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第一章1 春はさげぽよ。幕開けは常に呆気ないものである。

 桜咲く季節とは言っても、3月の陽気はまだ冬の残り香に満たされている。すれ違う人々は皆それぞれ涙で別れを惜しんでいるが、卒業式の後とはいえ、クラスの連中とはまた明日、謝恩会の席で会えるのだ。

「みぃいいいやぁああああん!!!!!」

 だから、そんなにがっつり袖を引き千切らんばかりに張り付かれても困るのだが、友人は、そんな私の様子を気にした風もなく勝手に人のブラウスで、涙と微量の鼻水を拭いやがった。

「はーるちゃーん、はーなーせー」

「やだよぉう!だってもう校門くぐったら高校生じゃないんだよ?もうクラスメートじゃないんだよ?!これでももう最後なんだよ?!?!」

「ほーう、友人関係まで最後にするつもりとな?」

「違うけどぉ!」

 はるちゃん、こと海親美晴(うみちかみはる)は、中学から高校までの六年間ずっと同じクラスだった親友、もとい、珍友である。こうやって誰彼構わず抱き着いては人の心を惑わすワルイオンナだ。危ないやつ。私が男の子だったらうっかり勘違いして惚れていたところだ。どうしてくれるんだ。

 まあ、とはいえここは女子校なので、もし私が男子だったとしたらまず海親とは出会って居なかっただろうけど。

 それはそうと。

 海親の中では、私はただのクラスメート(ご近所さん)でしかなかったのか。

 なんと、中々に薄情な事を言うではないか。

「よーう海親ぁ、と、秋山もいる」

「ささたかだー!」

「ぐっえ?!うわ、ゆーさん。驚いた」

 海親と戯れていると突如後ろからひとまとめに抱きしめられて、思わず「ぐえ、」と声を漏らした。振り返れば、同じくクラスメートで友人の酒天悠里(ささたかゆうり)が、蛸か何かみたいにへばり付いている。まったく、この二人ときたら人懐っこさではいい勝負だ。感慨に浸っていると、海親が可愛らしく小首を傾げて切り出した。

「ね、そういえば二人とも、明日の謝恩会に着てくやつ決めた?」

「いやー。もう例のドレスで良いかなって。従姉の結婚式とかで何回か着たやつ。」

 せっかく大きなホテルの会場での、同学年全員そろった最後のパーティーなのだから、できれば新しい物を用意したかったのだが、お小遣いの都合上そうそう服など買い換えられない。私の答えに、酒天は「あー」と気の抜けた声を出した。

「あー、この間の写真の。いいじゃん。……そっかー、みんなドレスかぁ」

「ささたかはドレス着ないの?私もママの借りてくつもりだけど」

「聞いて驚け。お祖母さまの大振袖だわ」

「うけるっ!ささたかだけめっちゃ豪華じゃん!着物ボッチだ!」

「ゆーさんお嬢かよ!お嬢だったよ!!」

「もうヤダー。制服で行くー……」

 私と海親に絡みついたままの体制でガックリと器用に肩を落として見せた酒天が、そういえば、というように私達二人を開放して、それから「ん?」という表情で眉根を潜めると、不審者を見るような失敬な眼差しを私に向けた。

「てゆうか、秋山その恰好どうしたの?爆撃でも受けたの?」

「聞かないでー……」

「みーやんね、式の後演劇部の後輩達が襲撃してきて、上着の釦全部持ってかれちゃったの」

 私の全力の「触れてくれるな」オーラを完全無視した海親が、無駄に可愛らしい口調で小首を傾げながら、至極簡潔に説明する。

「え、ここ女子高じゃん……。第二ボタンどころか全ボタンって――こわ……引く……」

「ねー。――まあ、でも演劇部はほら、全員何かと過激だから」

 しかも綾乃……中でも特に過激な後輩に至っては、

『え……でも秋山先輩、去年私に第二ボタンを頂けるって、約束して下さいましたよね……?酷いです、先輩。私、先輩のこと信じてちゃんと待ってたのに、あの人たちに全部あげちゃうなんて。……でもいいです。第二ボタンが頂けないのなら、私、先輩のこっちを頂いちゃいます!』

『いや、あの、綾乃ちゃん?ちょっむぐ?!』

 といった次第である。

 ――冗談じゃない。というか約束なんかしていないのだが。ともあれ私のボタンとファーストキスはこうして儚く散ったのだった。少しくらいやさぐれても罰は当たるまい。

 って、言うか。第二ボタンどころか袖ボタンや胸のリボンまで持っていかれたのだが。ブラウスだけは何とか死守したものの、これだって海親がいなければ危なかった。

 ……あれ、もしかして海親って命の恩人かもしれない?

