチで留めてやる。学校のクリスマス会のチャリティーバザーで買った、理事長先生(シスタ・バルヒェット)お手製、ビーズ細工の平和の鳩である。オリーブの葉っぱが割とリアルで可愛らしい。ちょっとご利益がありそうだ。

「よし」

 トン、と男の胸をたたいてから一歩離れて全体を観察する。こうしてみると、その長身も相俟って、かなり見栄えの良い騎士が完成した。

「映画の主人公って感じですね。王子様っぽいって言うか」

 それも、某ネズミ王国の映画や、海親などが良く持ってくる恋愛シュミレーションゲームなんかに出てくる白皙の美青年、と言った王子様像ではなくて、もっとこうファンタジックな……指輪物語なんかに出てきそうな、剣を持ったら無双しそうな美丈夫である。

 ――どちらかと言うと海親よりも酒天の好みだろうか。個人的に男のロン毛は余り好みではないが、背中の下まで伸びたどうやら地毛らしい金属質な色合いの長髪も男にはよく似合っていて、以前酒天が貸してくれた(押し付けてきた)薄い漫画本に出てきた王子様に少し似ている。確かダンジョンを探検する冒険者(実は王子様)が、猪人間(オーク)にくっころ……いや、漫画の内容はきっぱりさっぱりきれいに忘れたが、とにかく要するに衣装を整えた男はまるで映画の主人公のように見栄えが良かった。

 甲冑を着付けた時の世話をされ慣れている感じからも、不器用、というよりは寧ろ、何処となく貴族的、というのだろうか。優雅さのようなものを感じる。

「俺は王子などではなく唯の騎士だ。――まだ名乗っていなかったか?」

「ああ」

 言われてそういえば、男の名前を知らないことを思い出した。というか、昨日まではまだ半分夢であることを疑っていた為、余り興味が持てなかったのだ。

「そうですね。まだ名乗っていませんでした。――えっと、秋山弥夜って言います」

「アルベルト・リュイボスだ。――アキヤマ、と言ったか」

「秋山は家名で、弥夜が名前です。アルベルト……えっと、リュイボスさんは、この後大事なお方と合流するんですよね?」

 ――長いのでとりあえず苗字っぽい部分を抜粋して確認すると、男――アルベルトが渋い顔で頷いた。

「アルでいい。お前、ミヤは、帰り道がわからぬと言ったな」

「はい、昨日話した通りです。気付いたらここ、というか、あの河原に居ました」

 昨日のうちに、アルベルトの捕って来た肉を食べながら、粗方の事情は既に語っている。

「河原に」

「ええ。はじめは夢かなーって思ってたんですけど……あの、ここってやっぱり日本ではないですよね?」

 絶望的だろうと思いながらも今一度聞いてみると、案の定アルベルトは訝し気に眉根を寄せ、

「ここはファルダンの北の外れだ。ニホンというのは、お前の故郷の名なのだろう?」

 と問うて来た。

「そうですよ。そうなんですけど――」

 ここは一体何処なのだろう。なぜ、自分はここにいるのだろうか。そして、ここが日本ではないとしたらなぜ、この男(アルベルト)と会話が通じているのだろうか。そして一体、いつになったら自分は家に帰ることができるのだろうか。

「大事ない」

 思ったよりも長い事考え込んでしまっていたらしい。急に頭に重みを感じて目を上げると、アルベルトが籠手に覆われた大きな掌で私の頭を鷲掴ん……ポンポンしてくれていた。帷子に髪が絡まって割と痛い。痛いけど、頭を丸ごと鷲掴めそうな程大きな掌の感触は存外気持ちが良くて、「これが()()()()()()というやつだろうか……?」と、謎の感動を覚えた。

「大事ない、女神よ。お前の身柄は俺が引き受けよう。お前は命の恩人だから」

 ――――大丈夫の要素が聞こえなかったのだが。

「だから、私女神じゃ無いんですけど……」

 小さく一つ嘆息して、取り合えず一番不味そうな部分だけ訂正した。

 

 

 

 

「今はこじと思うものから忘れつつ、待たるることのまだもやまぬか」

 そういえば謝恩会出そびれたな、等と思っていたら、いつか聞いた覚えのある声が、耳元でポツリ、と呟いた。

 ――またあの夢である。

 相変わらず狩衣姿の私は河原に居て、私の制服を着た“何か”の食事を見下ろしている。

 確か古今和歌集の歌だと思う。いつか、酒天が教えてくれた。

 もはや来ないだろうと諦めたのに、諦めた、という事をつい忘れて、ふとした瞬間に貴方が来るのを待ってしまっているのだ――。「図書館漁ってたらちょっと目に留まってさ。最っ高じゃない?完全にレイ×アズの歌じゃない?つまりホモォは最強なんだよ!!!!!」

