第二章6 私の人生設計では、結婚は二十代位が理想でした。
会話が濃すぎて、料理の味がよくわからなかった。
「マティオラさん、その、神殿に行けば、私が帰る方法が分かると思いますか?」
「さて、ね。少なくとも今の神殿にその力は無いだろうね。パーラーはもはや神官どもの傀儡だ」
「…………」
信じて貰えないのもやりにくいが、あっさり異世界人だと断じられらのもどうしていいのかわからなくなる。頭を整理するために一人流れで残って片付けを手伝おうとしたが、ラティエと家令……ハンネスに固辞されたので、皿の回収だけ手伝ってから大人しく部屋に戻ると、何故かまた部屋に男どもが集まっていた。
「あぁ、ミヤ。ちょうどよかった。これに署名をしておいてくれ」
「はい?」
ペラっと渡された紙を眺めていると、マティオラがインクとつけペンを持ってきてくれた。
「ほら、この線のところだ」
「なんですこれ」
「こ……」
「雇用契約書の様なものだ。取り敢えず名前だけ書いてくれればいい」
何故か答えようとしたブラントを遮ってマティオラがニッコリと微笑む。ブラントはムッツリと恐ろしく不機嫌そうにこちらを睨み……なんで私睨まれてるんだろう?……アルベルトはと言えば、こちらも真剣な眼差しで此方を凝視していた。怖い。
「え、なに、これなんです?」
「問題ない。これは君の身分と安全を保証するものだ。君が後で困るようなことは書いてないよ。単にそこにいる男に君が仕えるという宣誓書だ。君の国の文字でいいから。ほら」
「はぁ……まぁ」
ここで騙されたとしても、取られて困るものは命くらいしか持ち合わせがない。と、言うことは。
恐らくマティオラの発言に嘘はないのだろう。そもそも明らかに文無しの私相手に、高額な何かをふっかけたりはしないはずだ。仕方なくペンを受け取って、示された線の上に漢字で署名する。
ーー秋山 弥夜
すかさず差し出された朱肉に親指を付けて拇印をおす。となりにあるのは雇用主であるアルベルトの名前と指紋だろうか。並べてみると随分大きく見える。
「書きましたけど」
「成る程確かにタイレイの字に似ているな……よし、そうしたらこれはすぐに僕の方で届け出ておくから。このマティオラ=ツヴェルフとブラント伯が証人だ。不足はあるまい」
「届け出る?」
マティオラは署名の紙を素早く懐に仕舞うと大きな鞄を椅子の下から取り出した。
「行かれるのですか?」
「え、マティオラさんどっか行くんですか?」
「近郊の領主にも協力を仰ぐ。僕はこれでもロザートの一員だからね。名に相応しい働きをしないと」
ふわりと笑って、アルベルトに向けてウインクする。
「愛してるよ、アルヴェーラ。すこし悔しいけれど、これが正しい。じゃあね、ミヤ。今のところは許してあげる。君ももう僕のお友達だ。君と話すのはとても楽しい。また今度、もっといっぱいお話ししよう」
「許……?まぁ、私も楽しかったです、マティオラさん。また今度、たくさんお話しましょう。お菓子でも食べながら」
少し、学生のノリを思い出してしまった。
ヒラヒラと手を振ると、マティオラは乙女走りで去っていった。
……で。
「あの、ブラント様?視線で穴が空きそうなのですが」
さっきから、ギリギリと睨みつけてくる視線が痛い。
「……内容も見ずに署名をするな」
物凄く真っ当なことを言われた。
「まぁ、リュイボスさんに雇って頂く事に関しては寧ろバッチコイですから。それにここで放り出されたら行くとこないですし。ある程度の条件なら無条件で飲む覚悟です!」
