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第一章3 視点、アルベルト。

 黄金(きん)のお下げ髪が揺れている。

 去年の誕生日、父上に頂いたのだと何度も何度も自慢げに見せびらかしてきた薄紅色のワンピースは丈が大分短くなり、裾の解れが目立っている。

「アル!ほら早くなさい。早く木の実(このみ)を集めて戻らないと、お母さまが御心配なさるわ」

 一年前、柔らかな絹に金糸銀糸の刺繍も美しい室内履きを履いて、薄紅色の絹の普段着を嬉し気に母や父の前でいつまでもくるくると回って見せていたそのひとは、木の葉の絡んだ黄金のお下げをパタパタ揺らして、足早に森の道を進んでゆく。

「あねうえ!まってください!」

 舌足らずな口で一生懸命呼びながら追いすがると、は、っとした様に豊かな金色が振り返る。そして、木の根に足を取られて先ほどから少しも進めていない不甲斐無い弟を見つけると、「おや」と言う様に片眉をあげて小さな両手を腰に当て、慎ましい胸の膨らみをツンと逸らした。

「お早くなさい、アルベルト。休むのは後で幾らでもできますよ」

「や、やす、んでっ、いま、せんっ!」

 滑らかな頬を真っ赤に染めて憤然と言い返す七つも離れた弟を、姉は、目だけは微笑んだまま鹿爪顔で見下ろしている。

「ほら、もう少しです。私が籠を持つのを代って差しあげましょうか?」

「…………あねうえ、わたしは荷物くらいちゃんと持てます」

 ゼエハアと息を切らしながらも何とか追いついて、悔し紛れに〝キッ〟と姉上の美しい顔を睨みつけた。

「まあ、そうでしたか?」

「はい、あねうえ。早くお夕食を集めて、ははうえの所に戻りましょう」

 小さな弟に睨まれたって、怖くもなんともないのだろう。でもどうしてだか誇らしげに笑った姉上は、「うん」と一つ頷いて、自分とお揃いの金褐色の瞳を覗き込んだ。

「アルベルト」

「はい」

「あなたはリュイボスのお家の当主なのですから、強くあらねばいけません。誰よりも強くなって、お母さまと民の事を守って差し上げるのですよ」

 そういって、幼い弟の掌をギュッと握りしめる。

 彼は最近の姉上の、貴族の令嬢らしい冷たい手袋をしていない、熱くて柔らかくて少しかさついた掌の感触が、とてもとても好きだった。

 

 

 





「はい、あねうえ。わたしはだれよりもつよくなって、おいえとたみをまもります……」

 





 ――自分の声で目を覚ました。

 どうやら、幼い時分の夢を見ていたらしい。

 目を開けると、辺りは既に朝露に濡れていた。

 朝だ。

 冷たい草の感触が頬を撫でる。

 生きている。

 ――だが奇妙なことに、傷の痛みを感じない。

 迎えるはずもないと思っていた晴れやかな「朝」の空の色に、男は訝し気に顔を顰めた。

 背後から貫通されたはずの場所を(まさぐ)ってみると、少し皮膚が盛り上がっているものの、傷はすっかり塞がっていた。触れると流石に、ピリ、と引き攣る感覚がする。

 昨日、自分は確かに敵に致命傷を与えられ、落馬してここで気を失ったはずである。

 普通であればそのまま二度と目を開けなくても不思議ではない……いや、むしろ、そのまま死ななければ不思議な状態だった筈なのだが、奇しくも自分は目を開けて空の色を眺めている。空の色を眺めて、……ぷんと漂ってきた生臭さに思わず眉を潜めた。

 ――血生臭い。

 緩慢な動きで左右を眺めて、男は「ああ、」と遠い目をした。

 昨日斬った敵の亡骸が、そのまま野晒になっている。まあ、当然か。ここは人の寄り付かない、「幽霊谷」などと呼ばれている国境近くの更地である。用がなければ、それこそ盗賊や兵士にでもならない限り、誰も通りたがらないだろう。

 ひん剝かれたままの目玉と視線が合って、流石に男は気分が悪くなった。よく見ると鳥か何かに啄まれた跡すらある。

 慎重に身を起こす。と、腹の上に何か重量を感じた。

「……お前は」

 見れば、自分は眠っている間、何かを思い切り握りしめていたらしかった。

 ――何か、というか、女の手である。手の先には当然手の主が繋がっていて、それが男の腹の上ですよすよと寝息を立てていた。若い女だ。……でもちょっと具合が悪そうだ。

 慌てて握っていた手を放した。……なぜ、こんな所に女がいるのかは一つも理解できないが、とはいえもしかしたらすごく可哀そうなことをしたかもしれない。男が握りしめていた女の手は、すっかり血が止まって爪先まで真っ白になっていた。

「…………お前が、これをやったのか?」

 元来人の良い性質の男は、その可哀そうな真っ白な小さな指の爪の様子に、何とも言えない罪悪感を覚えた。自由な方の手に毛編みのセーターのようなものを強く握っている恰好と、自分の体が何処も啄まれていない所から推察するに、恐らく彼女が、死肉を啄みに来る鳥たちを、このセーターで追い払ってくれていたのだろう。見れば、未だに上空には禿鷹の様な大振りの鳥たちが数多く輪を描く様に飛び交っている。

 女を見る。

 それは、変わった風体の女であった。

 女、というより、娘と言った方が相応しい。十三~四歳ほどであろうか、多分あの時の姉上と同じ位か、もしかしたらもう少し年長かもしれない。若い、というよりは、寧ろ幼い、と言った方が相応しい風貌である。服装を見ると貴族には見えないが、悪くはない布地の上着と男の様なシャツを着ており、逆に足元は布切れのような恐ろしく短いスカート――これはスカートと呼んでも良いのだろうか?――で辛うじて覆われている。そして、この辺りではあり得ない真っ黒な色彩の髪は、肩下辺りの中途半端な位置でバッサリと切られている。普通、女の短髪は罪人か、若しくは余程信仰心の厚い尼僧以外ではあり得ないから、恐らくはこの娘もそのどちらかだろう。生地の良い服装をしている所を見ると、何処か異国の宣教師か何かだろうか。

 ――いや、宣教師にしては些か衣装が破廉恥か。

 上着の釦が全て毟られている所を見ると、自分で売りながら旅をしていたのか、それとも夜盗か何かに襲われたのか。

「……むぅ」

 娘が、小さく唸って薄目を開けた。

「起きたか?」

「――――む?」

 焦点の合わない、夜闇を閉じ込めた様な深い色彩の瞳が段々と覚醒して行き、男を捉える。

「ぴゃ?!」

 娘が、面白い声を上げて飛び離れた。瞬間、短いスカートの中身が丸見えになった。

「ひぃ?!」

 咄嗟に手を付いた場所に死骸でもあったのだろうか。半泣きで遊んでいる少女の腰のあたりを支えてやると、ようやっとバランスを取り戻したのか、しっかりと立ち上がって、その夜色の瞳で、まじまじと男の顔を見降ろした。

 ――あの眼差しだ。戸惑っている。しかし、押し包むように柔らかく全てを許容する。

「お前、昨日の女神だな?」

「……女神?」

 その柔らかそうな丸い滑らかな頬と夜色の瞳を見上げながら問うと、娘は微妙な表情で「女神……」と繰り返し、

「私は女神ではないですけど、あなた、昨日そんな事言ってましたよね」

 納得が行かなさそうに頷いて……女神は「くしゅん」と小さくくしゃみをした。


読んでいただき誠にありがとうございました。次は恐らくだいぶ先になるかと思います。

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