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第三章 証拠隠滅は、女の子の嗜みである。

生きてます。

首筋に金属の感触がある。

背中はーー床の大理石の感触だ。

年下の女の子相手だからと油断をし過ぎたらしい。

とはいえ触覚からして刃物は多分刃渡り15〜20センチ前後、わりかし小さな短刀だと思う。うん、大丈夫、怖くはない。昔戦国時代系のアニメにハマった際、海親を誘って古武術の道場に体験入学したのだが、しきりに本入学を勧めてくれた師範がお断りした私に猿叫しながら木刀で斬り掛かってきた時よりは全然怖くない。まぁ、その時は師範の教えに従ってガッチリ組み敷かせて貰ったが。おじいちゃん師範には「もっと君に教えたかった、一緒に全国にいきたかった」と泣かれてしまったが、多分古武術に全国大会は無さそうなのである。聞いた事ないし。私に組み敷かれたままシクシクと泣き続ける師範にドン引き顔の海親が110番通報しようとするのをなだめるのが結構大変だった。とは言え、たぶん、良い師範だったのだと思う。私に全力で教えてくれた。

昔から私は器用貧乏なのだ。

そして、周りの大人を勘違いさせやすい性質だ。

幼い頃、父親に買ってもらったおもちゃのピアノが好きだった。コマーシャルなんかの曲を耳で聞いて覚えて、そのピアノでよく弾いて遊んでいた。

それを誰だったか……。叔母だか大伯母だか、誰か友達の母親だろうか、が見たのだと思う。あれよあれよという間に天才という事にされて、なんだかお高い先生をつけられた。多分、親も相当無理をしてくれたのだと思う。それが地獄の始まりだった。

結果から言うと、私は全く伸びなかった。初めて聞いた曲は一度で覚えるし、何度か練習をすれば譜面の記号を間違えなく追うことも出来る。でも何故だか、「それ以上」にどうしても行けなかった。

何に関してもそうだった。ピアノも、勉強も、その他の習い事も。ある程度まではすぐに成長出来るのに、ある一定のレベルに達するとピタリと成長しなくなる。どんなに努力をしても、何をやっても、凡人の域を出なかった。

先生は練習が足りないせいだと言った。私が慢心しているせいだと。練習……朝から晩まで、寝ている間と食べている間以外はピアノの前に座らされていた。それでも足りなかったのだろうか。

ーーあなたは、天才肌の凡才なのね。

最後のレッスンの時に先生がそう言った。

普通の人よりもずっと覚えが早くて一見すると天才にみえるけど、それは普通の人よりも早く自分のレベルの上限まで達せてしまうだけ。早く出来るようになったからと言って、後から来る人に直ぐに追い抜かれてしまうのでは何の意味もないのだ。どんなに正確にピアノが弾けても、型通りで、何の感性も込められないのであれば仕方が無いのだ。

ーーそんなに練習を嫌がるなんて。努力の才能が無い分、あなたは凡才よりもずっと悪いかもしれないわ。

ーー二十歳過ぎたらただの人、って言うけど、あなたはそれまでもたないわ。人真似が得意なだけの猿ね。中学過ぎたらただの器用貧乏、だわ。

知るかクソが。あれ以来音楽関係は大嫌いだ。

キツイ顔立ちのオバさん先生を脳内から追い出して、取り敢えず今は目の前のことに集中する。


カタカタと震える少女の刃先から殺意は伺えないが、細い指先の振動だけでうっかり首の皮膚が破けそうだ。

ーーとはいえ。

見下ろす視線が余りにもか弱くて、刃物を向けられているにもか関わらず、逆にそこそこ冷静になれた。

「エルバルド王子様」

「ーー……」

もう一度聞く。が、少女はだんまりと唇をひき結んでいる。

ーー否定しない。つまりこれは肯定と取って良いだろう。

「……リュイボスさんは君が女の子だって知らないんですね?」

「……私は、男だ」

おもむろに手を伸ばして少女の股間を鷲掴む。

少女が「ッヒ?!」と悲鳴をあげて身動いだので、私の首筋に当たっていた短剣がずれて少量の血が噴き出した。うん。まぁ……許容範囲だ。

「言いませんよ、誰にも。私は口が硬いんです」

「……どうして?」

どうして、とは何処に掛かるのか。言わない理由、で良いのだろうか。少女は、真っ白な顔色で震えている。

「言う理由がありませんから。私はただの迷子で、毎日ご飯と寝る場所さえあれば、後はまあそれ程気にして居ないんです。だからわざわざ君を傷つけてまで、余計な事を喋るつもりはありません」

