93:策
「フィカス。」
レグヌム城下町の夕暮れ時――。
人々は皆避難を終え、閑散とした町内で戦闘準備をしていると背後から声をかけられた。
「セプテム、もう用事は終わったの?」
「ああ。それで、僕はどうすれば?」
「えっと、武器は城から支給されるから予備のを貰って……その格好って……?」
アイマスクこそしていないが、黒い燕尾服に身を包んだ姿を見て、思わず訊いてしまった。
「この服装が一番戦いやすいからね。僕の戦闘服さ。」
初めて出会った時から聞いている中性的な声、怪盗シャドウの格好だ。
これを着ていると怪盗シャドウという人物になり切ることが出来、いつもよりも集中することが出来る。
口調までシャドウに変わってしまうのは、気持ちの問題というか、癖みたいなものだ。
「そっか……。」
言葉が出なかった。
戦争ほど大規模な戦いは経験したことがない。
今までにない戦いに対する、不安や緊張がフィカスを覆おうとしていた。
「大丈夫さ。今の君ならね。この僕が保証するよ。」
「……うん。ありがと。」
シャドウにそう言われると、不思議と大丈夫な気がしてくる。
それほどまでに彼女への信頼は厚かった。
「フィカス、姫から作戦を授かってきました。」
別の場所で準備をしていたサンナが近づいてきた。
「作戦?」
「はい。私の話を元に立てたそうです。」
サンナは敵の軍師であるフォルフェクスと一度、手合わせしている。その話を元に作戦を立てたということだろう。
「推測の域を出ませんが、あの男ならばある程度、前線まで出てくることでしょう。そこで私たちのパーティが暗殺しに行きます。」
「まぁ実力を伴った軍師なら、戦場まで来て指示をすることもあるだろうが……作戦というほどの内容でも気がするんだが。」
「……そうではありますが、敵の頭を潰せば勝負に勝ったも同然。ということです。それで――町を戦場とするなら、軍師が来るのは恐らくあの森。そこまで四人で潜入します。」
「つまり、僕はついて行かないと?」
セプテムの疑問に頷いた。
「ええ、あなたは複数の魔法を駆使して、町の入り口で敵の戦力を削ぎ落してほしいとのことです。」
「分かった。まぁその方が派手に戦いやすいし、囮としても動きやすいか。」
「そういうことです。」
依然としてフィカスたちの存在は、向こう側に知られていない。サンナとアベリアの顔は見られているが、レグヌムの冒険者に結びつけることはまずないだろう。
帝国がどれだけこちらの情報を掴んでいて、それを元に作戦を立てていたとしても、その想定の中にフィカスたちはいない。
「じゃあ僕は自分の役割を遂行するが……危ないと思ったら、すぐに駆けつけよう。」
「うん。でも、大丈夫。だから……。」
生き延びよう。
そう言おうとして、口を噤んだ。
その言葉を口にしたら、かえって大事なモノを失ってしまいそうだと思ったからだ。
「……?どうしたんですか?」
急に黙りこんだフィカスに、サンナは心配そうに尋ねた。
「ううん。何でもない。頑張ろう。」
今はただ、前だけ向いていればいい――。
「――準備は整っているか?」
インペリウム帝国――。
軍隊基地――。
「はい、軍師殿。我が軍の用意は全て万全であります。」
「ふむ。そうか。」
フォルフェクスは司令部の部屋から、下層にいる兵士たちを見下ろす。
兵力は十分。通常であれば、レグヌムはこちらの様子を知らない。
しかし、知らない戦力が向こうにいる可能性がある。その戦力を通してこちらのことを掴んでいる可能性はある。
けれど、その戦力は多勢ではない。町が前回の襲撃で疲弊しているのが、その証拠だ。
「もし、こちらの裏をかいてくるとすれば、それは何だ……?」
迎撃部隊とは別の戦力を向かわせる。
すぐさま思いつくのはそれだ。
だが、それに対する回答は既に用意してある。
他に見落としていることは何かあるか?
「ない……はずだ。」
だが、断定はするな。
世界に絶対は存在しない。
どれほど完璧なものを考えても、必ずどこかに穴がある。
「時に軍師殿……これほどの兵士を一体どこから……?」
考え込むフォルフェクスに対し、慎重に部下の男は尋ねた。
「ああ……あれか。何、簡単な話だ。あれらは皆、世の中に不満を持っている者たちだ。それらを掻き集めただけに過ぎない。」
――人間という種族は、他種族と違い何か特別な能力を持っていない。
その点に不満を持っている者は多い。生まれた時点で、差があると。
魔法の才能の有無を含めると、その不満はさらに大きなものとなる。
フォルフェクスはそのような不満を持っている者たちを刺激し、言葉巧みに扇動し己の配下とした。
「要はならず者の集いだ。実力にはそれほど期待していない……。」
しかし、戦争において個の実力は大した問題ではない。
「私がいる。だからこの戦には勝つ。」
必要なのは、戦力の多さ。
そして――。
必ず勝つという強い意思だ。