186:下準備
戦闘服は動きやすさを優先。身体にピッチリとしたものを選び、その上に細身のマントを纏う。そして出来るだけ多く──それでいて重さが気にならないように気を付けて──暗器や道具を仕込んでおく。
「……。」
姿見で己の格好を見て、エレジーナは顎を摘まむ。
こうやって明るい部屋で見ると、真っ黒で変な格好だなー。
手首を動かし、違和感がないか確かめる。
──うん。問題ないかな。
窮屈さは感じない。これならどれだけ動いても平気だろう。
これで準備は万端……。
「……。」
姿見に移る自分の顔を見る。
……やっぱり、最後の仕上げをやっておこう。要らない気もするけど。
「エレジーナ、そろそろ時間です。」
ドアの外からくぐもった声がした。
「はいはーい。」
私はいつも通りの返事をし、灯りを消して部屋を出る。
「準備、大丈夫すか?」
「大丈夫だよー。ほら、行こうか。」
ドアの前に立っていたマカナくんの肩を叩き、歩くよう促す。
「……緊張、してますか?」
「緊張はないかなー?よく分からないや。」
「まっ、そうっすよね。」
ありゃりゃー酷いなぁマカナくんは。
でもまぁ、私という天使をよく理解しているから……ってことにしておこう。
ゆっくりと階段を下りていく。
皆はもう、外で待っているのだろう。
「うーん……先に言っておくね。マカナくん。」
「何をですか?」
彼は物珍しげに私の方を見てきた。
そんなに私が前置きして話すのが珍しい……珍しいか。
自分で自分にツッコミを入れた。
いつも思いつくままに喋っちゃうからね。きちんと整理して話すなんてこと、ほとんどしてこなかったかもしれない。
で……何を言いたかったかと言うと……。
「負けたらごめん。って先に言っておくねー。」
「……らしくないですね。」
いつもクールな彼がすこしばかり動揺した表情を見せた。
らしくない……ね。
そうかもしれない。でもやっぱり、負けるかもって考えが心のどこかにあった。とは言っても、相手が英雄の誰かならって話なんだけど。
「まぁ……やるだけやるよー。」
玄関の扉を開け、待っていた皆の元へ行く。
それから闘技場への道中──。
皆が色々話しかけてくれたけど、あんまり耳に入ってこなかった。
「……エレジーナ。」
闘技場に到着し、舞台へと繋がる通路に足を運びかけた時、サンナちゃんが私の腕を掴んできた。
「……その…………頑張ってください。」
「……。任せといてねー。カッコイイお姉ちゃんを見せてあげるよー。」
茶化すつもりでそう言ったが、サンナちゃんはいつもより優しい顔で頷いた。
……。
「──頑張るよ。」
それだけ言って、彼女の頭をポンと叩き、私は通路を進み出した。
肩を軽く回し、両手をブラブラと振る。
──これだけしっかりと準備するのは、一体いつぶりだっただろうか?
いつもの時は、いつもの仕事でいつもの装備……。いつの間にか、準備なんてものはしなくなっていた。
さてさて、これで相手が予想を外した存在だったら、拍子抜けもいいところだけど……。
「あ、来たね。今回は、私の方が早かったね。」
「じゃあこれで、あいこだねー。」
舞台で先に待っていた人物は──。
三英雄の中で、唯一面識のある人物──。
”魔人”アズフだ。
やりやすい相手ではない。
けれど三英雄の誰かを選べと言われたら、魔人を選ぶことだろう。賢者と聖人の情報は少なく、戦いにくさがある。
それに比べれば、魔人は幾分か戦いやすい方だろう。
「そういえばさ、魔女……だっけ?あの子、凄かったね。」
アズフは虚空を見つめ、独り言のように語りだした。
「怪力の女の子も凄かったよ。男の子はまぁ……あんまり魅力的じゃなかったかなぁ。」
魔人はそのまま首を傾ける。
「やっぱり、魅力的だと真似してみたくなっちゃうよね。それでさ、君の真似もしてみたいなって思うんだけど、今回は本気で戦ってくれるのかな?」
「…………うん。本気で戦うから、安心してねー。」
どう答えようか悩んだ。
悩んだうえで、素直に答えた。彼女には駆け引きは有効ではない。
「わぁーそれは嬉しいな。やっぱり、凄いものっていくら見ても見足りないっていうか、いくらでも見ていられるっていうか、不思議な魅力があるよね?」
「……。」
こうも無邪気さが伝わってこない喋り方があるだろうか?
同じ台詞をアベリアちゃんなんかが言ったら、とっても可愛いって思えるだろうに。
「君にもそんな魅力的な存在であってほしいと思うんだ。だから──。」
こちらの反応を無視して、魔人の話し続ける。
「本当、頑張ってね?賢者くんと戦ったりしてみたかったんだけど、断られちゃってさ。こうやって出番がくるまで暇だったんだ。だからさ、えーっとね……。」
魔人は腰に差してある鞘に手をかけた。
いよいよか──。
私もナイフの柄に手をかける。
「それでは”魔人”アズフ対エレジーナ戦……始め!」
ノウェム姫の掛け声がした。
それと同時に魔人の鞘から刀が引き抜かれる。
「楽しい勝負になると、嬉しいなぁ?」