180:奥儀
──負けたくない。
戦いの最中、浮かんできた思いは、ただそれだけだった。
妹のことを思って負けるべき、そう考えていた。実際、そうするのが正しいはずだ。
それでも、負けたくない。そう思ってしまった。
アモローザは水の塊を右手で持ち上げ、投げつけるモーションに入る。
これが当たれば、相手の骨くらいなら折ることが可能だろう。己の持てる魔力を注ぎ込んだ、全力の一撃だ。
「これで──!」
負けたくないと思ったのは、一体どうしてだろうか?
姉としてのプライドか、アモローザという人間が持つプライドか、はたまた……相手がアベリアだからか。答えは出ない。きっと出す必要もない。
こういう気持ちに、感情に理由なんていらない。
「──決める!」
アベリアもまた、同じ考えに至っていた。
しかしそれは感情や気持ちの話ではなく、勝負自体における話だ。
ここで退いてはダメだ。ここで決めないといけない。
直感に近い何かが自分にそう告げた。アモローザの様子からして、なんていうのは後付けともいえる考察だ。そう考える前に、ここが勝負所だと判断していた。
右足を大きく踏み込ませ、勢いをつけるために右腕を大きく引く。
”──そうだな。貴方が強くなる方法があるとすれば……。”
南大陸にて──。
アベリアはフィカスを捜す合間に”聖人”アギオスから戦い方を教わっていた。
「アベリアは既に、身体は完成していると言っても良いだろう。ならば、必殺技……では物騒だな。うむ……奥儀……うむ。奥儀だ。そう呼べる技を習得すべきだ。」
「奥儀?でも……どうすればいいの?」
アギオスはアベリアの身体のあちこちを撫でる。
「うむ。筋肉は全身にバランスよく付いている。肉体強化魔法の使い方も理解している。常に全身にある程度魔法を発動するようにしているのだろう?」
「え……?うん。」
彼女が何を言いたいのか。
アベリアはそれが分からず、困惑しながら頷いた。
「つまりは、それだ。もし私が貴方なら、それを覆す……その前提を覆す。それが一番有効的であり、意表を突けるだろう。」
「……!」
絶対に!ここで使うべき!
アベリアは右腕に力を──強化魔法を集中的に込める。
”──ただし反動も相当なものとなるだろう。使い所はしっかりと見極めるように。”
姉さんは……いいえ、きっと私を知る全ての人たちが私の力は、速さは、これであると思っている。悪い言い方をすれば、決めつけている。
だから──!
「うおおおおォォォッッ!!!!!」
腹の底から力の限り叫び、全力の拳を突き出した。
「なッ!?あッ!?があああァァッ!!」
真っ向から水の塊を粉砕し、そのまま握りしめた右手は姉さんの腹に打ち込まれ、吹っ飛ばした。
「うっ……ぐううううぅぅぅっっ!!」
アベリアは激痛に涙を流し、右腕を押さえてしゃがみ込んだ。
思っていたよりもずっと痛い……!
反動がここまでのものとは。たしかにこれは、奥儀と呼ぶべきものだ。一度でも撃てば、痛みで戦いどころではない。
それでも、撃った成果は充分に挙げられた。
「……しょ……勝者……冒険者同盟……アベリア……。」
ノウェム姫のたどたどしいアナウンスが響いた。
未だ痛みに震える右腕を天へと突き上げる。
常に全身に発動していた肉体強化魔法を攻撃する一点──右腕にだけ集中的に発動する。これがアギオスとともに私が見つけた──切り札だ。
「姉さん!大丈夫!?」
戦いが終わった。
そう理解した瞬間、身体中を走っていた緊張感が解け、慌てて姉さんに駆け寄った。
勝負だから、と深く考えていなかったが、よくよく考えてみれば人に向けて撃つには危険すぎる奥儀だ。感触にはそこまで嫌な感じは伝わってこなかったが、安全は保証できない。
「……っ……強くなった……わね……。」
腹部を押さえ、姉さんは壁に寄りかかった状態で掠れた声を出した。
「姉さん……。」
姉さんは空いている片腕を私の方へと伸ばしてきた。そして首を横に振った。
「いえ……強かったのよ……ね?私が知らない……だけで……ずっと前から……。」
「……うん!だからもう……昔の私じゃないんだよ?」
また涙が溢れてきた。
今度は痛みからではない。
嬉しかったんだ。姉さんに認められて。
「だから姉さん……私に任せて?」
私の言葉を聞いて、姉さんは驚いた顔を見せた。
そして優しく微笑んだ。
「ええ……頑張りなさい…………。」
そう言って目を瞑り、顔が下を向いた。
「姉さん!」
「大丈夫。気を失っただけよ。」
いつの間にか、ノウェム姫が隣に来ていた。
「衛生兵がすぐに治療してくれるから。貴方は先に戻ってなさい?」
「──はい。」
ここは姫様に任せよう。
姉さんと色々話したいこともある。
でも今は他にもしたいことが、喋りたいことが色々あって──。
だから今は、気の赴くままにしよう。
通路を歩き外に出ると、皆の姿が見えてきた。
段々と駆け足になっていく。
「──ただいま。私……勝てたよ。」