72:火の手
油断していたわけではなかった。
むしろ、一番注意していた人物のはずだった。
……はずだった。
けれど、他からの攻撃に注意が向けられ、警戒を逸らされ、彼女への注目が意識から消え失せていた。
「があああああああぁぁぁっっ!!!!」
腹部にアベリアの一撃が決まり、シャドウは獣のような叫びを上げるとともに吹き飛び、壁に背中を強打すると床に落ちた。
「……勝った?」
誰かがそう、ポツリと呟いた。
負ける気は毛頭なかったが、勝てるという確信があったわけでもなかった。それ故にシャドウが倒れている姿を見ても、勝ったという実感がわかなかった。
「……ッ……ガッ……ァ……。」
鈍器で腹部を殴られたかのような感覚だ。痛みが激しくて、身体が動かせない。
くっそ……まさか……こんな奴らに……。
うめき声を微かに上げながら、手足を動かそうともがいている。
「……!捕まえなきゃ!」
そんなシャドウの様子を見て、フィカスがいち早く我に返った。
縄を創造して、シャドウのもとに駆け寄る。
あとはこれで縛れば……。
屈み縄をシャドウの身体に近づけたその時、頭上が爆発した。
「……え?」
最初は、シャドウが魔法で何かしたのかと思った。
けれど、現実は違っていた。
先ほどまではなかった大きな穴が壁に空いており、そこから猪と人を合わせたような顔をした魔物が姿を現していた。
人をはるかに凌駕する体躯、丸太ほどもある腕――。
オークだ。
そのオークが複数体、博物館の壁を破壊し迫ってきていた。
「モンスター……なんで……?」
ここは町中だ。モンスターがそうやすやすと、それも複数も入ってこられるところではない。
そこまで考えた時、外が騒がしいことに気が付いた。
悲鳴があちこちから聞こえる。
「フィカス!逃げろ!」
サンナの叫びによって、オークが腕を振り上げていることに気が付いた。
避け……駄目だ……間に合わ……。
腕を引かれる感覚がした。
間一髪でオークの攻撃を躱し、そのまま腕を引かれて包囲網を脱出した。
「こっちだ。逃げ……るぞ!」
シャドウだ。
苦しそうに声を振り絞り、空いている手で腹を押さえフィカスを引っ張っていく。
「シャドウ……?待って!アベリアたちが!」
「今は逃げることが先だ!それに……館内を逃げる選択……が向こうにはある。」
「でも!……何だこれ……?」
町の様子を見て愕然とした。
火の手が上がり、モンスターの大群が建物を破壊し、逃げ惑う人々を追いかけている。
「町の外まで……行かないと駄目……か。おい、一先ず休戦だ……協力して逃げるぞ。」
「駄目だよ。モンスターを何とかしないと。ギルドの人たちにも……。」
そこまで言って思い出した。
ギルドの冒険者たちは、調査で町外へと出ている。この騒ぎに気付いたとしても、戻ってくるのには時間がかかる。
「……?どうした?」
「今、この町には冒険者がほとんどいないと思う。だから、僕たちが何とかしないといけない。」
「馬鹿を言うな!二人で何が……くそっ!」
オークの一体が向かってきていた。
シャドウは左腕から雷を発し、オークを地面に伏させる。
「あんたの言い分も分かる。だが……今はその正義感はいらない。優先事項は……自分の命だ。」
「……それでも、目の前の人たちを置いて……。」
「なら!おまえの目の前の人物を助けろ!」
シャドウが怒鳴った。
腹部を押さえ、砂埃をかぶった姿がはっきりと目に映った。
そうだ。まさに今、目の前に負傷した人がいる。
その事実から目を背けることは出来ない。例え、この場から逃げるための理由であったとしてもだ。
「……分かった。今は君を逃がすことを優先する。……走れる?」
「軽くなら。魔法はコントロールが難しいから、出来れば使いたくない。」
「分かった。じゃあ――。」
戦闘は避けて、町の外まで行く。それを出来るだけ早く行うためには――。
「……何してんの?」
「何って……おんぶするよ。ほら、乗って。」
「……分かった。」
アイマスクで目元が隠されているが、仏頂面になったのが分かった。
背中に身体を預けてきたシャドウを背負い、フィカスは荒れてしまった道路を駆けだした。
思ったよりも細身だ。
そんな印象を受けながらも、フィカスは出来るだけ急いだ。
「……あれ、なんだ?」
シャドウが遠方を指さした。
博物館とは対角線にある場所。そこに青白い大きな膜のようなものがあった。
「あっちってたしか……フロス庭園だ。」
となると、あれを造っているのはきっとアモローザさんだ。
水魔法が使えると、アベリアが言っていた気がする。
「あそこなら安全かも。あっちに行く?」
「冗談じゃない。わざわざ人が……いそうなところに行く……ものか。」
「だよね……。」
分かっていたことだが、予想通りの反応だ。
「それじゃあ、走るよ。しっかり掴まってて!」