160:星空
太陽が顔を隠し、月が町を照らすようになる時間――。
僕とエヌマエルは長い螺旋階段を上っていた。
石に囲まれた狭い空間で、同じようにグルグルとひたすら歩く。
その感覚は奇妙というか、段々とよく分からなくなってくる感じがあった。
「ねぇ……どこまで上がるの?」
途中、外に出られるであろう扉があったが、先を歩くエヌマエルはそれを無視していた。
仕事終わりのトレーニングにしてはハードな気もする。もしかして……。
「はい。最上階まで上がりますよ。」
そう答える彼女の声は少し荒かった。
……疲れてるんだ。やっぱり。
「……なんで最上階まで行くの?」
やはり、そこに何かあるってことになるのだろうか?
「見たい……いえ、見せたいものがあるんです。」
「見せ……?」
「あっ!着いたみたいですよ!」
急に大声を出して立ち止まり、歩く流れを僕は止められず彼女の腰に鼻をぶつけた。
ギイィ……と重たい音を立て、扉がゆっくりと開かれていく。
音からして、錆びついているみたいだ。長い間、誰もこの扉を使用していなかったのだろう。
「ほらフィカスさん!見てください!」
月明かりが差し込んでくる。
外の澄んだ空気が身体に入ってくる。
「わぁ……!」
見上げれば、そこには満天の星空。
今まで見たどの星空よりも広く、明るく、近い。
手を伸ばせば掴めそうに思えてしまうほど、近く壮大な星空。威圧的とまで感じてしまう、煌びやかで広い夜空だ。
「ふっふーん。どうです?この景色?」
「うん……凄い……!」
ただそれだけしか言えない。それほどまでに壮観な光景だ。
背後から錆びついた音がして、扉が閉じ僅かな振動が響いた。
あれ……?なんで今……。
「でしょう?ここは知る人ぞ知る、有名なスポットなんだそうです。」
町を見渡せる高い塔の頂上。
そこから見下ろす町灯りと満天の星空。
うん。有名と言われるのも分かる。それだけ綺麗な光景だ。
「あっ……流れ星……!」
キラリと尾を引く輝きがあった。
一瞬でそれは消えてしまったが、印象深く目に残る。
「連続で三回お願いすれば、願いが叶うって言いますよね。」
「そうなの?」
初耳な話だ。
「ジンクスっていうやつですよ?本当に何か起きるわけじゃないですよ?」
「あっそうなんだ……。」
本当の話じゃなかったのか。
特別な魔法とかがあるのかと思っちゃった。
「フィカスさんは、流れ星のお話、聞いたことなかったんですか?」
「うん。そういう話、誰もしなかったから……。」
そう言いながら、故郷のことを、人生のことを不意に思い出していた。
そういうおまじないとか、おとぎ話とか、いわゆる非現実的な話をしてくれる人はいなかった。ただ淡々と現実的な、それでいて都合の良い話しか周囲はしてくれなかった。
皆と出会った後は、そういうのもなくなって……。
「……。」
星空の中で輝く、大きな銀色の月。
今にも落ちてきそうなほど近くて大きい。
……皆も今、どこかで同じように月を見ているのかな?
「……フィカスさん。」
エヌマエルがそっと傍に寄ってきた。
「想い人はいないって言いましたよね?」
「……?うん。」
「それなら……。」
大きな月を指差した。
「これから先、とっても!大切な人が出来たら、今みたいに月を一緒に見てあげてください。」
それで――。
エヌマエルの唇が動く。
「月が綺麗ですね。って言ってあげてください。」
どういう意味だろう?
そう思ったが、訊かないことにした。なんとなく、彼女の顔を見ていたらそう思った。
「そう言えば……。」
どうして急に二人で出掛けることにしたんだろう?
誘いを受けた時から気になっていたことを尋ねてみた。
「あっそれはですね……。」
悪戯っ子のように微笑んで、彼女は小首を傾げた。
「リラックス……してほしかったんです。」
「リラックス……?」
「はい。フィカスさん、ずっと根詰めていて……、苦しそうというか、余裕がないというか……とにかく、肩の力を抜いてほしかったんです。」
彼女は隣で優しく柔らかい表情を見せる。
「今の生活がいつまで続くか分からないですけど、生き方までずっと同じである必要なんてないんですよ?もっと楽に……良い感じに過ごしていきましょう?」
「――うん。」
自分では、いつも通りに戻ったと思っていた。
でも、どこか、気付かないだけで、いつもとは違っていたんだ。
エヌマエルはそれに気が付いて、僕のことを気遣って誘ってくれた。
「――ありがとう。」
「えへへ……お礼なんていりませんよ。」
そう言ったが、その表情は嬉しそうだった。
カララ……。
その時、後ろから石が転がったような音がした。振り向くと、扉横の壁が少し崩れていた。
「今……何かした?」
「いえ……勝手に崩れましたよ?」
急に崩れるって……古いのかな?
考えてみれば、有名なはずなのに誰も他にいないし……ん?
「ねぇエヌマエル……どういう風にここを知ったの?」
「え?どうって……ドキドキ出来る場所を教えてくださいって訊き回ったら、皆さん口をそろえてここを教えてくれましたよ?」
ドキドキ出来る場所……そういえばさっきも勝手に扉が閉じて……。
「……帰ろうか。」
「……?はい。」
ここにいたら駄目な気がする……。