189:変化
さて……これってどうなんだ?
ネモフィラの姿となった魔人は首を傾げた。
毒の効力が薄まってきた時点で病魔から切り替え、炎魔法で移動することなく攻撃することを選択した。これ自体は相手の意表を突いたものであると思うが……。
なにせまともに魔法で攻撃した経験がないため、炎が命中しているのか、この火力がどれほどのものなのか、そのあたりがよく分からない。
まぁ……これを受けて……。
劫火の中から黒い影が飛び出した。
やられるわけがないか……。
「ふぅ……!」
魔人はネモフィラからサンナへと変化し、金色の翼で宙を舞い武器の落ちている地点へと降り立つ。
「……。」
マントを脱ぎ捨てナイフを一本持った状態で、エレジーナは魔人を追う。
魔人は短剣を拾い上げ、サンナの姿のまま応戦する。
「……ッ!?」
──速い!
互いの刃が触れ合い、弾き合う……その次の瞬間、エレジーナは懐へと飛び込んでいた。
魔人の右腕を掴み、身体を引き寄せるようにして腹にナイフを突き刺す。
「がっ……はっ……!」
ナイフを引き抜くと腕をそのまま外へと引っ張っていき、回し蹴りを背中に叩き込む。
「ぐっ……舐めるなァッ!」
魔人は叫び、鱗で覆われた蜥蜴の姿となった。
「……。」
守りを優先したか。あの鱗で覆われた身体にナイフで傷をつけることは難しい。別の姿になるのを待つか?いや、その必要もない。
一瞬のうちに思考し、エレジーナはそのまま前進する。
振り下ろされた爪を避け、小さな跳躍で振り回された尻尾を躱し、関節にナイフを突き刺す。
蜥蜴は竜のような咆哮を上げ、その身体が砂のように崩れ始めた。
今度はまた、ネモフィラの姿だ。
「喰らえッ!」
「……。」
劫火が放たれるが、重心を低くし脇をすり抜けて接近する。
「くっ……!」
接近を許した魔人は炎を放つのを止めると、短剣で迎え撃つ態勢をとる。
再び両者の刃がぶつかり合う。
ここでエレジーナはナイフを小さく左右に振動させ、魔人の掌を揺さぶった。そして振動により指の力が弱くなった瞬間に揺さぶりを大きくし、短剣を掌から弾き飛ばした。
「ぐぅっ……!」
その隙に二回、魔人の身体に斬りつけた。
三発目を入れようとして、すぐさま飛び退く。
直後、地面に向けて放たれた炎が爆発を起こした。そのまま攻撃を続行していれば、炎に身を燃やされていたことだろう。
「──いや~……やるねぇ。想像以上の実力だよ。」
炎が収まると、そこには”魔人”アズフが立っていた。
負った傷はそのままだが、痛みを感じる素振りはない。
「……さっきまでの、演技だったのか?」
エレジーナは低い声でそう問いかけた。
「演技……か。そうとも言えるかな。」
魔人は刀を拾い上げる。
「私の魔法はね、全部演技なんだよ。別人の姿になって、その別人を演じる。別に演じる必要なんて……そっくりそのままである必要なんてないんだけどね。けどまぁ……そういうことをしている時の方が、落ち着くんだ。生きているって実感出来るから。」
色々な存在に変化していくうちに、自分というものが分からなくなってきた。
元々自分はどういう存在だったのか?そもそも本当にこの姿をしているのか?そもそもヒトであるのか?
何もかもが分からなくなった。
その点、他人になるというのは良い。
「その人になりきるって決まってるからね。やることが。だから戦う時も、その人ならこうする……こう喋るっていうのを組み込んでいるんだぁ。」
相変わらず真顔だが、口元だけは嬉しそうに歪む。
「だからさっきまでのも、組み込まれた演技なんだぁ。本当に痛かったし、辛くもあったんだよ?それで……今度はこっちの質問、いいかな?」
アズフの指がエレジーナを差す。
「今の君ってさ……もしかして……?」
「……予想通りだよ。」
エレジーナはアズフを睨み付ける。
この状態だと、あまり余計なことをしたくない。集中が濁ってしまうから。
極限まで集中した状態──。
──忘我状態だ。
「そっかぁ……それじゃあ、そろそろ決着といこうかなぁ?」
魔人から動いた。
ゆらりと陽炎のように揺れ、風のように素早く肉迫する。
刀が湾曲しているかのように見えるスピードで攻撃され、それをナイフで受け止め弾きながらエレジーナは後退る。
──隙がない……!
忘我状態の速さと互角。攻め切れない……どころか、押され気味だ。
……このままだと……勝てないな……。
まぁ……やっぱりかって気もする。以前、勇者と戦った時だって勝てなかったわけだし、それと同格の英雄に勝つだなんて、夢物語だったんだよね。
むしろここまでよくやったって感じだよ。
だから諦めて……。
「……。」
いいわけがないか。
エレジーナは無意識のうちに笑った。
──認めよう。
暗殺者の負けだ。私じゃ勝てない。
だから──!
「ぐっ……おおおぉぉっ!!」
刀を横へと弾き、背中に力を込める。
「……!?」
そこにいる誰もが驚いた。
彼女の背中から、焦げ茶色の翼が生えた。片方は酷い傷で原形を留めていないほど荒れている。
「がぅ……ッ!」
痛いなーやっぱり……!
目の端に涙をため、エレジーナはその翼で飛んだ。
──私の時間は、あの時に……この翼を失った時に止まった。
その時から暗殺者として無感情に生き続けた。
でも……。
サンナちゃんと再会して、一号ちゃんと再会して。
皆と触れ合って。
少しずつ……私の中で変わり始めた。
「ぅ……あああああぁぁッッ!!!」
アズフの頭上を飛び越え、無防備な背後へ着陸する。
──そして今、私の止まっていた時間が動き始めた。
ナイフが魔人の背中に深く突き刺さった。