ここまでの道中で、それなりに彼を信用しているのだ。だってご飯分けてくれたし。
「さっきのアレは婚姻届だ」
「マジかよ嘘だろ」
二コマ漫画みたいな反応をしてしまった。その発想は無さすぎた。
だって向こうにメリットが無さすぎる。デメリットしかないだろう。
窓の外をみると、満天の星空の下丁度白馬にまたがったツヴェルフの野郎が、正門から駆け出して行く所であった。こっちは町の灯りが無いからお星様がよく見える。じゃなくて。
思わず、アルベルトのほうに目をやる。
「すまん」
すごく簡潔な言葉で謝られた。え、嘘だろ。
「相談が無かった事は、謝る」
「いや、いやいやいや……え、なんで」
何処から突っ込めば良いのだろう。
「身元は引き受けると言った。流人、とやらのお前の安全を守る為には、一刻も早くお前の戸籍が必要だと言う結論に至ったので、手っ取り早く俺の籍に入って貰った」
「てっとりばやく」
しかも過去形。
「戸籍さえあれば、少なくともお前をこの国の法に組み込める。例えお前を傷つける者が居たとして、法によって裁くことが可能となる」
「お前の身元は、ロザートの遠縁……タイレイ王族であるレイ家の末裔と言う事にしてある。銀灰卿がこれをお前にやるとの事だ。肌身離さず持っていろ。売るなよ」
「いや、え、いやいやいや……」
ブラントが無理やり私の手を開いて、何やらゴツい指輪を握らせてくる。金色の龍が球を抱えた形をしている。中華街とかで売ってそうだ。でもなんか大きさの割にめちゃくちゃ重い。それにめっちゃキラキラしている。素材が何かは考えたく無い。
「ユーラン公妃の形見だそうだ」
「ユーラン公妃誰!!!!!」
仕方がないので、天に向かって叫んでいた。
取り敢えず、私が異世界人である事は何とか信じて貰えたらしい。……結局私の言葉は信じなかったのに、マティオラの言葉は一度で信じたようだ。全く、差別だと思う。ブラントは、一言二言アルベルト相手に嫌味を言って去って言った。曰く、見損なったぞお前それ下手したら人攫いじゃねーか、云々。思った時点で止めろよオイ。
「……で、え、さっきのって冗談ですよね?雇用契約書ですよね?」
「まぁ、似たような物だと思って貰って構わない」
アルベルトが、真面目顔で頷いた。……うん?似たような?それそのものではないと?
「お前が元の世界に帰れる段取りが付いたら離婚にも応じよう」
「がちの婚姻届じゃないですかやだー」
ふえー、と呟くと、アルベルトが苦笑した。いや、おま、なんだその顔。私は悪くない。
「なんで結婚なんです?利点が無さすぎるでしょう」
「そう難しく考えるな。婚姻も一つの契約だ。滅亡したタイレイ王族の生き残りというだけでは、お前を守り切るには弱いのだ。法の元にお前を守るのならば、お前を法に組み込むしか無い。異国人がこの国で戸籍を得る方法は、この国の貴族か王族との婚姻しか無いからな。あの紙切れに署名をする事によって、お前には身の安全、俺の方にはそうだな、身の回りの世話を任せる、信頼に値する女性を確保できると言う利点が得られる。そう悪い話でもないだろう?」
「……その、メリット釣り合ってますかね」
「釣りが出るな」
フ、と精悍に笑うアルベルト。確かに此方への益があり過ぎてお釣りが大量に出まくるかも知れないが、それを口に出してしまうのは微妙に失礼では無かろうか。いや、そんな騎士様っぽい顔をしても騙し討ちみたいな仕打ちは取り消せないぞ……?
