130:霊峰
ごつごつとした歩き辛い山道を慎重に進む。踏ん張るために脚には力が入り、高度も徐々に上がって行き呼吸が荒くなっていく。
予想以上に体力の消耗が激しい環境だ。
無論、普通に登山をする分には、ここまで消耗することはないだろう。追手から逃れるために、通常よりもハイペースで動いていることが、体力の消耗を加速させている。
ふと歩いてきた道を振り返ってみると、地上がかなり遠くに見えていた。
気が付かないうちに、こんなに歩いてたんだ……。
ここから見る限り、この山の近くには誰も来ていないようだ。
「良い景色ですね~。何だか元気が出てきますね!」
「うん。景色が良いとやっぱり……。」
「ストップ!」
小さくセプテムが叫んだ。
「え?何でですか?」
「ちょ、あんた……。」
喋るな。
と言おうとしたが、遅かったようだ。
「ん?誰だ?」
岩陰の向こうから男性の声がした。
そして、足音が徐々に大きくなってくる。こちらに向かって歩いてきている。
「……こんなところに一体誰が……って人間か?」
かなりデカイ男だ。
二メートルはあるのではないだろうか。それほどの高さと屈強な肉体。褐色の肌。
この人……もしかして……。
「悪魔?」
「ん?そうだが……ったく、人間がこうも来ると面倒なんだよ。言っとくが、この辺りに薬草はないぞ。」
やっぱりそうか。ジギタリスに身体的特徴が似ていると思った。
「別に私たちは薬草を取りに来たわけじゃない。ただ向こう側まで行きたいだけよ。」
呆れた様子でセプテムがそう説明した。
この辺りに住んでいる悪魔だと分かったので、警戒したのが馬鹿らしくなったのだろう。
「向こう?山の先ってことか?」
「ええ。そうよ。」
すると悪魔の男性は肩をすくめた。
「おいおい。行ったところで何もないぞ。ただ草原があって、その先に海があるだけだ。」
「海ね……向こう岸は見えるのかしら?」
男性は頭を掻いた。
「あー……どうだったか……うっすら見える時もある……気がするな。まさか、海を渡るつもりか?」
「そのまさかよ。情報ありがと。行くわよ。」
セプテムは止めていたその歩みを進め始めた時――。
「おう。こっちも面白い話が聞けて満足だ。しばらくは話題に出来るから助かったぜ。頑張れよ。」
と、男性が口にした。
「は?」
一歩踏み出したところで足を止め、男性を睨みつける。
「ん?どうした?」
「言いふらされたら困るのよ。悪いけど秘密にしといてくれない?」
逃亡者の身としては、好き勝手に情報を話されては困る。
霊峰と呼ばれる場所である以上、そうそう人が来ることはないだろうが、それでもゼロとは言い切れない。
「そりゃ困るな。町と違って、ここには話題がないんだ。だから人間の話をネタによくしてるんだが……第一、お前ら人間は勝手にやって来て、勝手に薬草を取っていくじゃないか。だったらこっちも多少は何やってもいいだろう?」
……薬草の件に関しては、悪魔が薬草に興味がないとか聞いたことがあるけど……。
ってそうか。そう思って思い出した。ここがジギタリスの故郷なんだ。
「知らないわよ。他の奴のことなんか。私たちはただここを通るだけ。迷惑はかけていないわ。それに文句を付けるっての?」
セプテムの視線が鋭くなる。
拙い……臨戦態勢だ。
「セプテム、落ち着いて。ここで戦っちゃ駄目だ。」
ここで戦えば、少なからず他の悪魔がそれを目撃する。
そうなればこの人が黙っていてくれたとしても、他の悪魔が噂として広めてしまうだろう。
それでは駄目だ。自分たちがここに来たということを隠したいのなら、穏便にやり過ごす必要がある。
「……分かってるわよ。」
凄い怒っている。
声音から感情がひしひしと伝わってくる。
「……くそっ……これだから悪魔は。」
「ん!?今何て言った!?」
男性も怒った声で怒鳴るように訊いてきた。
「何にも言ってない……ジギタリスといい、何で悪魔って面倒な奴しかいないのかしら。」
「言ってるじゃ……ジギタリス?ジギタリスの知り合いなのか?」
その口ぶりからして、ジギタリスの知人のようだ。
「はい。そうですけど……。」
「そうか。ジギタリスの知り合いか……ちゃんと人間の社会に入れたってことか……。あの騒がしい奴が……。」
腕を組み、うんうんと頷いた。
「ジギタリスはどんな様子だ?しっかりとやれているか?」
「あ、はい。いつも頼りになります。」
「そうか……ならいいんだ。」
……何だかよく分からないけど、もう怒ってないのかな?
「今度来た時にジギタリスも連れて来るんで。私たちはもう行くわ。サプライズにしたいから、秘密にしといてちょうだい。」
「おう!サプライズはたしかにいいな!邪魔して悪かったな。もう行っていいぞ!」
「どうも。」
上手いこと男性を丸め込み、その場を後にした。
それからもただひたすら歩き、時折休憩を挟みながら進むこと数時間――。
日が暮れ始め、野宿するところを探そうと思い始めた頃――。
下り坂の向こうに、緑色の草原が見えた。
そして顔を上げて遠くを見やると、夕日に照らされキラキラと輝く途方もなく大きな水。
「――海ですよ!」