70:夜中
「あー……そういえばさ、今日じゃないかな。」
「何がだ?」
レグヌム城下町から離れた草原にて――生態系の調査に来ていたリコリスが、ふと思い出したように話した。
「何がって……怪盗シャドウが来る日だよ。もう少ししたらだよ。普通、応援に行くべきじゃないかい?」
限りなく細い三日月の夜。満点の星空を見上げ、自分たちの置かれている状況に溜め息を吐く。
「他の冒険者もこうしてかりだされているんだ。俺たちだけ別の仕事をするわけにはいかん。」
「真面目だねぇ。」とリコリスはネモフィラに言った。
「沢山いるからこそ、一人くらいサボってもばれないってもんさ。ねぇラフマ。」
「じゃあ、あたしがサボっとくからリコリスは働いといてね。」
「そうじゃない。僕が言いたいのは。」
遠方に微かに見える城を見やる。
「フィカスたちなら大丈夫だろう。」
「……だと良いんだけどね。」
胸騒ぎがする。どうも嫌な気分だ。
「おい、次に向かうぞ。ぼやぼやするな。」
「はいはい。」
ますます遠ざかっていくレグヌム城を見て、胸騒ぎもひどくなっていった。
僅かな灯りだけがある、闇が色濃い一室――。
そこにはフィカスたち四人の影、そして狙われた『魂を見つめる箱』を入れたガラスケースのみがあった。
他の展示品は別室へと移動し、この空間には他に何もない。
正確な時刻は分からない。貸家を出る際に時計を見た時には、十一時近くを針が差していた。
冷たい空気と静寂さだけがそこにはあり、誰かが少し動くだけでその音が耳に入る。
カツンッ……。
四人の誰でもない、別のところから小さな物音がした。
「……来ましたね。」
「おや、見知った顔ぶれだね。」
例えるなら低めの女性の声――声変わりしていない少年のような声で、闇夜から語りかけてきた。
次の瞬間、部屋が明るくなった。
壁際に立っていたフィカスとジギタリスがランプに火を灯し、侵入者の姿を照らした。
黒い燕尾服にその身を包み、黒いアイマスクによって素顔を隠している人物。肌は浅黒く少年にしては長めな、顎ほどまで伸びた藍色の髪。
「こうして会うのは二度目だな。怪盗シャドウ。」
「――ああ。そうだね。こうして会うのは二回目か。相も変わらず、レディらしからぬ口調だね。」
落ち着いた仕草で四人を順番に見つめていく。
「全く同じ顔触れか。けれど……冒険を経て、幾分かたくましくなったように見える。短期間で色々あったみたいだね。」
何故だろう……まるでこちらを知っているような口ぶりだ。
アベリアも同じことを想ったのか、シャドウに投げ掛ける。
「私たちのことを知っているの、あなた?」
「まぁね。大体のことは知っている。」
シャドウは肩をすくめた。
「とは言っても、君たちだけのことじゃない。勇者だとか姫だとか、そういう情報も掴んでいる。自惚れるのは止してくれよ。」
「……話はこれくらいで、もういいだろう。」
怪盗の口角がつりあがった。まるで三日月のように。
「それもそうだね。僕としても、ここに長居は避けたい。では――かかってこい、愚民ども。」
その言葉を聞くや否や、サンナが飛び出した。
腰からナイフを引き抜き、シャドウの喉元を正確に狙って刺突を繰り出した。
シャドウはそれを右に大きく跳んで躱し、ボールを投げるような仕草で左腕を振るった。
空間を引き裂くかのように火炎が迸った。サンナは金色の翼を生やして空中にてそれを回避。天井付近からシャドウを睨みつける。
「……そういえば、天使族だったね。忘れていたよ。」
振った左腕をそのまま天井へと向けた。
耳をつんざくような音がし、竜巻がサンナの身体を取り囲んだ。
「大人しくしていろ。」
「……チッ!」
その場から動かなければ害はない。けれど、竜巻に触れれば翼が裂かれる。
風が止むまで、身動きが取れない……!
「まずは一人。そして――。」
飛びかかってきたアベリアを見て笑った。
「えっ!?」
このまま殴れる。そう思っていたが、突如として下から現れた氷壁にアベリアは腕を固定された。
下を見ると、靴先から氷が発生しているのが見えた。
「足で魔法を……あれ!?動けっ……!?」
力づくで氷を破壊しようとするアベリアだが、氷壁はびくともしなかった。
「関節を固定してしまえば、そうそう抜け出せないものだ。さて、これで二人目。」
僅か数瞬の出来事で、二人が封じられてしまった。
「あの竜巻は放っておいたら消えるだろう。それまで、君たち二人が持つかどうかは別だけどね。」
シャドウは余裕たっぷりの態度で、フィカスたちを嘲笑った。