199:速さ
互いに刃を引き抜くも、斬りかかることはせずに相手が動くのを待つ──。
静寂な緊張感が舞台を支配していた。
「……。」
……意外だな。
ナイフを右手で弄りながら、リコリスはフィカスの表情を窺う。
想像していたよりも、乗ってこない。
相手の全体を深く観察して、隙を素早く見つけて攻撃する──それが彼の戦闘スタイルだと思っていた。けれど今の彼には、そういった様子が見受けられない。
こりゃあ……知ってるみたいだね。
僕の立ち回りを。多分、マカナくんからの情報かな?前に一度戦ったことあるし。
「……。」
リコリスが思案している間、フィカスは注意深く観察を続けていた。
二重のベルトと上着の裾で見え辛いけど、腰には左右に鞘が二本ずつ。長さは同じに見えるけど、マカナの話からすると、入っている刃の長さはまちまちのはず。
そのリーチの異なる武器をかわるがわる使用して撹乱させつつ攻める──それがリコリスの戦闘スタイルだ。
それに加え、霊体化がある。幽霊として相手をすり抜け、人として攻撃する。
この戦術を攻略するためには……。
「……おっ。」
フィカスが動いた。
ようやく動いてくれたか。
リコリスは安堵しつつも、冷静にフィカスの動きを観察する。
自分から仕掛けるっていうのが、どうも苦手意識があるんだよねぇ……仕掛けてきてくれてありがたい。さてと……。
踏み込み方からして、左右に動くってのはない。まぁ無理やり重心を傾けてって可能性もなくはないけど……それ必要とする場面でもない。
つまり、真っ正面から斬りかかってくる。
「ほいっ。」
リコリスは霊体化する。
これによりフィカスの小剣は、リコリスの身体がある位置でただ空を切る。
そのままリコリスは前方へと移動し、フィカスの背後をとる。
これで実体化すれば、そのまま背中を刺して終わりだけど……。
「……っ!?」
これで終わるとは思っていなかった。
それでもリコリスが驚いたのは、フィカスの行動だ。
立ち止まると後退し、リコリスに身体を寄せたのだ。
「……やっぱり、こうしたら攻撃出来ないよね。」
「っ……まぁね。」
普通、身体をすり抜けられて背後に立たれたら、距離を取りたくなるっていうのに。逆に近づいてくるとは。
──だけど、対策はこれで合っている。
霊体では攻撃出来ない。だが密着した状態で実体化したら、どうなるか分からない。だからこの状態では攻撃を仕掛けることが出来ない。
「でもこれだと……フィカスくんも僕を攻撃出来ないよ?」
「うん……そこが問題なんだよね……。」
リコリスが霊体を維持し続ければ、誰も触れられない。ある種無敵状態だ。
でも……この勝負において、それはあまり意味がない。制限時間がない以上、どこかで実体化して攻撃に出る必要がある。
「また我慢比べをしようっていうのかい?」
「大丈夫……そのつもりはないよ。」
そう言うとフィカスはバックステップで距離をとった。
「なるほど……。」
一度密着してみせたのは、そういう回避方法があるから、霊体化に意味がないっていうのを知らしめるためか。
だったら、それ抜きにして戦うしかないか!
リコリスは前進し、ナイフを突き出す。
フィカスはそれを小剣で弾き、そのまま追撃に出ようとする。それに対しリコリスは下がり、一回転してまたナイフを突き出した。
「ッ……!」
今度はフィカスの手の甲が浅く切れた。
「ほら、もう一回いくよ!」
身体をねじり、ナイフを腰から振るう。
フィカスはまた小剣で弾こうとするも……今度は当たらない。
「くっ……!」
死角で武器を持ち替えているのか!
長さが変わっているか一瞬では分からない。だから一手前と同じ対応方法になってしまう。そこを突かれさっきは手を浅く切られ、今は空振ってしまった。
今の体勢は不味い……!
フィカスは大きく後ろに跳んで、創造魔法で目の前に大きな壁を創る。
「無駄だって。」
リコリスはそのまま壁をすり抜けて現れた。
幽霊を前に、如何なる障害物もその役割を果たさない。
だったら……!
フィカスは前に出る。
「おっと!」
リコリスはそのまま彼の身体をもすり抜ける。
ヘタに守りを固めるより、こうした方が確実だよね……でも。
「そっちは壁だよ、君の創ったね。」
これで彼は自らの創った物で追いつめられる形となった。
さぁ……どうする?
この状況からどうやって逆転する?それを僕に見せてくれ。
フィカスは振り向き、壁を背にして目を閉じた。
深呼吸を一つ──。
そして目を開けると、リコリスのナイフを弾き飛ばした。
「……え?」
別段動きが速いわけではなかった。ただあまりにも滑らかな動きで、目で追うので精一杯になってしまっていた。
「ッ……この!」
リコリスは長さの異なるナイフを二本引き抜き、フィカスに斬りかかるも正確に防がれ、弾かれていく。
何をしているんだ?
忘我状態か?いや、それの速さではない。速さ自体はこれまでと変わっていない。
「すっご……一体何を……?」
客席でラフマが感嘆の声を上げた。
「……忘我状態だろ。」
フィカスの動きを見て、ドゥーフがそう呟いた。
その言葉を聞いて、ラフマはそちらを向く。
「でもあれって、凄く速くなったりするもんなんじゃ?」
「普通はそうだよ。」
アズフが頷く。
「忘我状態っていうのは、無我夢中っていう感じでね。周りが停まって見えるほど集中した状態になるんだぁ。」
「それが結果的に速く動いているように見えてるってわけだ。でもあいつは今、ワザと遅く動くことを意識してやっている。」
ドゥーフの言葉を聞いて、ラフマは改めて舞台を見る。
フィカスの動きに不自然さはない。けれどリコリスの手を全て封じて、勝利を収めようとしていた。
「ああもコントロール出来るようになれば、もう相手出来るヤツなんざほとんどいねぇだろ。」
喋りながら、ドゥーフは無意識に笑っていた。
ようやく……ようやくだ。