「伯父上に、私を売ろうとは思わないのか?」

「君のおじうえを存じ上げません」

「…………信用できない」

参った。どうしたものか。刃物を退けて貰えない。どころか、少女は目尻を赤くして、恐怖からか頰を真っ白にして全身の毛を逆立てながらこちらを睨みつけている。仕方が無いので、馬乗りに床に押さえつけられているまま、右手で逆に少女の左手を掴み返し、空いている方の手で素早く刃物を握る方の手を押さえつけた。少女が手を引こうとしたせいで視界の端に一瞬彼女の持つ短刀が見えたが、かなり豪奢な作りの一品らしい。厨二心が擽られた。

それは、ともかく。

これでお互い両手が塞がっている。漁夫の利の海鳥とはまぐりみたいに、文字通りお互い手も足も出ない状態だ。私は手を離せば少女に首を切られるし、少女は刃物を離せば私に完全に押さえ込まれると思っている。……まぁ、もう少し力を入れれば彼女の武器を取り落とせない事もないのだが、下手をすると少女の手首を捻挫させかねない。それは本意では無いのである。

「どう、して……」

少女が菫色の目を見張って、更に怯えた様に声を震わせた。怯えさせてどうする。

「刃物を離して下さい。怪我させたくないんです」

「わ、私を愚弄するか!」

「大声出さないで。違いますよ。ほら、部屋を片付けるのでしょう?手伝います」

ため息気味にいって、菫色をじっと見つめる。宝石の様な目が、戸惑う様に揺れている。

ーーもう一押し。

「見つかる前に片しましょう。……一人で途方に暮れて居たんでしょう?」

「ーーぁ、」

カラン、と、音がして、私の顔の直ぐ横に刃物が落ちた。危ない。

まぁ、相手の戦意は削げたらしいので良しとする。

白魚の様なおててを持ち替えてアルプス一万尺みたいな姿勢になってから、体重をかけないように腹筋で起き上がる。

少女が、驚いた様に腰を引いて……ポスン、と私の膝に尻餅をついた。



何とかかんとか宥めすかして、少女の部屋までやってきた。洗わないと行けないのは……シーツと下着と寝巻き、それにベッドのマットレスか。

後はそう、廊下の血痕を消しておかないと。

暗いと見にくいから、何か灯りが必要だ。

ーーまぁいい。先ずは真っ先にすべきことがある。

「さあ、じゃあ先ずはそうですね……その服をお着替えしちゃいましょうか」

「さ、先に廊下を履かなくていいのか?」

「人が来たって見えませんよ。廊下はまだ暗いですから」

後はそう、さっき少女が尻餅をついた私の膝も少し赤く汚れている。

「ーーいつもはどうしてたんです?」

「わからない。こんな事……なかったから」

ーー初潮かよ。

みるみるうちに菫色の瞳に水の幕が復活する。ちょっと、まって、なかないで。

「それは、…………おめでとうございます。殿下も大人の仲間入りですね」

「…………」

我ながらデリカシーがない。

「さて、お着替えしちゃいましょうか。下着は何処にしまってるんです?着替えは?」

「その、トランクの中に……」

「ブレーじゃんうわ本物初めて見た……」

思わず口に出していた。15世紀辺りの典型的な男性用下着だ。こう、白ブリーフのゴム部分を紐にして極限までダサくしたみたいな形のパンツである。博物館なんかだと、服飾品は飾ってもいてもなかなかパンツは飾っていない。確かに、後世になって自分のパンツが展示されるなんて事になったら恥ずかし過ぎて化けて出てしまうかもしれない。そうか、パンツは飾るべきではないのか。