 最後の方は良くわからない(あまり理解したくない)が、力強く宣言した酒天はとても楽しそうだったので、無難に「せやな」とだけ返しておいた。

 それにしても、酒天は今日も元気にやっているだろうか。せめて昨日酒天や海親達に預けた卒業旅行用のチケットが無駄になる前には、元の場所に帰れると良いのだが。

 何にしても、酒天の大振袖姿、見たかったなあ。きっとあの酒天(お嬢)の事だから、地毛で日本髪かなんかを結っちゃって、海親辺りと「わーい、花魁だ!ささたか花魁だー!」「馬っ鹿、誰が遊女でありんすか失敬な!姫様とお呼び!」みたいなやり合いをするんだろう。見えるようだ。生命力に溢れた友人達の様子を想像し苦笑していると、顔を上げた“何か”が不気味そうにこちらを見上げていた。

「あなた、どうしてまだここにいるの?」

「どうして、と言われても。これは私の夢じゃないの?」

 どうしてと言われても、好きでいるわけではないのである。それ以外に答えようがなくて無難な返しをすると、“何か”は不快気に眉根を寄せた。

「あなたはもういないのに。ここにあなたのものなんて、もうなにひとつないのに」

「そういわれても」

「……まって。あなた、本当にまだ自我が残っているの?」

「え、いや、なんの話……」

 “何か”は、怒りに顔を歪めるとゆらりと立ち上がって私に接近した。思わず後退り、失敗して砂利に尻餅をつく。何だこいつ、いきなり切れたぞ。やばいやつだ。

 "それ"は私に馬乗りにまたがると、怒りに燃える眼差しで見下ろした。

「あなたは供物、あなたは我が社に供されたる贄。それがなぜ我がゆく道を遮るのか――」

「遮る?」

 何の話だろうか。意味が分からない。ただ戸惑いのままに見つめていると、“それ”は苛立たし気に私を見下ろし、徐に私の首にその手を掛けた。

「えっ?ちょ?!」

「きえろ、きえろ、きえろきえろきえろきえろきえろ!!!!!」

「まっ……、――くそっ」

 死にたくない。とっさにそう思った。苦し紛れに目の前にある“何か”をひっつかんで、体を回転させ、逆に“それ”を押し倒し返して、力の限り締め上げる。濡れた黒い瞳が限界まで開かれて、細い咽や非力そうな手足が、打ち上げられた魚の様にばたつき、薄紅色の唇が酸素を求めるように、悲鳴の形に開いた。

「あっ、あ、あ……」

 ぼろり、と、大粒の水滴が目玉から零れたのと同時に、“それ”はびくん、と痙攣して、噓のようにあっけなく脱力し、見る間に砂となって砂利に紛れた。

「――――…………」

 嫌な夢だ。息が荒い。掌にまだ、汗ばんだ首筋の薄い皮膚の鼓動する感触が残っている。

  首筋に、強く圧迫されたような息苦しさを感じる。

「待たるる……ことの…………」

 どうして泣けてくるのだろう。

 着慣れた制服の袖で、瞳から零れたものを乱暴に拭いながら、私は一人砂利に座ったまま夢の覚めるのを待った。

 

 

 

 

 長い事馬に揺られているうちに、ついウトウトしてしまっていたようだ。

 目が覚めると器用に私の体を支えながら手綱を取っていたらしいアルベルトが、「ようやっと目覚めたか」と、こちらを見ずに苦笑した。この男、下から見てもイケメンである。沢山眠ったお陰だろうか。いつの間にか、昨日からのお腹の気持ち悪さが完全に消えていた。あと、少しだが左手が動かせるようになっている。良かった。一先ず、安心だ。

「すみません。居眠りしました」

「いい。代り映えのない景色で退屈だったろう」

「えっと……」

「じき着く」

 そういって促されるままに前方を見ると、遠くに白い大振りの煉瓦の壁が見えてきた。

「あれが?」

「ブラントの城塞だ」

「ブラント領……」

 森を抜けてすぐ、草原の向こうに左右を見渡す限り延々と続く白い壁が続いている。近づいてみると白い煉瓦一つ一つはゴツゴツと無骨な形状をしているものの空の青と石の白とのコントラストが、その無骨を極めたが故の優美さの様な物を強調している。後ろを囲む山々は鋭利なまでに切り立ち、春も半ばの陽気だというのに、山の八割程までが雪化粧に覆われていた。

 城壁の天辺には所々細い切れ込みや高台が備えられていて、人が大勢で通ったり、隙間に潜んで矢やら投石やらを仕掛けられるような仕組みがあるらしい。素人の私が見てもわかる。恐らくあれは戦争に特化したお城なのだろう。