 げんなりと遠い目をして考え込んでいる私の様子に同情したのか、酒天がおもむろにブレザーの下に着ていたカーデガンを脱いで、そっと私の肩にかけてきた。

「これ……謝恩会の帰りにでも返してくれたらいいから……」

「……めっちゃ恩に着るわ。会場着いたら返すね」

「やめろ、荷物になる。――って、フロントに預けりゃいいのか」

 自然といつもの軽口の言い合いになると、海親が嗜めるように苦笑する。

「全く、二人見てると最後って感じしないんだけど」

「お忘れのようだけど、卒業旅行もあるからね」

「なんならもっと言うと、秋山と私は大学めっちゃ近いからね」

「ちょっと!ずるーい!」

 一人地元の大学に行く海親が、唇を尖らせてかわいらしく叫んだ。

 四月になったら東京に行く。

 ここだって東京の端には違いないけど、シブヤやらウエノやらハラジュクやらというと、少し違った響きを感じる。

 初めての一人暮らしだ。

 奇遇なことに親友の酒天もすぐ近くにある、頭にTの付く超有名大学に進学が決まったらしい。思いのほか、想定以上に長い付き合いになりそうだ。

 正直、そこはすごく嬉しかったりする。

「部屋も近くに借りたしね」

「ルームシェアは?」

「しない。だってゆーさん、絶対料理とか掃除とかしないでしょ?」

「えー。秋山の手料理食べたいなー。ね、僕に毎日お味噌汁を作ってください!」

「ヤダよ!」

「ねーささたかー!私がお味噌汁作ってあげるー!だから地元残ろー?」

「海親料理下手そう…………」

「海親味噌汁にお砂糖とか入れてきそう……」

「ちょっと?!」

 三人一緒にふふ、と笑って、卒業式後夜祭後のすっかり暮れた夕空を見上げた。

「帰ろっか」

「うん」

「帰ろう」

 のんびりと駄弁りながらいつもの道を歩き出す。

 ひらひらと一片気の早い桜の花弁が見送る。

 小学生の頃とは違って今はスマホなんかもあるから、彼女達とは何だかんだ情報を交換して、一生の付き合いになると思うのだ。


 とはいえ。

 こうして三人でこの道を帰るのはこれが最後かと、今更ながらの感傷に浸った。

 

 

 

 最寄り駅で友人たちと別れると、辺りは既に真っ暗になっていた。

 最寄り駅はこの辺りにしては珍しくほぼ四方を畑と山に囲まれた閑静な田舎町で、最近になってようやっと駅前に完成した小さな総菜屋(ショッピングモール)以外は街頭すらまともにない真っ暗闇である。だから余計に、普段廃れてお参りに行く人など一人もいないお社に見える不自然な程眩い明かりに、私は酷く興味をそそられた。

 藤岡さん家のお社は、割と古くからある神社だ。駅から見えるおっきな山々の一つにある小さなお社で、話によれば平安時代とかその位の昔、由緒正しい藤原何某(ふじわらのなにがし)とかいうお貴族様の分家の分家の、そのまた分家みたいな人が建てて、その子孫が代々細々と守っているのだという話を、かなり前に神主の娘が語っていた。

「お祭りでもやってるのかな」

 それにしては太鼓やお囃子の音色が聞こえないが、この暗闇の中、駅にまではっきりと見える程の光源、ともなれば、余程の明るさだ。

 神主の娘……楓とは生まれた時からの付き合いである。偶然にも中高が同じだった事もあり、中三辺りまでは「えっちゃん」「みーやん」などと呼び合ってつるんでいた。

 ――ところで、神主の娘がミッション系の中学に進学するのは、日本ならではのおおらかさってヤツなのかしら。クリスマス会のミサやら宗教倫理なんかの授業では、周りの子達と同じ様に十字を切ったりハレルヤコーラスを熱唱したりしていたけれど。

 とはいえクラスが変わってからは余り話さなくなり、ここ数年は何となく疎遠になっている。

 だが、いくら疎遠になっているとは言っても喧嘩をした訳でもあるまいに、卒業式にすら姿を見せなかった、ここ最近休みの続いているらしい、廊下で会えば挨拶をしたりこっそり漫画や本を貸したり部活で作ったというお菓子のお裾分けを貰ったりする程度の間柄の隣のクラスの幼馴染をもっと心配すべきであったと反省し、遅ればせながら挨拶がてら顔でも出してみようかと、古びて凸凹と安定感のない石段に足をかけた。

 首を目いっぱい逸らさないと頂上が見えないほどの長い階段を上がり切り、劣化して木肌のむき出た小ぶりの鳥居を潜ると、どうやら件の光は本殿の中から漏れ出ている事が伺える。

「えっちゃーん、いるー?」

 眩しい光源に目を眇めながら、お賽銭箱の脇からそうっと本殿の中を覗き込む。

 そういえば、以前ここに来たのは確か小学生の頃、町内会のお祭りが最後だったか。えっちゃんとはずうっと仲が良かった割に、どうしてかこの場所を訪れたのはあの時が最後であった。

 あの時、えっちゃんの小母さんと話していた母の様子が子供の目から見ても険悪な様子であったから、何とは無しにお社(この場所)を避けていたのかもしれない。

 辺りは、しんと静まり返っていた。

「えっちゃーん?」

 ――いまはこじとおもふものからわすれつつまたるることのまだもやまぬか…………

「は?うわ!」

 ワン、と耳鳴りのような音がして、瞬間、世界が反転する。

 一瞬、光の奥に居る同い年位の誰かと目が会った気がしたが、恐らくは気のせいだろう。あの奥には、ご神体を飾る棚と、錆付いてよく映らない銅鏡と、何故か一年中色褪せない真っ赤な楓が一枝、ポツリとおかれているだけなのである。

  だとしたらなぜ、私はこんなところを覗いたのか。

 ――やっときてくれた。

 鏡の向こうで、誰かがそっと微笑んでいた。

 


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