118:正義
「……。」
誰もが何も言うことが出来ず、ただ黙ってその姿を見ていた。
フィカスはその手に伝わる感触――肉を斬った嫌な感触を直に感じ、顔を歪ませる。
こうなることを考えていなかったわけではなかった。何も考えずに戦っていたわけでもなかった。ただ――。
……これが人を斬るということだ。
痛いくらいに力を込めていた手を緩め、柄から手を放した。
「……スクォーラ……さん……。」
その名前を口にする時、どう呼ぶか一瞬迷った。
けれど、彼はやはり勇者だ。たとえ、死神としての顔を持っていたとしても。
どれだけ憎んでも、怒りを向けても、彼が勇者であるという根幹は覆らない。
「……ぐっ……まさか……な……。」
スクォーラは己の身体に深く斬り込まれた剣を抜こうとするが、手に力が入らないのか、柄を握るのみだった。
「……負けるとは思っていなかったが……お前に負けるとはな。」
もし、死神を止められる相手が現れるとするなら、それは自分よりも強い相手。可能性があるならば、それは怪盗シャドウかと思っていた。
しかし、実際には奴ではなかった。
まさか、偶然出会ったただの少年に負けることになるとはな……。
「さぁ……止めをさせ。お前が……新しい勇者だ……。」
「えっ……?」
何を驚いた顔をしている?
この状態から生き延びようなどと考えるわけがないだろう。どう足掻いても死ぬ。ならば、自分にとって重荷でしかなかった……その称号を授けてから死のう。
「……殺せない。」
「フィカス!?」
彼の言葉に仲間たちは驚いた表情を見せた。
――そうだ。ようやく分かってきた。
フォルフェクスとの戦いを終えた後、胸に残ったあの感覚の正体が――。
「……勇者は……。」
言葉が続かなかった。
人殺しじゃない。悪じゃない。
そう続けたかった。けれど、何も出てこなかった。
「……ふん。やはり、頭が良いな……お前は……。」
物事は捉え方によって、その姿を変える。
それをフィカスは理解している。
多くの魔物・悪人を始末してきた者が勇者と呼ばれる。
そのことに疑念を抱く者は多くはないだろう。だが、やられた側から見たらどうなる?
自分の同胞を殺める存在――それは勇者ではなく、死神だ。
「だが……その甘さは……今はいらん……!」
スクォーラは身体に刺さる剣から手を放し、片手に残っていた大鎌の柄を振り上げた。
「させないっ!」
アベリアが両者の間に割り込み、その柄をへし折った。
それを見て、死神は――勇者は笑った。
「ふっ……最後まで……ハァ……精々悩め、もがけ……それが勇者だ……さらばだ!」
「……!待っ……!」
アベリアを押し退け手を伸ばしたが、間に合わなかった。
スクォーラは再び自分に刺さった剣に手を伸ばすと、それを内側へと押し込んだ。
「……ぐっ!……ぅ……。」
そして、彼の身体は倒れた。
「……。」
止められず、ただ空しく手は宙を握った。
……こうして誰かの命を奪う者が勇者?
じゃあ……勇者って何だ?正義って何なんだ?
……分からない。
少なくとも、今の僕は正義じゃない。
「フィーくん……?」
「……。」
心配そうな眼差しを向けられても、何も言えなかった。きっと、この感覚は……気持ちは、ずっと付き纏う。一生、消えることなく。
「なに死んだみたいな顔してんのよ?あんたは勝ったの。今はそれだけを感じなさいよ。」
セプテムが近づいてきて、そう言って背中を叩いた。
「……今は、何も考えなくていいんです。きっと……。」
彼は敢えて自分の手でケリを着けた。
それを言おうとして、サンナは口を噤んだ。
今はそれを伝えても、何も変えられない。そう思ったからだ。
「おう!お前は自分の道を突き進んだ!それだけだぜ!」
ジギタリスが努めて明るい声でそう言ったが、フィカスの暗い顔が変わることはなかった。
「ほら、フィーくん……行きましょ?」
アベリアが優しくフィカスの手を取った。
「……うん。」
アベリアが気絶しているノウェムを背負い、パーティはレグヌム城へと向かった。
フォルフェクスを倒したことにより、戦争が終息するということ。そして……。
今しがたあった出来事、死神の話をするためだ。
「そうか……まさか勇者が死神であったとは……。」
報告を受け、国王は渋い顔をした。
しかし、すぐに明るい表情へと変わる。
「だが、その話は後で良い!今はこの英雄を讃える時だ!フィカスと言ったな!君を新たな勇者として迎え入れよう!」
「え、いや……僕は……。」
思考の整理がしたい。
正義とは何か。冒険者とは何か。それを見つめ直したい。
「遠慮するでない!君の功績は国を救ったも同義!何も恥じることなどでは……。」
「申し訳ありませんが、国王殿。」
付き添いで来ていたアモローザが口を挟んだ。
「フィカス少年は疲れておいでです。話は夜明けにしてもよろしいでしょうか?」
「うむ。それもそうだな。では、明日……ではなく、本日の昼頃より、宴を開こう!話はその時にでもしようではないか。」
「はい。ありがとうございます。それでは、失礼いたします。」
「うむ。誰か、彼らに良い部屋を!」
家臣の一人に案内され、フィカスたちは一際豪華な部屋に連れられた。
「それでは、私は帰るわね。」
「姉さん?どうして?」
「自分の枕でないと、眠れないからよ。」
そう言ってアモローザは部屋を出ていった。
「……はぁ…………。」
フィカスはベッドに腰を下ろした。
そして、そのまま身体を倒した。
……何だか、一気に疲れが襲ってきた気がする。
「あんだけ動いたからな。回復をしたとはいえ、疲ればかりはどうしようもねぇ。つーわけだ皆、回復は済ませたが、さっさと休んだ方がいいぜ。」
「ですね。一度寝ましょう。」
不意に部屋が暗くなった。
誰かがランプを消したらしい。
でも……まぁ……いいか……眠ろう。眠って……それから…………。
「……おやすみ。」