 

 

 大きな城門を潜ると、城内は一つの町のようになっていた。

 見慣れない風体の私達を、訝し気な顔ですれ違う農夫らが眺めてゆく。今日の収穫なのだろうか。青菜やら果物やらがうず高く積まれた重そうな籠を背負っている。

「こんにちは。大漁ですね」

「……へぇ、こん所はラーフィニャさまのご機嫌も良かぁことで、青菜も果物もようけ取れますだ」

「ラーフィニャさま?」

 訝し気な視線に耐えられずとりあえず挨拶をしてみると、農夫は思いの他朗らかに返して、ぺこりと会釈をして去っていった。

「ラーフィニャは日の神だ。幼子の姿をしていて、機嫌が良いときは作物の豊穣を助ける」

「へえ」

 農夫の言葉に首をかしげていると、アルベルトがざっくばらんに説明してくれた。

「多神教なんですね」

「場所による。地方では土着の神々を祀る神殿も少なくはないが、都心部では知恵の賦与者サフィアが唯一絶対神とされることが多い」

「なるほど。――リュイボスさんはどっちですか?」

「俺は田舎の出だからな」

「多神教?」

「俺は領地の城で育ったが、元のリュイボスは幕屋を積み平野を駆ける民だった。決まった神の名を唱えるよりも、木々の精風の精の歌を聞き、大地の叫びに身を託す方が自然に思う」

「なるほど」

 まあ当然と言えば当然かもしれないが、宗教も一種類ではないらしい。

「国教を強制、みたいなのはないんですか?」

「あるな」

 あるんかい。

「とは言えそこまで強制力を持つものではない。何よりサフィア神は比較的新興の神であるし、強すぎる束縛は時に反発を生むから――」

「そんなに強くは言われない?」

 聞くとアルベルトは何やら呆れた様な顔で私を見下ろして、暫し迷ってから小さく「ああ」と、肯定した。

「だが、サフィアの神殿に力がある事もまた事実だ。あそこにはパーラーがいるからな」

「パーラー?」

 フルーツパーラーとかパーラーメイドとかのパーラーだろうか。

「大陸において唯一智神サフィアの神託を受ける巫女王だ」

「巫女王――」

 卑弥呼みたいなものか。

「それ、王様とどっちがえらいんですか?」

「さあな。人を動かすのは神意だが、天を生かすのは人意だ。神は人がいなければ立ち行かぬが、人は神には抗えん。どちらが強いとは言えないな」

「はあ」

 気の抜けた相槌を打つと、アルベルトはふと口角を持ち上げて前方を示した。

「どうやら迎えが来たらしい」

 見れば、身なりの良い男が数人の騎士達を従えて、こちらに馬を進めてくる所であった。

 

「アル!来たか!」

「来たとも!」

 猛々しい口調で言って笑みかけてきたブラント領主は、アルベルトに負けず劣らずな美丈夫だった。二十代後半から三十代半ば位だろうか。アルベルトよりも年長に見えるが、きっちりと幾重かに編み込まれた白に近い金髪を背中に垂らし、アメフト選手の様に鍛え上げられた肉体を、緻密な彫金の施された白金色の甲冑に包んでいる。

 アルベルトと一通りの挨拶を済ませた後、ブラントは、ふとこちらに問いかけるような視線をやった。

「それはなんだ」

「″それ″ではない。ミヤという。連れだ」

「連れって、お前――。どこで拾ってきた」

 明らかに「何やってんだこいつ」という顔でブラントがアルベルトを睨んでいるが、これには私も同意せざるを得ない。言われてみればそうだ。この男、なんで見ず知らずの私を連れまわしているんだろう。普通ならそのまま川辺に捨ててきても良いはずなのに。

「拾ったのではない。俺が拾われた」

「何やってんだお前」

 ブラントは、今度こそ心底呆れた態度を隠しもせずに嘆息した。

「それより、殿下はいずこにおわす?」

「それよりってお前な……。はぁ、エルバルド殿下なら屋敷の中だ。薬をお召しになって休んでおられる。大分気が滅入って居られるようだったが――お前、殿下の中では死んだことになっていたぞ?」

「実際、死ぬはずだったのだ。――――でなければ、御前を離れなどするものか」

 低く言った後半は、どうやら私にしか聞こえていなかったらしい。

 ブラントは小さく苦笑して、

「かの神槍ともあろうお前が、騎上で死ぬはずなかろうよ」

 此方も微かな声で、言い聞かせるように断言した。

 

 