「男物の下着を見るのは初めてか?」

少女が、ちょっと面白そうな顔をして覗き込んできた。なんだ、泣き止んだじゃないか。よかった。

「まぁ、その中身なら見たことありますけど」

「きゃあ!」

小さい頃は弟や父親とも一緒にお風呂に入っていたので、男の人のパンツの中身だったら見たことがある。もっと言うと酒天が押し付けてくる薄手の漫画に沢山描いてあったと思う。にやっと笑うと、少女が可愛らしく小声で悲鳴をあげた。おい、これの何処が男に見えるんだ。ここまでの流れで、どちらかと言うとMAX寄りだった自分の中のアルベルトへの信頼度が、氷点下まで急降下しているのだが。

下着に生理用のナフキンを装着してやりつつ、部屋にあったタオルを絞って手渡してやる。

「粗方血を拭ったら、ちょっとゴロゴロしますけどこれに履き替えてくださいね。自分でできますか?」

「できる。幼い頃より、身の回りのことは私一人で行っていた。侍女を寄せ付ける訳にいかなかったから」

「じゃあ、下着と、これが新しい寝巻きですから。服、脱ぐだけ脱いだらこっちよこしてくださいね。洗いますから」

言うと、少女がこくりと頷いた。うん、素直でよろしい。

少女を浴室に押し込んで、私はさてと仕事にかかる。

先ずはそうだな、暖炉に火を入れる。流石に暑いので窓を少し開けると良い。外から見えない程度に、少しだけだ。

部屋の鍵はかけておく。外から入られると困る。

ベッドに向き合って、ふむ、と息をついた。

シーツを引っぺがす。普通の、現代風のダブルベッドサイズのマットレスだ。こう言うところが異世界だなって思う。

取り敢えず、一番の大仕事から取り掛かろう。

マットレスの端を縫い目に合わせて少しだけ解いて行く。糸はなるべく切らずに長く残す。

ダニとかいそうでおっかないけど、取り敢えず問題の部分の綿を取り除いたら乾いたタオルを表の布の下に敷き、濡らしたタオルでトントンと叩いて行く。

気付くのが早かったおかげだろうか。何往復かトントンすると、割と綺麗に落ちてくれた。

新しい乾いたタオルでしっかりと水気を取り、つっかえ棒をしてマットレスの布を乾かさせる。暫くはこのまま放置だ。次。

シーツは割と簡単だ。洗面器に冷たい水を貼り、お風呂場にあった石鹸を使ってつまみ洗いすれば良い。いい感じに汚れが落ちた所で、少女がひょっこりと戻ってきた。

「着替えたぞ!」

「はい、よくできました。じゃあこのシーツを暖炉のそばで乾かして貰えますか?」

にっこりと押し付けると、少女は戸惑った様に一部分だけ濡れたシーツを受け取った。

「……おもらしみたい」

「っふ、ふふ」

笑ってしまったじゃないか。少女も、少し落ち着いてきたらしい。表情の緊張が解けてきていた。

「焦がさないで下さいよ」

「平気だ。わかっている」

こっくりと頷いて、もぞもぞと暖炉のそばにすわった。うむ、そこで身体を温めているがよい。風呂場に残されていた下着(大惨事になっていた)を手早く洗って王子の隣に座ると、王子はポツリと呟いた。

「あぁ、そうか」

薄いピンクの唇が、ふわりと緊張を緩める。

「お前がリュイボスの奥方か」

「は?」

ちょっと、待って。なんでさっきの今で王子が知っているのか。

「ロザートのツヴェルフから頼まれたのだ。物語の様な話を聞かされて」

「物語」

「貴族の婚姻に王族の許諾が必要なことは知っているだろう?それでついさっき、ロザートが持ってきたんだ。食事の後辺りだったのかな?私もちょうど目が覚めた所だったんだが、何やら早口で捲し立てられてな、人に無理やりサインさせるなり飛んで出て行ったが……。何でも、負傷したリュイボスが居合わせた姫君に献身的に助けられたとかで、その姫君に心奪われ半ば無理やりここに連れてきたのだと。その姫君が実は故郷を追われたロザートの遠縁の娘で、幸運にもこの城で再会したので、是非とも自分が身元を引き受けてやり、親友とその姫君の恋を叶えてやりたいと。まるで騎士道物語の様だと思ったが、お前が相手なら案外ロザートの話も本当なのかもな」

