94:開戦
太陽が完全に地平線の向こうへと姿を隠し、大地を闇が覆っていた。
しかし、そこに月明かりはない。
今宵は新月。月もまた影となり、自然の灯りはどこにもない。
「おまけに曇り空。隠密行動にはうってつけの天気だが、迎え撃つ側としてはありがたくない天気だな。」
積み上げられた石垣の上に陣取り、怪盗シャドウことセプテムは溜め息を吐いた。
パーティメンバーのフィカスたちは既に森へと向かっている。
敵の部隊がある程度こちらに来るまで隠れて待機し、頃合いを見て敵将のところに行くという算段だ。
「僕も乗り込む役割の方が正直……おや?」
誰に聞かせるでもなく独りぼやいていると、レグヌム部隊の中に見知った姿を見つけた。
「こんばんは、お嬢さん。」
風魔法で軽やかに着地し、目をつけた女性にそう声をかけた。
「あら……あなたは……。」
暗闇で分かりにくいが、赤黒い髪をした背の高い女性。その美貌は同性であるセプテムでも惹かれるほどだ。
「シャドウです。挨拶するのは初めてですよね、グランディフローラさん。」
「アモローザ、で結構よ。シャドウさん。」
そう言って妖艶な美女は微笑んだ。
「それはどうも、アモローザさん。」
「ふふっ……それでシャドウさん?貴方はどうして私に声をかけたのかしら?」
「僕の友人の――アベリアの姉だから……ですかね?」
正直なところ、暇だったから声をかけた。というのが本音だが、それを口にするほどセプテムは能天気ではない。
「あら……あの子の……そう。貴方みたいなお友達もあの子にはいたのね。」
「意外でしたか?」
アモローザはその質問にニヤリとした。
「ええ、まぁね。」
「フフ、そうですか。」
腹を探り合うかのように、両者は静かにほほ笑んだ。
「時にアモローザさん、あなたはどうしてこの戦に?」
彼女は冒険者ではないし、戦闘に慣れているわけでもない。ましてや上流階級の人間だ。どこか安全なところに避難するものだとばかり思っていた。
「勿論、危険だと判断したら逃げさせてもらうわ。けれど、自慢の庭園を野蛮人に好き勝手にさせてあげる気もない。それだけの話よ。」
「大切なモノを守るために……ですか。いいですね、羨ましい。」
……彼女の言う大切なモノの中には、妹は入っているのだろうか。
きっと……入っていない。
だからといって、ここでどうこう言うつもりはない。
持つものを持って周りを見ない人が大嫌いな怪盗シャドウだが、今アモローザを責め立ててもそれは混乱を招くだけだ。
けど……今回の件、片が付いたら庭園から何か盗んでやる。
しょうもないことを思案していると、静寂なこの場に元気な女性の声が響き渡った。
「集まってくれた同志諸君!そろそろ真夜中になるわ!」
「あの姫様は……本当、声が大きいな……。」
風魔法を再び起こし、セプテムは元いた石垣の上に座った。
「帝国からの攻撃がそろそろ始まるはずよ!けれど、恐れおののく必要はない!」
戦力たちの視線が集まる中、ノウェムは拳を固く握り熱く演説をする。
「貴方たちは冒険者!ただ戦闘訓練を積んでいるだけの向こうの兵士とは訳が違うわ!だからっ……えっと……冒険者の底力を見せてあげなさい!」
「ウオオオオオオオォォォォォォォ!!!!!!!」
何か上手いことを言おうとしたが、結局思いつかなかったようだ。
けれど、戦力の士気高揚には充分貢献出来たようだ。
「申し上げます!」
鉄仮面で顔を覆った偵察兵が走り込んできた。
「帝国の戦力が動き出しましたァ!!」
「分かったわ……皆、開戦よ!」
「ウオオオオオォォォォォ!!!」
こちらのボルテージは最高潮。町中で迎え撃つわけだから、騒いでもあまり意味はないんだが。
「ここにおられたのですか姫様!さぁ城に戻りますぞ!」
「え、あ、ちょ。」
臣下の者たちがノウェムを引きずっていったが、盛り上がっている冒険者たちは誰もそのことに気が付かなかった。
ほぼ真っ暗闇な森の中――。
息をひそめていると、騒がしい声と足音が通り過ぎていった。
フィカスたち四人は現在、国境線のある森の――木の上に隠れていた。
この地点はレグヌムとインペリウム帝国の双方から離れており、ここを通る者はまずいない。さらに木の上にいるとなれば、気付かれることはないだろう。
「……行ったようですね。」
耳を澄ましていたサンナが飛び降りた。
「予想通り、ここを通る者は誰もいなかったようです。降りてきてください。」
「おう!……よっと!」
ジギタリスが最初に降り、次いでフィカスとアベリアが着地した。
「それで、私たちはどっちに向かうのかしら~?」
「えっと……今いるのが……。」
フィカスは目を閉じ、頭の中に地図を描いた。
「……ここから北西の方に行けばいいはず。」
「ですね。行きましょ……誰だっ!?」
小枝が折れる音がした。
そして、サンナの声に応えるように人影がゆらりと木の陰から出てきた。
「ちょ~っといいですか?」