 屋敷内に通されると、家令とかいう男が、アルベルトをみてハッと目を見張り、安堵の為だろうか、口元を戦慄かせながら、それでも恭しく最敬礼で出迎えた。

「よくぞ、よくぞ戻られました、アルベルト様――」

「済まない。貴方にも心配を掛けたな、ハンネス。此度ばかりは駄目かと思ったのだが、どうやら女神はまだ俺に味方してくれるらしい」

「誠に――」

 本来なら仮にも身分の高い人間から「済まない」等と謝られたら、「いえそんな――」とか言って謙遜するであろうのに、家令はキッパリと肯定して、悪戯っぽく微笑している。

「私などはともあれ、ラナート様など御自ら、アルを迎えに行くのだー、などと仰って」

「それは無謀な。貴方も奴に仕えると苦労をする」

「全くで御座います。いやはや、今でこそ貴方様の御前では、これ、このように取り澄ましておいでですが……昨日など、もう。家中の若い者を集めて、もう。大暴れで御座いました」

「おいハンネス。余計な口を聞くな」

 家令の男が大袈裟な様子で肩を竦めてみせると、流石に「聞き捨てならない」とばかりに、一応は大人しく聞いていたブラントが会話に割って入った。

「は、これはご無礼を、ラナート坊ちゃま」

「やめろ、坊ちゃまではない」

 決まり悪そうに眉根を寄せる若い領主にも、家令の老人は何処吹く風、である。にこやかに主に謝罪してから、客人(アルベルト)の方に向き直った。

「長旅でお疲れでしょう。お部屋にご案内申し上げます」

「――ハンネス、小間使部屋のついた西奥の部屋だ。殿下の向いになるし、そちらの方が丁度いいだろ」

「は、坊ちゃま。ではその様に。――君、名は何と言うのかね?年は?」

 コソッと素早く耳打ちしたブラントの指示に丁重に頷いた家令が、ふと私に視線を向け、す、と腰を折って目線を合わせてきた。小間使いって私の事だろうか。

「え、あっはい。み――弥夜と申します。十七歳です。宜しくお願い致します」

 学校の礼法の授業で習った通り、四秒・四秒で丁重にお辞儀をしてから、そういえば西洋のやり方は違うのだろうか、と、ふと思い到って頬が引きつる。が、家令は気にした風もなくにっこりと頷いて、私たちを部屋に案内した。

 中に入ると益々お城っぽい内装に関心していると、扉の外に居た家令が私だけを呼び出した。

「ではミヤ、アルベルト様のお食事は広間にご用意しますので、時間になったらお前も給仕を手伝う様に。夕食までまだ暫く時間がありますから、その間にお湯を使って頂きなさい。――着替えはお持ちでいらっしゃるか?」

「えっと、いいえ。持ってな――持って、いらっしゃいません」

 どうやら知らないうちに私は、完全にアルベルトの「小間使い」で確定してしまったらしい。まあ、今更訂正するほどの事でもないし、何より働かざる者食うべからず、だ。右も左もわからない異世界で、運よく頂いた仕事である。有難くこなすとしよう。

「ならばアルベルト様にはラナート坊ちゃまの服を使って頂こう。少し大きいかもしれんが、詰めれば何とかなるだろう。君は――うちの女中の仕着せでいいかね?」

「はい。有難くお借り致します」

 私としては別に今着ている服でも問題ないのだが、家令の顔色を窺うに、どうやらお屋敷内でこの()()()格好はアウトらしい。有難くお礼を言うと、家令はにっこりと笑って頷いた。

「では、湯の道具と着替えは後でうちの小者にでも持ってこさせよう。お前も食事の前に湯のお残りを頂きなさい。他にいるものはあるかね?」

 ――いるもの。何がいるんだろう。想像もつかない…………、と、そうか。

「あっ、あの、えっと、――あ!では、でしたら――お着換えを直すのに糸が少し足りなくて。あと……。っあ、鎧の手入れをするものをお貸し頂けますでしょうか……?表面は軽く拭ってらしたけど、多分血を浴びてそのままの状態だと思うんです」

 鎧を着付けた時に、所々返り血だか何だかがこびり付いているのが見えたから、多分ちゃんとは手入れできていないのだと思う。イメージだが、騎士っぽい人達って自分で武器の手入れなんかをしそうな感じがするのだ。なので多分使うだろう。アルベルトが使わなかったら私が軽く磨いておいてやろう。先ほどブラントが着ていたもの程ではないが、あんなに綺麗な装飾の甲冑を錆びさせるのは忍びない。――それにしても、我ながらしどろもどろである。

「それはいけない。では、それも直ぐにもってこさせよう」

「ありがとうございます、えと、ハンネスさん」

 それから給仕やその他の細々とした指示を受けて、私はようやっと与えられた部屋に戻ったのだった。

 

 

 

 

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