62:風
うっそうと茂る森の中――。
人の立ち入りが極端に少ないため、木々は町中にあるようなものとは異なり、太く大きく自然の姿に育っている。
そんな空間においては、昼下がりにという時間帯に関わらず、夕暮れ時のような薄暗さが視界を支配していた。
……微かに、空を切る音がした。
日常であれば、決して耳に入らない小さな音。視界が奪われ気味の空間であるからこそ、聴覚が通常よりも働き察知することが出来る音。
「……!」
スクォーラは唐突に腰に差していたレイピアを引き抜いた。
「スクォーラくん?何を……っ!?」
カンッ……。
軽い物音が響いた。
「……毒針だな。」
己に向かって飛んできた武器をたやすく防ぎ、地面に落ちたそれを見て呟いた。
「いやーどうもー。」
「何者だ?貴様?」
おどけた仕草で歩いてくる、クリーム色のくせ毛をしたたれ目の女性。
警戒を見せるネモフィラに対し、小さな笑みを見せた。
「エレジーナっていいます。お仕事に来ましたー。」
「エレジーナ……有名なアサシンだよね?仕事っていっても、ここの仕事はもう僕たちが片づけたよ。」
盗賊として活動したことのあるリコリスには、何度も耳に入った名前だった。
腹が読めない、知る人ぞ知る業界一のアサシンだ。
「いやー私も有名になっていたのかー。これは将来の夢が叶う日も近いかなー?」
「将来の夢?」
「そうそう。私の将来の夢はですねーなんと!自分の名前を冠した飲み物を作ることなのです!」
「それで?何しに来たんだ?」
先の見えない会話にイラついたネモフィラが声を荒げた。
「だから、お仕事に来たんですよーでも終わっちゃってるみたいだから、雑談でもしてから帰ろうと思ってー。」
その台詞が言い終わらないうちに、左手を腰に伸ばしブーメランを取りだし投げつけた。
「……下らん手だ。」
そう呟き、スクォーラはブーメランをレイピアで弾いた。
「ありゃ?私の話に興味ゼロかー。参ったなー。はいじゃあ次。」
エレジーナは指を鳴らした。
その音を合図に木の上から二人の影が飛び降りてきた。
「なっ!?」
鞭がしなり、ネモフィラの持つ鉄杖を奪い取った。
「……。」
鞭を投げ捨て、小柄な少女はそのまま長剣を取りだし攻撃を開始する。
その戦闘と同じタイミングで、リコリスの前に現れた少年は星球武器を振り回し、彼を奥に追いやりスペースを作る。
「はいはーい。これでそれぞれ孤立完了。さー勇者様、私のダンスに付き合ってくれませんか?」
「俺たちの暗殺に来たわけか……誰の差し金だ?」
「それは言えませんねー守秘義務ってやつなんで。」
「それもそうか……では返事をしよう。君のダンスとやらに付き合おう。」
「嬉しい返事だねー惚れちゃう。」
忍ばせていた小型ナイフを投げつけるが、それもまたレイピアによって阻まれた。
うーん……読めないなぁこの人。
会話自体はきちんと成立している。だというのに、不意打ちに驚く素振りも見せず対応してきた。
さっきも言ったけど……興味がないんだな。この人。
「しょーがない。真面目にやろうか。」
エレジーナは懐から水色の刃を持つナイフを取りだした。
小さく短く息を吐くと、一気に距離を詰めた。そして、ナイフを地面と水平に振るった。
スクォーラはその攻撃を受け止めたが、突如発生した突風によって僅かに後退した。
「あれ?」
想像していたよりも重い。
ナイフの一撃ではなく、スクォーラの力の話だ。
「……マジックナイフか。」
「ご名答。今ので分かったと思うけど、風の力が宿ってるよ。」
バックステップを取りつつ再びナイフを振る。
刃に風魔法が宿っているため、ある程度距離があっても攻撃が届く。が、スクォーラは風の刃を全く気にせず前進し、刺突をしてきた。
エレジーナは後退を止め、攻撃態勢に入る。
相手の隙を窺い円を描くように移動を繰り返し、両者の刃が何度もぶつかり合う。
やっぱり……。
エレジーナは無意識のうちにそう口にしていた。
レイピアの立ち回りではない。
前後の動きを軸に相手の動きを観察し、スピードと駆け引きで勝負する。
それがフェンシングであり、レイピアの立ち回り方だ。
しかし、スクォーラの剣術には、そのセオリーが当てはまらない。スピードはもちろんあるのだが、それ以上に重量のある戦い方だ。
「げ!」
マジックナイフの色が消え失せた。水色から灰色に変わる。魔力切れだ。
魔法の力が宿った武器は、使用するたびに内蔵する魔力が少しずつ失われていき、魔力が空になるとその力を失う。
自然に漂う魔力の息吹を吸収することで再使用が可能となるのだが、それには丸一日かかる。
「せっかくの切り札が……まぁいいか。」
元々、この戦いには向いてなかったみたいだし。