王子様のお目々が、乙女のようにーー正しく乙女ではあるのだろうがーー凄まじくきらきらしている。それはもうキラッキラしている。キラッキラしながら私の澱んだ黒い瞳を覗き込んでくる。やめて。

と、言うか。怪しいと思うならサインするのはやめなさい。ーーまぁ、人の事を言える立場では無いのだが。

「お前がその姫君なんだろう?」

「ーーーーーーーー姫君じゃないです」

思わず反射的に否定する。が、もはや王子のなかではその話は真実になってしまったらしい。遠い目をして現実逃避していると、どう言う心境の変化かエルバルドが唐突に切り出した。

「もうバレてしまったと思うが、私の名前はエルバルトという。エルバルト・ファルディオだ。ファルダン王族の男子はファルディオ、女子はファルディエと苗字がかわる。面白いだろう?」

「王族だけですか?」

「王族だけだ。この国はいくつかの小さな国が合わさって出来たから……色んな地域の風習が、綯い交ぜになっている」

「面白いですね」

「母は側女だったが、正妻殿より家柄が高かったから……どうしても、自分が正妻殿より下の立場に置かれることが認められなかったんだ。ーーそれで多分、おかしくなっていたのだと思う。私のことを、男として発表させた。父は男子を欲しがっていたから、きっと気をひく為に。でも、丁度その時期に正妻殿の子が流れる事があって、父上はとても悲しんでらしたから……同じ日に生まれた私の事は、多分あまり目に入れたく無かったのだろうな。お陰で、今日まで誰にもバレていない」

「……案外、皆さん見る目がないですね」

とくにアルベルト。一緒に旅をしてて、なんで気付かない。丁度洗い終わった下着とズボンをギュッと絞って、暖炉のそばに持っていく。

「よし、交換です。シーツの方乾きました?」

「うん、もう少し……」

「あとは自然乾燥させましょう。次こっちです」

下着の方を少女……エルバルトに渡して、私も隣に腰掛け、ズボンを火の近くで炙り始める。

その際、エルバルトの肩から毛布を掛けてやると、一瞬だけ身体を硬くして長い睫毛を数秒伏せた。

「お寒くありませんか?」

「寒くはない。でも、なんか変な感じがする」

「生理中は血の巡りが悪くなりますから、よくよくさすってあげて下さい。ほら、手を出して」

素直に差し出された細い右手を丁重に按摩してやる。

「気持ちいい……」

「そりゃ良かったです。ほら、反対の手も」

左も同様にもみもみして、それからもう暫くは衣装を乾かすのに専念した。


空気が乾燥しているせいか、そうこうしているうちにベッドの方も乾いてくれたようだ。

ほぼ切らずに残した糸で解いた部分を元どおりに縫い合わせ、粗方乾いたシーツをメイキングし直す。

諸々洗った血染めの水は浴室の排水口に流してしまったが、多分それで大丈夫だろう。

「ミヤ、まだ、スカートが……あと首も……」

「先に廊下拭いちゃいますから。そのあとでやりますよ。……そうしたら、明日のどっかいいタイミングでまた来ますから、それまでそのナフキン当てたままでいて下さい」

言って、エルバルトにナフキンの事を説明しておく。多分、普通のゴミで出されるとだいぶまずいだろう。それしかなかったから咄嗟に出してしまったが、焼却炉で焼くにしても上手く燃えるかどうか……。

「わかった。待っている」

「朝まではまだ時間ありますから、もう一寝入りするといいですよ。……零さないように気をつけて」

コソッと付け加えると、エルバルトは私の袖を掴んだまま、真剣な顔で頷いた。

「ミヤ、待ってる」

「はい。ちゃんと来ますから」

安心させる様に微笑むと、ようやっと袖を離してくれた。

また暫く潜ります。


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