73:取引
フィカスとシャドウが言い争いをしつつも、移動をし始めた頃――。
博物館では戦いが始まっていた。
「そ~……っれ!!」
肉体強化魔法――それを発動した拳をアベリアは繰り出し、襲いかかってきたオークの一頭を壁に叩きつけた。ガラガラと音を立て、壁は崩れ展示品は破壊される。
「……弁償すんのかな、俺たち?」
「全てモンスターの仕業にしましょう。」
軽口を叩きつつも目の前の敵に集中し、三人は迫ってきていたオークたちを全滅させた。
「あー……きっつ!」
オークの返り血を頭から被り、まさしく悪魔のような見た目となったジギタリスが愚痴をこぼした。
「三頭だけで助かりましたね。それで……フィカスは?」
衣装に付いた肉片を払い落しつつ、サンナはアベリアにそう尋ねた。
「……いないわね。シャドウが引っ張るのが見えたし、二人で逃げたって考えるのが妥当かしら?」
「そりゃあ色々と心配だけどよ……とりあえず、この状況を何とかしないとな。」
壊された壁から外に出てみると、町中は昨日までの華やかな風景から一転、紛争でも起きたかのような酷い有様となっていた。
「冒険者は皆、出掛けているって聞いたわ。この町にいるのは、私たちだけかも。」
「戦力は、という話ですがね。フィカスを捜しつつ、モンスターを倒していきましょう。」
慌ただしい状況であるからこそ、落ち着くべきである。
誰に聞いたのかも忘れてしまったが、サンナはその言葉を自らに言い聞かせる。
もっとも、その言葉を忘れて暴走しがちな彼女ではあるのだが。
「おう!やるべきことはそれだな!で……住民はどうするんだ?」
この状況下で留まることは、自殺行為に等しい。逃げる当てがなくとも、この場から離れるべきである。
「それなら……。」
遠方に青白いドームが目視できた。
「フロス庭園よ。多分、あれは姉さんの魔法だと思う。あそこなら非難先にうってつけだわ。」
「よし!んじゃ、庭園に避難誘導しつつ、モンスターを撃破しつつ、フィカスを見つける!行くぞ!」
ジギタリスの掛け声に二人は頷き、荒れ狂う町中を駆けだした。
それと同時刻――。
フィカスはシャドウをおぶり、息を荒くしながらも走り続けていた。
緊張と疲労、それと民家から立ち込める煙によって体力が奪われていく。
シャドウの言う通りだ……。
いくら強がってみせたところで、体力には限界がある。この状態でやみくもに救出へ向かっていたとしても、近いうちに力尽きていたことだろう。
それでも尚、自分だけ逃げ出すという選択に後ろめたさのようなものがあった。
それが偽善に近い正義感なのか、仲間のことを心配してか、はたまた自分の命を軽く見ているからなのか、フィカスには本当のところが分からなかった。
「おい……罪悪感なんか無視しろ。」
「え……?」
心を見透かしたように、シャドウが叱りつけた。
「いくら考えたって、現状が何か変わるわけじゃない。なら、今やるべきことだけに集中しろ。」
「うん……分かった!」
ヒビが入り、瓦礫が散らばった道に足を取られぬよう慎重に、しかし急いで走った。
「こっちは……森の方か!」
町を出ることばかり考えて、行先を考えていなかったが、幸いにもそこに魔物の姿はなかった。まだこちらには来ていないのか、はたまた既に通り過ぎた後か。
何はともあれフィカスは森中を少し進み、大きな木の根元にシャドウを下ろした。
「この辺りにいれば大丈夫だと思う。それじゃあ……僕は行くから。」
「待て。」
ズボンの裾を掴まれ、フィカスは足を止めた。
「行ったところで何も変わらない。犬死するだけだ。」
アイマスクに隠れた瞳に見つめられ、言葉が上手く出てこない。
「……皆が、アベリアたちがまだ町にいる……だから……。」
「……自分のこととなると、目を背けるんだな。お前は。周りだけを見ようとしている。」
その台詞を聞いて、ドキリとした。
それと同時に、その通りだとも思った。
周りに強く言い寄られ、それを否定することを学んでこなかった人生。
自分を労わることを、大切にすることを、はっきり言って知らない。
「……だとしても、僕は…………。」
自分がそういう存在である。
それを頭で理解した気になったとしても、そうそう他の生き方に切り替えることなど出来やしない。
少なくとも、これまでの人生を否定して全く違う存在になれるとは、フィカスには思えなかった。
「……おい、フィカス。」
真面目な声に我に返った。
「僕と取引しろ。」
「……取引?」
シャドウは頷いた。
「ああ。何と言おうとお前が町に行くことは分かった。それを止められないことは分かった。だから、僕がお前に協力してやる。」