「既に後悔でいっぱいなんすけど」
言いたい事はいっぱいあるが、いっぱいありすぎで頭がパーンしそうである。溜息と一緒に呟いて、私はふらりと立ち上がった。
「何処に行く?」
「ちょっと廊下で頭冷やしてきます」
「あまり遅くなる前に戻って来いよ」
なんか、夫と言うよりお母さんみたいな事を言われた。
石造りの廊下はだいぶ暗い。所々蝋燭の灯りがあるが、足元までは見通せない。
窓から覗くと、庭では未だ戦装束を身につけたままのブラントが、部下であるらしい兵士達に何やら指示を出していた。一方で、屋敷の中は静まり返っている。話しているうちに、随分と遅い時間になっていたらしい。ゆっくりと屋敷内を一回りして、元の廊下に戻る。と、何か白いものが向こうの角を横切った。
「おばけかな?」
取り敢えず、近付いて見る。
おばけだったら問題ないが、この夜中、そこそこと動き回る者は侵入者の可能性も大いにある。何か役に立つものは持っていただろうか。さり気なくスカートのポケットを触って確かめると、裁縫道具とハンカチと未使用の生理用品が入っていた。あまり役にはたたなさそうだ。
ここであの男を呼ぶのも癪だから、こっそり息を殺して白いヒラヒラの後をつける。
割と小柄だ。私と同じか、もう少し低い。と、言う事は156〜7cm位だろう。そしてたぶんアレはお化けではなく人間だ。しょっちゅう床のタイルにつまづいてよろけて居る。これならば力で勝てそうだ。
「君、どうしたの?」
声をかけると、細い肩がびくりと震えた。
「驚かせてごめん!大丈夫?君、こんな時間にどうしたの?」
「あ、わ、私は……」
俯いた淡い金色のつむじが、ピクッと震える。細かく震えている肩が細い。対して薄いパジャマの様な形の寝巻きは、腰元が丸い曲線を作っている。痩せているが、女の子の体だ。
しかしどうやらだいぶ怯えさせてしまったらしい。参ったな。
仕方がない。廊下に膝をついて、見上げる形で無理やり目を合わせる。
「私は弥夜。道中リュイボスさんに拾われて、色々身の回りのことを手伝う事になった。君は?」
言うと、菫色の瞳がぱちり、と瞬いた。
「リュイボスが……?」
「リュイボスさんを知ってる?」
「リュイボスは、私の護衛だ。わ、私は……」
言いかけて、途中で途切れる。まじまじと此方を見上げてきた。
「其方がリュイボスに拾われたというのは、本当か?」
「うん。部屋にいるよ。くる?」
頷きかけて、ハッとしたように首を横に振る。
そして思い出した様に、慌ててお尻を手で隠した。
「い、今はダメ!」
顔色がよくない。取り敢えず、廊下で長居をするべきでは無いだろう。
「じゃあ、取り敢えず部屋に戻ろうか。君ーー」
名前は?部屋はわかるか?と続けようとして、足が何やらヌルッとしたものを踏んづけた。
どうやら床が濡れていたらしい。というか、これ、血だ。点々と少女の足元まで続いている。
「君……」
怪我しているのか、と言いかけて、あまりの自分の馬鹿らしさに思わず頭を抱えてしまった。
見たところ、少しふらつくもののさっきの歩き方に可笑しな点は無かった。動く時の表情を見ても、痛そうにしている様子も無い。と、言うか今咄嗟にお尻を隠していたじゃ無いか。良く見れば少し裾が汚れている。それに床の血の量からして、ほぼ間違えなく経血に決まっている。
「……あー、失敗しちゃったかな?」
少し気まずくなりながら取り敢えず後輩に声をかける要領で言ってみると、宝石みたいな菫色の瞳にみるみると透明の水滴が膨らむ。限界まで膨らんで……堰を切ったようにポロポロと溢れ始めた。
ーーどうしよう。不用意な発言で美少女を泣かせてしまった。
「だ、大丈夫!ミリーさんはめちゃくちゃ優しいから!絶対怒らないから!……若いうちは良くやるよ!私もたまにやるよ!大丈夫一緒に……」
「ばっ、ばれては、いけないの……」
美少女が、えぐえぐとしゃくりあげている。
と、いうか。
アルベルトの護衛対象で、今ブラントさんの家にいる高貴な人……。
「…………エルバルド王子様?」
瞬間、なぜかドス、と身体が倒れて、石の床が背中に当たった。首筋に、震える何か冷たいものが触れている。
濡れた菫色が、怯えた様に私を見下ろしていた。




