179:喧嘩
濡れた顔と髪を手で拭い、アベリアは疲れを振り払うように顔を横に振った。
──姉さんは私の動きを読める。でも……。
それはあくまで、少し前までの動きの話。私が南大陸に行ってからのことは知らないはず。
アギオスが話したという可能性もなくはないが、彼女の性格的に訊かれない限り喋ることはないはず。そして姉さんは私が南大陸に行ったこと自体知らないはずだ。
全部憶測になってしまうが、きっと知らない。それが結論だ。
それならば、アギオスに鍛えてもらった成果を発揮すれば……勝てる。
「姉さん、ここからが……勝負だから!」
一気に突っ込む。
そうしたら姉さんは必ず、水の膜で防いでくる。
──当たり。
安定行動を採るなら、そうするのが一番だ。
だから私は両脚に急ブレーキをかけ、素早く方向転換する。直角に右に曲がり、警戒の薄い──つまり幕の薄い端の方に拳を叩きこむ。
「……。」
姉さんは無言で左手をこちらに向けた。魔法を放つ体勢だ。
だから……。
「それッ!」
腰を落とし、両脚を深く曲げ、宙へと跳び出す。
空中で力を込めた一撃を放つことは難しい。何故なら、力の反動を受け止めてくれるものが何もないためだ。だから普通は、体勢を整えてから宙へ跳ぶ。
でも今、私はそうではない。姉さんの目には、ただ躱すためだけに跳んだように見えることだろう。
「……油断なんて、しないわよ?」
水のドームが姉さんを包んだ。
これは想定内。だからこれを壊してからが勝負!
「フッ!」
利き腕じゃダメだ。追撃が難しい。
左腕を振って衝撃波でドームを破壊する。バランスを崩さないように、突き出した後、素早く引く──。
「そりゃッ!」
水のドームの破壊に成功。そのまま水飛沫の中へと落ちていき、両脚で着地する。この時に素早く小さくジャンプする。
ラフマに教えてもらった技術だ。小さくジャンプすることで、次の動作に入りやすくなるそうだ。
このジャンプで着地の衝撃を流すとともに、二回目の着地の勢いをそのまま移動の勢いに変える。
「だからッ!読めてるのよ!貴方の考えることなんてッ!」
アモローザはヒステリックな怒鳴り声を上げ、アベリアに向けて手を伸ばした。
「うぐっ!」
髪を乱暴に掴み、グイと身体を引き寄せる。そして脇腹に手を当てた。
「ぐがッ!!」
腹に水の塊をぶつけられ、アベリアの身体が吹っ飛んだ。受け身を取れず、地面を何度も転がる。
「……。」
今の……水の弾丸……ってとこかしら?
セプテムはアモローザを客席から見つめる。
水は範囲を絞ることで岩のような威力を持つが、彼女もそれを知っていた?日常において必要のない技術であるはずだけど……。
そういうトコは、やっぱり似ているかもしれない。
「アベリア……。」
隣でフィカスが心配そうな声を出した。
「──大丈夫よ。」
私は彼の肩を叩く。
「あの子は強い。それはあんたも知ってるでしょ?」
のんびりしているようで、意外と冷静で観察眼を持っている。相手との力量差を測れない彼女ではない。そんな彼女が諦めずに戦っている。
つまりは、そういうことだ。
「どうしたのリア!?貴方の実力はそんなものなのッ!?」
アベリアは拳で地面を叩く。
「そんな……わけ……ないッ!!」
痛みをこらえ、私は身体を起こす。
よろめきながら立ち上がり、姉さんを睨み付ける。
今の一撃で、目が覚めた。
──姉さんが相手だから、しっかり戦わないと。
そう考えていた。それが間違いだった。
戦いって考えてしまったことで、姉さんの動きがかえって分かり辛くなってしまった。もっと単純に見れば、考えればよかったのに。
「私はまだ……戦える。」
姉さんはニヤリと笑った。
「そう……それでこそ、私の妹よ。」
「うん。だから姉さん……喧嘩、しよ?」
全身に力を込め、三度私は突進する。
「同じ手は通用しないわよ?」
また水の幕が張られる。
でも……もう関係ない。
連続でパンチを繰り出し、水を破る。
何度でも。幾らでも。
「……ッ!このッ……!」
アモローザは苛立った声とともに、水の塊を生成する。
「ぐぅっ……このッ……!」
水の威力に怯むが、すぐに拳を繰り出す。
そう。これは喧嘩だ。戦略とか何もない。ただ感情のままに拳を繰り出すだけの。
雑な戦いに……人によっては、やけくそに見えるかもしれない。けれど、姉さんを相手にするなら、これが一番効果的だ。
姉さんとは喧嘩をしたことがない。いつも私が弱気になって、圧倒されて、それで終わっていた。
だからこそ、姉さんは喧嘩をしたことがない。何も戦略のない、ただの暴力を体感したことも見たこともない。
「ッ……いいじゃない、アベリア!でも私だって……!」
「……!」
多分、ここだ──!
姉さんは腕を振り上げ、巨大な水を創った。
感情が高まっている。私の名前をあだ名ではなく、本名で呼んだことがその証拠だ。
何度もパンチを受け、精神的にも肉体的にもダメージが蓄積している。
私にも同じくらいダメージを与えているのに、そのことを考えられないくらいに。
だから──!
「──これで決める!」
姉妹の声が重なった。